NO.2266 休止から24年、廃止からは21年、三菱マテリアル東谷鉱山専用線廃線跡探訪(後編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 前回NO.2256より、日田彦山線石原町駅より延びておりました、三菱マテリアル東谷鉱山への専用線の廃線跡探訪をご紹介しておりましたが、前編は国道322号線との合流部までをご紹介しておりました。
 
 東谷鉱山は、石灰石が豊富に採る事ができます平尾台の所にあります鉱山でありますが、かつては貨物列車も運行されておりまして、東谷鉱山から専用線を通りまして、石原町駅を起点駅として、日田彦山線・日豊線・鹿児島線を経由しまして黒崎駅へと運行されておりましたが、平成8年に運行を休止、平成11年には正式に廃止となっております。尚、現在は苅田町にあります工場へベルトコンベアーが延びておりますので、そちらの方へ流れるようになっております。 
 
 この区間には、上の画像2にもありますように、大きなカーブが見られる所も存在しております。貨物列車の編成も恐らくは長い編成でもあったでしょうから、そう言ったシーンを収めに行かれた方もいらっしゃったのではないかと思われます。私自身も、残念ながら収めておりませんが、是非とも収めたかった場所ではあっただけに残念ではあります。
 
 
 廃止後は、そのほとんどで線路は剥ぎ取られていますが、通信ケーブル跡や踏切の機器類も残されておりまして、ほとんどはその下の画像の橋梁も含めまして現在もそのままでもありますし、以下画像のように道路化された所も存在します。ただ、私有道路のようではありますので通行する事ができないのは残念ではあります。
 
 (現在もある橋梁)
 
 
 さて、今回後編では以下画像の国道322号線の合流部より石原町駅までの廃線跡探訪、そして現在は無人駅となっております、発着駅でもありました石原町駅に関しまして皆様にご紹介してまいります。
 
 
 上の画像にもあります国道322号線との合流部を過ぎますと、画像の地点へとやってまいります。ここには八田踏切と呼ばれる名称の踏切が存在しておりましたが、画像のように線路は剥ぎ取られている事もお分かりいただけるのではないかと思います。
 
 奥が国道322号線との合流部になります上の画像5の地点を見る事ができます。それほどこの区間はまっすぐしていたのではないかと思われますが、当時は長い編成の貨物列車が行き来していた場所でもありましたので、そう言った姿が見られないのも残念ではあります。
 
 以下画像が石原町方にあたります。以下画像にありますように、踏切に関します機器類が残されておりまして、こう言った所がかつて踏切があった事を偲ばせております。それにしても、三菱マテリアルの専用線と言う事で三菱マテリアルが管理を行っているようではありますが、線路が撤去されましても踏切の機器類などは残されている訳ですので、さすがに全てが撤去と言う訳にはいかなかったのか?とも思う所ではあります。
 
 
 さらにその先の踏切跡であります。以下画像が東谷鉱山方、その下の画像が石原町方にあたりますが、線路自体がまっすぐしている事もありましてこの地点でも以下画像の国道322号線との合流部も見る事ができておりました。
 
 (東谷鉱山方)
 
 (石原町方)
 
 
 そして、日田彦山線との合流部に近い踏切跡の地点へとやってまいりました。その下の画像が過去に撮影しておりました合流部でありますが専用線跡との境目となります柵がこのほど設けられておりまして過去と今回との違いを見せております。
 
 (過去撮影、合流部)
 
 また、この先が日田彦山線と並行する所へと至る事にもなりますが、この部分に関しましては恐らくは廃線跡を購入されているようでありまして、車庫などに変貌する姿が見られておりましたが、それでもその先には車止めもありまして、後述のように線路もこれから約2.5キロにわたりまして石原町駅にかけまして続く事にもなります。
 
 
 これまでもご紹介しておりましたように、石原町駅までは線路が日田彦山線と並行して進んでまいります。後述のように、日田彦山線の線路はきれいになっている訳ではありますが、三菱マテリアル専用線跡に関しましては雑草が生い茂っている部分も見られますので、画像の築堤の部分からも手前側が三菱マテリアル専用線跡にもなりますので、雑草が見られている事もお分かりいただけます。
 
 
 こちらは、その先の踏切の部分でありますが、きれいな部分が日田彦山線の線路、雑草が生い茂っている部分が三菱マテリアル専用線であります。よく見ますと、線路がそのままとなっておりますので、この部分に関しましては放置されている事さえも伺えるような姿となっております。やはり、休止しまして今年で24年にもなりますので、その経過さえもわかるような姿でもあります。
 
 (線路アップ)
 
 
 さらに、別の踏切での撮影であります。この踏切にあります雑草を見ますと、高く生い茂っている所も見られている事もお分かりいただけます。やはり、日田彦山線との合流部までのように線路が剥ぎ取られているならばわかりますが、この約2.5キロではそう言った姿は見られませんので、何でここはやっていないのか?とも思う所ではあります。
 
 (東谷鉱山(田川)方)
 
