初めて知った感情の名前を、「恋」と呼んでみたかっただけなのだ | オブラートは君に溶ける

オブラートは君に溶ける

君のその涙で、溶けていく。







それが「恋」じゃないことに気付くまで

23年もかかってしまった。

でもなかなかに楽しい「恋」ばかりでした。









春なので、春らしく、晴れ晴れと。

金曜日の帰り道

Marmalade butcherのライブを観終えて

ちょっと遅くなった帰り道で

まるで舞台の装置のような、嘘みたいな月に出会った。

街頭に薄ら照らされた夜桜の向こう側に

嘘みたいに、大きく吊るされた三日月。

ふと思ったのだ。

「これが恋ならよかったのにな」





そうして訪れた土曜日に

夕方4時の差すオレンジのなか

まるで予定調和のような、春が来た。

晴れ晴れと、春に会いに行った。



彼らに「春」を描いてもらいながら。



久しぶりに写真を撮りながら歩いた。

それはもう久々、休みの日に自分だけの理由で外にでること自体。

一眼レフとか、欲しいと思うこともあるのだけど

デジカメでさえ使わずに仕舞い込んでる私には

きっと必要のない望みなんだろう。

それでも、美しい世界をそのまま映せることは

羨ましく思う。



若い桜の木はすでに満開だったよ。

「まるで花の中にいるみたい」

そんなロマンチックなこと、言える相手もいませんが

本当にそう思えるほど。

満開の桜のなか、笑う彼女の幻を見たよ。

それも一緒に切り取れたらよかったのになぁ。

その瞬間の現実と

それまでの感情と

これからの想いを

詰め込んでしまう写真って怖ろしく素敵。

それが私が写真を好きだけどあまり撮らない理由なのかもしれない。

自分の想いが、ばれてしまいそうで。




生まれて初めて感情を知ってしまったら

それは嬉しいや悲しいに関わらず、

心の痛さに泣いてしまうのだろな。



まるで花の国、春は絵に描いたような幸せが張り付いている。



そこらじゅうが花に溢れていて、春の香りに溢れていて



真っ白だった心に、感情を植え付けるような季節。

嬉しくも悲しくも、春は泣きそうになる。

春というのは、桜というのは

一番強かな季節で一番強かな花だと思うよ。

だからこそ私は桜が好きなんだ。

桜のように、強かで美しい生き物になりたい。









私にとっては近所の公園なんだけど

そこそこ大きい公園だから

花見に混じってコスプレイヤーの桜撮影をしてた。

人数的に、近所のひとってわけではなく

団体様が来てたんだろうな。

この3年でそこそこのアニオタに成長した私でも

わかるキャラは少なかったのだけど

「曇天に笑う」の空丸と錦がいたのは感動した。

きちんとしたイベントだったら写真とかお願いできたんだろうけど

撮影だけだろうから、遠慮してあんまり見れなかった。

彼らの映る写真にはまた違った感情が乗っかって

また違う美しさがあるんだろうな。

人生で一度くらい何かコスプレでもしてみたい気持ち。

でもたぶんこれも私には必要のない望み。










「本当はね

ベランダに咲いた花のことを、あいつにも教えたかっただけなの」



私の罪、一生拭えない罪の、出来事。

バレンタインのお返しに

私は紫陽花の花束をねだった。

「貴方なんかに紫陽花の花束は探しだせない」っていう悪意が半分

「私なんかのために貴方は紫陽花の花束なんて探さない」っていう

自分への悪意が半分。

だから期待なんて一ミリもしていなかったのよ。

それでもある日の貴方は

私に紫陽花を差し出した。

花束では無く、鉢植えの紫陽花を。

面倒臭がりの私と違って

そういうの詳しい母が手入れしてくれてるおかげで

また、今年も花を咲かせるようです。



花束だったら、枯れてしまえば

こうやって自分の罪を突き付けられることもなかったのに。

土に根っこを下ろしているその姿は

私の罪、そのものです。












洗っても洗っても洗っても洗っても

落ちない自分の罪。

誰かに綺麗にしてほしくて

でも誰にも触れて欲しくない汚れ。

そんな幻覚をみるんだ、ときどき強烈に。

叫び出したくなるような

逃げ出したくなるほどの

自分の一番汚いところ。

心、ど真ん中の奥深く。

ライブハウスの大きな音は、ひとりぼっちにしてくれるから

吐き気がするような罪の怒号から守ってくれて

泣きそうになる罪の懺悔を抱きしめてくれる。

音楽を聴いているときが、一番死にたくなるほど生きたい。





そういえば

研修期間繰り上げで

4月1日から正社員になるとのことです。

おめでとうございます自分。

だけど

ここからが本番なのです。

「まだまだ飛べるさ!」