『平家物語』の二段重ねと比較級の直喩 | この世は舞台、人生は登場

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   前回のブログで「漢文学を素材にした直喩」を取り上げ、更にその前のブログで「仏教故事を素材にした直喩」を取り上げました。そして、その中で、白居易の漢詩から素材を採って、懐妊した中宮(清盛の娘徳子)の容姿の美しさを描写した直喩と、藤原成親が平家打倒の陰謀事件「鹿ヶ谷事件」に加わったがために、平清盛の逆鱗に触れて拷問される場面を喩えた直喩に言及しました。その二つの直喩が持っている特徴は、漢文学や仏教を素材にしたというだけではありません。それらの直喩には、西洋古典叙事詩が持っている二つの優れた要素が備わっているのです。一つは「二段重ねの直喩」と、もう一方は「比較級表現の直喩」です。再度、その原文を二つの見地から検証してみましょう。

 

二段重ねの直喩

   『平家物語』の直喩には、一つの事項を喩えるのに二つの直喩を重ねて使っているものがあります。そのような種類の直喩を、西洋文学では「パラレル・シミリ(parallel simile)」と呼んでいますので、私は勝手に和訳して「二段重ねの直喩」と名付けました。その具体例として、下に添付した直喩表現を検証してみましょう。

   藤原成親が平家打倒の陰謀事件「鹿ヶ谷事件」に加わったがために、平清盛の逆鱗に触れて拷問される場面を描いた箇所です。そして、その直喩表現は「二段重ね」になっていて、第一段目は、冥途において鬼たちから罪人が拷問を受けるという仏教から素材を採った直喩です。そして、もう一つの直喩は、南北朝時代(439~589)の梁(502~557)の蕭統(しょうとう、501~531)によって編纂された詩文集『文選(ぶんぜん)』から素材が採られています。それは、漢の高祖劉邦(紀元前256?~195)が家臣であった簫何、樊噲、韓信、彭越などに拷問を加えて殺害したという中国故事です。

 

   その二段重ねの直喩法は、西洋古典叙事詩にはしばしば使用されています。私のブログ「『平家物語』の直喩の形体」においても言及しましたミルトンの直喩は、二段重ね形式の代表的なものです。それは、天国の戦いに敗れた反逆天使たちが、地獄に落とされて、火の湖の中で密集して漂っている有様を、イタリアのヴァロムブローサの渓谷を流れる川に積もった落葉と、オリオン星座が現れる頃、紅海に発生する嵐に倒された菅の葉に喩えている、次の直喩です。

 

   サタンは立ち上がり、天使の姿をした彼の軍勢を呼んだ。彼らは失神して横たわっていて、ヴァロムブローサの小川を覆う秋の落葉と同じくらい密集していた。その地では、エトルリアの森がアーチ形の天井となり木陰を作っている。または、激しい風で武装したオリオンが紅海の岸を混乱させる頃、散乱して水に流れる菅の葉と同じ位に密集していた。―― かつてその紅海の波は、ブシリス王と彼のメンフィス騎馬隊が、憎しみから約束を破り、ゴセンの寄留者(=イスラエル人)たちを追跡した時、その王と騎馬隊を押し倒した。一方、その寄留者たちは、安全な岸から漂う死体と破壊された戦車の車輪を見ていた。 (ミルトン『失楽園』第1巻300~311、筆者訳)

【原文】ルネサンス時代の英語表記

第一段目の直喩

   まず、上の詩行の第一段目の直喩表現を少し詳しく解読しておきましょう。その素材になっているヴァロムブローサは、現在もフィレンツェから東へ25kmほどの郊外にある自然林に囲まれた保養地です。ミルトンがフィレンツェに滞在していた時(1639年頃)、ヴァロンブローサを訪れていたという確証はありませんが、その地名がイギリスにも知られるようになったのはミルトンの上記の詩句であったと言われています。ただ、ミルトンはその地を訪れていなかったのですが、その地名「ヴァロンブローサ(Vallombrosa)」の字義通りの意味である「日陰になっている(ombroso)+渓谷(vallone)」から「葉の生い茂る森」を連想して直喩を描いた、という意見もあります。しかし、その落葉の素材がどうであれ、直喩表現は優れていると評価できます。

   「木の葉の散乱」を「大群集」に喩える表現法は、ウェルギリウスから採られているようです。『アエネイス』の主人公アエネアスが冥界訪問をしたとき、三途の川アケロンで船頭カロンの船に乗せてもらうために船着場へ押し寄せる亡者たちの大群を次のように表現しています。

 

   ここで、すべての群集が河岸に向かって一目散に押し寄せていた。・・・(その様子は)秋の森の中で、初期の寒冷の頃(=初霜の降りる頃)に沢山の葉が散り落ちるようであった。または、渦巻く深い海から陸地に向かって鳥の大群が押し寄せるようであった。凍てつく季節が(鳥たちを)大海の彼方へ追い出し、太陽の照り注ぐ土地へと送りこむ時のことである。 ( ウェルギリウス『アエネイス』第6巻305~313、筆者訳)