 (石原町方)~雑草が高く生い茂っているのもわかります
 
 この踏切では、西鉄バス筑豊の中谷への路線バスがちょうど通過して行っておりました。この路線バスは、元々は小倉(砂津)まで快速バスの名目で運行されておりましたが、平成29年9月末で中谷~小倉間が廃止されておりますし、中型車両で運行、本数も利用者数減少により約半分まで減便されておりまして、まさにローカル路線バスにふさわしい姿へと変貌してしまっております。
 
 
 こうして、石原町駅にやってまいりました。この石原町駅は「九」からもわかりますように北九州市の駅として扱われておりまして、かつ福岡近郊区間でもあります。これまでも私はこの近郊区間を使いました「大回り」で日田彦山線を利用しておりまして、それに加えましてこの駅自体も貨物取扱駅でもありましたので、よりこの駅に関しましては印象深い駅でもあっただけに、こうして訪問できてよかったと思っております。
 
 
 そんな石原町駅でありますが、実はこの駅を利用する乗客が減少の一途をたどっておりまして、そう言った事から平成27年には無人化されております。画像は切符売場でありますが、画像のように閉じられておりまして、無人駅としての姿を見せておりますし、それに伴いまして乗車券売機がポツンと置かれるにとどまっております。
 
 
 石原町駅の時刻表です。現在この駅で折り返す列車は存在しておらず、小倉方面1番ホーム、田川後藤寺・添田方面が3番ホームと固定されております。本数は、それでも小倉までダイレクトに行かれる事もありまして小倉行き25本、田川後藤寺方面23本が運行されておりまして、このうち8時02分発がこの駅まで快速で運行されている列車でもあります。
 
 (アップ)
 
 
 こちらは運賃表であります。この駅では鹿児島線・日豊線、さらには山陽線や宇部線・小野田線の運賃まで記載されております。さらに、駅ナンバリングで表示されておりまして、日田彦山線では茶色で表示されている事もわかります。やはり、その下の画像にもありますように、行先表示も茶色になっているのもわかるのではないでしょうか。尚、小倉駅までが380円、災害のため寸断されております日田駅までは1500円となっております。
 
 (茶色の部分が日田彦山線です)
 
 (駅ナンバリングのカラー(茶色)で表示されている日田彦山線の行先)~小倉行き
 
 
 駅窓口での乗車券販売が無人化によりまして廃止されておりますので、一番頼りになりますのが乗車券売機であります。ここでは、170円から1580円までの区間が購入する事が可能となっております。ちなみに、この日田彦山線ではICカード「SUGOCA」の使用可能区間とはなっておらず、そのため各駅では読み取り機も置かれておりませんが、「大回り」などを行う際、運賃計算の関係上、この日田彦山線を通過するのみでしたら、通したままでの通過は可能となっております(もちろん代行バスの区間も含みます)。
 
 (アップ)~1580円区間までは購入できます
 
 
 さて、ホームへとやってまいりました。この石原町駅のホームは、画像からは2面3線となっているのがわかりますが、現在は2番ホームは使用されておらず、1番・3番各ホームのみが使用されております。かつては、この石原町駅で快速列車が先発の普通列車を追い越す姿も見られてもいたほどでして、その際に普通列車が2番ホームに停車すると言った姿も見られていたそうですが、現在はそう言った姿は見られませんので、線路も錆びてしまっている事もわかります。
 
 (小倉方)
 
 (田川方)
 
 
 こちらは、3番ホームと側線であります。3番ホームは田川・添田方面でありますが、その奥の側線が東谷鉱山発着の貨物列車の停車する側線となっておりまして、ここで入換も行われてもいたようであります。しかし、休止から24年経過した現在は、先述の合流部までと同様に線路が残されておりますが、雑草が生い茂っておりましてその姿を伺う事はできにくくなっております。
 
 (田川方)~雑草が生い茂っている所が側線
 
 (小倉方)
 
 
 ここから田川・東谷鉱山方に向けますと、休止からは24年、廃止からも21年になります現在でも画像にもありますように入換信号機が残されております。こういう所が、かつて貨物列車が発着していた証にもなりますし、未だにこのように放置されていると言うのも時を感じさせられる部分でもありましょうか。
 
 
 そして、その先に関しましては、ご紹介しておりましたように約2.5キロにわたりまして日田彦山線と並行する事にもなります。ご覧のように、石原町駅構内より分岐点まで雑草が生い茂っておりますが、その部分が三菱マテリアル専用線の廃線跡である事がこの姿からもお分かりいただけるのではないかとも思います。
 
 
 所で、この石原町駅と言いますと、春の桜が咲く時には画像のようにホームにも桜が見られます。この時期もあと約2か月ほどではありますが、今年もこの時以上の桜の姿を見せていただきたいと思う所ではあります。
 
 
 前回・今回と三菱マテリアル東谷鉱山廃線跡探訪の話題を皆様にはご紹介しましたが、これまでもこの区間を何度も通りましていつかは廃線跡の探訪を行いたいと思っていただけに、ようやく今回へと至った次第でした。やはり、休止からも24年も経過していた事もありましてあまりこの区間を運行しておりました貨物列車の姿をアップされる姿があまりないだけに、今回ご紹介しました姿はかつての存在をアピール姿かなとも思う所ではあります。ご覧の皆様の中には、この専用線の存在を存じていなかった方もいらっしゃるのではないかとも思いますが今回の件で皆様が存じていただければと思っております。