NO.2265 休止から24年、廃止からは21年、三菱マテリアル東谷鉱山専用線廃線跡探訪(前編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 当ブログでもこれまでもご紹介しておりましたように、福岡県北九州市にあります日田彦山線石原町駅より南側田川寄りには、上の画像にありますように石灰石が採掘されている姿を見る事ができております。
 
 この地は、観光名所でもあります「平尾台」と呼ばれます石灰岩からなりますカルスト台地が存在しておりまして、そう言った事から石灰石が豊富な場所でもあります。そんな平尾台の一角に石灰石が採掘されております三菱マテリアル東谷鉱山が存在しております。
 
 
 そんな東谷鉱山からは、かつて貨物列車が運行されておりまして、東谷鉱山から専用線を通りまして、以下画像の石原町駅を起点駅として、日田彦山線・日豊線・鹿児島線を経由しまして黒崎駅へと運行されておりましたが、平成8年に運行を休止、平成11年には正式に廃止となっております。尚、現在は苅田町にあります工場へベルトコンベアーが延びておりますので、そちらの方へ流れるようになっております。
 
 
 現在も、以下画像にもありますようにその専用線の跡が石原町駅から約2.5キロにわたりまして延びておりまして、画像にもあります分岐点より東谷鉱山へと延びております。しかも、専用線の跡は線路が撤去されている所あれば線路が残されている所もありますし、橋梁まで残されている所もありまして、廃線跡としての姿も残されている所も見られております。
 
 (橋梁が残されている部分)
 
 (保安ボックスが残されている部分)
 
 (レールも残されています)
 
 (日田彦山線との分岐点)
 
 
 さて、今回私はこのほど念願でもありました日田彦山線との分岐点から先の東谷鉱山間への廃線跡探訪に出向いて参りました。今回と次回はその廃線跡探訪に関しましてご紹介してまいります。
 
 
 東谷鉱山があります所の交差点は、画像の国道322号線沿いにあります小森東交差点より入った所にありまして、交差点の所には上の画像にもありますように「三菱マテリアル株式会社 東谷鉱山」と書いてあります大きな看板を見る事ができます。尚、信号より先は社員や関係者らが入る所でもありますので、一般の方は保安上立ち入りはできません。 
 
 
 そのため、私はその先の小森橋交差点より入りまして撮影を行いました。以下画像奥に見えますのが東谷鉱山への線路跡となっておりまして、線路は撤去されておりますが、路盤はしっかりと残されております。
 
 
 こちらは、撮影場所から先にあります向小森踏切跡であります。先述のように、この区間では線路は撤去されておりますが、休止から今年で24年(廃止でしたら今年で21年)になろうとする今でも路盤は残されておりますし、さらには遮断機付き踏切でもあった事もありまして、機器類も残されておりまして、その機器に書かれてあります名称で向小森踏切であった事がわかった次第でありました。
 
 
 画像は向小森踏切から石原町方です。路盤跡も見られておりますし、柵の姿を見ましても立ち入りはできない事を伺えております。ちなみに、その下の画像の所には民家もありますが、そう言った所に石灰石を積みました貨物列車が運行されていた事を思いますと、今となればそう言った形であった事をイメージしてしまうほどです。
 
 (石原町方)~柵も見えます
 
 
 さらに、先へと進んでまいります。この位置は、東谷鉱山へと向かいます貨物列車の恐らく撮影ポイントではなかったかと思われますが、ちょうどその先にはカーブが見られておりましたので、DD51形ディーゼル機関車+ホキの編成が連なっていた姿を見られていたようでもありました。
 
 
 こちらは、さらに進んだ所でありますが、その先からは廃線跡は舗装されておりまして、道路化されている事を伺わせておりました。しかし、画像にもありますように柵が見られておりまして、それより先の通行はできなくなっている事をお分かりいただけるのではないかと思います。
 
 ちなみに、逆方向(東谷鉱山方)では画像の路盤が見られておりまして、この部分までに関しましての廃線跡は舗装はなされていない事がお分かりいただけます。それにしても、この位置からでしたら石原町・小倉方面(黒崎駅)へと向かいます貨物列車が撮れていたのでは?と思わせるような位置ではなかったかと思います。
 
 
 この舗装区間は、「Googleearth」によりますと、国道322号線まで続いていたようであります。その区間内には、後述のように橋梁も残されておりまして、通行する事も可能でもあったようでしたが、ご紹介しておりますように、上の画像・後述の画像にて柵が設けられておりますので通行する事はできなくなっております。
 
 
 通行できませんので、回りまして国道側の柵へとやってまいりました。画像にもありますように、柵が設けられておりますので通行する事ができません。こう言った所からも、この舗装されました区間は引き続き三菱マテリアルの私有道路である事が伺わせておりますが、舗装区間も上の画像にもあります一般の道路への区間のみでもありますし、柵まで設けられている事もありまして、中途半端な感じさえも伺えるのではないかとも思います。
 
 
 この位置にあります橋梁であります。道路化されましても、現在も残されておりますこの橋梁でありますが、ご紹介しておりますように柵が設けられている事から車両の通行はできなくなっております。尚、かつての通信ケーブルが設けられておりました電柱も残されておりまして、そう言った所もかつての専用線跡を偲ばせているようにも思います。
 
 (奥に通信ケーブル用の電柱跡も橋梁の前後で見られます)
 
 
 画像は、国道から反対側の石原町方の路盤であります。こちらの部分に関しましては線路が剥ぎ取られまして路盤のみが見られている部分でありますが、こう言った所が残されているのもまさに廃線跡にふさわしい部分ではないかとさえも思う所ではないかとも思います。
 
 
 今回は、前編としまして東谷鉱山から国道322号線との交わる部分までご紹介しましたが、こうして見ましても、休止から今年で24年、廃止でしたら今年で21年になりますので、これら廃線跡も線路は撤去してありましても路盤が残されておりましたり、一部舗装されている所も見られている事もお分かりいただけたのではないかと思います。それほど跡地の活用が舗装された部分を除きまして行われていない事も伺わせておりますが、それでもかつての名残が見られているだけでもいいのではないかとも思う所ではあります。次回後編では、さらに石原町駅までの廃線跡をご紹介しますので次回もご覧になっていただきたいと思います。