クライアントの中には文章を書くのが得意な方とそうでない方がいらっしゃいます。ではどちらが仕事がしやすいのか?これが一概には言えません。

 

文章を書くのが得意な方は読みやすい原稿や資料を支給してくださることが多く、リライトをするのが楽です。先方の意図をうまく表現できていないときなども的確に指摘していただけるので、校正がスムーズです。元原稿が良すぎて直すところがないとリライト費用を請求しづらいですが(笑)。

 

ただ得意な方の中にも難しい方がいらっしゃいます。例えば自分の文才に自信満々で文章の好みが強い方。修正不要な箇所にも自分の好みで修正指示を入れられるので、修正対応が大変です。場合によっては一部分だけがその方の好みの表現になり、全体のトーンが揃わなくなってしまうこともあります。

 

一方で文章を書くのが苦手な方からは、文の構成がおかしい、一文が長い、言葉の使い方が間違っているなど、解読困難な原稿や資料を渡されることがあります。リライト前に内容を把握するだけで無駄に労力と時間がかかります。どうにも解読できない場合は先方に確認しますが、「解読できません」とは言えないので言葉を選ぶのが大変です。

 
そんな方でもご自身が文章が苦手だと理解されていて、こちらに全面的に任せてくださる場合はとても仕事がしやすいです。「わかりやすくなりました!」「さすがはプロ!」などとおだてていただくと、気分が乗ってより良質な仕事をします。クリエーターは僕を含めて概ね単純です。

 

結局仕事のしやすさを決めるのは、クライアントが文章を書くのが得意か不得意かではなくその人柄、仕事の仕方ということですね。ブレーンを信じて任せる。気になるところはしっかり指摘して確認する。自分の好みで修正を入れない。そんなふうに接していただけると納期が短縮でき、最終的に良い物が出来上がると思います。

最近は印刷メディアよりもWeb用のコピーを書く仕事の方が多くなりました。印刷メディアも同時にWeb展開されることが多くなり、今後はさらにWeb用コピーの比率が高くなっていくことでしょう。

 

Web用のコピーを書く時にはいくつか注意点があります。一つは文字数。もともと広告コピーは読みやすく短くシンプルにというのが基本ですが、Webでは一文の長さだけでなく、全体の文字数を少なくしなくてはいけません。文字が多いと読む気を失わせてしまうからです。

 

特にスマホサイトは幅が狭く1行の文字数が少ないため、大した文字数でなくても行数が多くなり、1ページが縦に長〜くなってしまいます。ですから、印刷メディアで改行するところを、Webではさらに1行アキにするなど、少しでも見やすく読みやすくなるように工夫しています。

 

また最近はアカデミックな言い回しを避けて、漢字を使い過ぎず、誰にでもわかりやすい文章を書くようにしています。文章を読むのが苦手な人が増えていることもあり、ヒネリの効いたシャレた表現などはあまり求められないのです。楽といえば楽なのですが、ちょっと寂しい気もします。

 

そしてもう一つ重要なのがSEOです。本来は同じ単語は繰り返さず、書かなくても伝わる単語は省略するというのが日本語作文の鉄則なのですが、そうすると検索エンジンに引っかかりにくくなってしまいます。なのであえて同じワードを繰り返し使って、冗長な言い回しをすることもあります。

 
そんなWeb特有の制限の中で美しい文章を書くのは難しいし面倒ですが、そこが現代コピーライターの腕の見せ所でもあります。コピーライターも他の職業と同様に、時代とともに新しい技を身に付けていかなくてはならないのです。

前の記事の「〜になります」とともにもう一つ、最近気になっているのが「〜となります」という表現です。「になる」と「となる」、よく似ていますがどう違うのでしょうか?

 

「になる」は、前の記事で解説した通り、状況が変化する様子を表す表現です。これに対して「となる」は、それが意外だったり何か大きな影響を及ぼしたりする場合に使います。

 

例えば、天気が嵐になったことを伝えるだけなら「その日は嵐になった」と書きます。そんなはずではなかったとか、そのせいで大変な事態になったとか、そんなニュアンスを伝えたい時には「その日は嵐となった」と書きます。普通の出来事を伝える時には「になる」、大変な出来事を伝える時には「となる」を使うのです。

 
ところが最近は何でもかんでも「となる」を使う人が多くなりました。ただ曇りになったことを伝えるだけの文章に「その日は曇りとなった」と書かれているのを見ると、なんだかもやもやした気持ちになります。
 
これはおそらくテレビや漫画の影響が大きいのではないかと思っています。テレビや漫画では、出来事を大袈裟に伝えて視聴者や読者を煽ることが多いので「となる」が多用されます。新聞や小説などをあまり読まない人は「になる」に触れる機会が極端に少ないのではないかと。
 

