こんにちは!
自分だけの「好き」×「才能」で
あなたの貢献はもっと広がる!
使命発掘ライフコーチの松野麻由子です。
ご訪問ありがとうございます✨
「人生開拓ストーリー」と題して、
振れ幅が大きい人生を、
どのように開拓していったのか、
について書き記して参ります。
自分の「好き」に従って生きて来たからこそ、
開拓されていった人生です。
今回は第5回目。
10歳の時に突然母がいなくなったことで、
我家のバランスは崩れました。
大好きだった優しいお父さんがいなくなり、
離婚のショック、家事、仕事のストレスで
毎日ピリピリしていました。
父のストレスは、要領の悪かった弟に向かい、
毎日怒声が飛び交います。
要領の良い私は、次第に父も弟も避けるように
なり、どんどん孤独になっていきました。
↓過去のストーリーはコチラ
第1回目:「3歳。初めての冒険!(おつかいじゃないよ!)」
第2回目:「5歳。自分の中の悪を知る」
第3回目:「8歳。大嫌いなヤツと大嫌いな自分」
第4回目:「10歳。母の突然の失踪事件と10歳の決意。」
子どもの世界では、
多かれ少なかれ、
友達同士のいざこざがあります。
子育てをしている今、
それはとても健全なことだし、
そこから色んなことを学んでいくものだと
感じています。
でもそれが、
「いじめ」と呼ばれるものまでに
発展していくまでには、
子ども自身が知らない間に受けている
過度なストレスや、
子どもを取り巻く環境が
大いに影響してきます。
12歳にして初めて、
はっきりと「いじめ」だと感じるものに
加担しました。
しかも、
当時かなり仲が良かった子を、
仲間外れにする、目の前で悪口を言う、
ということをした記憶を思い起こすと、
今でも心がチクチク痛みます。
そのいじめの結果として、
いじめを受けた子のお父さんが、
我が家に乗り込んできました。
私の父が呼び出され、
外に止めてある車の中で、
長いこと、相手のお父さんと話をした後、
家に戻ってきました。
開口一番父に聞かれたことは、
「なんでそんなことをしたのか?」
という質問でしたが、
私には答えられませんでした。
本当にわからなかったからです。
主犯格の子に逆らえなかった、
というのももちろんあったと思いますが、
でも確かに自分の中にも、
いじめてやろう、という気持ちがあったことは
覚えています。
しっかりものの良い子、
のはずの娘がいじめの加害者になったので、
父は頭を抱えてうつむいていました。
きっと、
離婚をした自分のせいではないか、
と自分をすごく責めたのではないかと思います。
今振り返れば、
突然変わった環境へのストレスが
影響していたのだと分かりますが、
当時の自分には、
そもそも悲しいのか、寂しいのか、
嫌な気持ちなのはなぜなのか、
自分の感情を言葉にする術を
持っていませんでした。
両親からも、学校でも、
「どんな気持ちなのか?」
と問われる場面は本当に少なかったと思います。
そして、悲しい、寂しい気持ちを
表に出すことがはばかられる環境だったことで、
そう感じること自体を麻痺させていくことが
生きていく術だったのだとも思います。
今娘を育てていて改めて思うことは、
何をしてあげるかよりも、
今何を感じているかに気づいてあげることのほうが
よっぽど重要だな、ということです。
この事件以降、
ますます自分の感情に蓋をするようになり、
今度は自分自身が何度もいじめに会う
辛い中学時代に突入していきます。
今日は何だかとっても暗いお話ですが、
光と闇はいつだってセットです^^
本日も最後までお読みいただき
ありがとうございました✨
