最近ほとんどブログを書いてません。

 

ですが

 

書くことをやめたわけではなく

 

NOTEに書くことが多くなり

 

こちらが手薄になったというのが事実

 

このブログも

 

レイキとキネシオロジーについて書くことが多いのですが

 

それだけでなく

 

日々の思いや

 

趣味で書いてる小説をそちたにアップしているので

 

どうしても

 

そちらの方に時間を使うようになります

 

久しぶりのこちらへの投稿は

 

お知らせをしたいと思います

 

5月から6月にかけて日本に帰国をするのですが

 

広島に今回予定があって行きます

 

お話会の場所を設けてくださってるので

 

そのご案内をします

 

 

詳しくは

 

 

 

こちらにお申し込み先など表示しています。

 

死生観は人それぞれですが

 

現場で数々のなくなる場面に立ち合い

 

オーストラリアという場所で見た死生観など

 

現場で見てきたからこそのお話をしたいと思います

 

介護のお仕事をしてる人には特に興味あるかと思います

 

少人数での開催なので

 

質問も受け付けます

 

ぜひこの機会に

 

この場でお会いできると嬉しいです

 

 

いや〜

 

ブログの更新が数ヶ月止まってました。

 

自分の中では書いてない気がしなかった。

というのも

 

NOTEに結構アップしてるんですね。

 

なので書いてる間は本人にはあるわけで。

 

なんでブログでなくNOTEかってことですが。

 

読む人ありきではあるんですが

 

ブログだと

 

より読む人を意識するというか

 

私はここで書いてるのは

 

やっぱりレイキやキネシオロジーに関することが多く

 

個人的な思いを書くのは

 

NOTEの方が合ってるのかな?と。

 

もっと範囲を狭められる感じですかね?

 

推しの話とか結構書いてますし。笑

 

なので、

 

ここ数ヶ月の思いは

 

NOTEを見てもらえたらと思います。

 

(丸投げかい!)

 

 

 

 

とはいえ

 

ブログとしてここでも書いていこうと思ったのは

 

今までの流れがあるからこその

 

ここで書きたいことがあるからです。

 

 

というのも

 

かなり気持ちの部分で変化があったというか。

 

 

 

自分にもっとフォーカスすることができるようになったというか。

 

今までの自分の思考パターンに

 

もっと気づくことができてきて

 

ああだからか!と

 

腑に落ちることが多くなったからです。

 

ということは

 

この自分のパターンを変えたら

 

自分の生き方も変わるってことで。

 

落ちた人が

 

そこから劇的に変わっていくとかは

 

そのパターンが変わったからだと思うのです。

 

ふと

なんでこうなってるんだ?的な。

 

あとは覚悟ができたりとか

 

変わるきっかけとかあるとは思うんですが

 

そこから

 

生き方が変わるって人はたくさんあると思います。

 

同じ出来事が起こったとしても

受け止め方次第で

 

それぞれ違うと思います。

 

自分が何のためにここにいるのか

 

それが見えてきたら

 

変わっていくのではないかと思います。

 

私自身も

 

全部見えてるわけではありません。

 

ただ

 

見ることができるとわかったからです。

 

出来事をどう見るのか

 

それによって

 

その出来事が

 

自分にとってどういう意味があるとか

 

そう思えたら

 

その後が変わっていくということです。

 

それは

 

ある意味

 

導かれていると言った方がいいかもしれません。

 

これは

 

外に目を向けることと

 

自分の中に目を向けることと

 

バランスが取れないといけないかもしれません。

 

私は今まで

 

妄想のお花畑の中に住んでたので

 

現実が全く見えてませんでした。

 

この話が見えたのは

 

 

 

 

論理的に考えるってことが

 

私にはなかなかできないのです。

 

つい感情に走りがち。

 

というか

 

結構感情で動く

 

直感で動くのだけど

 

そこに論理がついてこない

 

努力もしないし

 

お花畑で蝶々を追いかけている自分だったなと

 

まあ

 

いいんですよ

 

蝶々追いかけるのも楽しいし 笑

 

ただ

 

もっと楽しくなるには

 

蝶々を見つけることをしないといけない

 

もしくは

 

もっとたくさんの蝶々を探す

 

違う種類の蝶々を探す

 

ただ現れる蝶々を見て楽しむだけでなく

 

自分から探しにいく

 

そういうことも必要だなということ

 

そこに論理的な思考が必要なこと

 

私の場合

 

思考を使うと

 

違う思考が働いて

 

