日本の年中行事
 「上巳の節供」2

 
【上皇后陛下御歌】 
 御題「春燈」  阪神淡路大震災 平成七年
この年の春燈かなし被災地に
 雛なき節句めぐり来たりて

【御心を推し量る】
 この御歌は平成七年七月十七日早朝に起つた「阪神淡路大震災」の被災地を憶はれてお作りになられたものになります。
 
 ◇      ◇     ◇     ◇     ◇
 
《雛祭りと和歌文化》
 
 さて和歌といふ側面から云ふと、殘念なことに雛祭りをはつきりと詠ひ上げた和歌は思ひの他少なくて江戸時代以前には全くありません。
 「雛祭り」に関聯する和歌はただ、宮中並に公卿社會に於ては平安時代までは「曲水の宴」といふ遊びが「上巳の節供」に行はれてゐて、その時に作られたと思はれる和歌を散見することができます。しかし、それも中々見つかりませんでした。ただ、私の専門外ですが俳句については江戸期に發達した所爲か、季語となつてもをり、それなりに殘つてゐるやうです。和歌といふことからいへば「上巳の節供」と關係がある和歌と思はれるものとこぢつけるのであれば宮廷の遊戯であつた「曲水の宴」で作られた和歌になります。
 
【大伴家持が曲水の宴を詠んだ和歌】

  (萬葉集巻十九4153)
漢人(からびと)も筏(いかだ)浮かべて遊ぶてふ
 けふぞ吾が背子
(せこ)花縵(はなかづら)せよ
  漢人毛 筏浮而 遊云 今日曾和我勢故 花縵世余
 
「漢人も」…「支那人も」。
「筏浮かべて遊ぶてふ」…「曲水の宴」。
「吾が背子」…「私の愛しい女よ」。
《歌意》
 唐の國の人たちもいかだを浮かべて遊ぶといふ今日です。さあ皆さん、花かずらを插頭しませうぞ。
 
 この大伴家持の萬葉歌は「天平勝宝二年三月三日、大伴家持の館で、「上巳の節供の宴を開いた時の歌三首の内の一首」といふ詞書がついてゐます。
 この「上巳の節供の宴」といふのが「曲水の宴」ではないかと想像できます。
 
【「曲水の宴」とは】
 この「曲水の宴」とは、水の流れのある庭園などで、その流れの淵に歌詠者が座り、流れて來る盃が自分の前を通り過ぎるまでに和歌を詠んで、その盃の酒を飲んで次へ流し、別室にてその和歌を披講するといふ行事になります。
 これは日本固有の和歌文化に於ける歌會と支那の上巳の節句に於ける「水邊に於て三月三日に御祓を行ひ、それらを盃に總べて籠めて水に流して宴を行ふといふ風習」と併さり「曲水の宴」となつたといはれてゐます。
 この「曲水の宴」は、『日本書紀』によりますと、聖德太子以前の五世紀第二十三代顯宗天皇の御世に行はれたといふのが、文獻による初出になります。(『日本書紀』顯宗天皇485年三月)
 更に、八世紀の奈良時代の文武天皇に御世から宮中行事として、この「曲水の宴」が行はれるやうになつたと言はれてゐます。その後、公卿達も擧つて行ふやうになり、大いに流行したと傳はります。
 しかし、平安時代に入り平城天皇様の御世で一時は宮中行事としては廢絶してしまひます。しかし、嵯峨天皇によつてこの「曲水の宴」が再開されて、古今歌壇の歌人達が數多の如く出てきたことと相俟つて盛んに行はれるやうになつたと云はれてゐます。
 「曲水の宴」で作られたと思はれる平安時代の和歌を御紹介させて戴きます。
 
《紀貫之》       『古今和歌集』
春なれば梅に櫻をこきまぜて
 流す水無瀬の川の香ぞする
「春なれば」…「春であるから」。
《歌意》
 春であるから梅と櫻を一緒に流してゐるやうな香りが水無瀬川からしてきます。
 
《凡河内躬恒》    『古今和歌集』
水底の影も浮かべるかがり火の
 あまたに見ゆる春の宵かな
《歌意》
 水の底まで浮かび上がらせる篝火(かがりび)の明かりが數多く春の宵だなあ。
 
《坂上是則》    「紀師匠曲水宴和歌」「新古今集」
花流す瀬をも見るべき三日月の
 われて入りぬる山のをちかた
《歌意》
 花を流すこの曲水の流れを月に照らしてよく見やうとしたのであるが、三日月に割れて、早くも山の向こうに沈んでしまひました。
 
