おはようございます。
 
私があまりにも赤裸々に書くので、
今までずっと応援してくれている皆さんは
ヒヤヒヤしているかも知れません。
 
心配かけてごめんなさい。
でも、大丈夫ニコニコ
 
気持ちに一切の嘘はありませんが、
心の内の1/3…半分位しか
出していませんから笑笑
 
全部書いたら
私の自慰行為になっちゃう。
 
読んでる人には 
重すぎて
ゲェェェゲローゲローゲローってなっちゃうから。
 
ギリギリの線を
狙っているつもり…
 
昨日、今日と2話は
ちょっとお読みいただくのが
しんどいかも知れませんが
先には明るい未来がありますので
安心して読んで頂ければ幸いです。
 
ちょうど講談の連続物のようにウインク
 
それじゃあ、
今日も長尺&濃いィィィィィの
いくわよーーーウインクウインク
 
 
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松之丞が入門して1年ほど経った頃、
自分を追い詰めた生活を続けた結果
とうとう私は崩壊してしまいました。
 
人に会うのが苦痛になり、
高座をこなすのが精一杯になりました。
 
打ち上げにも出ず、
逃げるように自室に帰り
ひたすら閉じこもりました。
 
やがて、
高座に上がっている最中も
楽屋にいるときも
電車に乗っているときや
道を歩いているとき
立ち止まっているときでさえ
 
「お前なんて、お前ごときが…」
 
頭の中の厳しい自分の顔が鬼の顔に変わり、
鬼が二人に増えました。
 
電話に出られなくなり、
表へ出ることがとても難しくなりました。
 
その後のことは、
殆ど記憶がありません。
 
多くの方々に
ご心配とご迷惑をおかけしました。
 
異変に気付いた両親が
私を実家に連れて行きました。
 
それでも、
調子が悪いことがバレてしまえば
この世界にいられなくなると思い
レギュラーのラジオ番組だけは
元気な振りをして続けていました。
 
鬱という症状は、
周りから見ると
何とも勝手なことを言うものだと
腹が立つこともあると思います。
 
コレはできるのに、
コレはできないの?
それって、ただのわがままじゃないの?
 
鬱は、本人はもちろん周りも大変。
 
今になると分かるのですが
当時はそこまで考える余裕も無くて
自分の苦しさなんて
誰も分かってくれないと思っていました。
 
母に現場までついてきてもらったり、
妹に付き添ってもらったり…
 
状況を母から関係各位に説明してもらい、
私は師匠に手紙を書きました。
 
自分の状況を伝えてお詫びをし、
どうか見捨てないで欲しいと懇願しました。
 
数日後、
師匠からの手紙が届きました。
 
そんなに苦しんでいたとは知らなかった。
自分の指導方法に誤りがあったのかも知れない。
悪いことをした。
ゆっくり静養して、また元気な顔を見せて欲しい。
 
そんな内容でした。
 
大好きな師匠に
こんなことを言わせてしまったことが
情けなくて、申し訳なくて…
 
こんな不出来な弟子を
師匠は見捨てず、待つと言ってくれた。
そのことが
ありがたくてありがたくて
涙が止まりませんでした。
 
結局、約2年弱
高座から離れることになりました。
 
薬を飲み、
実家の居間に布団を敷き
ただただ眠り続けました。
 
昼となく夜となく
眠っているような
眠っていないような
うつらうつらしている内に
明け方まどろみかけた頃、
襖越しに母が起きて台所に来る音で
私は目を覚まします。
 
毎朝、母は起きると
コンロの前に置いた
古い折りたたみのパイプ椅子に座り
カチカチカチッとコンロに火をつけると
煙草を咥えて火に顔を近づけると
煙草に火をつけ、
一服しながら
考え事をして1日を始めます。
 
襖越しに聞こえる
カチカチカチッという音を聞きながら
母や家族に申し訳なくて、
師匠に申し訳なくて、
協会にもお客様にも合わせる顔が無くて、
今日で全部終わりにしてしまおうかと
何度も考えました。
 
でも、
私にはその勇気も無かった。
 
講談を辞めることも
どうしてもできませんでした。
 
こうして、
家族、師匠、仲間たち、友達…
たくさんの人の優しさのお陰で
私は少しずつ回復していきました。
 
やがて、
高座に復帰すべく
先ずは、若手だけの「若葉会」から
顔付にも入れてもらうようになりました。
 
その頃には、
松之丞は前座として3年目に入り
タテ前座になっていました。
 
タテ前座は
番組を円滑に進めるための采配をします。
 
例えば、交通機関の問題や
色々な事情で
時間に間に合わなかったり
出演することができないという
突然のアクシデントにも
対応しなければなりません。
 
出演する日、
どうしても体調が整わず
当日行けなくなってしまったときも、
日本橋亭に向かう電車の中で
具合が悪くなってしまい
大幅に遅れてしまったときも
タテ前座の松之丞は
「姉さん、大丈夫です。
 こっちで何とかしますから」
そう言って、何度となく助けてくれました。
 
本当に迷惑をかけました。
 
師匠にも、一門にも、
日本講談協会の皆さんにも
落語芸術協会にも
多大なご迷惑をおかけしてしまいましたが
一番被害にあったのは松之丞です。
 
「本当にごめんね」
 
と謝ると
 
「大丈夫ですから」
 
と、いつも
何も言わずに処理してくれました。
 
だから、
私は伯山に頭が上がらないのです。
 
何のビジョンもないまま、
初期衝動だけで師匠の元に飛び込み、
精神的に未成熟だったために
勝手に破綻してしまったポンコツの弟子を
破門せずに
再びあたたかく迎え入れてくれた師匠松鯉と、
自分だって色々な葛藤やストレスを抱えながらの
前座修行だったはずなのに
嫌な顔ひとつせず助けてくれた松之丞に
私は生涯かけて恩返しをしたいと思っています。
 
復帰しかけてはぶり返し…
そんなことをしながら、
ようやく寄席も含めて
完全に高座に復帰するまでに
約2年の歳月を要しました。
 
その間に
松之丞はネタ数を貪欲に増やし、
メキメキと腕を上げていきました。
 
松之丞にとって
前座の4年間は
とてつもなく長く
感じたのではないでしょうか?
 
始めの1,2年は
覚えることが多くてあっという間ですが
3,4年目は
普通の前座でもしんどい時期です。
 
ましてや、
松之丞は、入門前から自分のビジョンを
ある程度想定していたかもしれないと
私は今日思っています。
 
だとすれば、
3年目ともなると早くそれを実現したくて
ウズウズしている頃だったでしょう。
 
全て私の想像ですが、
入門前、或いは、前座修行をしながら
講談界の抱えている問題点を
見抜いていたのかも知れません。
 
それを確信させる出来事が
松之丞が前座修行4年目に入った頃、
広小路亭の楽屋で起こりました。
 
タテ前座の松之丞が
楽屋で私と2人きりになったとき
私に聞こえるか聞こえないかの声で
言い放った言葉に
背筋が凍る思いがしました。
 
それは、
私にではなく
未来の松之丞自身に宣言しているようにも
聴こえたのです。
 
果たして、
松之丞が言い放った言葉とは…
 
この続きは、次回の連続。
 
 

≪「松之丞のこと」シリーズ≫

①「松之丞のこと」~序~

②「松之丞のこと」~忍び寄る影~

③「松之丞のこと」~初めての対面~

④「松之丞のこと」~しばしの別れ~

⑤「松之丞のこと」~予兆と予感~

 

 

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