日々、先人の

衣食住のため、の歩きの足跡をたどりあるき

見聞きをご一緒に想像し、ご案内。

 

広島ネイチャーナビfukuです。

(屋号:ネイチャーガイド&アートひょんのき)

 

はじめましての方  →プロフィール

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国内瀬戸内を中心のフィールド案内しています。

ご縁を大切に、学び笑いある「横あるき」を実践中。  

※現在 

2015より265回実施継続。

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今回の横あるきリクエストは、

岡山県倉敷市、阿智神社と美観地区です。

 

広島市中心部から高速バスで2時間半位移動、岡山駅前へ

JR山陽線に乗り換え20分で倉敷駅に到着です。

 

予め、ご興味あること、行きたい小路とスポット、

を挙げていただきました。

 

今回は、

 

◎阿智神社(あちじんじゃ)

 倉敷美観地区を見下ろす高台(鶴形山)に鎮座

◎歴史を感じる小径、石畳、焼杉の壁、海鼠壁

 奈良萬の小路 など

◎商家、日本遺産の建築物 

 アイビースクエア、倉紡記念館、大原家住宅、大橋家住宅

◎商家の建物を活かした食事処

 楠戸家住宅 はしまや

◎商店街

 を経由し歩いていきます。

 

JR倉敷駅前 さあ、出発!

行先確認しましょう。倉敷は海外観光客の古くから多い街だけあって、

トイレの案内がとても分かりやすい!これは日本人にとっても便利ですよね。

 

 

えびす通商店街を行くつもりが、最初から

筋を曲がることを案内忘れて、倉敷センター街に入ってしまいました。

ですが、価格も含め昭和レトロな通りがかえって楽しく、

お魚屋さんが並ぶ通りが目に入り、一瞬ぬけられなくなりそうでしたね。笑。

 

 

最初に、倉敷駅前から南にゆっくりで15分歩くと

お目当ての、阿智神社の西麓に着きます。

ですが、今回は食事予約の時間が迫っていたので、

後回しに。

 

麓に立ち並ぶ

伝統的な建物の通りをぐるりとめぐって、東町にある、

「楠戸家住宅」呉服店 号は「はしまや」へ。

著名人が訪れ、雑誌に掲載されたり、映画などのロケにも使われているスポットです。

 

「倉敷市日本遺産」を構成する文化財、倉敷市指定の重要文化財

その米蔵だった建物に、

 

アトリエ&サロンはしまや というお客様がご希望予約された

カフェレストランがあり、お昼ご飯をとりました。

 

 

表は呉服店、裏に続く通路、の焼杉、その風情がとても心地よかったです。

お店に着くと、開店すぐで予約客さんで満席。

※休日は予約していたほうがよさそうです。

 

注文した糀をふんだんに使った食事メニューは手が込んでいておいしかったです。

ほかに、アフタヌーンティーが人気のよう。見ているだけでもお腹いっぱいになるスイーツの乗ったタワーは季節柄イチゴのデザートが多いようでした。

 

ランチを終えて、今回、最優先の「阿智神社」へは鳥居をくぐり、

正面の三つの名の付く階段を上っていきました。

米寿坂、還暦坂、厄除坂と続きます。

 

※還暦って何?というお話を「横あるき」でお伝えしています。

 

 

能舞台には雛飾り。オシャレですね。

 

 

絵馬殿からの眺望、

倉敷美観地区↓

サクラの枝で写真ではよくわからないですが、

倉敷川の沿いに多くの人が行きかうのが見えました。

 

 

4月には桜、その頃から5月にかけて、藤棚が本殿の北側にあり、

藤もめでることが出来ます。

推定樹齢300〜500年と言われる「阿知の藤」は

種類: アケボノフジという珍しい品種で、

岡山県の天然記念物シンボルにもなっていて、街の

マンホールや、灯りに藤のデザインが施してあります。

 

 

倉敷川にかかる、上流から、今橋、中橋、高砂橋を見ました。

 

 

一番上流のものは

今橋/いまばし

一見、石造に見えますが、鉄筋コンクリート造の橋です。この橋は、大正15年、当時皇太子であった昭和天皇が倉敷を訪れた際、既存の石橋を下流に移築した上で、新たに架けかえたものです。

 

そのため、橋の石柱には天皇家を象徴する菊の彫刻が、また、高欄(こうらん)には、画家の児島虎次郎(とらじろう)による竜の彫刻が見られます。

 