違う方向に行くので

 

直感にもっと頼ってたと思います

 

その直感も怪しいと思って

 

思考に走ったら

 

違ったということを繰り返してきて

 

直感で見えたものを信じるようになったら

 

そこにたくさんの

 

メッセージが見えてきたってことです。

 

先日

 

友人のインタビューを受けて

 

改めて

 

本当に自分がしたいことさえ見えてなかった

 

というか

 

本当にやりたいことはなんなのか

 

それさえわからないままだったと

 

気がついたんです

 

それをやりたいという気持ちがあったら

 

人はやることができると思うんです

 

だから

 

私は

 

いろんなことに手を出して

 

あれでもこれでもないと

 

模索をいっぱいしてきた感じです

 

その中で

 

自分の感情が動くこともいっぱいあったけど

 

本当にやりたいことって

 

実はないのかも?

 

そんなことも思います。

 

今はそれでもいいと思えるようになったので

 

外に答えを探すのではなく

 

自分の中に答えを求めるような感覚

 

それを出していけばいいのかな?

 

そんなところに今なっています。

 

この感覚さえも

 

また変わるかもしれません。

 

それもいいというか

 

これじゃないとダメという気持ちが

 

だいぶ緩くなったというか。笑

 

若い時には

 

がむしゃらに突っ走れたけど

 

今は

 

ああそっちに行ってるのかな?ぐらいな 笑

 

それでもいいんじゃないかと思っています。

 

というのも

 

行き先がなんとなく見えてきたからです。

 

今の若い人たちは

 

これが見えてる人と

 

見えてない人と

 

すごく別れる気がするんですよね。

 

見えた人はまっすぐいけるけど

 

見えない人は

 

ぐるぐるしちゃう。

 

私もぐるぐるしてるから

 

どっちかというと

 

そっちの気持ちの方がわかる。笑

 

それも行き先が見える一つの道でもあるんですよね。

 

それも

 

やっぱり

 

私にとっては

 

レイキと

 

キネシオロジーが作ってくれた道だなと思ってます。

 

人の目ばかり気にして生きてきたけど

 

自分に目を向けることが大事

 

それをやってきたら

 

点と点が繋がってきた感じなんです。

 

別に

 

私が

 

悟りのようなものに至ったかなんて

 

そんなことはありません。

 

ただ

 

見えてきただけ。

 

それだけです。

 

私は

 

それをずっとやりたかったというか

 

そのために

 

今の自分を選んでる気がするだけで

 

まあ、

 

こういうことが

 

最近私に起こったことです。

 

自分がわかったら

 

人のことも受け入れられるようになるし

 

そういう世界にいるんだってこと

 

私は言語化が苦手なので

 

(論理的でない人、数学できない人)

 

感覚で伝える人だとわかってるので 笑

 

この感覚をシェアできる機会を作っていきたいなと思います。

 

5月には日本に一時帰国するのですが

 

そこで

 

体感をシェアできるように

 

イベント考えていますので。

 

その時には

 

この体感をシェアできるように

 

出会える人がいるといいなと思っています。

 

 

 

 

 

 

こんにちは。

 

葬送のフリーレンのアニメが一旦お休みに入ってます。

 

シーズン1と言っていいのかな?

 

アニメでしかみてないので、私の中ではアニメの最終話までの理解です。

 

そこまでのお話の中では

 

たくさん死生観について考えさせられることがあります。

 

始まりから、サブ主人公であるヒンメルがなくなるところから始まるという

 

ある意味

 

ちょっとショッキングな感じで

 

始まるというところもあります

 

ヒンメルたちと過ごした時間を思い出しながら新たな旅をするという

 

そういう話ですが

 

四人で旅をした思い出を思い返しながら

 

旅が進んでいくのですが

 

所々ででてくる

 

ヒンメルの言動が

 

かっこいい

 

各回で色々な考察をした内容は

 

NOTEに書きました

 

私の死生観を

 

まとめてくれるような

 

そんな内容の話だったので

 

回ごとに違う内容ではありますが

 

よかったら読んでみてください。

 

 

 

死生観から

 

今度は

 

今の自分をどう生きるかになってくると思います

 

死を意識するということは

 

生き方を意識するということになります

 

 

最後の時をどう迎えたいのか?

