NO.2235 廃止から48年、佐々駅から延びていたかつての鉄道路線、臼ノ浦線廃線跡探訪(前編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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在住する九州を中心に、鉄道・バスを中心としました記事を毎日更新しております。
(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

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 当ブログでは、これまでも上の画像にもありますように、長崎県佐世保市の松浦鉄道(MR)吉井駅から延びておりました世知原線(画像1・旧世知原駅跡)、さらに同じく佐世保市の左石駅から延びておりました柚木線(画像2・旧柚木~旧肥前池野間)の廃線跡探訪の話題をご紹介しておりました。

 

 これら路線は、MR西九州線の前身でもあります、旧国鉄→JR松浦線の支線として整備されていたものでありまして、いずれの路線とも炭鉱が存在しておりましたので、その石炭を運ぶために整備されていたものでもあります。また、これら路線も元々は軌間762ミリの軽便鉄道として整備されていたものでありましたが、のちに国有化されまして現在の軌間(1067ミリ)に改められておりました。

 

 しかし、沿線の炭鉱の閉山によりまして貨物需要はおろか、旅客需要も伸びず、使用車両も末期はキハ02形気動車の「レールバス」が使用されるなどしておりましたし、柚木線に関しましては昭和42年の水害によりまして復旧費用がかかる事などから復旧する事なく廃止、世知原線も昭和46年には廃止となっております。廃止後は、いずれも上の画像にありますようにサイクリングロードや通学路などとして整備されておりまして、地元の方が利用されております。
 
 (旧世知原線、旧世知原~旧祝橋間)
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 さて、今回と次回当ブログでご紹介しますのは、世知原線と同じく昭和46年に廃止となりました臼ノ浦線の廃線跡探訪のご紹介を行ってまいります。

 

 

 臼ノ浦線は、これまでの2線が沿線にありました炭鉱からの石炭を運ぶ目的で設けられておりましたが、この路線に関しましては、松浦線沿線の炭鉱で採掘されました石炭を、現在の佐世保市小佐々町にあります画像の臼ノ浦港へ運ぶために設けられました路線でありまして、昭和6年に開業したものでありまして、路線は3.8キロ(改軌後)と短い路線でありました。

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 元々は、前身の佐世保鉄道が他の路線と同様軌間762ミリの軽便鉄道として整備されておりましたが、国有化後に1067ミリに改軌されておりましたが、その後松浦線沿線にありました炭鉱の相次ぐ閉山によりましてこの路線も貨物・旅客需要が大幅に減りまして、先述のように昭和46年に廃止となっております。

 

 

 また、この路線は当初は佐々駅からではなく、現在のMR西九州線佐々~小浦間に四ツ指(→四ツ井樋)駅と言う駅が設けられておりまして、ここから分かれておりました。しかし、戦時中の昭和19年に改軌される事をきっかけに、現在の佐々駅から分かれる形に変わりまして、四ツ井樋駅も移転されましたが、翌昭和20年四ツ井樋駅も廃止されております。

 

 

 ここまで、概要をご紹介してまいりましたが、ここからは廃線跡をご紹介してまいります。画像は、臼ノ浦線の起点駅でもありました佐々駅でありますが、ご存知のように現在は後述のようにMRでは重要な駅として引き続き存在している駅でもあります。
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 佐々駅のホームを車内より収めていたものであります(平成22年撮影)。画像のように2面3線となっております佐々駅でありますが、臼ノ浦線は外側(左側)の3番ホームから発着しておりましたが、かつては現在の3番ホームの所に駅舎が設けられておりまして、そこが1番ホーム、そして2・3番ホームとなっておりました。尚、現在はその下の画像にもありますように、車止めが設けられている所から佐々駅発着の佐世保方面の列車が発着するようになっております。
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 (佐々駅3番ホーム)~かつては1番ホーム
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 この佐々駅には、MR車両の車庫が存在しております。この地には、かつては佐々機関区が設けられていた所でもありまして、C11形蒸気機関車などが所属しておりましたし、臼ノ浦線・世知原線・柚木線で使用されておりましたキハ02形気動車「レールバス」もこの佐々機関区に所属しておりまして運行されておりました。
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 こちらの画像は、平成22年撮影のMRの車庫でありますが、かつてはこちらも「レールバス」と呼ばれておりました中央にありますMR-100形気動車などもMRに所有しておりましたが、ご存知のように現在はミャンマーに渡っておりまして、この姿を見る事は残念ながら見る事はできなくなっております。
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 さて、臼ノ浦線は佐々駅構内から分かれまして、約1キロほど松浦線と並走しておりました。現在もその路盤跡は残されておりまして、画像10では線路の左側、画像11では線路の右側の部分でそれら路盤跡を伺う事ができております。

