謹賀新年 今年もよろしくお願いします。
ジェームズ アレン(1849 - 1925) 米国。
現在、世界中の【自己啓発の思想】は、すべて彼の思想が基本となっているといっても間違いありません。
下手なセミナーにお金を払うより、彼の本を読めば全てそれで解決するでしょう。これは今年の「お年玉」になれだと思っております。
「人間のすべての営みには努力があり、努力の大きさによって結果の大小が決定します。
そこには、いかなる偶然も介在しません。
いまの境遇が好ましいものでなくても、理想を抱き、それに向かって歩きはじめたなら、そのままの状態が長く続くことはないでしょう。
追伸:私が「ブログ」を始めた理由の記事を、もう1回掲載します。(しつこくてすみ
ません)
「本当は怖いグリム童話」より怖い体験
【セカンドオピニオンの大切さ】
今回の「体験記事」は、私の現在を含めた実際の体験からなる内容です。
現在、6か月近く入院をしておりますが、この体験記事を一人でも多くの方に読んで頂き、「病気治療」に対し、ご自身が救われたと感じる方が、一人でも、二人でも出ることを願い、この記事を書くことにしました。
今のご時世、患者も病気を治療してもらうには、ある程度、患者側も勉強しないと、「取り返しの付かない事も有る」事を、真剣に考えなければならない時代に来ているという事実です。
私の病名は「糖尿性腎炎」で、約10年前から、いろいろ病気を併発し、この度に至るまで半分の日々は入院生活をしています。
平成14年、12月22日に新潟市の「○○病院」に入院をしました。
その年2回目の入院になります。
半年後、「新潟大学医歯学総合病院」へ転院し、「○○病院」から逃げ出すことに成功し、現在に至ります。
この3年の間に、「足の壊死」が発症し、左右足の指を何本か欠損しました。
「恐ろしい体験」はこのとき起こりました。(今考えてみると前の足の指を欠損した時に、私が気が付かなかっただけと感じています)
○○病院の治療法は前回と同じで、幹部に薬を塗り、後は私の免疫力によって良くなるか悪くなるか私次第と説明を受けました。
前回と全く同じ説明で、其れ以上でもそれ以下でのありません。
主治医は「原北(仮名で以後これで通します)」と言います。」
入院10日もすると、以前と同じように小指の先ほどの傷が、少しずつ広がってきました。
「また残りの指を切断か」と思いましたが、どうしても納得がいかず、私は、「原北先生、今の時代、ほかに治療法は本当にないのですか?」
「残念ながらありません。何回も言ってるはずですが」
その時私は、原北先生に悪いと思いましたが、「セカンドオピニオンを受けたいか
ら紹介してください」、とお願いしました。
看護師にも言われましたが、
「外来の方でそういう人はいますが、入院中の方で紹介してくれと言う方はほとんどいませんよ」
などと嫌味?を言われても、・・・・・・これが奇跡的な転機を私に与えてくれました。
翌年の1月18日(月)、「新潟大学医歯科総合病院」(以後新大と記す)に、「セカンド二オピニオン」として診察を受けに行きました。
私は○○病院で受けた診察の過程をお話しし、どうしてもお納得がいかなかったのでこちらに来たと説明しました。
すると先生は、3~4の検査を受けさせ、その結果を見ながら、
「渡邊さん、3っつ治療の方法があります」。
「え」、もう一度先生に聞き返すぐらい信じられませんでした。
○○病院では、考えられない治療方法を説明してくれました。
それともう一点、私が疑問・納得のいなかった点、原北が、「今の医学ではどうしようもありません。これが限度です」と言った
のですが、同じ質問を新大の先生にお聞きすると、その説明にすべて納得しました。
結果、治療・手術を「新大」で受けることに決め、ベットが空き次第転院ということになりました。
この時点で、新大の医師に「済生会のその話は本当なんですか?医師として信られない」といわれました。
ここまででもチョット信じられない話なのですが、ほんとうに「恐ろしい体験」は、転院の日に起こりました。
転院の日、最期だから原北先生に挨拶をしに行きました。
そして本当に聞きたかったことを失礼とは思いましたが聞きました。
「先生、失礼なことをお聞きしますが、先生の見立てとどうしてこうも違うのですか?
先生の勉強不足ではないんですか?」
すると原北はポツリ「病院にはその施設がないんだよな~」
私は呆然としました。
「なんだと馬鹿野郎、それでも医者か」心の中で叫んでいました。
「何故初めにそうゆうことを説明しないんだ。順序が逆では済まないぞ。始めに言ってもらえればこんなに傷が日に日に悪くはな
らなかったはずだ。ベット待ちの間、第二病院の二日に1回の診察では、急変して切断の可能性が高いなどど、診察され、毎日が言いようのない不安とを抱えながら過ごしていました。
原北は、患者の気持ちなど考えず、最低限の医師のモラルも持ち合わせない医師
だったと感じました」。
足を欠損することが、その後の人生にどれだけ急転化をもたらすということを、・・・・・・・・・」
そして、聞かれないことは極力説明しないという事を。
「病院にはその施設がないんだよな~」と言った後、原北は私の目を二度と見ませんでした。私が想像以上の怖い顔をしたからでしょう。
原北は、「独夫」以下の最低な医師です。(あれだけ信頼していたのに非常に残念を通り越して担当医によって自分の運命が変わる)、こんな医師もいるんだなと思いながら、まだ私よりずっと若い人たちが、足を切られていくのを目にすると、何とも言えない感情に襲われます。
一人一の病状は微妙の違いはあるでしょうが、それにしても恐ろしい。
私は「セカンド二オピニオン」の大切さを、このたび嫌と言うほど体験させられました。
この程、この経験を記事にした理由はもう皆さんのお分かりかと思います。
「どんな病気でもそうですが、納得がいかなければ必ず「セカンドオピニオン」を受けてください。
診察先を変えることにより、劇的な変化も望める事もあるということです。
それともう一つ、「原北」のような医師がいるということを忘れないようにして下さい。
この文章を読んで頂いた方の中で一人でも、二人でも、現状より好転することを願ってやみません。
健康な方もこの文章を読んで、共鳴していただき、知り合いに教えて頂ければ幸いです。
最後に「新大」に転院してからの経過を記載して終わりにしたいと思います。
「新大」に転院した時点で、先生には「かなりの重症ですから切断することも考えていてください」
と言われました。
3月8日 新大へ転院
10日 血管造影検査
15日 血管の治療成功
18日 左足手術成功(最低限指の切除で終わった)
術後のケアーが大変だそうで、最低1か月前後は左足を伸ばしたうえでの車いす移動との事。
よって退院の見込みは立っておりません。(16年現在)
最期まで目を通して頂き有り難うございました。
おかげさまで3年にわたる長期入院も何とか終わり、今年の3月に無事退院できました。
左足の指は全部欠損しましたが、踵と甲は無事でしたので、杖を使えば何とか独り歩きできるとのことです。
今年いっぱいはそのリハビリです。・・・・・・・・・出雲公平