【怒りを表にあらわさない】

相手のペテンに気がついても、あからさまな批判は避ける。

相手からバカ呼ばわりされても、怒りを表にあらわさない。

こういう態度には、つきない味わいと限りない利点がある。

 

中国人はむかしから、「喜怒ヲ色ニ形ワサズ」を、指導者たる者の重要な要件とみなしてきました。

喜びはともかく、怒りや不機嫌をすぐ顔色に出すようでは、それだけでただちに指導者失格のレッテルをは

られるのである。

なぜなら、どんな不利な状況、不可解な場面に遭遇しても、泰然と構えている態度には、洪自誠の言う

ように、「無窮ノ受用」(限りない利点)があるからでしょう。

日本の近年の政治屋に最も必要な要素の一つではないだろうか。二枚舌、三枚舌を平気で乱用して恥と

も思わず、都合のいい時だけ民間調査の数字はこうですなどと平気でおっしゃる。

志や、人間としての最低限のプライド、思いやりを持たない政治屋が多すぎるということに、国民はと

っくに気が付いています。

そのことに気が付いていない政治屋連中が国を動かす立場にいるという事が、今の見本の最大の悲劇で

す。

国外から見れば、最大の喜劇に見えるでしょう。日本人として本当に情けないと感じます。

これは、NHKをはじめ、多くのマスコミ報道にも言えていることでしょう。

 

【自覚する能力と意志力】

私情や私欲にうち勝つには、いち早くそれを自覚しなければ困難だという説がある。

また、せっかく自覚しても意志が弱かったら克服できないという説もある。

思うに、自覚する能力は魔物を照らし出す珠玉であり、やりとげようとする意志力は魔物を斬り

捨てる名剣である。

二つとも、なくてはならぬものだ。

 

よく「分かったとできるは違う」と若いころ(今でもかな?)先輩からよく言われたことを思い出します。

確かにわかっただけでは何の意味も持たない。行動に起こさなくては。

仕事をする上でも、人とつきあう上でも、生き方(人生)の基本であるかと思います。

 

 

【変化の跡をとどめない】

晴れわたった青空も、にわかにかき曇って、はげしい雷鳴がとどろき、どしゃ降りの大雨も、たちまちやんで、雲ひとつない青空にもどる。

このように、大自然はめまぐるしく変化してやまないが、いささかも変化の跡をとどめない。

人間の心もかくありたいものだ。

 

有名な「明鏡止水」の心境を言いあらわしている例えです。

老子、荘子で言う「中道」の中心的心構えの考え方といえましょう。

「中国古典」の書籍というと、難解のイメージがね強くありますが、最近は、読みやすいものも多く出版されてきています。興味をもたれた方は、この機会に自分に合った書籍を一度手に取ってみてはいかがですか。

 

 

【心のバランスをとる】

ぼんやりして考えがまとまらないときは、頭を冷やして集中心をとりもどさなければならない。

緊張しすぎて気持ちの余裕を失ったときは、心を空っぽにして平常心をとりもどさなければならない。

そうでなかったら、せっかくぼんやり病は治っても、こんどは、あっちにうろうろ、こっちにうろうろするのが落ちだ。

 

どうしても気が乗らない時や、調子が出ないときは誰にでもあるものです。

そんな時は気分転換をして、それで終わるのではなくて、日ごろの自分(平常心)に戻れたことを確認することが大切だと教えています。

 

 

 

【了見ちがい】

一方の意見だけを信じて腹黒い人間につけ込まれてはならない。

自身にまかせてむやみに突っ走ってはならない。

自分の長所を鼻にかけて他人の短所をあばきたててはならない。

自分の無能をタナにあげて他人の才能をねたんではならない。

 

かたよった心、とらわれた心、こだわった心。洪自誠は、そんな心を嫌った。ここにあげる四つの「べからず」も、すべてこのような心から発していると言っている。