 

 (佐々インター近くの橋上から撮影)
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 この路盤跡を車内より収めていたものであります(平成22年撮影)。画像はこの奥に佐々駅と言う所でありますが、左側に雑草に覆われました路盤跡が見られているのがわかります。尚、上の画像10・11を撮影しておりましたのが画像奥の橋でありまして、当時この橋はまだ工事中でもありました。
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 上の画像10・11を収めておりました橋から奥の所を収めたものでありますが、路盤跡からもわかりますように、臼ノ浦線は途中から右に分かれてまいります。そして、これから終着駅臼ノ浦駅へ約2キロほどにかけまして進む事にもなっておりました。
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 画像は、その分岐点の部分であります。ここは路盤の他に橋の台座も画像からはわかりませんが残されております。それにしても、この路盤は先述のように昭和19年に設けられた所でもありましたが、廃止が昭和46年ですので、27年しか列車が走っていなかった部分でもあったのは残念な所ではありますが、それでも残されているのはかつての証としてふさわしい所ではないかとも思います。
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 さらに先へと進んでまいります。この地点は、先述のように佐々~小浦間に設けられておりました、かつての四ツ井樋駅から延びておりました線路の合流地点であったと思われる部分であります。この部分は、現在も広い部分が見られておりますので、その名残が残っているのではないかとは思われますが、その後その四ツ井樋駅も移転してきていたとの事でありますので、駅の廃止から74年、路線の廃止から48年経ちながらも名残が残っているのがいいのではないかと思う所です。
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 (別の位置、奥が佐々方)
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 その合流していたと思われる地点からさらに進みます。現在も、人や車が通るために砂利道ではありますが跡は残されておりまして、こう言う所がかつてを偲ばせる部分ではないかとも思う所ではないでしょうか。

 

 (奥が臼ノ浦方)
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 (奥が佐々方)
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 この臼ノ浦線には、路線が短い事もありまして、鉄橋は多くはありません。けれども、このうちの一つには佐々川の橋梁がかつては設けられておりまして、列車はその橋を渡っておりました。残念ながら、その橋梁自体はなくなってはおりますが、現在もその下の画像にもありますように、台座が残されております。尚、この橋を渡った所には昭和19年まで肥前黒石駅が設けられていたようですが、面影は残念ながら見られませんでした。
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 (かつて鉄橋があった事を表す台座)
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 佐々川の橋梁を渡りますと、現在は佐世保市となっております小佐々町に入ります。この区間では、現在は道路化しておりまして、加えて舗装も行っておりますので、かつての名残も見られなくなっております。
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 また、かつて線路があった部分には、両側に家が建てられております。こういう所がよりかつての名残を見せていない部分でもありますが、ここにかつて列車が走っていたとは、地元の方もご存知である方はどのくらいいらっしゃるのか、正直気になる所ではあります。
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 この区間は、高低差があっていた所ではなかったかと思われますが、後述の姿から線路は画像右側の車が止まっている部分から横切りまして進んでいたようであります。この間は少々高い位置でもありましたでしょうから、おそらくは下りて来ていたようでもあったようであります。
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 臼ノ浦線の線路は、画像の道路の左側(歩道部分)を走っていたようであります。こう言う所から、先述のように横切っていたと言う事がわかるのではないかとも思いますが、この姿から見ましても道路沿いに工場なども見られますので、この部分に関しましては、かつて列車が通っていたという名残は見られなくなってしまっているのは残念な所ではないかとも思う所であります。
 
 (停車時に撮影)
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 今回は、前編として途中区間までご紹介しましたが、やはり廃止から48年も経過している訳でもありますので、かつて鉄道が走っていたと言う名残が見られなくなっている所に関しましては正直仕方がないのではないかとは思います。それでも、今回ご紹介しましたように佐々駅から進んだ所に路盤が見られているように、まだ少なからず名残が見られる部分がありますので、そういう所が物語っていいのではないかとは思います。次回後編は画像の臼ノ浦駅までをご紹介しますが、後編でも名残が見られる部分も少なからずありますので、次回もご覧になっていただければと思います。
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