究極のダイエット法 3 | 書道教室 墨屋好文堂

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前回の続き

 

そんなわけで、自分の体が冬眠のために肉を蓄える仕様になっていないと分かったのが4年前の3月。「令和」が始まる直前。令和になってからではなく、直前から動き始めました。来月からとか、新年からとか、満月から、といったキリがいいとこから始めると大体続かないじゃないですか。やろうと思った時がやるときなんですよ。そんなこと頭では分かっていいるけれど簡単にはできません。切羽詰まらないとやれないものです。

 

 

 

過去記事を振り返ってみますと

いったんリセットしてから次の段階に進もう、ということで試行錯誤していた様子がうかがえます。

 

でもこの記事を読み返すと、当時信じていた、積極的に糖質を摂るダイエット法をやってますね。

今お勧めしているダイエット法は、「糖質はできる限り制限したほうが良い」なので訂正しておきます。

 

 

隙あらば良質なタンパク質を、ベストタイミングで摂取しようとしていましたね。懐かしい、、、

 

 

 

 

 

エドガー・ケイシーの健康法にある焼きリンゴを食べ始めたり。

 

 

下の記事で、甘味料についての情報も訂正しておきます。

今はラカントを使うようにしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

米国で10年前から摂取制限の対象となっている果糖ブドウ糖液糖は避けた方がいいようです。

蜂蜜は砂糖よりも体によさそうと思われていますが、ハチミツの糖質は、砂糖よりは少ないものの、100g中75g(精白米は36.8g)ほど。慢性炎症を起こしやすい果糖(フルクトース)が多く含まれるので、血糖値を急上昇させてしまいます。例えば、フルーツのスムージーにハチミツをいれてしまうと、果糖+果糖となり血糖値は爆上がり。糖尿病の人は絶対に避けなければいけません。持病がなければ問題ないと思いますがほどほどに。

あと、ハチミツの中には、ハチの巣箱の近くに砂糖水を置いておいて、それを蜂に吸わせるという悪質な商品もあるようなので、安価なものは砂糖と同じと思っていた方がいいかもしれません。

 

で、結局のところ太った原因というのは代謝が落ちていたのと、運動をしていなかったから。あと、三食パスタでもいいくらいパスタ好きで、しょっちゅう食べていたので、食に関しては無頓着でした。いまとなっては本当に後悔しています。

加えて2018年あたりに仕事のストレスから鬱っぽくなっていて、理不尽なことばかりが続いて教室もやめたくなっていた時期がありました。関わる人が皆、敵に思えてしまうほどにすさんでいて、人間不信から酒に逃げる日々。そして不眠症になったり。

そんな自堕落な生活がそのまま体に表れていたわけですが、やはり辛い思いをしないと気づけないのが人間というものでして、苦しみから逃れるために酩酊しても、1ミリも解決しないということを学び、その後1年間断酒をするなど。そんなことをしながら自分と向き合っているうちに、自分の至らない点に気づいたりするわけです。考え方が一方的過ぎるとか、人に偏見を持ちやすい面があるとか、反省することが出るわ出るわ。


昨年放送されていた「愛のモヤモヤ相談室」で美輪明宏さんが

 

「可笑しいのは職業で人柄を決める人が多いでしょ。商売と人格は関係ないのに皆そういう錯覚を起こしているんですよ。」

 

と仰っておられて全力で頷きました。世間的に信用のある職業に就いている人は人格者なんだと無意識に思い込んでいたんですよね。そういったことに気づかせるために理不尽なことが度々降りかかってきたのだと、いや、降りかけてくださったのだと。

 

“信用”に関して職業と似ているものでいえば、SNSのフォロワー数、YouTubeの登録者数、視聴回数なども同じで、それが信用に値すると思い込んでしまうんですよね。だからその「数」の売買が行われるわけです。

 

そういえば、数年前に食べログの点数問題が炎上していたことを思い出したので調べてみると今年の2月に実態が判明していたようです。

こういったことは、どの業界でもこの先も永遠と繰り返されるのでしょうね。

 

グーぐル検索、YouTubeでも検問というものがあり、不都合なことは検索上位に出てこなかったり、動画は削除されることがあります。なので僕は比較的そういった懸念がない検索サイトを使っています。

 

消費者を騙す巧妙な手口を見抜けるようにならないと

 

騙されるのはテレビの情報を鵜呑みにしているから。だから自分で調べていかないといけない。調べるのが面倒ならテレビで言っていることの逆をすればいいのかもしれない。

 

で、結局のところこれなんだと思います

高倉健さんのこの御言葉。

 

世の中の争いごとって大体が誤解から始まるもんなんじゃないかと思います。人間って、相手に勝手に期待して、それが裏切られると怒りが生じる生き物ですから。

 

そんなこんなで結局は自分が変わらないと世界は何も変わらないという「原因全部自分説」を痛感したので、とりあえず習慣を変えてみれば何かが変わるのではなかろうかと、いろいろ苦悩していると、「自分の字はこの先どうやれば変化するのだろうか」という方向へ。さらに内省しているうちに、だんだん自分の字が薄っぺらく見えてきて、ブログなどに気楽に投稿していた書作品を書くことができなくなりました。

 

『字は体(たい)を表す』

 

これって、字にはその人の内面が表れるという意味で使われますが、この意味に対してほとんどの人は、まず最初に心ありなんだなと捉えると思います。ところが、禅の本を読んでいると、禅の世界では、「身体が変わらなければ心は変わらない」と説いているのです。

 

お釈迦様は何年もの間、想像を絶する苦行を続けた後に、「苦行には何の意味もない」という答えを出されたわけですが、

 

それは苦行をしたからこそ意味がないというところに行き着いたということじゃない?

 

つまり最初は、苦行こそが悟りへの近道だと信じていた心が、苦痛に耐えているうちに変化したんじゃない?

 

「修行」というものは、身体を変化させる作業であり、それにより心も変化していくことを体感するものなんじゃない?

 

と、勝手に思っちゃったわけです。こんなことを思う時点でもう病んでますよね。禅の本を読みだすのは病んでいる証拠ですからね。わかってます心配しないでください。

 

そんなわけで、当時はひたすらに辛かったので何かにすがる思いで「修行的なものを毎日やろう」と決意したのでした。

 

 

つづく