※鎌倉時代以降は、この「曲水の宴」が廢絶されましたが、現代は甦つているやうです。
 
 ◇     ◇     ◇     ◇     ◇
 
「節供と食文化」
 
「菱餅」
 
 ひな祭りで欠かせないのが「菱餅」になります。一般的には赤・白・緑の三色になります。
 菱餅の「赤い餅」は、先祖を尊び、厄を祓ひ、解毒作用のある山梔子(くちなし)の實で赤味をつけるのが本來のものです。これは健康を祝ふことを表はし桃の花の代りとも言はれてゐます。
 「白い餅」は、淸淨を表はし、菱の實を入れて、血壓低下の効果があるとも言はれてゐます。
 「緑の餅」は、蓬が使はれてゐます。これは、春先に芽吹く蓬の新芽によつて穢れを祓ひ、燃えるやうな若草となつて欲しいとの願ひが籠められてゐます。
 當初は、母子草が使はれていたと言ひます。
 ◇ ◇
「菱餅の起源」
 
 この菱餅の起源は、樣々に言はれてゐますが二つだけ御紹介します。
 これは宮中に於いてお正月に食べられてゐた「菱葩餅(ひしはなびらもち)」がその起源といふものです。この「菱葩餅」は、通稱「花びら餅」と呼ばれ、平安時代の宮中行事「歯固めの儀式」を簡略化したもので、六百年に亙つて宮中のお節料理の一つと傳へられてゐます。
 もう一つ、元々は三角形であつたのですが、菱の繁殖力の高さから子孫繁榮と菱の實を食べて千年の長生きをした仙人に因んで長壽の願ひを籠めて菱形にしたといふ説もあります。餘談ですが菱形は、女性の性器を模してゐるとも言はれてゐます。
 ◇ ◇
「草餅」

 「ひな祭り」に食す重要なものとしては「草餅」があります。
 これは蓬(よもぎ)を混ぜた餅で「上巳の節句」に供えられてきました。その昔は「母子草(ハハコグサ)」でも作られ、母子の健全が禱(いの)られてゐました。
 この蓬はとても生命力が強い植物になります。根つ子を引き抜いたつもりでも、叉直ぐに生えてきます。そのやうなタフな蓬にあやかつて健康長壽の願ひを籠めて昔の人たちは上巳の節供に於て草餅が供へられたと云ひます。
 更に、蓬は「魔除草」といふ別名を持つ程様様な有効成分を含む藥草とされ、もち米に練りこむことによつて健康維持の効果もあると考えられてゐることも大きな特徴です。
 蓬(よもぎ)、母子草は藥草として「邪氣を祓ひ」「疫病を除く」と言はれて來ました。
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「ちらし壽司」
 
 ひな祭りの料理では「ちらし寿司」と「蛤のお吸物」も代表されます。
 酢めしにシイタケ、蓮根、人参、かんぴょう、ちりめんジャコ、ちぢみ麩などの具を混ぜ和え、旬の三つ葉や錦糸たまご(あるいは湯葉)、紅ショウガなどを散らし生の魚は使わないのが京都流。
 このちらし寿司に使はれる海老や蓮根は縁起の良い食べ物といふことでお祝い事には缺かせません。
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「蛤の潮汁」
……対になった貝殻以外は合わないことから、夫婦和合や良縁の象徴とされて雛祭りのお膳では欠かせない澄まし汁。
 蛤貝は女子の美德と貞節を意味してゐます。
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「白酒」
 邪気を祓い「百歳(ももとせ)」にも通じるとされる桃(もも)の花を浸した桃花酒を飲む古(いにしえ)の習慣があり、それが江戸時代になると、糯(もち)米と米麹を味噌や清酒などに混ぜて白濁させた白酒を飲むようになり今日に至る。
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「てっぱい」
 湯がいたワケギ、赤貝、とり貝を酢味噌(白味噌仕立てで辛子をきかせたもの)で和えた雛料理。
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「引き千切り」
 「ひちぎり」とも呼ばれ京都の雛祭りでは長らく食べられている生菓子。名前の由来は小餅を杓子形に引きちぎったことから。現代では餅のかわりに求肥(ぎゅうひ)や蓬(よもぎ)団子などで作られ、丸めた餡(あん)かきんとんがのせられる。