初めて出会った偉人~追悼・福地茂雄さん | 寝ぼけ眼のヴァイオリン 寿弾人kotobuki-hibito

アサヒビール元社長の福地茂雄さんが亡くなりました。89歳。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

この方は、私にとって、一人の人間が短期間でどれだけのことを成し遂げられるか、教えてくれた人でした。

 

私はかつてNHKという組織にいました。福地さんはNHK会長として3年間ご活躍なされました。

 

福地さんがNHK会長に就任する前、この組織はそれまでで最悪の状況に陥っていました。

それまでのNHKは、政治部出身記者で政権とのパイプを使ってNHK会長になった海老沢勝二氏という人がいて、この方は絶対的な権力をもとに独裁的なワンマン経営を行ったため、局内には自由な言論をするのが怖いという忖度が生まれていました。実際、反対意見を唱えれば地位を奪われるということが相次ぎ、周辺には、あのNHK党の立花孝志氏のようなイエスマンばかりがはびこり、この海老沢会長は完全な「裸の王様」になっていたと思います。

現場の意見をまったく聞かず、思い付きでトップから決定事項だけが降りてくるという、報道機関としては見過ごせない状況に、当時の組合が立ち上がりました。執行部の組合員は職場で嫌がらせを受けながらも戦い、一部の役職員の協力もあって、海老沢会長は辞任に追い込まれました。

それと同時に、NHKは社会からの不信を招き、受信料不払い運動が激化。「このままではこの組織は解体される」というのが職員の間でも囁かれる状態でした。海老沢氏の後任には、政治色のない技術畑出身の橋本会長が就任したものの、受信料不払い運動は収まらず、先の見えない危機的状況でした。

 

そんななか、NHK会長になっていただいたのが、アサヒビール会長だった福地さんです。

私のような現場の人間たちは、このニュースを知ってこういったものです。

「ビール会社の人間が、公共放送のことなんかわかるわけないじゃないか」

完全に冷笑です。

「しかも営業畑だった人らしいね。ビール売るのは得意でも、畑が違いすぎるね」

職員の反応は大方、そんなところだったと思います。

 

ところが、この方は本当にすごい人でした。

最初の演説で職員に向けて言ったことはこういうことです。

「私は放送のことはよく知らない。ずっとビール会社の営業マンでしたから。ただ放送とビール営業に共通点があると気づきました。それは私が扱ってきた飲み物が多くの人の口から体に入るものであり、それは安全であり、安心して飲んでいただけるものでなくてはならないということです。放送も同じです。放送されるニュースや番組は、多くの人が信頼して接することができるものではならない。それが公共放送というものの基本なのかなと思ったわけです」

これには脱帽しました。

「真に有能な経営者は、どんな分野においても有能」ということがあり得るのだ、ということを知った最初の体験でした。

その後のご活躍はまるで魔法か、痛快なドラマを見るようでした。

 

この方は、まず全国にある地方局を自ら訪れ、全職員と直接対話をし、意見を聞くという行脚を始めました。

私は当時、千葉放送局勤務でしたが、この人がやってきて、対話するときの職員の生き生きとした熱気をいまでも覚えています。

同時に、組合には、本来であれば組合が経営に要求するような改革を、自ら先んじて提案しました。受信料不払いが拡大する中、賃上げはそもそもありえない要求でしたが、それ以外の「放送のありよう要求」といったものを先んじて提案したわけです。

普通ならば、組合は組合員の意見を集約し、経営に提言をぶつけます。しかし福地会長はすでに全職員から意見集約を行い、改革すべき点を洗い出し、組合に提案したわけです。

おかげで組合はほぼやるべきことがなくなりました。

 

そして、福地会長はほぼ一年ほどで職員たちのヒーローになっていた、と思います。

これは経営的に見れば、ほぼ組織全体を完全に掌握したということです。

私はそれまで、自分の私利私欲で出世を企む人間しか見たことがありませんでした。そうでない人間はどんなに誠実で正論を吐いていてもいつの間にか閑職に追いやられる世界でした。

ところが、私利私欲や保身を一切感じさせず、人と向き合い、正論や理想と向き合って、人にそのあるべき道を説いていくリーダーの姿というものに初めて触れたわけです。

そしてそういうことがフィクションの世界でなくとも、実現可能なのだということも教えていただきました。

 

ヤフーニュースを見ていたらコメントにはさまざまなエピソードが書き込まれていました。ニッカウヰスキーとアサヒビールが経営統合されたとき、社内試験で会社をよくする提言を好き放題書いた人が「君は本気で考えている」と評価され、その提言に「そんなことを書いたら」と苦言を呈した上司がいなくなった、とか。

福地さんの人間性を感じさせるエピソードはいくつもありますが、私が知っているひとつは、ある放送局長についての話です。その放送局長は通常の任期後もその地位を継続したいと考えました。福地会長とも懇意にしていたので頼めば、特例として個人的な配慮もしてもらえると思っていたのでしょう。その局長は親しいその県の副知事に、「この局長を続投させてほしい」という手紙を書かせ、福地会長に送ってもらったそうです。その結果、どうなったか? 福地会長はこの行為に激怒し、この局長の任期は通常通り終了。さらには子会社への転籍を命じられたそうです。

公共放送は、その公共性を守るために権力とは距離を置かねばならないと誰よりも深く理解していた人でもあります。

 

ヤフーニュースのコメントにもありましたが、彼が退任する日、多くの職員が本部のビルに連なり、別れを惜しみました。

私もその一人でした。

福地さんが与えてくれたすばらしい体験を私は忘れません。

 

時は過ぎていまNHKはどうなったか?

福地さんのもとで、かつて会長を辞任に追いやるまでの正義感を持った組合はすっかり弱体化しました。そして第二次安倍政権が誕生し、官房長官の菅氏は経営委員会を人事で傀儡に挿げ替えるほか、NHK本体の経営中枢である理事会にも腹心の忠犬の理事を送り込み、内部から職員の人事異動をもって切り崩しを行い、報道統制を始めました。

第二次安倍政権下で行われた官邸前のデモでさえ、NHKはニュースとして放送しなくなり、国民の代表として政権に率直な質問をぶつけたキャスターたちはみな、報復としてその職をはく奪されました。

受信料不払い運動が起きれば、まだ組織に危機感も生まれるのでしょうが、いまでは不払い者は裁判で訴えるとか、不払い者には数倍の料金を請求するというヤクザまがいの恐喝方法を生み出し、不払い運動自体を封殺しています。

職員のモチベーションは下がり、優秀な人が次々と退職しています。

現在の会長は、ぼろぼろになった組織をなんとか立て直そうと努力なさっているように見受けられますが、簡単なことではありません。

要は、いまのNHKは、福地会長が就任する以前よりひどい末期的状況になっています。

 

一人の人間ができることは限られています。

しかし偉大な人間ができることというのは、凡人の予想をはるかに上回る。

こうしたことを私は学びました。

人生の中でめったに知ることのできない体験です。

福地さん、ありがとうございました。

 

合掌。