オブラートは君に溶ける -3ページ目

オブラートは君に溶ける

君のその涙で、溶けていく。

私は私で生きていく。

だから、だから、誰にどう思われたって

私は私で幸せなんだ。

けれど

君に見える私は

やっぱり「可哀想」なのかな。


私は、それがとても悲しいのです。

同情なんて、何の役にも立たない。




「一般的な幸せ」

そんなものに囲まれて生きてきたような人たちに

ときどき、そんな風な目で見られることが

急に耐えられなくなる夜があるんだ。







私の人生は

誰かにだって、貴方にだって、神様にだって

悲しんでいいなんて許した覚えはないのよ。

私だけなのよ、私を笑っていいのは。


君が、変わろうとしないかぎり。






いつもはこのブログ、一週間の中で

何か思ったこと考えたことを書きとめておいて

それをまとめて、また考察したりして

そんな感じで書いているのだけど

今週は仕事がちょっと忙しかったのと

空いた時間は、本屋の彼のことを考えていて

いざ書こうと思ったら、書き出すのに1時間以上かかってしまった。

私はここからまた1時間以上かけて書くようなやつだから

夜はまだ終わらなさそうだ。

文章を書くのは好きなんだが、何故か極端に時間がかかる。

趣味趣向と、得手不得手は別物です。

4月12日、土曜日から日曜日までの夜。

今は2時15分、梅酒とお菓子を今夜の友人に迎えて。









でも

そんな悠長なことも言ってられない幸せな現実も存在するのです。



明日、日付変わって本日

HighApps SPECIAL!! ~SPRING ROCK PARTY 2015~に行ってまいります。

なんだかもう慣れてしまったけど、一人でフェス。

ペアチケットだと割引があったのだけど

誘っても誰も良い返事をくれなかったんだもの。

お目当てはKANA-BOONとか

余裕があればユナイテッドモンモンサンとか

気になるのはたくさんある感じ。

avengers in sci-fiはお酒を飲みながら踊っていたくて。



それでもって、今回の一番のお目当ては

GOOD ON THE REEL



むかし、それこそ3年くらい前かな。

ここのブログで出会った友人がおすすめしていたバンド。

そのときに夕映って曲に惚れたのが縁。

他の友人もよかったって言ってたのとか、まだちゃんと覚えてる。

でもその時はすぐにCDを買わなかったんだよね。

それで結局買ったのは去年の秋ぐらいだった。

ライブ観るのはまだ明日が2回目。

一番好きなのは、この「それは彼女の部屋で二人」

だいぶCDも出して古い曲になっちゃってるから

明日聴けるのか、わかんないけれど。

なんだろうな

藍坊主の雨の強い日にとか

Base Ball Bearの愛してるとか

「好き好き!」よりも

自分の「好き」に確信が無いような歌が好きなんだ。

さて

それは

いつまで経っても自分の感情に自信の無い僕のせいでしょうか。















「もしも300年生きられたらどうする?」

そうだな、体の衰え具合にもよるけれ

きっと楽しいものだよ。

やりたいこと全部やれるだけの時間はありそうだ。

「そうかな。」

そういう君はどう思うんだ?