 

私は看護師だったこともあり

 

なくなる瞬間に立ち会ってきました

 

そのことも私の死生観に影響はしてると思います

 

まだまだNOTEに書ききれてないこともありますが

 

フリーレンをベースに書いてるので

 

葬送のフリーレンをみてない方には

 

ちょっとわかりにくいかもしれませんが

 

ただ

 

ちょっとでも死を意識してもらい

 

これからの自分について考えてもらえたらと思います

 

私は還暦ちょっとすぎなので

 

だんだん死が近づいてきてるのも意識しますが

 

人間

 

いつ死ぬかはわかりません

 

 

明日いなくなる可能性もあるのです

 

その時に

 

自分がどう受け止めるのか?

 

この世に後悔は残したくないですよね

 

だったら

 

後悔のない生き方をするしかないと思うのです

 

私の書いたNOTEが

 

 

そんな気づきになると嬉しいなと思います

 

 

 

こんにちは。

 

最近言葉について考えることが多く、

 

特に日本語についてなんですが。

 

カタカムナのことも少し聞いたこともあるので

 

その辺りから

 

日本語って不思議な言語だと思うようになったんですよね

 

なんで日本語が母音で

 

文法も他の言語と違うのかと思っていました

 

私は

 

英語が全く話せないまま

 

オーストラリアに住むことになったので

 

一から英語を30手前で学ぶことになったんですよね

 

そこからもう30年近く経つんですが

 

いまだにちゃんとは喋れてません

 

とはいえ

 

今私は英語圏に住んでるので

 

英語を話すことになります

 

そこで日本語との違いを考えるようになって

 

言語は思考に関係し

 

思考が行動に影響するということを思うようになりました

 

英語だと

 

私という人称が出てきます

 

自分の意見を言うということが大事な国です

 

私の場合

 

周りの空気を読んじゃうので

 

つい自分の意見を出さず

 

周りに流されがち

 

なので

 

自分の意見を言うところからやらないといけないのが

 

結構英語を話す上で苦手だったりしたんです

 

まあ、

 

今でも苦手なところはありますが。笑

 

そこで、

 

ドンピシャなまとめをNAOKIMANがアップしてくれてました

 

 

 

 

彼はアメリカ育ちですが

 

日本語も普通に話しますよね

 

いわゆるバイリンガルで

 

その違いについては詳しいというか

 

感覚でその違いを感じていると思います

 

日本人には他人と区別しないこの感覚があるからこそ

 

神道がベースにあり

 

(もしくは神道があるのはこう言う生き方をしてきた民族だからかと)

 

そこに言語があり

 

仏教も日本的に理解されてきたのではないかと思います

 

なので

 

今回の考察動画が

 

私の頭の中を整理してくれました

 

風呂敷の説明もわかりやすくて

 

さすがだな〜と思いました。

 

彼のうまさは

 

こうしてわかりやすく噛み砕くこと。

 

そう

 

日本で食べるフレンチやイタリアンはまた違った美味しさのようです

 

それはその技術を取り入れて

 

日本ふうに美味しく改革されたからそうなるんだと思います

 

そういう知恵を持った民族なんだと思うんですよね

 

あと

 

仕事を始めた時に仕込まれたのは

 

後からしごとを引き継がれる人のことを考えて仕事をしなさい

 

そう直接言われたわけではありませんが

 

そういうふうにすることを

 

身につけるような指導をされたように思います

 

まずは片付けはきちんとすること

 

後から使う人がいつでも使える状態にしておくこと

 

まあ

 

仕事がナースだったので

 

緊急に使わないといけないものが多かったのもありますが

 

でもこれって

 

結構日常でもそうしてきたように思うんですよね

 

そこが

 

海外で仕事すると

 

片付けできてないことって結構あるんですよ

 

使った食器が置きっぱなしってよく目にする 笑

 

そういう文化のないところもあるかもですが

 

片付けをする決まった人がいる国から来た人もいるので

 

(お手伝いさんがいる家で育った人も中にはいますからね)

 

日本語は人と自分の境がない言語だと

 

動画の中で言われてます

 

今回は音そのものについては話していませんが

 

私の中では

 

日本語の音そのものにも意味があると思うんですよね

 

そして

 

使う言葉が

 

空間を作るというのも

 

今ならわかります

 

悪い言葉を発する人の周りには

 

そういう思いをした人が集まるように思うし

 

なんなら

 

そういう人のところには行きたくないと思いますよね

 

言葉そのものに

 

その人の思いが入ってしまうということ

 

もちろんこれは日本語だけに限ったことではなく

 

こちらでも

 

言ってはいけない言葉を発する人は

 

避けられてしまうのは同じですけど

 

なので

 

自分の使う言葉には

 

氣を使った方がいいです

 

いい氣を入れて行きましょう

 

そのほうが

 

自分の周りにも

 

いい氣を持った人が

 

集まってきますから

 

 

自分にも言い聞かせてます 笑

 

周りに素敵な人がいたら

 

その人の使う言葉も聞いてみるといいですよね

 

私が海外にいるのも

 

きっと

 

この違いに気づくことだったのかな?

