俳優・木村元を振り返ってみて。。

俳優・木村元を振り返ってみて。。

2021年1月13日、肺炎の為都内病院に救急搬送。同年1月下旬に院内クラスターでコロナ陽性。左下肢動脈閉塞も起こし、入同年2月某日死去。死因はコロナ。享年88。
父を思い出して。父の事。私の事。母の事。家族とは。
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うちの旦那さんは、アニメ界ではそこそこレジェンドな人でもあり、まだ、現役です。会社は33年やっておりましたが、かれこれ9年?あれ?10年かな?前に閉じましたが、今でもとあるスタジオで現役で描いております。

流石に歳には勝てず、あちこち金属の入った体ではありますが、

彼の自慢は小さな作画の会社でも現在現役で名の通ったアニメーターを育てた事が宝だと申しております。

そんな彼に嬉しいことがありました。。

既に無くなった会社ではあるのに、その出身者が集まって彼と集う会というのをひらいてくれました。

彼は冗談で。。。

「なんだかんだ言って僕を借り出してひそかにしのぶ会じゃないだろうな!」な~んで笑いながら言っておりましたが。。。

木箱に入ったお酒や、お花。。それに寄せ書きを2枚も貰って帰ってきて。。とてもうれしかったようです。

僕には子供は居ない人生だったけれど、みんな子供のようだと言ってそれぞれの活躍を喜んでいました。。

会社を閉じた時もみんなが会を開いてくれたことで喜んでいましたが。。まさか今回のような事は彼にとって「まさかの夢」私に息せき切ってはなしてくれました。。

 

このところ、断捨離していました。

気づいたのですよ。

片付けが苦手な理由。。。

「整頓ができない」ということ。。

何故なら。。散らかっているのが好き。。

イヤイヤ。。。

散らかっているのに慣れてしまった。。

で??

そこでどうして?と問えば。。。

散らかっている時が幸せだったから。。

 

そう。。散らかすのは母。。。

それは片付けだけでなく人生も!

散らかして向こうへ逝っちゃった感じ?かな。。。

50年前に!

散らかしているから脳内が散らかるのか?

脳が散らかっているから部屋が散らかるのか?

 

そこで考える。。。

おぎゃぁと生まれてきた時

私はどっちが好きだったのだろう???そこで考えたのです。

 

適材適所に整頓されていない!と。。。

何でも形から入れば何かが変わるかもしれない。

者が多いと適材適所が見つかりにくい。。

そこでタンスなんかスカスカになるほどに捨てました。

すると見えてきました。。例えばキッチン。。シンクにはやれ何のタレやらスパイスなんか今のうち安いからなどと言っては買い込んでとりあえず置いてあるのです。。それらを片付け。シンクにものを置かないようにしまい場所がバラバラになっているのを整頓したら?

調理がしやすい事を発見。。

勿論買ったものもありますしこれから届くものもあります。

しかし、それはいまのままより生活空間が広くなるためという一定ルールを作ってそれに倣った形のものだけです。で、それ以上に捨てるものは捨てました。。

まだ捨てています。。

おうちが広くなったようで。。。

それに小さい庭。。そこは日当たりが良く雑草が伸び放題。。

いつか捨てようと。。一度業者さんに頼んで整理してもらったものの。。枕木を捨てやすいようにカットしてもらい、いつか少しづつ捨てようと思ってほうちしていたのですが。。。

いろんな虫さんのおうちと化していました。。

気持ち悪いのを我慢して虫と格闘しながら少しづつゴミの日に捨てています。。

 

足のリハビリにもなってるかな?毎日痛みとの戦いです。

そんな中。。4月22日は母の命日でした。。

ちゃんとお花お供えしましたよ。。

父の時は入院中だったのでスルーしちゃいましたが。。

お供えはさすがにデパートまでは行けず。。

痛みに耐えられる近場で買いなおししました。。。

 

 