「結局、今の生き方を300年で薄めたようなことになるんだ。

時間がどれだけあったところで

生きる人間の本質は変わらない。

やらなきゃいけないことは

時間が増えたら同じだけ増えていくもんだ。」

つまんないなぁ、もっと楽しく考えようよ。

「残念ながら貴方にとっての300年は未来だけど

僕にとっての300年は過去になってしまうから。」












前回言っていた、夢の中で会った彼を救う物語。

そこそこ順調に進んでいる。

どうせ私の事だから、時間はかかるけれど。

私は、登場人物の生まれや育ちや

家族構成とか交友関係とか

その人の価値観や人生観を形成する物事を決めてから

本人らの性格に任せて話を進ませるのが好きなんだ。

それって現実と同じなんだよ。

これから何が起きて、何処に進んで

どんな終わりを迎えるのかって

誰もわからないじゃない。

先の見えてる登場人物は、その「未来」のためにしか動かない。

そんなの、つまらないって僕は思うから。

それに性格とか価値観がある程度決まっていれば

物語の中で何か起きたときに

私が頭を抱え込んで捻って捻って振り絞らなくても

勝手に彼らは喋り出して

私の知らない面白さが生まれるんだ。

だけど、そんな風に今回も進めていたら

なかなかに癖のある彼が生まれてしまって

これはこれで面白いのだけど

彼が私に言うんだ

「僕は救いなんて求めちゃいないし、望んでさえいない。」

これは困った困った。

この物語を書く大前提を否定されてしまって

あぁ、なんて面白いんだ。

救いたくて、救うために始めた物語のエンドに

救えないっていう可能性が生まれるなんて。

きっと読者より私が楽しむ物語になってしまいます。












「悲しすぎるのでハッピーエンドにしてください」

作り物ではない現実にそんな要望するなんて

私以上のお花畑もいるもんだ。

誰かの人生はあなたを喜ばせるためにあるわけではないし

ハッピーエンドはあなたの安心のために存在しているわけじゃないし。

何より、現実は「ハッピーエンド」の先もずっと続いていく。












何も考えずに書き始めてしまったことと

お酒を良いペースで空けてしまったこと。

それが好くも悪くも

いつもより少し文体を崩してしまった気がする。

ただ

少なくとも私にとっては良い休日です。


3時52分、ようやく今夜ともお別れ。

ただし音楽はこの限りではない。


ASIAN KUNG-FU GENERATIONの新曲、Easter。

好きな音楽の好きなところは言い出しちゃキリないけど

彼らのこういった攻撃的なところは

心臓を勢いよく掴まれて、首筋にキスされるようで

あぁ、なんて蠱惑的。

年を重ねた彼らは、少しずつ色気を増している気がして

だけど少年から大人になったのは

彼らなのか、自分自身なのか。

何にせよ、その他大勢の音楽に囲まれて生きていても

考える先の道が違ってしまっても

彼らの鳴らす音はいつまでも私の真ん中にいる。

過去の美しい幻影の中にも、今のつまらない私の中にも。





どうでもいいんだけど

最初のサビんとこ「運動会さ」のところ

ちょっと忙しいね









実を言うと、最初は君が嫌いだったの



「アジカンに影響を受けたバンド」ってもの、全部。

もちろんそれはただの、嫉妬。

特にKANA-BOONは、キューンレコードのオーディションで優勝して

アジカンのオープニングアクトやっちゃって

NANO-MUGENにも出ちゃって

当たり前だけどキューン所属。

それは「いつかの私」が立っていたかった場所だもの。

だけど「どうせすぐ消える」と噂されていたのに

曲名どおり、盛者必衰の理を破って

きちんと自分の椅子を作った。

「なんの面白みもない"王道"でつまらない」なんて言われて

その「王道」の強さを示した、なんて

まるで、それこそ、アジカンじゃないか。

上から目線上等、私は負けを認めたよ。

認めて、好きな音楽だって気付いた。

当たり前じゃないか

私の好きなもの詰め込んでるようなもんなんだから。

メロディラインやギターの音、そういうものから

ときどき伝わるアジカンのくせみたいなのが

どうしようもなく嬉しい瞬間ってある。

こんな風に

自分の感情と感覚が相容れないなんて

音楽はおもしろい。














セオリーセオリーってよく聞くけど意味あんまり考えたことなかったな

なんだかセロリに似てて美味しくなさそうな言葉。

セロリの浅漬けは唯一美味しいけれど

一夜漬けのセオリーはとてつもなく綻びだらけだ。

ホットケーキをパンケーキとよんでみたり

バイキングをビュッフェとよんでみたり、そういうこと。


金曜日の夜がヒマなんて、社会人として負けたような気分になる。

いや、そんなことでもないの

ただ一週間頑張った自分へのご褒美が欲しいだけでしょう

誰も褒めちゃくれない大前提で大人になったのだから。

それでも大人になってからのほうが楽しいよ、社会人は楽しいよ。

映画に誘ってくれる友人がいてくれるからね。

「博士と彼女のセオリー」を観てきました。

主演俳優の演技は、さすがアカデミー賞もの。

それと劇中の音楽が結構好きかな。

内容は、個人的には嫌いじゃない。

うまく言えないし言わないけれど

後味が喉の奥でひっかかるような

あぁ、我々の現実ってどうしていつも醜いものなの?

