前編をご紹介しました、NO.2235からご紹介しております、かつて松浦鉄道(MR)佐々駅から延びておりました鉄道路線でありました旧臼ノ浦線の廃線跡探訪の話題、今回は後編をご紹介してまいります。
前回もご紹介しましたように、この臼ノ浦線は、MR西九州線の前身であります、旧国鉄松浦線沿線の炭鉱で採掘されました石炭を、現在の佐世保市小佐々町にあります臼ノ浦港へ運ぶために設けられました路線でありまして、昭和6年に開業したものでありまして、路線は3.8キロ(改軌後)と短い路線でありました。
元々この路線は、前身の佐世保鉄道が他の路線と同様軌間762ミリの軽便鉄道として整備されておりまして、当初は佐々駅からではなく、現在のMR西九州線佐々~小浦間に四ツ指(→四ツ井樋)駅と言う駅が設けられておりまして、ここから分かれておりました。その後、この路線は国有化、さらに戦時中の昭和19年には1067ミリに改軌されまして、それをきっかけに、現在の佐々駅から分かれる形に変わりました。
その後、松浦線沿線にありました炭鉱の相次ぐ閉山によりましてこの路線も貨物・旅客需要が大幅に減りまして、末期にはキハ02形気動車「レールバス」が4往復(朝3往復・夕1往復)運行される程度でありましたが、今から48年前の昭和46年に廃止されまして、廃止後はほとんどが道路化・歩道化されている所も見られますが、上の画像2・以下画像のように現在も路盤跡が残されている所も一部ありまして、かつての名残が残されている部分も見られております。
さて、前回では以下画像の工場がある所までをご紹介しましたが、ここから先へと進んでまいります。けれども、先述のように道路化・歩道化されているのが現状でありまして、そう言った事からかつての線路跡も、画像左の歩道部分に設けられていたようでもあるようです。
実際に、その歩道部分をご覧いただきますが、かつての線路も、現在花壇がある部分までが範囲であったと思われますが、画像の区間は真っすぐしていた事を思いますと、特に速度を出していた区間ではなかったのかな?と思われる所であります。
(歩道部分)
さらに進みまして、画像奥にあります建物は、佐世保市小佐々スポーツセンターの建物でありますが、この付近にかつては大悲観駅があったと言われております。しかし、戦時中にあたります70年以上前の昭和19年に廃止されておりますので、その姿を伺う事はできませんでした。
かつての臼ノ浦線は、画像の左側に線路が存在しておりました。現在はこの区間は道路化している訳ではありますが、現在も臼ノ浦方面への重要な道路としても存在しております。この時も、その下の画像にもありますように、乗用車が頻繁に通っておりました。尚、この右側の道路は県道18号線になりますが、交差点から右側となりますと、小佐々町の中心部方面へと進む事にもなります。
(撮影時、乗用車が通っていました)
上の画像の交差点から左に分かれましてさらに進んでまいります。現在この区間は舗装道路と化しておりまして、ここにかつて鉄道が存在していたという姿は残念ながら見受ける事はできません。
こちらの画像は、臼ノ浦駅への最後のカーブとなる部分を両方向から撮影したものであります。以下画像は臼ノ浦方、その下の画像は佐々方であります。臼ノ浦方からではわかりにくいですが、佐々方となりますと、カーブを曲がった姿を収める事ができていたのではないかと思わせるような姿でもありましょうか。
(臼ノ浦方)
(佐々方)
このカーブを越えますと、この先には旧臼ノ浦駅へと進んでまいります。現在この部分には、通りにも住宅やアパートが建設されておりますが、かつては線路が存在していた訳でもありましたので、正直わかりにくくなっている事は、時が経っている事を思えば仕方がない所でもありましょうか。
こちらの画像は、かつての臼ノ浦駅があった場所であります。ここは現在は「港町公民館」と呼ばれる建物がある訳でありますが、ここには駅舎も存在しておりました。その証としまして、その下の画像にもあります駅板のモニュメントが駅があった事を伺わせております。
(駅板のモニュメント)
旧臼ノ浦駅があった通りは、画像のような通りとなっておりまして、道幅もそう広くはない通りとなっております。やはり、鉄道が存在していた頃と比べますと賑やかさは欠けるようではありますが、当時はどんな感じではあったのかと思わせられるような姿でもあります。
(臼ノ浦港方面)
かつての臼ノ浦駅がありました、現在の港町公民館は、画像を見る限り建て替えているようではありますが、それでも画像の階段は恐らくかつてのままのようでもあります。本当に見ていて階段の古さを伺えるようでもありますが、数少ない名残がここで見られるのもいいのではないかとも思います。
公民館の裏であり、アパートの裏でもある部分であります。この部分にかつてはホームがあったと思われますが、残念ながらその名残は見る事はできません。かつてホームは1面のみ設けられていた訳でもありますが、その姿が伺えないのも時間が経過している証でもありましょうか。
ここまで旧臼ノ浦駅までご紹介しましたが、実は臼ノ浦線はその臼ノ浦駅が終点ではなく、かつてはさらに石炭の積み出し港でもありました臼ノ浦港駅が終点でもありました。その旧臼ノ浦港駅への貨物線は、資料などによりますと画像の道路左の草が生えている所に存在していたそうであります。
さらに、以下画像の道路下の部分に線路が存在しておりまして、さらに側線も複数存在していたそうでもあります。よく見ますと、かつての名残となる部分もありまして、道路沿いの電柱の下に別に電柱があるのがわかりますが、かつての線路沿いに電柱がありましたので、現在も名残を残しているようでもあります。
現在は、最後の画像で特にわかるのではないかとは思いますが、かつての石炭積み出し港と言う印象は感じられなくなっております。それでも、臼ノ浦港の所には現在は生コン工場が設けられている訳ではありますが、その下の画像のように貨物船が入港する事があるなど、積載ものが石炭ではなくなりましても、そういった形での入港は見られるようでもあるようです。
(この時、貨物船が入港していました)
前回・今回と、臼ノ浦線の廃線跡探訪をご紹介しましたが、やはり廃止から48年も経過している訳でもありますので、道路化したりしているなど、名残と言うものはもうほとんど見られなくなっている事が現状でもあります。しかし、路盤など少なからず2回にわたりましてご紹介しましたようにかつてこの地におきまして鉄道が走っていた名残がある部分も実際に見られている訳でもありますので、ご覧の皆様も存じていなかった方は存じていただければとも思いますし、この廃線跡に関しまして興味があります方は特に出向いてみてはいかがかとも思っております。
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