中橋/なかばしは、倉敷考古館の前の石橋です。今橋に比べ単純な造りとなっています。中央部分がゆるやかに盛り上がっているのは、船の航行を考慮したため。この橋は約10mの川をまたいでいますが、その桁の長さは、現存する日本の石桁橋の中で最長を誇っています。

 

高砂橋/たかさばし

そばにプレートがあります。

 

高砂橋沿革 

 この石橋は旧今橋で、周人の視集(1600年頭) 架設せられた当時は板橋であったが、天保年間 (1830年頃)に始めて石橋に架け替えたもので、 大正15年(1926年)現今橋に改築されるとき旧高砂町へ移して高砂橋と改名した。

 その後倉敷用水路が改修されたので、橋の保存をはかるため、前神幅を撤去して現位置に移築したものである。

 

昭和42年3月 倉敷市

 

その後の見学は、

アイビースクエア、代官所跡の施設↓

倉敷紡績記念館そば。

 

 

大原美術館前の、大原家住宅前を経由。

 

 

奈良萬の小路↓

ならまんのこうじ 

 

倉敷中央通りから美観地区入口の交差点を東に入り、倉敷物語館の西側の小路を奥に抜ける通りは美観地区の中でも特に美しい路地です。

江戸時代より営業していた老舗旅館「奈良萬旅館」と、向かいに位置する旧邸宅「白井邸」を、中心市街地活性化事業の民間プロジェクトにより、複合飲食施設として再生整備したもので、その先駆けとなった人気観光スポット「林源十郎商店」のすぐ近く。

 

 

スポット最後は、国指定重要文化財大橋家住宅。

こちらを有料で見学。案内のパンフレットなどによると

大橋家の先祖は豊臣氏に仕えた武士で1615年大阪落城の後、京都五条大橋辺りに隠れ住んだようで、幕府の追及を逃れるため大橋を称するようになったと言われています。このころから数えると400年余りの歴史がある家柄。

 

 

整えられて、美意識を感じました。

倉敷駅前の中央通りから西側で、観光客がぐっとまばらになり、

建物内に数名すれちがったのみでゆっくりと見学することができました。

 

 

畳に降り注ぐ春の陽が優しくあたたかくじっとしていたくなります。

 

お隣は、近代的なホテルビルになっていますが、

この場所は保ち続いていてほしいと思いつつあとにました。

 

最終は、えびす通商店街を歩きとおしました。

 

 

今回の横あるき記録はこちらです↓

 


小雨、やや低温ではありましたが、土曜日にしては混みあっておらず、

倉敷の一部をしっかり見ることができました。

細かく何度も行きたくなるスポットという感想をいただき嬉しく思います。

わたくしも訪れてご案内したいです。

ありがとうございました!

 

日々、

衣食住のため、の歩きの足跡をたどりあるく

そのご案内をしています。

 

広島ネイチャーナビfukuです。

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※現在 

2015より264回実施継続中。

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今回の横あるきリクエストは、

広島県大竹市「亀居城跡公園」と「周辺史跡」

 

亀居城跡は、江戸時代の城跡で重要な史跡公園です。

サクラの季節は、本当に広島最西の穴場!

これまで、幾度か案内してきましたが

今回はより深く。

 

過去記事↓

桜の頃→2022-4-6亀居城址の桜と城壁

梅と風景→瀬戸内海の春霞_2025-3-21 大竹市亀居城跡

 

お城の周囲と外郭の史跡も訪ねてみます。

 

 

 

前回、1月末に訪ね歩いた、福山市の鞆城跡も福島正則の築城ですね。

 

しかし、、5年かけて築いたお城を3年で廃城とされてしまう。。。というのは

当時、それを見届けた人々はどんな思いだったのでしょう。

 

この史跡の位置ですが、

東に瀬戸内海沿岸のしまなみ景色、平地が幅狭く、

西には山がせり立って、要害に適しています。

 

現在、高速道路(広島岩国道路)、JR山陽本線、国道がその狭い幅にならんでいます。

近年、新たに開館した下瀬美術館は

お城跡~東の海ぎわの埋め立て地に位置します。

 

JR山陽本線の最寄り駅は、「玖波駅 くばえき」

 広島駅から山口岩国方面行にて約50分です。

 

玖波駅前から、こいこいバスに乗換。

乗車7分「黒川会館」バス停🚏

こちらからスタートです。

 

南の城跡の麓隣、和田家長屋門前へ

慶応3年に建てられた貴重な建物文化財。

 

 

 

江戸時代の郡村行政は世襲制が多く、割庄屋・庄屋・与頭(くみがしら)などによる村役人により行われており世襲を江戸時代を通じて約270年間守り通すのは容易でなくわずかであり、それを通したのが小方の和田屋、ということです。

