師匠からだったか…

阿久鯉姉さんからだったか…
 
新しい弟子が入ることになったから
色々教えるようにと連絡を受けたのは、
私が二ツ目になって
2年目位のことだったと思います。
 
その頃の私は、
ラジオのレギュラーの仕事をいただいたり
高座の機会に恵まれたこともあり
浅草2丁目に見つけた
花やしき近くの1DKの古い部屋を借りて、
順調な二ツ目のスタートをきっていました。
 
今思えば、
漠然とした「売れる」という目標に向かいながら、
でも、それがどこにあるのか分からず
ただただ、がむしゃらに日々を過ごしていました。
 
まるで、
大海原で陸地の方角が分からないまま
陸地に辿り着こうと闇雲にもがくように。
 
稽古やスケジュール管理、
手紙は巻紙に筆で書くと決めて、
お礼状の他に
毎朝、最低2通は色々なお客様に手紙を書くことを
日課にしました。
 
部屋にはテレビを置かず、
講談だけに集中できる環境を整えました。
 
野菜中心の自炊を始め、
稽古がてら、
自室から上野の不忍池まで
ランニングを習慣にすることを決めました。
 
もっともっと…
 
やってもやっても、
頑張っても頑張っても
 
もっともっと…
 
頭の中で
もう一人の私が鞭を打ちます。
 
止まること、
休むことは悪いこと。
 
やるべきことを常に探しながら
それをこなし、
こなせないと自分を責めました。
 
いただいた高座や仕事の他に
たくさんのやることを自分に課してしまったため、
最後は睡眠を削るようになりました。
 
常に何かに追われていて
いつも焦っていました。
 
だから、
生活も心の中も
忙しくて仕方がありませんでした。
 
初めて松之丞に会ったのは、
ちょうどそんな頃。
 
浅草の雷門通りに面した
「マウンテン」という喫茶店。
 
私が入門したときに
姉弟子の阿久鯉姉さんにしてもらったように
挨拶のしかたや、
楽屋でのしきたりなど
最低限の基本的なことを伝えたあと店を出て、
着物や着物を着るときに必要なものなどを
一緒に買い回りました。
 
この世界には
先輩にしてもらったことを
同じように後輩に返すことで
その世界と先輩に恩返しをするという
考え方があります。
 
私は、
阿久鯉姉さんから草履を買ってもらったので、
私も松之丞に雪駄を買ってあげました。
 
手帳を予定で埋め尽くすことで
自分は頑張っていると思える…
そんな時期だったので、
慌ただしく松之丞と分かれたような気がします。
 
すっごい忙しい中
私は時間を割いてやってるんだ…
 
そんな印象を
入門したばかりの松之丞に
与えてしまったでしょう。
 
あのとき、
松之丞はどう思ったのかな。
 
きっと、嫌なヤツだと思ったでしょう。
実際、そうだし…
 
あの日に戻って、
あの日の私を怒ってやりたいです。
 
ごめん、伯山。
 
既に私は二ツ目になっていたので、
楽屋での前座仕事は
当時、前座で先輩の蘭さんが
殆どのことを松之丞に教えました。
 
こうして、
松之丞は日本講談協会で前座となり、
やがて、私と同じように
落語芸術協会でも前座修行を始めました。
 
二ツ目になると
前座のように毎日寄席に通うことがなくなるため、
当時の松之丞の前座修行の様子は
殆ど記憶がありません。
 
一緒に前座をやった蘭さんや
落語芸術協会の前座仲間の方が
松之丞の前座時代を良く知っているでしょう。
 
当時の楽屋での松之丞の印象は、
着物を着るのが上手くなく、
猫背で伏し目がち。
生気のないその表情は
睨んでいるようにも
ほくそ笑んでいるようにも見えました。
 
そんな松之丞の顔が
唯一輝くのが高座でした。
 
前座はマクラはふるな。
 
今でも変わらぬ
前座の鉄則です。
 
気がつくと、
前座の松之丞は
「談志師匠が…」とか
ネタに添えるようになり注意した覚えがあります。
 
と同時に、
談志師匠に憧れて追いかけていたことや
米朝師匠や伯龍先生、貞水先生などの会に
行っていたなど、
入門するずっと前から話芸に深い関心を持ち
芸界の外から芸界を見ていたことを知りました。
 
一方、私はと言えば
講談を殆ど知らないまま
師匠のかもし出す何とも言えないあたたかさや
言葉だけで人の頭に絵を描くことの
カッコ良さに衝撃を受け、
勢いで師匠の元へ飛び込んだら
師匠が弟子にしてくれました。
 
5年ほどの差はあれど、
松之丞は中学とか高校の頃から
話芸に関心を持っていたとすれば
到底敵いません。
 
つまり、
先輩の私より後輩の松之丞の方が
芸人の来歴をよく知っていたり、
ネタの内容に詳しかったりしたわけです。
 
幽霊の正体見たり枯れ尾花。
 
そうしたコンプレックスは、
松之丞の表情を勝手に湾曲して捉えて、
私を馬鹿にしているように
感じるようになりました。
 
また、
本来は男の芸である講談を
女がやることへの迷いから
男の松之丞が
それを嘲笑っているように
勝手に感じてしまいました。
 
知った風な事を言いやがって…
そう思ってるんだろうと
怖くなりました。
 
これは、
全て私の思考が問題。
もちろん、
松之丞は何も悪くありません。
 
今考えれば、
このとき
もう精神的に限界だったんだと思います。
 
でも、
私はそれに気づくことができませんでした。
 
完全にヤベェ奴です。
 
あまりの苦しさに、
何故か
女じゃなくなればいいのだという答えにいたり、
プライベートなど捨ててしまっても構わないから、
性転換をして男になろうと決意して、
性転換にはいくらかかるのかを調べたり…
 
こわいこわいゲロー
 
ある日決心して、
師匠に「性転換して、男になりたいです」と
表明までしてしまいました。
 
師匠は静かに
「ご両親からお預かりした大事な娘さんだから…」
と嗜めてくれました。
 
こうして、
松之丞が入門してから
あっという間に1年が過ぎていきました。
 
松之丞が前座として
着実に修行を重ねている間に
私は、自ら自分を追い詰め続け
やがて…
 
この続きは、また次回。
 
 

≪「松之丞のこと」シリーズ≫

①「松之丞のこと」~序~

②「松之丞のこと」~忍び寄る影~

③「松之丞のこと」~初めての対面~

④「松之丞のこと」~しばしの別れ~

⑤「松之丞のこと」~予兆と予感~

 

 

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