NO.2091 画像から振り返る、平成20年3月31日訪問・撮影、島原鉄道「南目線」最終日の姿 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 島原鉄道島原鉄道線は、これまでもご紹介しておりますように、諫早~島原外港間を結ぶ路線として存在しておりまして、乗車記NO.2088NO.2090と当ブログでもご紹介しておりました。
 
 この区間は、使用車両でありますキハ2500形気動車の車体が黄色い事もありまして、「幸せの黄色い列車王国」とも言われておりまして、幸駅や愛野駅、そしてこれからご紹介します吾妻駅や大三東駅など、「幸せの黄色いハンカチ」に例えている所あれば、幸・愛野・吾妻駅が対象駅であります「幸せ記念乗車券」や、愛野駅と吾妻駅両駅の名前を繋げてみますと「愛しのわが妻」ともいわれている事から例えまして「愛の記念きっぷ」の発売など、夫婦やカップルに向けた所も見せているなど、利用活性化も見られております。
 
 
 そんな島原鉄道線は、番外でもご紹介しておりましたように、かつては加津佐駅まで路線が存在しておりまして、島原~加津佐間が「南目線」として称されておりました。しかし、沿線の過疎化や交通需要の変化などによりまして、「南目線」は平成20年3月末を持って廃止されまして、それにより、旧「南目線」のうち、島原外港~旧加津佐間35.3キロは廃線となりました。したがって、以下画像の茂みからもわかりますように、この区間に列車が運行される事はもうなくなっております
  
 「南目線」の廃止末期は、北側であります諫早~島原間の名称でありました「北目線」とともに、上の画像のキハ20形気動車やキハ2500形気動車が諫早・島原方面から加津佐駅までを運行されておりましたが、運行列車自体はワンマン運転を行っていた事もありまして、主にキハ2500形気動車が全線におきまして活躍しておりました。それでも、ラッシュ時等ではキハ20形気動車も運行されておりまして、まさに最後の活躍を行っておりました。
 
 
 そんな旧「南目線」は、廃止からもう10年になりますが、線路・踏切・信号設備等は撤去されたものの、ホームや路盤が残されている駅も見られておりまして、駅によりましては駅舎自体も残されている駅も存在しておりまして、雲仙普賢岳災害後に新線に改められておりました旧瀬野深江~旧秩父が浦間には、後述のように現在も高架線や橋梁自体も残されておりまして、つくられて10年ほどしかたたないうちに廃止となりましたので、現在もその姿が見られております
 
 
 さて、今回ご紹介しますのは、その島原鉄道旧「南目線」の廃止当日であります、平成20年3月31日の模様を収めておりましたので、皆様にご紹介してまいります。
 
 
 平成20年3月31日、私は佐賀での所用を終えまして、島原の地へと駆け付けました。その理由は、もちろんこの島原鉄道「南目線」に廃止される事から立ち会うためでありましたが、まずはキハ20形気動車による運行であります、島原外港駅から諫早行きの列車に乗車しまして、島原方面へと向かいました。
 
 乗車しますと、2両連結しておりました車内は立席者もいらっしゃるなど混雑しておりました。それにしても、後述のようにキハ20形気動車の昭和30年代製である事を思いますと古さも感じさせられる所ではないかとも思います。
 
 
 列車は、本来は諫早行きでありまして、サボにも「諫早←→加津佐」と表示されておりましたが、実は次の南島原駅で車両交換が行われるようになっておりまして、南島原駅より先はキハ2500形気動車による運行となっておりました。したがって、この南島原駅で折り返しまして、再び加津佐駅へと向かう事になっておりました。
 
 (サボは「諫早←→加津佐」)
 
 
 この折り返しの際に、車内を収める事ができていましたのでご紹介してまいります。まずはドアでありますが、ドア自体は半自動式となっておりまして、ドアを開ける際は手動となっておりました。ちなみに、車内側の窓には「まもなく 100周年」と言うステッカーが貼り付けられておりましたが、残念ながらキハ20形気動車自体は100周年になった際には運行されなくなっていた事が残念でならなかった所でしょうか。
 
 (「まもなく 100周年」ステッカー)
 
 今回乗車しておりました、キハ2006の銘板であります。画像にありますように、昭和37年に日本車輌会社で製造された車両でありまして、旧国鉄時代はキハ20 440でありました。この車は昭和60年に移籍しておりまして、キハ2006を名乗るに至っておりました。
 
 キハ2006の車内です。車内はセミクロスシートとなっておりまして、ドアの両側がロングシート、内側がボックスシートとなっております。よく見ますと、上部には冷房装置も装備されておりまして、冷房化がなされていた事がお分かりいただけます。
 
 また、車端部にはトイレも設置されておりました。しかし、この車には汚物処理装置が装備されておりませんでしたので、末期はトイレの使用が禁止されておりまして、途中で用を足したい方は途中駅で用を足すようにと言った動きも見られていたようであります。
 
 
 さて、諫早駅からの列車がやってまいりまして、この南島原駅でキハ2500形気動車からキハ20形気動車への車両交換が行われまして、諫早駅からの乗客はキハ20形気動車に乗り換えるようになります。やはり、多くの方が乗車されてもいまして、最後の乗車を加津佐方面へ向かわれる方も見られておりました。
 