登場人物への嫌悪感は、廻り回って自分へのもの。

作られたハッピーエンドでもバッドエンドでもなく

本物の、これからも続いていく世界のお話。

ただの死にまつわる純愛を期待している人には

後悔するかもしれない。

だけど、どう足掻いてもそれが私たちの本物なんだから

仕方ないじゃない。

そういう意味ではとても面白い映画だったよ。


「誰かの悲しみは、貴方のためのエンターテインメントではない」









春の風は苦手だ

偽善者のように、優しく寄り添う風にして

私の、私が忘れたいものを

「それは確かに君のものだ」と

その柔らかい感触からは想像もつかないような

生々しい鋭さで、突き付けてくる。

深夜2時にカラスが鳴いて

僕の思うことは

6年前と変わってしまったけれど

あの頃を取り戻せるのだろうか。

この感覚を「痛い」と思えるのなら

僕を裏切ってきた日々を

私はきちんと背負えるのだろうか。













今朝、夢の中で会った見知らぬ男の人

彼を救いたくて物語を描こうと思います。

こんな馬鹿げた話

4年前に神様を救おうとして描いた物語を

読んでくれていた君たちなら

呆れた顔で笑ってくれるかな。






それが「恋」じゃないことに気付くまで

23年もかかってしまった。

でもなかなかに楽しい「恋」ばかりでした。









春なので、春らしく、晴れ晴れと。

金曜日の帰り道

Marmalade butcherのライブを観終えて

ちょっと遅くなった帰り道で

まるで舞台の装置のような、嘘みたいな月に出会った。

街頭に薄ら照らされた夜桜の向こう側に

嘘みたいに、大きく吊るされた三日月。

ふと思ったのだ。

「これが恋ならよかったのにな」





そうして訪れた土曜日に

夕方4時の差すオレンジのなか

まるで予定調和のような、春が来た。

晴れ晴れと、春に会いに行った。



彼らに「春」を描いてもらいながら。



久しぶりに写真を撮りながら歩いた。

それはもう久々、休みの日に自分だけの理由で外にでること自体。

一眼レフとか、欲しいと思うこともあるのだけど

デジカメでさえ使わずに仕舞い込んでる私には

きっと必要のない望みなんだろう。

それでも、美しい世界をそのまま映せることは

羨ましく思う。



若い桜の木はすでに満開だったよ。

「まるで花の中にいるみたい」

そんなロマンチックなこと、言える相手もいませんが

本当にそう思えるほど。

満開の桜のなか、笑う彼女の幻を見たよ。

それも一緒に切り取れたらよかったのになぁ。

その瞬間の現実と

それまでの感情と

これからの想いを

詰め込んでしまう写真って怖ろしく素敵。

それが私が写真を好きだけどあまり撮らない理由なのかもしれない。

自分の想いが、ばれてしまいそうで。




生まれて初めて感情を知ってしまったら

それは嬉しいや悲しいに関わらず、

心の痛さに泣いてしまうのだろな。



まるで花の国、春は絵に描いたような幸せが張り付いている。



そこらじゅうが花に溢れていて、春の香りに溢れていて



真っ白だった心に、感情を植え付けるような季節。

嬉しくも悲しくも、春は泣きそうになる。

春というのは、桜というのは

一番強かな季節で一番強かな花だと思うよ。

だからこそ私は桜が好きなんだ。

桜のように、強かで美しい生き物になりたい。









私にとっては近所の公園なんだけど

そこそこ大きい公園だから

花見に混じってコスプレイヤーの桜撮影をしてた。

人数的に、近所のひとってわけではなく

団体様が来てたんだろうな。

この3年でそこそこのアニオタに成長した私でも

わかるキャラは少なかったのだけど

「曇天に笑う」の空丸と錦がいたのは感動した。

きちんとしたイベントだったら写真とかお願いできたんだろうけど

撮影だけだろうから、遠慮してあんまり見れなかった。

