NO.2366 祝・豊肥線全線運行再開、3年半ぶり「SUGOCA大回り」(その4、立野→阿蘇編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 豊肥線全線運行再開記念として3年半ぶりに敢行しました、第8弾になります「SUGOCA大回り」の模様をNO.2363よりご紹介しておりますが、その3のNO.2365では、豊肥線に入りまして熊本→肥後大津→立野間の模様に関しましてご紹介しておりました。

 

 今回この区間では上の画像1の815系電車で熊本→肥後大津間、肥後大津→立野(→宮地)間で画像2のキハ200系気動車を利用しまして移動しておりましたが、そんな豊肥線は平成28年の「熊本地震」、その後の大雨被害によりまして、肥後大津~阿蘇間が土砂崩れなど大きな被害をうけておりまして、その結果約4年を費やしまして8月8日に全線再開へと至っておりました。

 

 これによりまして、熊本~大分間が全線で運行を再開する事になりまして、熊本駅からも普通列車が寸断されていた区間を通りまして宮地駅・豊後竹田駅へ、特急列車も「九州横断特急」・「あそぼーい!」が熊本~大分・別府間、そして、「あそ」が熊本~阿蘇・宮地間で運行されております。

 

 こちらは、豊肥線を走りますキハ185系気動車であります。現在「九州横断特急」・「あそ」では、液晶の愛称表示に「豊肥本線全線開通プロジェクト」に関します表示を出して運行されております。それにしても、こういったイラストを液晶表示で出している訳ですから、黒地ではなく白地でもありますので違った印象さえも感じさせられる所ではあります。

 

 (液晶で表示される愛称表示)

 

 涼みのために入りました、今回利用しました肥後大津行き列車発車前に発車する事になります特急「あそ5号」の車内です。その回でもご紹介しましたように、利用者は熊本駅からはわずか1名でありました。やはり、「新型コロナウイルス」の影響があるのではないかと思われますが、夏の行楽シーズンではあるだけに、正直残念な姿ではなかったかと思う所ではあります。

 

 

 さて、ここまで前回の部分を改めましてご紹介しましたが、今回は南阿蘇村の立野駅から阿蘇市の阿蘇駅までの模様を、掲載画像・内容が多いですが皆様にご紹介してまいります。

 

 

 毎回ご紹介しておりますように、今回の行程であります。橙字の部分が今回ご紹介します区間であります、立野→阿蘇間でありますが、今回は上の画像・後述にありますキハ200系気動車(今回乗車は102番ユニット)で運行されております445Dに乗車しましてからの内容となっております。と言いますのも、この後ご紹介しますように立野~赤水間にはスイッチバックの区間も存在しておりまして、そう言った事もありまして撮影画像が多くなった事から今回はこの区間のみと言う事になっております。

 

 博多→(普通・3223M)→南福岡→(普通・3223M)→二日市→(快速・4231M)→鳥栖→(区間快速・4325M)→熊本→(普通・1467M)→肥後大津→(普通・445D)→立野→(普通・445D)→阿蘇→(普通・445D)→宮地→(特急「九州横断特急3号」・1073D)→大分→(特急「ソニック52号」・3052M)→博多

 

 

 今回最初にご紹介します立野駅であります。この駅は、画像にもありますように1面2線のホーム配置となっておりまして、基本的に1番ホームが熊本方面、この時入線しておりました2番ホームが阿蘇方面と言う事になっております。

 

 そんなこの立野駅には、実は昨年訪問しておりました。この立野駅のホームは、既に昨年の間には画像のように完成しておりまして、豊肥線自体も肥後大津~立野間だけ先行再開しようとしておりました(NO.2195参照)。しかし、最終的には全線開通してから再開した方がいいと言う事になりまして、約1年ほどはそのまま置かれておりました。

 

 

 私自身も、今回約1年ぶりにこのような形でやってきておりましたが、1年前までは存在しておりました駅舎がなくなっておりました。この駅舎は、以下画像左側の部分にJRの駅舎が、やはり寸断されております南阿蘇鉄道の駅舎が南阿蘇鉄道ホームの部分にそれぞれ設けられておりましたが、その後いずれも解体されております。

 

 (画像左側に南阿蘇鉄道高森方面のホーム、そしてJR・南阿蘇鉄道双方の駅舎が存在しておりました、また奥に見える小型風車に関しまして後述)

 

 (JR側駅舎)~令和元年訪問時撮影

 

 (南阿蘇鉄道側駅舎)~ホーム上に設けられていました

 

