NO.2673 このほど全廃になりました、長崎県営バス・長崎県央バス三菱エアロスタートップドア車 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 

 

 長崎県営バスと、長崎県営バスからの分離会社であります長崎県央バスには、三菱エアロスターのトップドア車が存在しておりまして、昭和63年から平成5年式までの車が存在しておりました。

 もちろん、年式が幅広い事もありまして、形式もP-規制車(P-MP618MT)からU-規制車(U-MP618MT)と排ガス規制のアルファベットが変わりながらも導入を続けてまいりました。

 また、長崎県営バスで導入されました全三菱エアロスタートップドア車のうち、平成3年式車が後述のように島原鉄道(島鉄バス)にも移りまして、島鉄バスの路線で使用されておりました。尚、この移った理由は長崎県営バスが島原半島の路線を撤退しまして、路線を島鉄バスが継承した事によるものでありました。
 
 さらに、平成21年長崎~諫早線などの一部は長崎県央バスに運用を委託した事もありまして、車両も長崎県央バスに移籍した車も存在したほどでもありました。尚、長崎県央バスの場合は側面の表示の場合、「KEN-EI」から「KEN-OU」と変わっている事がわかります。
 
 (アップ)
 
 また、方向幕も「長崎県営バス」から「長崎県央バス」に変わっておりましたが、1E19の場合「」の部分を修正した跡が見られていた事もわかります。恐らくは他の車も同様の姿が見られていたのではなかったかと思われますが、そういった姿も見られていた姿が懐かしい所ではあります。
 
 「」の部分が小さい事から修正した跡も見られていた事がわかります。
 
 
 では、以下にエアロスタートップドア車の導入台数をご紹介しますと・・・

 昭和63年式 4台
 平成元年式 12台
(前半6台・後半6台)
 平成3年式 7台
 平成4年式 3台
 平成5年式 9台


となっておりまして、特に平成元年には2期に分けまして12台も導入されているなど、計35台がこの5年の間に導入されておりました。
 
 
 しかし、経年などによりましてこのエアロスタートップドア車は最近まで活躍する姿は見られておりましたが、このほど残っておりました2台が廃車になった事で、残念ながら全廃へと至っております。それだけ長崎県営バスのエアロスターでも代表するタイプでもあっただけに、そうなってしまう事はやはり残念でならない所ではあります。
 
 
 さて、今回ご紹介しますのは、そのエアロスターに関しまして、これまで導入されました導入車・タイプを年式別に皆様にご紹介してまいります。

 
 
 まずは、昭和63年に導入された車からご紹介しますが、この年4台3527~3530)が導入されておりました。

 (3530)
 
 画像の車は、このうちの1台の3530でありますが、導入当初の塗装は白地の「長距離路線塗装」でありまして、その後現在の「貸切・高速塗装」に塗り替えられましたが、これは翌平成元年導入車も導入時は同じ塗装となっておりました。また、画像からもわかりますように、前面・リアの方向幕の縁が塗装と同じ白のままであった事もお分かりいただけるのではないかと思います。尚、このグループは平成22年までに全車廃車されております。
 

 以下の画像は平成元年(前半)に導入されたグループでありまして、6台1E14~1E19)が導入されました。このグループは、長崎~佐世保間の高速・特急バス専用車としても運行されていたグループでもありまして、全車矢上営業所に新製配置されておりました。
 
 (1E16)
 
 (1E17)~長崎県央バス
 
 (1E19)~長崎県央バス
 
 これら車は、前面が上部の方向幕であったにもかかわらず、この車で高速道路(長崎自動車道)も走っておりましたが、前面上部の方向幕の高速バスと言いますと、現在では西鉄バスでも運行されているだけに、これが平成初頭でも運行されていたとは、画像を見る限り思わないほどでもあります。
 
 また、運行当初は武雄北方~大村間が開通しておりませんでしたので、高速バスも大村インターまでで、翌年には長崎自動車道が全線開通したため、西九州自動車道(武雄・佐世保道路)も運行するようにもなってもいました。尚、これら車は一部長崎県央バスに移籍されてもいましたが、平成26年までに全車廃車になっております。
 
