とかく古い世界に

“不条理”はつきものです。
 
例えば、
黒いものを
師匠が白だと言えば、
それは白。
 
何度見ても
自分には黒にしか見えなくても
誰が見ても“まっくろくろすけ”でも
師匠が白といえば
 
「白です」
 
と答える。
 
師弟関係だけではなく、
兄弟弟子間でも
それ以外の先輩後輩の間でも
先輩の言うことは
それが、
例え納得いかずとも
飲み込む。
 
忖度の連続です。
 
最近、忖度という言葉は
あまり良いイメージで使われませんが、
「思いやり」「気づかい」「心くばり」
という言葉に置き換えられる忖度も
あると思っています。
 
楽屋においても
不条理は確かに存在します。
 
最近は
コンプライアンスという黒船が
芸界にも押し寄せてきていますが…
 
一門の師匠によって
それぞれの感覚とルールがあり、
師匠の“色”というものが
その一門に反映されます。
 
師匠選びも才能の内。
 
これも
楽屋で頻繁に口にされることです。
 
そういう意味で、
我々松鯉の弟子は 
才能があるのだと思います。
 
芸だけでなく
人として尊敬できる師匠の元に
入門させてもらえたということ。
 
これは、
かなり幸運なんだと思います。
 
外から見ただけでは
なかなか分からない部分て
ありますから…
 
師匠は決して理不尽なことは言わないし、
自分の都合を絶対に押しつけない。
自分のために弟子を使う姿も
今まで一度も見たことがありません。
 
もちろん、弟子として
師匠の鞄持ちや着替え、
楽屋での身の回りのことはしますが、
それは、弟子の修行のためであり
自分でやった方が
師匠は本当は気が楽なんだと思います。
 
年末の大掃除なども
家のことは内でやるから…と、
一度も呼ばれたことがありません。
 
前座の頃、
何度かお願いしたこともありましたが
断られました笑
 
師匠がそうだから、
兄弟子、姉弟子も同様。
 
書いてて改めて思った。
なんて素晴らしい一門なんだ✨笑笑
 
ただ、
この世界で生きていくには
師弟関係、松鯉一門だけではなく
色々な人や物事と
関わっていかなければなりません。
 
生きてきた時代が違う
膨大な経験値から様々な考えをもつ芸人が
ひとつ集まって
何かしようとするときに
「んーー、それはどうかなぁ」
と、正直思うことがあります。
 
しかし、
香盤が全てのこの世界では
例え、失敗することが予想できたとしても
先輩の意見に従わなければならないことが多く、
むしろ、意見を言うよりも
そうなったときに予想できる失敗を
いかに最小限に抑えるかを考える…
これもまた修行なのだと
私は捉えています。
 
さて、
前置きが長くなりましたが
松之丞が前座になって4年目のある日。
 
そういうことが
起こりました。
 
細かいことはお伝えできないのですが、
理不尽なのは重々分かっているけれど
ここは我慢するしかない…そんな状況。
 
先輩を挟みながら
いくつかの段階を踏み
時間をかけて変えていくことは
できるかも知れないけれど
少なくとも現段階では
改善の余地は無いと
私は考えていました。
 
その日は、
まだ浅い時間で
楽屋には私と松之丞しかいませんでした。
 
私が松之丞に
 
「まぁ…飲み込むしかないよ。
 少なくとも今は…」
 
そんな風に声をかけたと思います。
すると、
ほんの少しの沈黙があって、松之丞が
 
「まぁ、その内僕が変えますんで」
 
と言いました。
 
 
 
僕が変える…
 
鼻にかかった
少し粘り気のある松之丞の声は
小さいけれど芯が通っていて
私の耳を刺すようでした。
 
思わず身の凍るような心地して
恐る恐る隣を見ると、
広小路亭の黄色く毛羽立った畳に
猫背で正座をしている松之丞は
私を見るでもなく
真っ直ぐ前を見るでもなく…
あたかも
自分の描いた将来の講談界を
眺めているようでした。
 
「一体、こいつは何を考えているんだろう。
 何を変えるつもりなんだろう。」
 
松之丞の目はあくまでも冷静で、
うっすら笑っているようにさえ見えました。
 
私は思わず怖くなって、
その後は何も言えませんでした。
 
そのすぐ後です。
 
同期の仲間とやっている会で
私が受付をやっていると
ご常連のお客様が
久しぶりにお越しになりました。
 
「この間ね、
 松之丞が大須演芸場に行くって言うんで
 見に行ってきたよ」
 
え???
松之丞は前座ですよ??
大須って名古屋ですよ??
 
にわかには
信じられませんでした。
 
お勤めをされているお客様で
決して
悠々自適の暮らしをしているわけではなく、
お仕事の合間を縫って
好きな演芸を楽しんでいらっしゃるお客様。
 
有給をとってまで…
東京でいつでも観ることができる
前座の松之丞を観るために
わざわざ名古屋まで…
 
一体、
松之丞の高座に
何が起こっているんだろうと思いました。
 
それから、
松之丞が出る所には
欠かさず通うというお客様の声を
ちらほら聞くようになり、
やがては、あちらこちらで
耳にするようになりました。
 
久しぶりの男の講談師だから?
 
もちろん、それもあったでしょう。
でも、それだけでは
説明がつかないくらいの人たちが
こぞって松之丞を追いかけ始めました。
 
これが、
松之丞と松之丞を取り巻く様々な物語の
始まりでした。
 
もっと前に
実はそんなことが
起こっていたのかも知れませんが
これが、
私が気がついた初めての異変でした。
 
この十数年後、
日本各地で1000人単位のホールを
一瞬のうちに満席にしたり、
寄席で徹夜組が出るほどの行列ができたり、
寄席で
カーテンコールやスタンディングオベーションが
起こる…
 
松之丞が
講談界でそんな夢のような出来事を
いくつも起こす男になるということを
誰が想像したでしょうか。
 
松之丞本人だけは
既に知っていたのかも知れません。
 
 
※私の記憶のみを頼りに書いていますので、
  事実とのズレが多少あるかも知れませんが
  ご了承ください。
 
 

≪「松之丞のこと」シリーズ≫

①「松之丞のこと」~序~

②「松之丞のこと」~忍び寄る影~

③「松之丞のこと」~初めての対面~

④「松之丞のこと」~しばしの別れ~

⑤「松之丞のこと」~予兆と予感~

 

 

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