 それでも、今回豊肥線が全線運行再開へ至りましたが、その3年後の2023年には南阿蘇鉄道も全線再開が予定されております。これらも「熊本地震」で大きな被害を受けていた訳でもありましたが、復興の予定がこうしてある事はありがたいのではないかとも思いますし、近く駅舎も双方設けられる事になるのではと期待する所ではあります。

 

 

 さて、ここから進んでまいりますが、1番ホームにはキハ40系気動車(キハ147形)によります肥後大津行きの列車(444D)が立野駅にやって来た時に停車しておりましたが、この列車は445Dの待ち合わせもありまして11分も停車します。そう考えますと、この列車も停車時間が長いなとも思う所でありますが、この場合は「山下り」でもありますので、正直ホッとした感も伺える所にも見えるのがいいでしょうか。

 

 

 一方、こちらは「山登り」の445Dでありまして、間もなく発車となる時であります。この場合は、ご紹介しておりますようにスイッチバックの形となっておりますので、こちら側キハ200-1102が一時先頭となります。尚、この時にはその下の画像にもありますように運賃表も点灯しておりましたが、それはその前に運行されておりました肥後大津→熊本間の422Dで表示されておりました所が見られてもいました。

 

 (「熊本です」からもわかりますように、その前の422Dで表示されていたものが見られていました)

 

 

 信号が黄色となりまして、発車の時を迎えました。これからは黄信号である事からゆっくりとした速度でスイッチバックの折り返し点まで登って行く事にもなります。

 

 ポイントで熊本方面と分かれまして、雑草に覆われました阿蘇方面の線路を通って行きます。やはり、この時もゆっくりとした速度で進んでおりましたが、勾配を上がって行かないといけない事を思いますとわからなくもない所でもあります。

 

 (雑草に覆われた阿蘇方面の線路を通ります)

 

 (さらに別位置、立野踏切付近)

 

 

 登ってまいりますと、隣に阿蘇方面の線路が見られておりました。よく見ますと線路も新たに敷設されておりますし、のり面も新しくなっておりますが、この付近も今回の「熊本地震」では被害を受けていた場所である事がこの姿からも伺わせておりました。

 

 そして、スイッチバックの端の部分にやってまいりました。現在、最も長くて8両もの車両(「ななつ星 in 九州」)がこのスイッチバックを通りますが、それに関します停目の姿が見られておりました。ちなみに、8両よりも長い編成にも対応するためにその下の画像の車止標識より先にもトンネルも設けられておりましたが、現在はその姿は見られなくなっております。

 

 (車止標識よりも先にトンネルも設けられていました)

 

 

 停目にやってまいりましたら、運転士も元の場所に戻りまして、さらに登って行く事にもなります。戻る際もそう慌ててと言うほどではありませんでしたが、やはり時間が決まっている以上は仕方がないのではないかとも思う所でもあります。

 

 

 私も、再び阿蘇方の先頭に戻りまして、登って行く姿を拝見しました。既に信号機は青が点灯しておりますが、阿蘇方面は青と赤のみ、立野駅へは徐行を表します黄色と赤のみが点灯するようになっておりまして、それ以外は点灯しないようになっておりました。

 

 こうして、列車は進みまして、さらに登って行きます。先述のように、スイッチバックがある付近は「熊本地震」で被害があった場所のようでありまして、のり面工事と線路補修が行われている姿が見られておりました。その補修に関しましても、線路が新しく敷設されておりますし、枕木もPC(コンクリート)枕木に変わっておりまして、新しくなっている事が伺わせておりました。

 

 (それぞれ別位置より)

 

 

 登って行きますと、阿蘇の外輪山の姿が見られておりました。特に、この日は天気が良かった事もありまして、より美しく見る事ができていたのが良かったのではないかとも思う所ではあります。これまでも、この区間は何度も利用していた区間ではありましたが、今回ほど天気が良かったのも正直初めてではなかったかと思っております。

 

 

 445Dは、さらに立野駅がある付近を通過します。それがわかりますのが画像奥に見えます風車でありますが、これは九州大学系のベンチャー企業でもあります、「リアムウインド」と呼ばれる企業が風力発電を行うために立野駅近くの旧立野小学校グラウンドに設けたものでありまして、目印としての姿も伺わせております。

 

 

 立野駅がある所を通過しますと、今度は大きな橋を建設する姿が見られます。これは復興事業として新たに建設されております「阿蘇大橋」でありまして、以前は後述の場所に設けられておりましたが、この橋が開通しますと、立野方面から南阿蘇方面へのう回路となっております長陽大橋を通るルートを通らずに行く事ができておりまして、これで熊本地区と南阿蘇とも行きやすくなるようでもあります。