 

そんなことも思います

 

もちろん日本にいても英語は学べます

 

文化として感覚で学ぶのは

 

やっぱり現地にいた方がわかるのですが

 

英語を学ぶのであれば

 

そういう感覚を知った上で学ぶと

 

もっと英語を身近に感じられるのではないかと思います

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は。

 

朝晩涼しくなりました、ゴールドコーストのレイキマスター

 

心の声を引き出すインナーボイスサポート

 

AKIKOです。

 

タイトルの話にいきなり入りますと

 

私は離婚歴があります。

 

もう20年近く前ですが。笑

 

それでもその時のことをやや引きずっている感が歪めず

 

そのことと向き合うのに

 

かなーり時間がかかりました。

 

その時のことを思い返してみて

 

自分のことが少しづづわかってきたところもあります。

 

あの時のことを後悔しているわけではありません。

 

もちろん

 

離婚せずにいられたら一番よかったのですが

 

そうせざるを得ない状況になってしまったので

 

離婚したことは後悔してません。

 

そのおかげで

 

私はたくさんのことを学んだので。

 

これも私の選択。

 

今になればこそ

 

思い返して

 

こうしたかったんだ〜と

 

そういう思いがあの頃あったんだな〜と

 

振り返ることができてるんです

 

あの頃自分が望んでたことは

 

一緒に子育てしたかったな〜って

 

相手と一緒にやりたかったんだって

 

そうわかったんです

 

日々の子供の成長を

 

ああだこうだって話したかった

 

こんなことがあったんだってとか

 

こういうことどう思う?とか

 

普通の会話だと思うんですが

 

それさえもできなかった

 

自分のことで精一杯で

 

子供に時間かけてあげられなくて

 

一緒に何かやった記憶もなく

 

自分一人がしんどかった思いしか残ってなくて

 

もっと子供のせいちょう見るのを楽しみたかったというか

 

今はもうおじさんになった息子たちが

 

子供の頃に構ってあげれてなくて

 

そのことで悩んでる姿を見たら

 

あの時に

 

もっと自分に正直にいられたら

 

変わったのかなあ?とか。

 

だからと言って後悔ではないんですけどね。

 

私がしたかったことは

 

誰rかと一緒に何かをすること

 

誰かと何かを一緒に知ることが

 

楽しいんだって気がついてなかったんですね

 

私は兄弟の歳が離れてるので

 

ほぼ一人っ子状態で育ちました

 

田舎で育ったので

 

友達も多いわけでもなく

 

家で一人で過ごすことが多くて

 

誰かと一緒に過ごすことが少なかったんです

 

15歳から一人暮らしだったし。

 

だから

 

看護学校で一緒に学ぶ仲間ができた時が

 

最高に楽しかった

 

看護婦になるという同じ目的を持った仲間と

 

一緒に学んで

 

悩みを話して

 

看護婦になるという目的を一緒に果たして

 

それが楽しかったから

 

彼と出会った時に

 

それができる相手だと思ったんですけどね

 

彼とも子育てを一緒にできたらいいなと思っていたけれど

 

いろいろな事情があり

 

ほぼワンオペ状態に陥り

 

結婚していても

 

一人な感覚が

 

寂しさを増幅していって

 

崩壊してしまいました

 

私が望んでいたのは

 

彼に子供のことを一緒に話せる相手になって欲しかったんだと

数年経った後に気がつきました 笑

 

その時は必死だから

 

自分の気持ちに気がつかないんですよね

 

奥底にある

 

自分の思いさえ

 

見えなくなってしまう

 

その時の自分の表面的な思いに流されて

 

奥底の声に耳を傾けられない

 

私自身も

 

一人の時間が長かったから

 

うまく一緒にやることができなかったとは思うので

 

私の方もうまくできてなかったとは思います

 

こういうことは

 

意外と当人同士は気がつかないもので 笑

 

もっと自分のことを知っておくべきだったな〜って

 

それというのも

 

本当に自分の気持ちを隠して生きてきたから

 

