私は“松之丞”が嫌いだ。

 
正確に言うと
“マツノジョウ”という音が
嫌いなのです。
 
“マツノジョウ”という響きに
身体が勝手に反応してしまうのです。
まるで、
自分の身に危険が迫ると体を丸めて身を守る
ハリネズミみたいに。
 
 
「できる姉弟子と天才の弟弟子に挟まれて
 大変ですね」
 
「松之丞さんの姉弟子なんですか?すごいですね」
 
「講談をお願いしたいので、
 松之丞さんを紹介してください」
 
「姉弟子なら、松之丞さんを呼べますよね?」
 
「松之丞さんが好きでしょうがないんです。
 どうしたら、
 松之丞さんに好きになってもらえますか?」
 
「さすが松之丞の姉弟子」
 
会の打ち上げで、
松之丞の話ばかり私にしてくる人たち。
 
地方へ行くと無愛想な主催者が、
私が松之丞の姉弟子だと分かった途端に
ガラリと態度を変えることもしばしば。
 
ご好意で高級なお店へ連れて行っていただいたとき、
メインの料理と共に挨拶にきたシェフに
「彼女、講談師なんですよ」
と紹介してくださると
「そうですか」
とそつのない反応をしたシェフの
ピンと来ていない様子に
「神田松之丞の姉弟子ですよ」
と説明を重ねると、シェフは途端に目を輝かせて
「あぁ!爆笑問題と出てる!
 すごいですよね!!若いのに。そうですか!!
 …今度、松之丞さんを連れてきてくださいよ!」
嬉々として、私にそう言うシェフの料理を
連れてきてくださった方のご好意を
無駄にしたくなくて
必死に美味しそうな表情を作って
食べた夜を思い出すと、
あの頃の自分を褒めてあげたくなります笑
 
私の受け取り方の問題。
勿論、松之丞は何ひとつ悪くない。
 
悪気はないんです、誰も。
でも、だからこそ止まない。
 
ようやく1日を終えて家に帰ると、
悔しくて、悲しくて、情けなくて…
このまま朝が来なきゃいいのにと思っても、
明日にはまた高座があるから
なんとかして
夜のうちに気持ちを立て直して朝を迎えると、
また同じように打ちのめされる1日が始まる。
 
こうして打ちひしがれている間にも
弟弟子は新しいネタを覚え、
高座に上がり、
たくさんの人たちに講談の魅力を伝えている。
 
それを考えると、
余計に自分の弱さが恨めしく思えました。
 
そんな私を労って、
私を元気づけようとしてのことだと思うのですが
私に松之丞の悪口を言う方もいたりして…
 
でも、それも悲しかったです。
弟弟子を悪く言われるのは、やっぱり嫌なので。
 
 
「日本一チケットの取れない講談師」として
松之丞が売れれば売れるほど、
私は劣等感にさいなまれ苦しくなりました。
 
だから、
松之丞の出演するテレビもラジオも
殆ど見たことがありません。
落ち込んでいるときには、
偶然、松之丞が出ている番組に
出会ってしまったときは慌てて消すことも。
 
松之丞のインタビュー記事も、
本も一度も手に取ったことがありません。
 
そうやって自分を守らなければ、
精神が保てない時期は
とても長かったように思います。
 
だから、皆さんの方が
実は松之丞のことを知っているかも知れませんね。
 
 
 
伯山という人間自体を
好きか、嫌いかで言い表せるほど
感情は簡単なものではありません。
 
なぜかというと、
それは家族であり同志であり、
そして、ライバルだからです。
 
入門してすぐに、
一門は家族だと師匠は教えてくれました。
 
実際、
師匠は弟子をまるで
我が子のように大切に育ててくれたと思います。
 
とても生意気な言い方かもしれませんが、
それぞれの特性を見極め、
師匠の持論は守りつつも
弟子それぞれに合った育て方をしてくれていると
私は感じています。
 
血の繋がりは無くても、
全くの他人が「師匠」という核で繋がって
家族になる。
 
私のすぐ上の姉は阿久鯉姉さんで、
すぐ下の弟は松之丞。
 
できた姉弟子と
できる弟弟子。
 
その間に挟まれて、
自分の中の弱さや嫉妬心や未熟さと
向き合わざるを得なくなったことで
いつの間にか
私は強くなりました。
 
そして、
自分の進むべき講談師としての方向性も
定まりました。
 
これは、
阿久鯉姉さんのお陰もあるけれど
松之丞の存在は大きかったと思います。
 
弟弟子に松之丞という化け物がいなければ、
私はこんなに自分と向き合うことが
できなかったでしょう。
 
人の色々な感情に傷つき、
そういう部分が
自分の中にもあることを認めて
受け入れることができるようになりました。
 
落ち込んでもいい、
押し潰されてしまう日があってもいい。
 
でも、
必ずそれを糧にして立ち上がるんです
ゆっくりでもいいから、
ちゃんと自分の足で立ち上がるんです。
 
それでいいんですウインクウインク
 
講談を世に広めることを真剣に考え、
挑み続ける弟弟子。
さらに、着実に結果を残す弟弟子を
今は心から誇りに思います。
 
伯山襲名の口上書きに
「囃されているうちは踊っていればいい」
という文がありました。
 
伯山には
気力と体力の続く限り踊り続けて欲しいです。
そして、
これからもたくさんのお客さんは勿論、
我々仲間たちにも色々な景色を見せて欲しいです。
 
彼には、その力があるから。
 
囃されているうちは、
私は私で自分の道をしっかり歩きながら
姉弟子として弟弟子を見守り、
いざというときは、
家族としていつでも駆けつけて
全力で味方になろうと思います。
 
そんな仲間が、
伯山の周りには実はたくさんいるので
何があっても大丈夫でしょう。
 
お客様におかれましては、
今後とも細く長く
伯山を追い続けていただければ幸いです。
 
伯山襲名真打昇進を記念して、
私の見てきた松之丞のことを思い出せる限り
書かせていただきたいと思います。
 
私自身のことや心情を
同時にお読みいただくことになりそうですが、
よろしければお付き合いくださいませ。
 
 

≪「松之丞のこと」シリーズ≫

①「松之丞のこと」~序~

②「松之丞のこと」~忍び寄る影~

③「松之丞のこと」~初めての対面~

④「松之丞のこと」~しばしの別れ~

⑤「松之丞のこと」~予兆と予感~

 

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