 

 

 また、豊肥線と並行する所では国道57号線の整備も進んでおりました(注)。この国道57号線に関しましても「熊本地震」で大きな被害を受けておりましたが、画像のように道路整備も順調に行われておりまして、同じく国道57号線として新たに北側にバイパスが設けられます大津~阿蘇方面とともに、熊本方面から阿蘇方面への道路も復興へ向けて進んでいる事がわかるのではないかと思います。

 

 (別位置より)

 

 

 一方、進行方向右側の所にはかつての阿蘇大橋の姿が残されておりました。「熊本地震」では、その阿蘇大橋が崩落しまして、死者も出ていた場所でもありましたが、このような姿を見ますと、「熊本地震」の恐ろしさが目に浮かぶ場所でもあります。

 

 その旧「阿蘇大橋」から見る事ができておりましたのが、「数鹿流ヶ滝(すがるがたき)」でありましたが、現在は車内からもこのように見る事ができております。この付近も、そう言った事で観光名所でもあった場所でもありましたが、現在は観光客が近寄る事ができなくなっておりましてもこのように流れる姿が見られております。

 

 

 445Dは、ご紹介しておりますように阿蘇の外輪山を登ってまいりまして、10数分ほどかかりまして赤水駅が近くなってまいりました。よく見ますと後ろにはその阿蘇の外輪山の姿が見られておりまして、登って来た事を伺わせておりました。

 

 

 車内より収めました、阿蘇の外輪山の姿です。ご紹介しておりますように、この日は非常に天気が良かった事もありまして、青空に緑の山々・田畑の姿が大変美しく見る事ができておりました。

 

 

 こうして、445Dは赤水駅にやってまいりました。この駅名標(駅板)は今回新たに設けられたもののようでありまして、本来の白地の駅名標から黒地の駅名標に改められている事が画像からもお分かりいただけます。それほどこういったものも新しくする事で、まさに「心機一転」という感も伺える所でもありました。

 

 この赤水駅では、駅舎も「熊本地震」によりまして被害を受けていた事もありまして、今回はコンテナを改造しました駅舎となっております。ここには、画像にもありますように待合室のみと言うシンプルな形となっておりますが、それでも駅らしい姿が見られているだけでもいいのではないかとも思う所ではあります。

 

 この赤水駅では、キハ40系気動車で運行します肥後大津行きの446Dと行き違います。前回もご紹介しましたように、この区間では普通列車が熊本・肥後大津~宮地間で15往復、特急列車が最高5往復で計最高20往復が運行されておりますので、このように行き違いの姿が見られるようになった事は復旧してくれてよかったなとも思わせる姿でもあります。

 

 

 445Dは赤水駅を出まして、市ノ川駅を過ぎまして阿蘇駅へと目指します。本当に、このような姿を見ますと夏らしい姿が見られている事がわかります。尚、奥に見えますのが先述の大津から阿蘇への新たな国道57号線のバイパスであります(注)が、こちらの方も工事が進行しておりまして、災害復旧が道路面からも進んでいる事がわかりました。

 

 

 こうして、445Dは阿蘇駅へとやってまいりました。この運賃表では、鹿児島線の熊本~八代間、三角線と現在「令和2年7月豪雨」で寸断中の肥薩線の八代~人吉~吉松間が表示されておりまして、運賃表が上ほど埋まっている事がわかります。

 

 

 阿蘇駅に到着直後の445Dであります。この列車は阿蘇駅に9分停車しますので、この間に周辺の撮影を行いました。その撮影画像に関しましては詳しくは次回ご紹介しますが、久しぶりにここまで列車でやって来る事ができた訳でもありますので、その分運行再開したんだなと言う事をより実感させておりました。

 

 

 今回は、長かったですが、豊肥線の立野→阿蘇間乗車の模様をご紹介しましたが、本当に全線運行再開へとこぎつける事ができた事が良かったのではないかとも思う所ではあります。やはり、豊肥線一番の目玉でもありますスイッチバック区間を通ると言うのもより再開したんだなと実感する部分ではなかったかなとも思ってならない所ではないかとも思います。次回最終回では、この阿蘇駅から宮地駅までの445Dの乗車、そして「九州横断特急」→「ソニック」と乗車しまして博多駅まで戻る所をご紹介しますので、最終回も皆様ご覧になっていただきたいと思います。


 (注)国道57号線は立野の崩落していた部分・大津から阿蘇方面へのバイパスとも10月開通予定が発表されております。