読み進めている中の1冊
真弓常忠(2012) 『古代の鉄と神々』[増補第三版]
 
この本の中で「田原藤太の百足退治」に触れられている。
 

 田原藤太  

別名【俵藤太・藤原秀郷

平安中期の武将で平将門を討った人物

 

百足退治の伝説

 
琵琶湖のそばの近江国瀬田の唐橋に大蛇が横たわり、人々は怖れて橋を渡れなくなったが、そこを通りかかった俵藤太は臆することなく大蛇を踏みつけて渡ってしまった。大蛇は人に姿を変え、一族が三上山の百足に苦しめられていると訴え、藤太を見込んで百足退治を懇願した。藤太は強弓をつがえて射掛けたが、一の矢、二の矢は跳ね返されて通用せず、三本目の矢に唾をつけて射ると効を奏し、百足を倒した。礼として、米の尽きることのない俵や使っても尽きることのない巻絹などの宝物を贈られた。竜宮にも招かれ、赤銅の釣鐘も追贈され、これを三井寺(園城寺)に奉納した ー(Wikipedia

 

田原藤太の名前には以前出会っていました。

SNSに残していた写真を遡ったら2018年の10月

藤ヶ崎龍神にその名前がありました。

 
(写真はスマホに残っていないのでインスタからスクショ)
 
琵琶湖のほとり
琵琶湖を背にした外宮(上の写真)
対して、琵琶湖に面する向きで
崖の割れ目の中に内宮がありました。
 
内宮の脇に石碑
 
当時はやけに龍宮城を追いかけてたのです
龍王ト龍神ナトハ夫婦ニテ
名高キ藤太家名藤原

(江州蒲生郡牧村藤ヶ崎神社ノ龍神略縁起)

 
当時はあまりピンとこないまま、
百足退治伝説から
その舞台となった三上山に天之御影命を祀る御上神社があり
天之御影命は製鉄の神・天目一箇神と同一である
というところまで辿りつきました。
 
この時は単純に
「“百足”=鉄に携わってた民?」とかぼんやり思ってました。
 
が、“百足”を退治した上で製鉄の神が祀られているのですよね。
鉄の以前にあったものが“百足”
 
じゃあ“百足”は何か?というお話が
真弓さんの本に書かれていました。
 
“百足”とは銅の文化を持っていた民
鉄は蛇(水にも関わるから)なので
蛇と百足の戦い=鉄と銅の戦い
百足退治は鉄の文化が銅の文化の優位に立ったあらわれ
なのではないか?
 
というお話。
 
なるほど。
 
では退治の後に招かれた龍宮も鉄に関わるのかしら?
と、過去の写真に問いかける。
 
 
ところで
百足退治伝説に出てくる瀬田の唐橋と
藤ヶ崎龍神の距離はなかなか離れているのですけど
 
御伽草子では、助けをもとめた大蛇は、琵琶湖に通じる竜宮に棲む者で、女性の姿に化身して藤太の前に現れる。そして百足退治が成就したのちに藤太を竜宮に招待する ー(Wikipedia)

とのことなので、御伽草子の説が色濃い藤ヶ崎龍神、なのですかね。

 
太平記では助けを求めるのが男性だったり、
三上山ではなく比良山だったりするらしいので
この違いも気になるところ。