今日は27日。。50年前の今頃。。葬式も住んで父と伯父が父の職業の事で大喧嘩して伯父が大阪に帰ってしまった頃だろうか?伯母が悲しそうにしていたのを思い出す。。。

「俳優なんか水もんの仕事をやめて堅気になれ」って言われたらしい。。

私も伯父さんの若い頃の事、知ってるだけに今思うとよく言えたもんだと思うよ。。これだけは父のミカタだわ。。

 

とにかく家事も本格的にしようと思うと結構な運動量になります。こんなに時間があるのも滅多にないことですし、大掃除も昨年末スルーしておりますので断捨離もかねて大掃除をしてリハビリにも結構なってると思います。

ただ。。歩く?ってそんなに運動できるもんじゃない。

痛い!という感情が先にたちますもの。

でも、おうちがスッキリしていくとなれば、痛い!も我慢できるものですね。。

 

そんな中。。懐かしいものに遭遇。。

 

表(背中側)

 

 

裏(お腹側)

 

小鉄君には黒毛プードルでしたがあえて黒で同じように編んでいました。そちらは亡くなった時処分していました。。

それと同じように編んだのがこのブルーです。。

お千代ちゃん(白毛プードル)のセーター

 

お掃除のさなか。。

何だか恋しくて。。。。

 

涙がポロポロ。。。

本当にかわいい子たちでしたからね。。

 

もう責任を持てる年齢じゃないし。。私の今後の人生を共に生きてくれるワンコはもういないんだなって。。

 

後で閲覧注意の写真がでますので。。

気になる方はこのままスルーしてくださいね。。

 

今回の入院で良かったのは骨が不安定な骨折初期の段階で自宅の階段上り下りを避けられた事に限ります。。

 

そもそも、皮膚の問題でボルトを入れる手術が必要なのに、皮膚の状態によって手術した際、傷の皮膚が付かない。。

 

イコール

 

骨に細菌感染のリスク。

 

イコール

 

切断。。

 

こういった確率の高さが理由で手術できませんでした。。

 

最新医療が発達した現代に何とも原始的な骨が付くまで待つ。。

 

事しかできなかったわけで。。

 

そんな中トイレなど生活でどうしても外せない階段の上り下りをしていたら??

 

骨はどんどんズレて。。歪になってしまい、

後遺症が残ってまともに歩けなくなる。。

確率が高い!

 

ということで最初の救急搬送の病院の医師が必死に受け入れ先をさがしてくれたのです。。

 

要はうまみの無い患者なわけで。。

手術をしない。

イコール

入院中のリハビリの算定が病院としては算定出来ず。。

かといって放置も出来ず。。

ということらしい。。

今回の入院でさんざん言われたのは自己責任だったかな。。

皮膚科の無い病院だから皮膚の事は自己責任。。

手術もしないのにギブスも拒否。

シーネ(添え木と包帯)も拒否なんて責任は負えない。。

でした。。

シーネは自分でできません。。

しかし、皮膚の薬は塗らにゃならん。そのたびに看護さんが外したり付けたり出来ないらしい。。

勿論医師は最初の一回だけでやってくれません。。

ギブスをしたら?ギブスの中の皮膚は薬は塗れなくなってしまい、どんどんひどくなってしまいます。

拒否と言われてもそうせざる得ない理由があった。

 

実際の話。。。

今までに書いてきたとおり入浴できなかったということは?。。

皮膚炎の傷口を毎日石鹸で洗って。。

は出来なかったことになります。。

毎日楽天で買った足湯バケツのお湯につけて

取りあえず塗った薬を溶かしていただけで

洗い流すことはできなかった。。

その結果。。

 

大分よくなってきていた皮膚は。。

逆戻り。。

今は薄皮一枚。。しかもケロイド状でところどころ潰瘍になってしまいました。。

 

では。。

写真

 

特に。

前はくるぶしより下だったのがくるぶしより上までひろがってしまい。。

白く潰瘍になったあたりの所の裏というか中の骨が折れたわけですから。。

折れた周辺の皮膚迄反応してしまったということでしょうか。。

後は足の裏。。骨折部が痛くて写真は撮れませんが、

一昨年までズル剥け粘膜。。で、ひどかったのが

今回の入院前ごろには足の裏だけはツルツルに治っていました。。

しかし、、

入院中何度も皮がめくれて、これもまた薄皮状態になっています。

 

因みにワクチン後の皮膚。。

その頃はくるぶし側は痛くて取りにくく内側の写真ばかりなのだけれど。。これはもっとゲロゲロな写真です、、

 

閲覧注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。。気をとりなおして。。

 

今日、退院後救急搬送された病院の診断を受けて、予後の診断もこれから続きますがリハビリだけはかかりつけ医の方で。。

と診断書をかいてもらいましたが。。

果たしてリハビリできるのか?