【原文】

   上のウェルギリウスの「落葉の直喩」の「秋の森の中で、初霜の降りる頃に沢山の葉が散り落ちるよう」という表現は、ミルトンの直喩表現よりもはるかに単調です。この両詩人の「落葉の直喩」と比較言及されるのが、ダンテの次に添付する直喩です。

 

   秋の木の葉が一枚また一枚と散って行き、ついに木の枝は地面の上に自分の脱いだもの(落葉)を見る。ちょうどそのように、アダムの悪い種子たちは、彼の呼び声でやって来た鳥のように、(渡し守カロンの)合図に従って一人ずつ、あの岸から飛び込んでいる。  (ダンテ『神曲』『地獄篇』第3歌、112~117、筆者訳)

【原文】

「無理やり船に乗せられる亡者たち」グスターヴ・ドレ作

   この直喩は、三途の川で渡し守カロンが乗船をためらう亡者たちを櫂で舟の中へ叩き入れる様子を喩えたものです。ダンテの直喩にも、ウェルギリウスと同様に、「落葉」と「鳥」の素材が同時に使われています。まさしくダンテの直喩は、ウェルギリウスから影響を受けて作成されたことは明白なのです。しかし、ダンテという詩人は先人の詩句をそのまま模倣することを嫌ったので、地表に落ちて積もる木の葉だけに注目しないで、枝の側からも着眼して描いています。

 

ウェルギリウスが描くオリオン

   少し脇道に逸れますが「オリオン」について詳しく見ておきましょう。

   ウェルギリウスの直喩は、三途の川を渡ろうとする亡者たちの多さを喩えるのに、秋の落葉の素材だけでは終わっていませんでした。その直喩には、寒冷の地方から温暖な国にやって来る「渡り鳥の大群」を素材にした描写が加えられていました。それは、一つのものを喩えるのに二つの直喩を同時に使う「二段重ね」の技法です。先述しましたミルトンの直喩にもその技法が使われていました。それは、「武装したオリオンが激しい風で散乱させた紅海の大量の菅の葉」を素材にした直喩に加えて、さらに、視界をイタリア・ヴァロンブローサの森から紅海にまで広げて、現実世界から旧約聖書『出エジプト記』の世界へと展開しています。第一段目のイタリアから第二段目のエジプト・紅海へとイメージを拡大する技法はミルトンの真骨頂です。しかし、この第二段目の直喩は、旧約からの素材だけではありません。「激しい風で武装したオリオン(with fierce Winds Orion armed)」の詩句のイメージは、ウェルギリウスからの借用であるというのが通説になっていますので、『アエネイス』の中で描かれた「オリオン」について、もう少し詳しく検証しておきましょう。

   『アエネイス』の中では、「オリオン」は5箇所で使われていますが、そのすべてがミルトンと同じ「嵐を呼ぶ」イメージで使われています。たとえば、「海では冬と嵐を呼ぶオリオンが暴れ放題 (pilago desaevit hiems et aquosus Orion)」というように、「嵐の比喩表現」として使われています。そして、ミルトンが彼自身の直喩素材の選択する時に参考にしたであろう思われるウェルギリウスの二つの箇所があります。まず最初は、アエネアスがカルタゴ女王ディードに、航海の模様を話して聞かせる場面で、次のような描写があります。

 

   進路をこちらへ向けた時、突如として海がうねり、嵐を起こすオリオンが起き上がり、傲慢な南風を使って(我々を)目には見えない暗礁の中の奧へ奧へと連れ込んでいました。そして、荒波を越え、大波を越えて通行の難所の岩礁へと(我々を)追い込んでいきました。その後、あなた方の国のこの海岸へ、少数の(生き残った)者たちが流れ着きました。  (ウェルギリウス『アエネイス』第1巻534~538、筆者訳)

【原文】

   さらにもう一つ、『アエネイス』には、参考にすべき重要な詩句があります。アエネアスの上陸を阻止するために集まったイタリアの王侯・武将たちの名前が羅列される箇所があります。それは、西洋古典文学では必須の技法で、文学用語では「目録(カタログ)」と呼ばれています。その箇所で、武将たちの多さを喩える時、オリオンの名前を次のように使っています。

 

荒れ狂うオリオンが冬の荒波に隠される(沈む)時、リビュアの海面で渦巻く波のように多かった。 (『アエネイス』第7巻、718~719、筆者訳)

【原文】

   ウェルギリウスの使った「嵐を起こすオリオン (nimbosus Orion」と「荒れ狂うオリオン (saevus Orion)」のイメージは、ミルトンの「激しい風で武装したオリオン (with fierce Winds Orion armd)」の原型であったと言うことができます。

 

