適当なことなんて、ほとんどないのです | 寝ぼけ眼のヴァイオリン 寿弾人kotobuki-hibito

はあ、小説書きも順調なのです。すげえ、のろのろなんだけど、仕方がないさ、初心者なんだから。

去年まで「もしかしてこれが本業なのか?」と思うほどの利益を上げてきた投資も、いまは1000万円超の含み損を横目で見ながら塩漬け中。おかげさまで、平穏な気持ちで小説作りに邁進できるというものです。

これは神様のお導きに違いない!(無宗教だけど)

 

さて、現在、私の小説「窮鼠猫を噛む」は(おお!初めてタイトルを記すのです!)、ふたつめのエピソードに差し掛かっています。

最初のエピソードでは、主要登場人物のふたりの邂逅を描きました。主役なのですから、長い物語の最初を飾るのは当然。

そして現在のふたつめのエピソードでは準主役ふたりが初登場。

物語を立ち上げていく序盤ですから、重要な人物の初登場が続くのです。

初登場というのは本当に気を遣うものです。その人物の人間的な精神構造、これまでの人生などを念入りにプロファイルできている必要があります。その人間についての手持ちカードがほぼ揃っている必要があるわけです。かといって、一番最初のエピソードでどのカードを切るかは慎重に考えなくてはいけません。全部書こう、なんて愚の骨頂。退屈して、お客さんがあっという間に逃げて行ってしまいます。カードはなるべく少なく最小限で切る。そして説明っぽい表現はなるべく無くす。

でもこの作業もだいぶ、慣れてきました。

 

この作業を進めていたら、道端に落ちていた岩に躓いたんです。

 

この物語の主役は、父から性的虐待を受けた16歳の少女と、それを助けようとする27歳の女性弁護士。

そしていま描いているふたつめのエピソードでは、この少女の母親とこの少女の高校の担任の不倫関係が描かれます。

この高校教師、いいやつなんですけどね、完全に騙され巻き込まれたというか。気の毒な男なんです。

で、少女の母親がなかなかひどい人で。

だいたい家庭内で起こるこうした犯罪の場合、母親がしっかりしていると子供のSOSをくみ取って、子供の代わりに夫に牙を向き戦ってくれるものなのですが、結構、現実を見ると、母親は「見て見ぬふりをする」というのが多いのです。それどころか、人によっては自分よりも娘を愛する夫に嫉妬し、娘をライバル視する母親もいる。

なかなかでしょ?

でもこういうのも現実なんですよね。

 

で、そんなふたりの不倫関係のなれそめを遡って描いていたら、担任教師が不登校の娘の家を訪ねる回想が出てくる。文章にすると2行とか3行くらいです。ここで「あ、こんなところに岩がある!」となったわけです。

その高校教師が、家庭でどんなものを見たのか?

そもそもその時期、登校拒否はどのような頻度で、当の生徒はどんな様子だったのか?

 

「ああ、これはただの岩ではない。かなりでかい岩盤だ」となるわけです。適当には書けないぞ、と。

 

この高校教師は、この不登校の生徒が家庭で虐待にあっているというのは気づかないのです。

でも彼の眼を通して、この生徒がどのようだったかは語らないといけない。

この「事実の断片」は重みを持っていて、あとで読者が全貌を知ったとき、「ああ、そういうことだったのか!」と納得できるものでなくてはならないわけです。

 

というわけで、主人公である少女の暮らしの歴史ともう一度、にらめっこ。

 

これは今回の物語づくりでもっとも気が滅入る作業なのですが、それでもだんだん腹が据わってきました。

 

まずは幼児期からの毒父によるグルーミングでしょ。

文科省の学習指導要領に沿って、小4で性教育の授業。これでは情報が足りないから(本当、もっとちゃんと子供のうちから性の知識を子供に教えろよ!文科省のバカ!)、情報通のお友達からいろいろ聞いて、父にされていることへの疑念。

仲の良かった男の子から漫画「ワンピース」を借りて、ナミの境遇と自分を重ねる。

毒父、だいたんに夜中にベッドにやってくるようになる。

そして、この少女はたったひとりで「戦う!」と決意するのです。

夜中に自分の部屋の扉が開かないように、内側からドアノブを縛り付けたり、カギを作って破壊されたり、追い詰められたら夜は外で過ごすようにしたり。まさに生きた心地がしないサバイバル。

こんな状況でくたくたになりながら、なんとか高校進学!(偉い!偉すぎます!)

最初は新しい環境になじみたいし、友達も作りたいから、頑張って通学するも、だんだん体力の限界で挫折。

不登校が多くなっていく。

 

こんななか、このお人よしの高校教師は、この少女の担任になり、家庭を訪れたわけで、その回想が2行か3行で描かれるわけです。少女は昼間から寝ていて、担任には一応、礼儀正しい。でも、その子供部屋の扉は戦いの傷跡が残っている。

そんな様子を何もわからないこの担任が見て、回想する。

何度も言いますが、これはたったの2行か3行。

でもさ、ここまで少女の物語を作っておかないと、書けない2行か3行なんですよね。

 

こういうことやっていると、小説って適当な部分なんてほとんどないのです。

全部、物語として繋がっている。

 

自分でやっていて、その作業の煩雑さに改めて驚くのだけれど、プロの作家は本当にこだわった自分の作品には、おそらく同じことをしていると思う。(たくさん小説を読むと、同じ作家の作品でも「ああ、これは手を抜きまくったな。原稿料が入ればいいやと思ったやっつけ仕事だね」というのも結構あったりする)

 

だけれど、こういう煩雑な作業を根気よくやっていくと、物語の世界がますます真に迫ったものに変容し、登場人物が勝手に生き生きと動き出す、という幸せな段階に入っていくことになる。

私はこの物語が中盤以降、どうなるのかは、まったく考えていないのだけれど(最終的にどこへ向かうかはなんとなくわかっている)、こういう地道な作業を丁寧にやりながら序盤を書き終えたら、おそらく、登場人物たちが勝手に物語を編み上げてくれるんですよね。

気が重いのは、法廷ものなので、実際に法律と法律実務の裏付けが必要ということかしら。これがこの物語を作るのに時間を要する要因のひとつなのです。

 

物語づくり、発見があって面白すぎます!