皮膚が裂けてしまうかもしれません。。

又このところ雨が降っても毎日外を歩いていますが、

靴で皮膚がすれて痛いのも悩みの種です。まだ足裏の痛みは無いのが救いですが。。

 

足の手術をした令和2年末、

令和3年にコロナが流行って

ワクチン打って直後、皮膚がこんなになって

やっと何とか持ちこたえて、時間をかけて良くなってきたというのに。。

入浴できなかったことで後戻り&範囲の広がりは

骨折の痛みより痛い感じです。

それでも、骨折部の後遺症は免れたのとその部分だけは快方に向かっているので良かったのかもしれない。

 

今後も皮膚と骨。。

この折り合いをつけながらリハビリ頑張ります。

皮膚科で今までとは違った薬も処方してもらえたし。。

入院中は対応なしなのは残念としかいえなかったけれど。

 

ゲーベンクリームといういらしい

たくさんの思い出を整理するとてもスリリングな入院生活でした。

前にも書いた血圧計を買ったと知った看護婦さんは私の計測をスルーするだけではなく、昼に私が自己管理している結果を聞きに来てそれをカルテに記入?

???

流石に「知りたきゃ計ってね」

と返しましたが。。。。

そんな病院でも出前は自由!

ケンタッキー

 

ガスト。。

 

ご飯が多いのはね。。

夜食用にコレを作るため。。

梅干しと鰹節のおにぎり。。🍙

消灯後のお部屋では勉強できませんから、

廊下の自販機の側の椅子で勉強した夜もあります。。

そんな時、お腹が。。

というより脳が食べたがる感じかな?ふふふ

 

雨が降るとね。。トイレまで車いすではたどりつけない雨漏りの病院

(お年寄りさんは言い返せず、かわいそうでしたが、

私はお構いなしでバケツを蹴散らかしながら通行してました!と付け加えておきます。)

朝の洗面所での水シャンプーも振り返れば朝の滝行と思えば

何かのご利益でもあるかもしれない。。

 

それでもトータルすると。。面白い病院でした。。

階段上り下りを余儀なくされる自宅ではなくこの病院で2か月間骨折部分を安静にできたのですから

感謝です。。

 

愈々3月3日退院。。

荷物もまとまりました。。

 

 

入浴させてもらえなかった期間が43日。残り18日のうち入浴した回数は3回。。

髪の毛も剃り上げました。。(笑笑ほとんど趣味)

トイレでの陰洗。

足湯用のバケツも買いました。

どれもこれも思い出。。

さようなら。。破天荒病院生活よ~~~

 

自宅に帰ると妄想?否・・放送大学から

新しいテキストが届いていました。。

 

今回は

睡眠と健康

イメージの力

心理カウンセリング序説

中高年の心理臨床。

心理と教育へのいざない。。

この5教科。。に加えて

入院中追試用に勉強しなおしていた教科

臨床心理学概論

発達科学の先人たち

社会・集団・家族心理学

の3教科

今学期はこの8教科単位取得を目指します。

前期13教科と欲張りをして3教科単位を落としましたが。

今回は1つも残さず合格を目指して頑張ります。

 

後は足のリハビリ。

随分と快方に向かいましたがまだ、歩く速さ、距離、これからの生活リハビリは痛みとの戦いになります。まだ、電動自転車には乗れませんが、とにかく毎日歩いて。。家の階段の上り下り。その狭間でセルフマッサージで筋肉をほぐす。。この繰り返しに尽きると思います。

リハビリ士の指示を守りながらもそれなりに自分でも負荷をかける時期が来たとも認識していますので頑張ります。