会津を調べていたら、(前記事:『いまさら八重の桜』)
田原藤太(藤原秀郷)に繋がりました。
歴史やロマンを辿っていると
こういうことがあるので楽しくなる
田原藤太の家系は織田信長の娘婿・蒲生氏郷に繋がり、
豊臣秀吉の天下になった時に氏郷は会津の地を任されている(1590年)
黒川城を蒲生群流の縄張りによる城へと改築した。7層楼の天守を有するこの城は、氏郷の幼名にちなみ、蒲生家の舞鶴の家紋にちなんで
鶴ヶ城と名付けられた。
築城と同時に城下町の開発も実施し、町の名を黒川から「
若松」へと改めた。「若松」の名は、出身地の近江日野城(中野城)に近い馬見岡綿向神社(現在の滋賀県蒲生郡日野町村井にある神社、蒲生氏の氏神)の参道周辺にあった「若松の森」に由来し、同じく領土であった松坂の「松」という一文字もこの松に由来すると言われている。 ー(
Wikipedia)
後継問題などで上杉家や加藤家に当主が移り変わったのちに
1643年、保科正之が藩主となり幕末まで続く会津藩が出来上がる。
この時に徳川家光から受けた恩義によって「会津家訓十五箇条」が定められ、
この家訓によって幕末会津は悲劇へと向かうことになるのですね・・・。
会津のはじまりの遠い先に、田原藤太がいた。
とはいえ、田原藤太と蒲生氏郷の家系の繋がりは
後付けなのではないかと疑わしいものらしい。
ただ、どちらも滋賀の蒲生という土地に関わっていたのは確かなこと。
藤ヶ崎龍神の石碑にも「蒲生」
「龍王ト龍神ナトハ夫婦ニテ 名高キ藤太家名藤原 (江州蒲生郡牧村藤ケ崎神社ノ龍神略縁起)」

原始的な製鉄「倭鍛冶」とスズ
真弓常忠さんの『古代の鉄と神々』を片手に鉄の話
田原藤太の百足退治伝説のある三上山の東にある日野町
そこに「鋳物師(いもじ)」という土地があり、
近江国蒲生郡の式内社菅田神社に比定される竹田神社がある。
蒲生 = 蒲の生えている土地
菅田 = 菅の生い茂る田
蒲や菅をはじめ、
沼沢、湖沼、浅海、湿原に生える植物のある土地は
原始的な製鉄が行われていた場所なのではないか、と書かれている。
水辺の植物の根を地下水に溶解した鉄分が包み、固い外殻ができ、
内部は脱水・収縮して外殻から分離する。
振ると音が鳴る、自然のスズが出来上がる。
スズ→鳴石・鳴岩・壺石・鈴石
愛知県の高師原で見つかったことから高師小僧とも名付けられている
スズ=錫鉄鉱、丹=赤鉄鉱を原料とし、
自然通風に依存するタタラ製鉄が
弥生時代の原始的な製鉄「倭鍛冶」なのではないか、とのこと。
実際に、そうした土地の付近では銅や鉄が見つかるらしく
竹田神社のそばからも、大量の銅銭、和同開珎が出土したそう。
「鋳物師」の地名の通り、鉄・銅の鋳造が行われていた可能性が高い。
このことから、
「スズ」や「鈴」の名がつく土地に土着の製鉄民がいたのではないか
とも書かれている。
「火」「日」「朝日」という名にも触れられている。
あと「水」があるところ鉄あり、ということもある。
だから蛇(龍も?)=水=鉄、百足=銅
竹田神社のある日野町から東へ行くと
鈴鹿山脈、水沢峠、
真弓さんは、ここもまたスズの在り処とされている。
鈴鹿は、数年前瀬織津姫を追っていた頃に
チラホラ気になっていた場所なので
ここももう少し調べてみたい。
そして、水沢峠を越えて辿り着く「水沢」に
ヤマトタケルが歩けなくなったことに関係のある
足見田神社があるらしい。
ヤマトタケルもまた、鉄を軸に読むと
見えてくるものがあるのですかね。
原始的な製鉄「倭鍛冶」に対して
大陸からやってきた新しい手法の製鉄、
水辺や山中から砂鉄を選別して
露天タタラよりも進んだ技術を用いたものが
「韓鍛冶」なのではないか、とのこと。
抵抗、受容、融合、
各地それぞれに新しい文化となっていく。