 
 一方、こちらは平成元年(後半)に登場したグループでありまして、こちらも6台1E28~1E33)が導入されておりました。
 
 (1E28)~長崎県央バス

 (1E29)~長崎県央バス
 
 (1E32)
 
 これら車は、主に長崎~雲仙方面の運行(準急バスなど)を中心に使用されていたタイプでもありました。特徴は、画像にもありますようにリクライニングシートが設けられておりましたので、長距離にも対応できていた事が伺えております。また、このうち3台が長崎県央バスに移籍しておりましたが、平成26年までに全車廃車となっております。
 
 
 こちらは、平成3年に導入されましたグループでありまして、ここからはU-規制車での導入となっておりました。導入台数は、7台3E11・3E12・3E18~3E22)が導入されておりました。
 
 【いずれも平成20年撮影】
 (長崎22か24-04、元3E18)
 
 (長崎22か24-06、元3E20)
 
 これら車に関しましては、残念ながら長崎県営バス時代の画像はなく、全車島原鉄道(島鉄バス)に譲渡しておりましたので島鉄バス移籍後の画像を掲載しておりますが、このグループのうち5台が元は長崎~(有明フェリー)~熊本線「ありあけ号」に使用されていた車でありました。これら7台は、譲渡前には小浜営業所に所属しておりまして、そのまま全車島鉄バスに譲渡と言う事になっておりましたが、その後全車廃車となっております。
 
  
 さらにこちらは平成4年に導入されましたグループでありまして、こちらはグループの中では最も少ない3台4E14~4E16)の導入でとどまっておりました。

 (4E16)~長崎県央バス
 
 これら3台は、4E14が新製配置が長崎営業所で「ありあけ号」で使用されておりましたし、他2台も旧小浜営業所に新製配置(4E14ものち配置)されておりましたが、これらは諫早営業所に転属後に長崎県央バスに移籍されておりました。このグループと平成3年・5年に登場したグループは、導入当時は現在の一般路線と同じ赤色でしたが、後に「貸切・高速塗装」に塗り替わっておりました。
 
 このうちの上の画像・以下画像にあります4E16が、このグループでは最後まで残されていた車でありまして、以下画像のように活躍する姿が見られておりました。しかし、令和3年に廃車となっておりまして、この年式は全廃へと至っております。
 
 そして、最終導入の平成5年に導入されましたグループです。この導入は8台5E11~5E18)が導入されておりまして、ここまで最終的に35台の導入に至っておりました。

 (5E12)
 
 (5E14)~長崎県央バス
 
 (5E32)
 
 このグループの新製導入は、5E11~5E13が大村営業所、5E14~5E16が旧小浜営業所、5E17・5E18が旧雲仙営業所に新製配置されておりまして、特徴としまして、他の車と違い銀窓車となっていたのが特徴でありまして、これまで導入されました車両とは違った所が見られておりました。
 
 その後は、5E14・5E15が長崎県央バス、それ以外が大村・矢上・諫早・長崎の各営業所に所属しまして運行されておりましたが、長崎県央バスに所有していた2台、スクール用に転用されておりました5E18が令和3年までの時点で残されておりましたが、5E18はこの年残念ながら廃車となっておりました。
 
 (5E18、九州busさん提供)
 
 
 そして、最後まで残されておりました5E14・5E15もこのほど廃車になりまして、この結果長崎県営バスのエアロスタートップドア車は姿を消しております。残念ながら、5E15は最後まで収める事はできませんでしたが、最後まで残っていたならば収めたかった所でもあっただけに、こちらに関しましては正直悔やむ所でもありました・・・。
 
 
 今回は、長崎県営バスに存在しました三菱エアロスタートップドア車に関しましてご紹介しましたが、このエアロスタートップドア車も色々なラインナップが存在していた事がお分かりいただけます。私が驚きましたのは、かつては高速仕様車が存在していた事でもありましたが、ここまでできていたのも、リクライニングシート車であった事がそう言った運用ができていた要因ではなかったではないでしょうか。とにかく、このトップドア車に関しましては残念ながら全廃となりましたが、これら車が活躍した記録は残されておりますので、とにかくお疲れさんと言いたいとも思います。