わからない状態を自分で作ってたんですよね

 

人の顔色を伺って生きてきたところがあったので

 

本当に

 

自分がどう思っているのか

 

それをみないふりをして

 

生きてきたから

 

だから

 

今の自分を見て

 

ああ

 

私はこういう気持ちなんだなとか

 

ちょっと

 

客観的に見ることができたら

 

すごく楽になれました

 

以前の自分は

 

こんなこと思っちゃいけないとか

 

自分を否定ばかりしてて

 

こんな自分が嫌だって

 

逃げてばかりでした

 

自分の好きなことさえも

 

我慢して

 

そうじゃない自分を作ってました

 

よく病気にならなかったな〜と  笑

 

心の不調は

 

体に出ますから

 

本当に

 

病は気からって

 

当たってるな〜と思うんです

 

病気というほどではないのですが

 

私も体の不具合はあります

 

体に出るんだということに気がついてから

 

その不具合がわかり

 

その原因もわかり

 

体と心が繋がっていることを

 

体感で感じたんです

 

その不具合はまだあります

 

気がついたら消える症状は多いのですが

 

私の場合

 

ここに残すことで

 

気がつくように体がしてくれてるのだと思います

 

なくなっちゃったら

 

忘れちゃうんですよね

 

だから

 

忘れないようになってるのかな?と

 

私の場合は

 

言葉で出すということができてないんです

 

頭の出てきたことを言葉にすぐできる人もいますが

 

私は頭の中で一回言葉をいって

 

変換して発します 笑

 

言葉の重さも知ってるので

 

その発するエネルギーを

 

陰のエネルギーで出さないように気をつけてます

 

もちろん

 

心の中では

 

ばーか!!!みたいな子はあります 笑

 

まあ

 

離婚した時のことを思い出すと

 

今はやっと

 

ばーか!!!と言えるようになりました 笑

 

そう言えるようになるのに時間はかかりましたが

 

言えるようになっただけ

 

ラッキーです

 

それを言えない人たちが

 

たくさんいるのも知ってます

 

私もずっとそうでしたから

 

だけど

 

いつか

 

ばーか!!!って言えることを

 

知ってもらいたいな〜と思います

 

その時に

 

どんなきもちだったのか

 

心の奥底の気持ちを出せたら

 

そう言えるんです

 

だから

 

ばーか!!!って言える人が

 

もっともっと増えてほしい

 

これは

 

私の場合で今離婚の話をしてますが

 

私はいじめにもあったことがあります

 

それも

 

ばーか!!!って  笑

 

今はそう言えます

 

その時の自分と向き合えたから

 

時間はかかりましたが

 

そう言えるようになったのは

 

キネシオロジーのおかげだと言えます

 

レイキももちろんそうです

 

この二つと出会ったこと

 

 

そして

 

もう一つは

 

武学を通して

 

そのことをもっと深く理解できたこと

 

この3つが

 

今の私を作ってくれました

 

確かに

 

辛い時には

 

何もやりたくありません

 

何もできない自分が嫌で嫌で仕方ありません

 

 

ただ不思議なことに

 

絶対自分はここから這い上がれるという

 

変な自信がったのも事実です

 

その自信があったからこそ

 

落ちることもできたんだとは思います

 

自分を信じてた

 

そういうことだったかもしれません

 

これは

 

みんな持ってるものだと思います

 

レイキもみんな繋がれるものなんですが

 

人間であれば

 

みんなそうだと思うんです

 

気づけばいいだけなんですけどね

 

私は

 

世間一般で言われる成功した人とは違います

 

普通にお仕事して

 

毎日普通に生活している人間なので

 

偉そうにいってるな〜と思われるかもしれませんが

 

そういうことなんです

 

そういうメッセージが

 

私の周りには今いっぱいあるんですよね

 

先日見た

 

PERFECT DAYS という映画も

 

こういうことを言ってるんだと思います

 

知識として理解するのと

 

腑に落とし込むのとでは

 

かなりの差があります

 

最初はなんだ〜って感じで始まると思うのですが

 

これがどんどん

 

なるほどっていう感じになっていくんですよね

 

この世界観を

 

伝えることは

 

フツーに暮らしてる私でもできるんだと思います 笑

 

その初回を

 

5月10日に行いたいと思います

 

脳の書き換えワーク

 

誘導によって過去の出来事を書き換えていきます

 

詳細を知りたい方は

 

DMいただければと思います

 

イベント案内として

 

また後日ご案内させていただきます