 
 私は、これから安徳駅へと利用しました。先述のように、旧瀬野深江~旧秩父が浦間は「雲仙普賢岳災害後による復旧工事によりまして完成しておりました新線でもありまして、その下の画像にもありますように安徳駅の先にあります橋梁「安新大橋」をはじめとした所もわずか11年で列車の運行も廃止へと至っておりました。
 
 (安徳駅駅板)
 
 (「安新大橋」を渡るキハ20形気動車2両)~入る所は最後の画像にて
 
 
 島原方面の列車の時間がありましたので、安徳駅周辺を私は収めておりました。「安新大橋」をはじめ、「水無川橋梁」などトラス橋の姿が美しいこの新線区間でありましたが、先述のようにわずか11年で運行されなくなった事は残念な所でもあります。尚、この新線区間は撤去されている所が多い中でも現在も残されておりまして雲仙普賢岳も望む事ができますので、個人的には何らかの観光材料として使用していただければとは思っております。
 
 (奥には旧安徳駅)
 
 
 安徳駅から、「赤パンツ塗装」とも呼ばれております以下の列車(キハ2019+キハ2018)で島原駅へ戻ります。この時には、島原駅から隣駅であります島鉄本社前駅まで乗車しました、最終列車1本前の列車を務めるようになりました、旧国鉄標準近郊色の編成(キハ2013+キハ20??)との2ショットも見られておりまして、旧国鉄型の車両同士の並びも収めておりました。尚、キハ2019+キハ2018の編成は、この後隣駅であります三会駅回送されまして、折り返しまして諫早駅からの列車を迎えまして最終列車を務める事にもなりました。
 
 私は、この列車に乗車しまして、隣駅であります島鉄本社前駅へ向かいました。この時は最終列車1本前の列車でもありますので、さほど多くの乗客はありませんでしたが、もう乗る事がない事を思いつつ乗車していた事を覚えております。
 
 
 島鉄本社前駅から、歩いて15分ほど島原駅へ戻ってまいりました。既に、多くの方々が最終列車を待っておりまして、最後の乗車を味わおうとしている姿が見られておりました。
 
 そして、改札が始まりますと、乗車されます方や撮影をされます方らがそれぞれのホームにいらっしゃいまして、列車の到着を待っておりました。それほど皆さん名残惜しいのではないかとも思う所ではありましたでしょうか。
 
 最終列車発車セレモニーが行われる事になります2番ホームでは、乗客の他、さらに島原鉄道の職員さんの姿らも並んで待たれている姿もありました(わざと顔出しでご紹介しております)。それにしても、「南線・長い間ありがとうございました」と書かれている姿が、まさに最終日である事を伺わせる姿ではなかったかとも思いました。
 
 
 しばらくしますと、三会駅より最終列車となりますキハ2019+キハ2018の編成がやってまいりました。この列車の発車数分前には、既に座席のほとんどが埋まっておりまして、最終列車の感触を味わおうとしている姿が見られておりました。何と言いましても、キハ20形気動車の運行ももう最後ではある訳でしたので。
 
 (車内)
 
 (奥がキハ2018車内)
 
 
 こうして、加津佐行きの最終列車が発車しました。以下画像奥にもありますように、撮影される方の姿がホーム上では見られておりましたが、それだけ最後の姿を収めようとされている事が伺えておりました。また、助手席側にはセレモニー時に手渡されました花束も置かれておりましたが、この姿を見ましても最後である事がわかる姿でもあります。
 
 (助手席に置かれた花束)
 
 
 島原駅から発車時点では約7分ほど遅れておりましたが、そんな中でも約10分ほどで下車駅であります島原外港駅にやってまいりました。私も半自動である事から自分でドアを開けまして、島原外港駅に下車しましたが、よく見ますと隣駅であります秩父が浦駅の部分が消されておりまして、この姿からももうこの駅が翌日から始終着駅になる事を印象付けておりました。
 
 こうして、最終列車が島原外港駅を発車しまして、終点加津佐駅へ向かっていきました。本当にわずかな乗車時間ではありましたが、最後に古い列車としての気分を味わう事ができた事が良かったのではないかと思います。
 
 画像の島原外港駅を出まして、島鉄バスターミナル方面へ向かいます。この建物も、この数年後に焼失によりまして姿を消しまして、画像2にもありますように新たな駅舎が設けられる事になります。
 
 
 この後私は、途中島鉄バスターミナルに立ち寄りまして帰って行きましたが、島鉄バスターミナルでは翌日に運行される事になりますバスの姿も見られておりました。何と言いましても、翌4月1日よりバスに転換されるようになりましたので、主力がバスになる事を伺わせる姿のようにも見えました。尚、画像に見られております、長崎バス・長崎県営バスからの移籍車もその一員ではありましたが、残念ながらこのほどまでに全廃となりました。
 
 
 今回、廃止時撮影画像をハードディスクより引っ張り出しまして今回の記事を作成しましたが、ご紹介しておりますように、「南目線」も、もう廃止から10年になりまして、最終日の姿が懐かしく思いました。何と言いましても、多くの方々が最後の姿を見に出向いていた訳でもありましたし、キハ20形気動車の姿を見ましても、この気動車自体がありませんので余計懐かしくも思う所でもありましたでしょうか。とにかく、もう廃止となりまして10年になりました島原鉄道線ではありますが、旧「南目線」廃止時はそう言った姿も見られていた事を存じていただければとも思います。