彼らの映る写真にはまた違った感情が乗っかって

また違う美しさがあるんだろうな。

人生で一度くらい何かコスプレでもしてみたい気持ち。

でもたぶんこれも私には必要のない望み。










「本当はね

ベランダに咲いた花のことを、あいつにも教えたかっただけなの」



私の罪、一生拭えない罪の、出来事。

バレンタインのお返しに

私は紫陽花の花束をねだった。

「貴方なんかに紫陽花の花束は探しだせない」っていう悪意が半分

「私なんかのために貴方は紫陽花の花束なんて探さない」っていう

自分への悪意が半分。

だから期待なんて一ミリもしていなかったのよ。

それでもある日の貴方は

私に紫陽花を差し出した。

花束では無く、鉢植えの紫陽花を。

面倒臭がりの私と違って

そういうの詳しい母が手入れしてくれてるおかげで

また、今年も花を咲かせるようです。



花束だったら、枯れてしまえば

こうやって自分の罪を突き付けられることもなかったのに。

土に根っこを下ろしているその姿は

私の罪、そのものです。












洗っても洗っても洗っても洗っても

落ちない自分の罪。

誰かに綺麗にしてほしくて

でも誰にも触れて欲しくない汚れ。

そんな幻覚をみるんだ、ときどき強烈に。

叫び出したくなるような

逃げ出したくなるほどの

自分の一番汚いところ。

心、ど真ん中の奥深く。

ライブハウスの大きな音は、ひとりぼっちにしてくれるから

吐き気がするような罪の怒号から守ってくれて

泣きそうになる罪の懺悔を抱きしめてくれる。

音楽を聴いているときが、一番死にたくなるほど生きたい。





そういえば

研修期間繰り上げで

4月1日から正社員になるとのことです。

おめでとうございます自分。

だけど

ここからが本番なのです。

「まだまだ飛べるさ!」


噂の映画、噂のエンドロール。

なんだか世界の縮図のような気がした。

どんな世界も他人事なのだ、だって自分のことじゃないから。

どんな悲劇も、エンターテインメントになる場所。

対岸の火事とはよく言ったものだと感心する。

それが悲しいことなのか

それともそう思えるほどの平和が

幸せなことなのかはわからないけれど


私が生きているのはそんな世界なんだ。





アメリカ映画らしい、と思いつつ

人間らしい映画だと、思いながら。


アメリカンスナイパーを観てきました。

これから観る予定の方は、次のBGMまで読まないで。







人殺しも、戦争では英雄で

凄腕のスナイパーは、伝説になる。

「後悔はしてない、後悔なんてするわけがない」

それでも、殺したくはなかった。

そう言いたいように見えて、それはただの願望かもしれない。

誰かを守ることや、誰かにとっての正義は

誰かを傷付けて、誰かにとっての悪になる。

それは、自分の大切なひとかもしれない。

でも、だからって身動き一つ取らない選択肢は許されない。

テロリストの、虐殺は、許せないものだし

とても悲しいものだった。

それでも、ほんの一瞬だけ

彼らの家族が映ったことは、何だかアメリカらしくなく

悲しいほどの現実だった。

どうして悲しいことには、悲しいことでしか、向かっていけないのだろう。

全てを守ることができないこの世界は

残酷すぎる。

何もかも救えないほうが、いっそ救いになる気がしてしまうほどに。


最期を映さなかったのは、きっと伝説への敬意なんだと解釈している。

誰かが言っていた

「最後なんてどうでもいいのよ、中身が最高だったらね」


流れていくエンドロールは

戦争での犠牲者へ捧げる、追悼の時間をくれた気がした。

敵も味方も、生きている人に対しても。

そして訴えているようにも。

「考えて考えて、祈って、考えて考えて」

この映画を忘れないで、この戦争を忘れないで、この世界をちゃんと見てって。

そして、エンドロールが流れきるまでに席を立ってしまった人もいた現実。

