前の記事の「〜になります」とともにもう一つ、最近気になっているのが「〜となります」という表現です。「になる」と「となる」、よく似ていますがどう違うのでしょうか?

 

「になる」は、前の記事で解説した通り、状況が変化する様子を表す表現です。これに対して「となる」は、それが意外だったり何か大きな影響を及ぼしたりする場合に使います。

 

例えば、天気が嵐になったことを伝えるだけなら「その日は嵐になった」と書きます。そんなはずではなかったとか、そのせいで大変な事態になったとか、そんなニュアンスを伝えたい時には「その日は嵐となった」と書きます。普通の出来事を伝える時には「になる」、大変な出来事を伝える時には「となる」を使うのです。

 
ところが最近は何でもかんでも「となる」を使う人が多くなりました。ただ曇りになったことを伝えるだけの文章に「その日は曇りとなった」と書かれているのを見ると、なんだかもやもやした気持ちになります。
 
これはおそらくテレビや漫画の影響が大きいのではないかと思っています。テレビや漫画では、出来事を大袈裟に伝えて視聴者や読者を煽ることが多いので「となる」が多用されます。新聞や小説などをあまり読まない人は「になる」に触れる機会が極端に少ないのではないかと。
 

しかしこれが一般化して「になる」と「となる」の使い分けがなくなってしまうと、大変な出来事を伝えようと「となる」と書いても、そのニュアンスが伝わらなくなってしまいます。そうなると「なんと」など余計な大袈裟言葉を付け加えなくてはならなくなり、広告などのコピー表現が難しくなります。

 

せめてテレビや漫画、ネットニュースなどのマスメディアではちゃんと「になる」「となる」を使い分けてほしいものです。いま日本語の行く末を担っているのは、たぶんそういう気軽で身近なメディアだと思いますから。