 

氅の碑

けごろものひ 

 

 

松尾芭蕉の150回忌(1843年)に市の小方地区の人々によって建てられました。

刻まれているのは、芭蕉が亡くなる前年に詠んだ「晩年のお気に入りの句」

「者世越」とは「はせお」と読み、芭蕉の俳号です。

 

芭蕉の優秀な弟子、志田野坡(しだ やば)が何度もこの地を訪れて俳句を教えたことから、大竹では俳句文化が非常に盛んになりました。幕末には「氅社(しょうしゃ)」という俳句会も結成されました。

 

この碑は文字の彫りが非常に見事。同じ時期に近くの寺院で素晴らしい石仏を彫った地元の名工・松五郎の手によるものだと推測されています。

   
  者世越   氅に つつみてぬくし 鴨の足
    天保十四卯年  為百五十回忌 

 

 

碑の後ろは崖になっていて、その上部に厳神社(いつきじんじゃ)があります。

 階段を登る途中に、社務所、そして、神社がみえてきます。

 

 

妙見丸で発見された石材

 

 
幕府によって廃城されたので、こちらに移った厳神社。
 
ここは妙見丸(標高約30m弱)という郭で、
厳神社の本殿西側あたりはJR線のトンネルになっています。
 

益豊神社、稲荷神社のその奥に、

 

 

嚴神社 いつきじんじゃ

 

 
裏手の林からつづく小径、
下り降りた交差点に、
「亀居城築城犠牲者慰霊碑」
 

 

更に下り、なみだ橋↓

 

 
 

 

JR山陽本線の上にかかる橋です。

撮り鉄さん、列車好きさん、によき場所かも?

橋の向こうは、厳神社社務所。

神社の入口、長い階段の途中に戻れます。

 

引き返して、平地に降り、

 

楓園咊田翁之碑を見学

最初に見学した和田家、の和田吉左衛門の俳号。

振り返ると亀居城本丸の郭がみえました。

 

 

 

20歳で割庄屋に就き、凶作に苦しむ村人を救う。長州戦役で主戦場となり、大きな被害を受ける。被災者救済のため、「新開(干拓地)」を完成させた。明治政府のもとで戸長に就任、地域改革を進めたなど、の功績を没後にたたえた碑です。
 

亀居城 無の丸跡などの見学

 

 

亀居城 本丸跡。

コンビナートがみえます。

大竹市出身の昭和を代表する作詞家

石本美由起氏の歌詞碑がこの城跡に多くあります。

 

 

亀居城跡 捨の丸と郭のあいだの階段を後にしました。

 

 
高速道路の沿いからお城跡を振り返り、
国道2号線にでて、後は駅まで一直線にゴールしました。
 

今回の記録です↓

 

 

休憩込み、4時間、約5.5KM
累計高度150m。の散策でした。

苔が路面に多く、湿度90%で滑りやすかったのですが、

ゆっくりと安定してすすめてよかったです。

梅の開花はわずかではありましたが、香りをたのしみました。

地図アプリにもなかなか見当たらない場所にも

訪ね、くつろいでいただきました。

 

ありがとうございました!

 

 

日々、

衣食住のため、の歩きの足跡をたどりあるく

そのご案内をしています。

 

広島ネイチャーナビfukuです。

(屋号:ネイチャーガイド&アートひょんのき)

 

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山、野、川、海辺、を案内しています。

ご縁を大切に、

学び笑いある「横あるき」を実践中。  

※現在 

2015より263回実施継続中。

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今回の横あるきリクエストは、

福山市鞆町の港周辺。

 

午年にちなみ、この土地の文化節句の

「八朔の馬だし」展示開催中の、

鞆の浦歴史民俗資料館

 

 


も含めて

 

案内をというリクエストで

港を多方向から見つめる企画としました。

 

広島県の東に位置する福山市は

広島市中心部から公共交通機関は新幹線で約30分、高速バスで1時間50分程

福山駅から鞆行きのバスで30分です。

 

巡るスポットと順路をご参加の方とのご相談で

予めお決めいただきました。

 

広島県福山市鞆の浦(とものうら)は、瀬戸内海のほぼ中央に位置し、古くから「潮待ちの港」として栄えた場所です。。

 

さて今回企画の歩き出発地点は、福山市鞆港バス停。

バス停からすぐのスロープ状の坂に詳しい地図。

三方向からみた現在地があるのはとても分かりよいです。

 

 

