死生観をもって生きる
自戒の意味も含めて確認したい。
それは「死生観を持って生きる」
今の日本に住んでいる私たちは平和過ぎる。
まず、「衣食住」には困らない。
食べることには困らない状況で暮らしている。
しかし、つい60年前までは、
食べることだけでも大変だった。
そして、社会全体が、「衣食住」の部分を
クリアーすると、その次には違う問題がでてくる。
私たちが生きている間は、問題はなくならない。
今、個人個人が抱えている問題も
そのひとつだろう。
しかし、考えて欲しい。
世界中でこれだけ安全で幸せな国は
あるだろうか。
あるかもしれないが、
日本という国は非常に恵まれた国であることは
みんな共感してくれるだろう。
すでに、僕たち私たちは、
「幸せ」であることに気づくべきだ。
今まで社会を造ってきてくれた、
父、母、おじいちゃん、おばあちゃん、
さらに、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん・・・。
が、いたからこそ自分がいる。
たった数十年でここまで安全で豊かな
国の上での私たちの生活がある。
そして、その生活の中での「今の悩み」である。
そのため、現在の私たちには
「死生観」というものが、欠けすぎている。
もしかしたら、明日死ぬかもしれない。
「そんなことはないよ。」 と、
あなたは言うかも知れない。
でも、そんな保障はどこにあるだろう。
私たちは、数年後死んでいるかもしれない。
そのとき、「悔いの無い人生だった。」
と、僕は言いたい。
複雑なものも自然と複雑ではなくなっていく。
小学一年生の時の国語の教科書は、
読むのに時間がかかった。
しかし、今は小学一年生の教科書
だったら、とても早く読めることができる。
あたりまえ・・・。
だんだんと知識量が増えるにつれて、
読むスピードは非常に速くなる。
これが、私たちの仕事でもおきている。
初めて知らないことを挑戦するときは、
非常に時間がかかり、品質も悪い。
しかし、何度もそれをやるにつれて、
仕事のスピードも速くなり、品質もあがる。
そして、熟練したら他の人に対して、
仕事を教えることができる。
仕事を教えることができるレベルに
なったときその仕事を振り返ると、
意外と難しくないことに気づく。
一番初めに感じていた複雑さは、
どっかに飛んでいってしまう。
振り返ると複雑ではない。
これは、すべての仕事や情報処理に
対して起きている。
このことをわかって、仕事に取り組むなり、
人に対して教えるなりすると取り組み方の
最初の意識が変わってくる。
必ず「経験」によって複雑なものは
自然と複雑では無くなっていく。
自分が自然に熱心になれるものを選ぶ
本来の自分と付き合うためには、
自分が自然に熱心になれるものとの
つきあいが必要だ。
仕事だからといって、嫌な勘定をもって
やるのはおかしい。
その仕事に対していつの間にか、
努力をしている自分が欲しい。
自然といつもいろいろなことを考えて
しまうように。
社長という職業は、自分の仕事を選べる。
これが社長という立場のひとつの醍醐味で
あることは間違いない。
勤めている人は会社の風土にもよるが、
新しい仕事を会社から与えられ、
自分が自然と熱心になれることもある。
これは幸せだ。
なぜならば、ほとんどの人が、会社から
押し付けられた仕事をしている。
新人スタッフの時は、まだ研修もあるだろうから
しょうがない部分もたしかにある。
しかし、ある程度、仕事ができるようになったら
本来の自分と少しでも近いような仕事を
するべきだし、自分からでもやりたいというべきだろう。
(自分から提案できるのは社風にもよるが・・・。)
ありきたりだが、人生の三分の一は仕事である。
特に、男性はどんな仕事の環境下で、
仕事をするかで人生が決まる。
だから、
自分が自然と熱心になれるものを
今の仕事の環境下の中で探したい。