しかしこれが一般化して「になる」と「となる」の使い分けがなくなってしまうと、大変な出来事を伝えようと「となる」と書いても、そのニュアンスが伝わらなくなってしまいます。そうなると「なんと」など余計な大袈裟言葉を付け加えなくてはならなくなり、広告などのコピー表現が難しくなります。

 

せめてテレビや漫画、ネットニュースなどのマスメディアではちゃんと「になる」「となる」を使い分けてほしいものです。いま日本語の行く末を担っているのは、たぶんそういう気軽で身近なメディアだと思いますから。

「おまたせしました。ハンバーグ定食になります」

「どうぞ、こちらが控え室になります」

「ご覧いただくのはこちらの資料になります」

 

これらの言葉に違和感を覚える方はどれぐらいいらっしゃるでしょうか?

 

僕がこの言い回しを初めて聞いたのは、確か1980年代後半だったと思います。ちゃんと調べてはいませんが、たぶんどこかのファミリーレストランがマニュアル化したのが飲食業界に広まり、それが20〜30年かけて一般化していったのではないかと思っています。

 

全く違和感のない方からすると、いったい何が問題なんだろう?という感じかもしれませんね。結論を言いましょう。これらは日本語として間違っているのです。正しくは「です」もしくは「でございます」と言うべきですが、「になります」と言う人がとても多くなっているのです。

 

「になります」は「になる」の丁寧語であって、「です」の丁寧語ではありません。「来年で40歳になります」「出来上がりは明後日になります」「海賊王に俺はなります」など、これから起きることを表す言葉です。「ハンバーグ定食になります」と言うと、いまはまだハンバーグ定食ではないということになってしまいます。

 

敬語は長く使われるとだんだん敬語感が薄れていくようで、時代とともに大袈裟になっていきます。「ご覧になりますか?」で十分なのに「ご覧になられますか?」(←これも間違い)と言ってしまうのもそのせいです。「です」がすでに敬語なのに、それでは足りない気がするのでしょうね。かといって「でございます」では堅苦しいので、苦肉のアイデアで生まれたのが「になります」だったのでしょう。

 

言葉が変化していくのは当たり前のことですから、古い言い回しに固執する必要はありません。これから辞書に載る可能性がありそうな言葉や、一時的に流行して消えていきそうな言葉は使っても問題ないと思います。しかし「になります」はそのどちらでもありません。誤表現なのに、辞書に認められないまま、恐ろしい勢いで「です」を駆逐しつつあります。

 

しかも最近は、話し言葉だけでなく文章でも「になります」を使う人が増えてきました。広告のクライアントから支給された原稿が「になります」だらけで絶句することもあります。さすがにそのまま掲載するわけにはいかないのでリライトしますが、クライアントに直した理由を説明するのは、間違いを指摘するようでちょっと気が引けます。

 

繰り返しになりますが「です」は立派な敬語です。たまたまこのコラムを読まれた方には、「です」の代わりに「になります」を使うのは間違いだと知っていただき、できれば「です」の方を使っていただけると嬉しいです。そして、もしも辞書で認められるようなことになったら、その時には堂々と「になります」を使っていただけましたら幸いです。

3年前に亡くなった父はよくテレビを見ては文句を言っていた。

「全然大丈夫」とはどういうことか、「全然」を肯定に使うのは間違いだと。

 

そんな父を見て育ったせいか、僕も言葉に興味を持つようになった。

そしていつの間にかコピーライティングを生業にすることになった。

 

言葉の正しい使い方を調べる中で、一つ驚いたことがある。
「全然」はもともと否定だけでなく肯定にも使われていた言葉だった。
「全然大丈夫」は間違いではなかったのだ。

 

「全然」は明治時代から昭和の初めまで、肯定にも使われていた。

「否定だけに使う」というルールが広まったのは昭和20年代後半。

父はそのルールを学んだせいで、肯定に使うのが気持ち悪かったのだ。

 

普通に肯定に使っていた明治生まれの人たち。

否定にしか使わないと教えられた昭和生まれの人たち。

特にルールを意識することなく、肯定に使っているいまの人たち。

 

言葉は生き物で、まるでウイルスのように時代とともに変異する。

だから新しい言葉の使い方を簡単には否定できない。
しかし簡単に使うわけにもいかない。
 
例えば、話し言葉ではすでに浸透している「ワンチャン」や「秒で」などは、
キャッチコピーに使うことはあっても、説明コピーにはまだ使えない。
 
言葉選びはとても面倒で、難しくて、だからこそ面白いのである。