江戸時代からの町屋の景観を保った、街並みが美しく

細い路地に古い家々が立ち並び、タイムスリップしたような雰囲気を味わいながら。

 

歴史民俗資料館は鞆城跡でもあり、その城壁の一部と漁船を見ました。

↓

 

資料館入ってすぐのロビーの特別展示「八朔の馬だし」は撮影可でした。

そのほかは撮影できません。

 

 

立派な白馬に子供の成長を願ったことがうかがえます。

 

↓以下は説明板の記より

八朔の馬出し

八朔 (旧暦の八月一日のこと の節句には、全国で様々な祝いの伝統行事があった。

鞆でも町家では、男児の誕生を祝って白い馬の模型 (子ともが乗れる馬から、大きなものでは実物大) を作り、台車 (馬の台) に乗せて町中を曳き廻す全国でも稀な風習 (江戸時代から戦後まで) があった。このような「八朔の馬」は、鞆の商人の総済力や文化程度をよく表している。

この様な馬を曳き廻す風習は鞆の他に福岡県北部の港町である芦屋町にもあるが、鞆のような実物大の馬はないとのことである。

 

2階建ての歴史資料館には、郷土の風習(弓の神事)、産業(鍛冶)などの展示、人物紹介があり、

じっくりと見学しました。瀬戸内海の潮の流れがちょうど変わる場所にあるため、昔の船乗りたちはここで潮の流れが変わるのを待つために滞在しました。潮の流れと仕組みを目でみてわかるような展示もあり、歴史深さとしては、万葉集の時代、 1000年以上前の和歌にも詠まれるほど、古くからの景勝地であることも紹介されています。

江戸時代の繁栄のようすも見て取れる展示がありました。 

北前船などの寄港地として、商業や物流の中心地となりました。

 

人物では、作曲、箏曲家名高い宮城道雄。1929年「春の海」で世界に知られ、父親の故郷であり、幼少時代に生活した鞆の浦を思い創作したと伝えられています。

 

鞆城からの湾港の眺め↓

 

他、歴史上の人物との関わり…

坂本龍馬と「いろは丸事件」

 龍馬が率いる海援隊の船が沈没した際、賠償交渉のために滞在しました。

足利義昭

室町幕府の最後の将軍が身を寄せた場所としても知られています。

 
 

↑常夜燈(じょやとう): 鞆の浦のシンボル。江戸時代に建てられた石造りの灯台です。

江戸時代の港湾施設がほぼ完全な形で残っています。日本で唯一と言われる貴重さです。
 

 

風もなく小春日和で大波止の先まで歩きました。

様々な角度から湾をみていく方向を眺めるのが出来る景勝地、

しまなみ瀬戸内ならでは。

ここまで歩いている人はなかなか居ないのかもしれません。

 

岬の高台も城跡です。

 

 

そっとある、芭蕉の句碑。

 

さて、お昼にうどんと一品料理のお店 みなと夢ごこちさん

に入って温まりました。うどん、蒸し牡蠣を美味しく頂きました。

牡蠣は今年貴重です。。。

 

 

特産品の保命酒(ほうめいしゅ)は

もち米、麹、焼酎を原料とした甘口の原酒に、高麗人参、桂皮(シナモン)等16種類の生薬を漬け込んだ伝統的な薬味酒です。現在4社あります。

​​​​​​

町並みあるきしていると↓保命酒に入る生薬を干しているところがありました。

香りがよいんですよね。

 

 

渡守神社付近に小路が山手にあり、そこから医王寺に向けてのぼります。

 

 

医王寺の山門と風景。四国も見渡せてきました。

 

 

映画『崖の上のポニョ』の構想が練られた場所でもあります。

梅の芳香漂って幸せ。

 

下りの道の分岐をちょっと横に入って行って、

潮風と眺望、食事喫茶を楽しめる茶房への、

 

 

セレーノさんで小休憩。

オーナー様の心温まる地理説明、歴史、景観保全活動の紹介の熱量が素敵です。

次のひな祭りイベントの紹介もありがとうございます。

確かに、すべてのスポットには訪ねていないので、再度企画を考えましょう。

 

ぜひ、ご興味のあるかたはお出向きくださいませ。

 

 

 

新たな施設にも終盤に立ち寄りました。持ち込みの食事もできるので、

寒い時にいいですね!

 

 

細かなスポットをめぐり、出発したバス停に戻れました。

瀬戸内としては寒い気温とはいえ穏やかな日で何よりでした。

 

 

今回も安全に歩き終え感謝します。

ありがとうございました!