おはようございます。

 
池袋演芸場の整理券配布は、確か11時。
たった92席のために
今、どのくらいの人が寒い中
並んでくださっているのでしょう。
 
せっかくお越しになっても
92人を既に達して帰らざるを得ない方も
きっといらっしゃるでしょう。
 
この記事が、
暇つぶしになれば幸いです。
 
今回も長尺で
私の顔の造作同様に
濃いィィィィィ内容になりました。
 
それじゃあ、
いくわよーーーーーーーニコニコニコニコニコニコ
 
 
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今から13〜4年前、
下北沢の小さなギャラリーで
「シモキタキラリ」という会を
やらせてもらっていました。
 
20人も入れば
いっぱいになってしまうような
小さなギャラリースペース。
 
その客席に、
古舘克彦という青年がいたらしい…
ということを聞かされたのは
ずっと後のことでした。
 
全く覚えていないけれど、
本人から聞いたのだから間違いありませんね笑
 
古舘克彦…
数年後、講談界を席巻することになる
言わずと知れた
後の六代目神田伯山です。
 
当時、私はまだ二ツ目になって数年。
がむしゃらな野心に燃えていた頃。
 
勿論、
今も野心は持ち続けているけれど、
かつての野心は
自分の心を削る野心だったように思います。
 
自分の足りないものを
ただひたすらに数えて、
 
「足りないものがあるから認められないのだ」
「頑張れば、足りないものは必ず手に入る」
「全ては、自分の頑張りが足りないからだ」
「頑張れないのは、自分が怠けているからだ」
「こんなに頑張っているのに、なぜ認めてくれないのか?」
 
足りない…という不幸の渦に
酔いしれていたのかもしれません。
 
でも、それは自分の心を削ります。
 
…これね、10年前の私に言っても
当時は理解できないかった話。
 
松之丞という存在に苦しみ、
自分と向き合ってきた今だから分かるの。
 
しかも、戦ってきた自分に酔うこともなく
笑って話せる今だから
こうして文字にして公にすることができます。
 
当時が自分の心を削る野心なら、
今は…そうだなぁ…
自分の心を育てる野心に変わってきた…というと
しっくりくるような気がします。
 
決して、他と比べる必要はないのですが
他者と自分の違いを
興味を持って冷静に見ることで
見えてくるものが確かにあって、
その上で、
自分の良い部分や足りない部分を見極めて
そのときに必要な努力をすれば良し。
 
一見、単純に見えるこの作業は
自分の弱さや醜さ、ずるさ…
そういう己の中にある
一般的に“負”と言われている部分を受け入れないと
前に進まない作業です。
 
しかも、
日々それを繰り返さなければ意味がないという、
なかなか厄介なルーティンワーク。
 
確かに辛い作業ではあるけれど、
刃を他者にも、自分にも向けることなく
日々過ごすことができて
周りに感謝できるようにもなるという
なかなか素敵な作業なのです。
 
別に、スピリチュアルな話でも
判子や壺を買ってくれとか、
このペンダントをつけると
たちどころに幸せが舞い込んでくるとか…
そういう怪しいものではなくて笑
 
ものすごい熱量と行動力をもった猛者が集まり、
その中で才能や運に恵まれた者と
そうでない者とが如実に分かれるこの世界で、
押し潰されることなく、
くさることなく、
怒りを他人に向けることなく、
嫉妬を原動力に変えて精進できる唯一の道だと
私は思っています。
 
だって、死ぬまで修行なんだもん。
何歳まで生きるかは分からないけど、
まだまだ先は長いんだもん。
 
自分の老いと共に
どんどん若い才能が入ってくるんだもん。
 
普通なら、押し潰されて当然です。
だから、見ないふりをして
本能的に自分を守ろうとする。
 
そこに気がつかないで
生涯を終えることもあるだろうし、
生涯見ないふりをして、
そういう部分に蓋をして生きることも
正直できると思います。
 
でも、私の場合
松之丞という存在がそれを許さなかった。
 
ただ漠然と“売れたい”と
思っていたあの頃の私を振り返ると、
自分は何が欲しいのか、
自分に何が必要なのかを
考えることすらできていなかったような
気がします。
 
頑張らなきゃ、頑張らなきゃ。
 
自分のことで精一杯。
周りが殆ど見えていない状態。
ましてや、
講談界のことなど考える余裕も無かった。
 
だから、
お客様のお顔も見えてなくて
古舘君の存在にも気がつかなかったのでしょう。
 
古舘君は、
私のブログも読んでいたらしく、
師匠の家に稽古に行った記事や
ブログからほんの少し垣間見ることのできる
講談界や日本講談協会、松鯉一門の様子を
感じていたようです。
 
こうして着々と情報を集め、
自分の師と決めた神田松鯉という講談師に
標準を合わせて
古舘克彦という青年は
ジワリジワリと忍び寄ってきました。
 
あたかも
伯山の講釈の中に出てくる悪人のように
不敵な笑みを浮かべて…
 
…ま、不敵な笑みを浮かべ忍び寄る感じは
完全な私の妄想ですがてへぺろ
 
10月30日に上野広小路亭で
毎年開催される「日本講談協会 山翁まつり」。
 
この日、
古舘君は師匠松鯉に
入門志願をするつもりだったらしく
師匠が楽屋にいるタイミングを
見計らいながら客席に座っていたといいます。
 
一応、お祭りなので
京子お姉さんと私で抽選会のコーナーを
やりました。
 
楽しく話しながら…
 
後に松之丞は、
つまらない、ただ長いだけの漫才みたいなやつと
言っていましたがチュー
 
そのせいで、
結局、師匠は既に帰ってしまったので
タイミングを逃したと
ニヤニヤしながら言っていました。
 
アンニャロメムキー笑笑
 
その日の入門志願は叶わなかったものの、
そのすぐ後
古舘君は師匠松鯉に入門志願を果たし、
古舘克彦は神田松之丞になりました。
 
講談界の風雲児の誕生です。
 
こうして、
私の弟弟子になった松之丞。
 
猫背で
睨んでいるのか
ほくそ笑んでいるのか分からない、
全てを知り尽くしているようにさえ見える
冷めた表情。
 
私の小言に
口では「すみません」と言いながら
薄笑いを浮かべて
私を馬鹿にしているように見える、
厄介で得体の知れない弟弟子、松之丞。
 
ジワリジワリと忍び寄ってきた影は、
やがて、元々あった私の心の隙間に影を落とし、
講談界に鮮烈な光を当てることになるのですが、
この続きは、次回の連続。
 
 

≪「松之丞のこと」シリーズ≫

①「松之丞のこと」~序~

②「松之丞のこと」~忍び寄る影~

③「松之丞のこと」~初めての対面~

④「松之丞のこと」~しばしの別れ~

⑤「松之丞のこと」~予兆と予感~

 

 

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