わかる、きっとあれは耐え難い。

だけど、悲しい。

君らはこのあと何か思うのだろうか

恋人と夕飯を食べながら、お酒を飲んで

映画の感想をそれとらしく話して、キスをして、眠るのだろう。

明日には、「話題の映画を観た」という現実と

それとらしい感想を、世間話の合間で友人に語ってみせて

いつか、忘れるのだろう。

私のように。

あぁ、正直に言うさ

私だってきっと忘れる、どうせ忘れる。

だって、そういう世界に生きているのだから。

ただ「忘れたくない」と強く願うだけ。

ケチャップをスーツに付けて

ジュースをカバンに零し

カップルに挟まれて一人で観た映画だったけれど

私が一番悲しいのは天気予報が外れて、雨が降っていなかったこと。

こんな夜には、アジカンを聴いて家に帰る。

ワールドワールドワールド、もう家に帰るよ。

「もう誰も泣かないでくれ」





テレビ放映では、エンドロールは切られるんだろうな。













「大好きって嘘吐いた、本当はまだまだまだなのに」

「大嫌いって嘘吐いた、本当はまだまだまだなのに」






ずっと、右手の薬指に指輪を嵌めたままだ。

これは誰かに対する未練だとか

そういうんじゃない。

ただのお守りなんだ。

ひとりで生きていくには、ちょっと私は臆病すぎるから。

それでも、誰かと生きる元気はもうないから。

自分のために泣くのは、もううんざりだから。



今まで好きになったひとに愛を感謝を。

未だに、嫌いになれやしない。










今日はよく喋る。

とても悲しいことがあって

氷結ストロングのロング缶を飲みながら

吐き出すように、此処に書いているから。

プライドが高いから

こんな時でさえ、誰も頼れない。









何でもない話をしよう。






友達が好きな、韓流アイドル。

最初はそんな印象だったのだけど

曲が結構好きなのと

ゴンチャンって人が究極に可愛らしくて。

こういうライブ映像を観てて思うのは

ジャニーズと違って

ファンの統率がとれているなぁ、と。

余計な所で歓声を上げないのは極めて優秀。

コンサート行ってみたいけど、チケット代高いんだよなぁ。

アイドルってそういうもんなんだろうけど。

三次元のイケメンは、見ているだけで幸せになる。








あぁ

本当は

今回は明るい話がしたかったんだ。





タイミングが良くない良くない良くない。

それでも思うの

悲しきことは幸せだ、って。

私にとって刺さる私の言葉は

悲しいことからばかり生まれるから

悲しいことは、私にとっての幸福なんだ。

今の私には、言葉を連ねるしか能が無い。

友人のように

絵を描いたり

音楽を作ったり

綺麗な写真が撮れるわけじゃない。

言葉を、歌うしかない。

たとえそれが誰かの借り物の言葉でも。

言葉でさえ、誰かに借りなきゃ使えないけれど。

裏切って

逃げ出した私には

これしかないんだ、これだけは奪わせない。











「誰かの感情が雪崩れ込んでくる」

新宿を進むデモを見て、思った。

賛成だとか反対だとか

そういう意識が生まれる前に、泣いてしまいそうになる。

私は人の感情を受けやすいのかもしれない。

映画を観に行っては、予告CMで泣きそうになるような奴なのだ。

誰かの想いは、毒にも薬にもなる。

私の感情は、あの人に雪崩れ込めただろうか。

私の感情は、あの子の薬になれたのだろうか。

私の感情は、貴方の毒でいられたのだろうか。

君は、私を忘れないでいてくれるのだろうか。







神様でさえ救いたいと思ってしまう自分を

救ってくれるひとは

私のそばにはいてくれないのだ。














春先の夜

少しだけ暖かい風に吹かれながら、君と観た桜を思い出す。

少しだけ暖かい風が吹いた

それだけであの日の感情が溢れるように、切なかった。

未だに。

未だに、

未だに、私は貴方が心配です。