二段重ねの直喩の効果

   「二段重ねの直喩」の多様性を説明するために、少し脇道に逸れてしまいましたが、本題に戻りましょう。ミルトンは、一つの事物を喩えるのに、異なったイメージを持つ直喩を二段に重ねて使うことによって、現実世界では見ることができない広大な光景を描くことに成功しています。『平家物語』の作者も、ミルトンほどではないにしても、知的空間を広げることに成功しています。藤原成親の拷問場面で使われた「冥途の罪人への呵責」の仏教的描写から、「漢の高祖による家臣への拷問」の漢文的描写へと想像力を掻き立てる技法は、西洋古典叙事詩に固有のものです。その要素が、『平家物語』は西洋古典叙事詩に比肩すると作品である、と私が主張する根拠の一つになっています。

 

 

比較級の直喩

 

   直喩とは「其の疾(はや)きこと風の如し、其の徐(しずか)なること林の如し、其の掠(うばいと)ること火の如し、不動であること山の如し」というように「喩えるもの」と「喩えられるもの」が同等の関係になります。それを、文法用語を使って名付けるならば「同等比較の直喩」と呼ぶことができます。その直喩法には、イギリス詩人ミルトンでは‘as (when)’や‘like’などの導入語が、イタリア詩人ダンテでは‘quale ’や‘come (quando)’などが、またローマ詩人ウェルギリウスでは‘qualis (ubi)’や‘ut (cum)’などの導入語で導かれる表現が使われています。それらは、直喩で使われる標準的な比較法です。確かに、先に見た「藤原成親拷問場面を喩えた直喩」の第二段目の直喩には、「かやうの事をや申すべき(そのようなことを言うのであろう)」と同等比較が使われています。ところが、最初の直喩は、「これには過ぎじとぞ見えし」と比較級で描かれています。すなわち、《冥途の罪人が阿防羅刹の鬼から受ける呵責》は《藤原成親が瀬尾兼康と難波経遠から受けた拷問》よりも「以上とは思われなかった(過ぎじとぞ見えし)」と表現しているのです。

   その他にも、『平家物語』には、比較級の表現が使われて、しかも二段重ねになっている優れた直喩があります。下に示す直喩は、前回のブログでも「漢文学から素材を採った直喩」として取り上げた箇所です。

 

   上の直喩表現の全体構造は、白居易の漢詩から採用されています。そして、その第一段目の構造は楊貴妃の美しさを讃えた『長恨歌』第7句目の「廻眸一笑百媚生(眸を廻らして一たび笑めば百の媚を生じる)」と『李夫人』の第20句目「照陽寝病時(照陽殿に病で寝せし時に)」を合成したものです。さらに、第二段目は『長恨歌』第100句目の「梨花一枝春帯雨(梨花一枝が春の雨を帯びる)」から素材を採っています。すなわち、『長恨歌』と『李夫人』の作品を合成して、楊貴妃と李夫人の美しさを二等分した二段重ねの直喩です。そして、第一段目は「かくやと覚え」と同等比較の直喩を使っていますが、第二段目は「重げなるよりもなほ痛ましき御様なり」と比較級による直喩を用いています。そのことにより、その直喩表現に多様性が生まれ、豊かな情景が描き出されています。

 

優勢比較と劣勢比較の直喩

      世界の言語学においては、比較級といえば「優勢比較 (more…than…」か「劣勢比較 (less…than…」を指しますが、直喩として使われることは異例なことになります。しかし、『平家物語』の直喩法では、その「優勢比較法(・・・よりもなお・・・)」も「劣勢比較法(これには過ぎじとぞ見えし)」も共に頻繁に使われています。そして、その種の直喩は、西洋文学においてはミルトンが好んで使用している技法でもあります。その代表的なものは、次に示す直喩です。

 

   彼(サタン)の耳は破壊的な大音響で聴力を失った。(大きなことを小さなことで喩えるならば)それは、戦の女神ベローナが或る大都市を壊滅させようして、彼女があるだけ全部の攻撃兵器で砲火を浴びせた時よりも劣ってはいなかった。また、この天空が枠ごと落ちて来て、不動の地球が、諸々の元素もろとも粉々に砕かれる時よりも劣ってはいなかった。  (『失楽園』第2巻920~927、筆者訳)

【原文】ルネサンス時代の単語表記

   上の直喩は、魔王サタンがアダムとイブを誘惑するためにエデンに向けて地獄を出発する場面を描いたものです。サタンは、地獄門でケルベロスに似た番犬と怪物「死」と妖女「罪」に出会った後、地球に向けて「混沌」の中へ飛び立ちます。その「混沌の世界」の中で轟いている大音響を喩えている直喩です。すなわち、サタンが聴いて聴力を失う程の「破壊的な大音響 (noises loud and ruinous)」は、「戦の女神ベローナが持っているだけすべての兵器で大都市を破壊する音」よりも劣ってはいない (nor…less… than…)のと同時に、また「天空が落ちて来て地上の物体が破壊される音」よりも劣ってはいない、と言っているのです。英文法学者は、‘no…less… than・・・’は「同等比較」と同じ意味だと主張するかも知れませんが、‘as when・・・, so・・・’の文型とは微妙な意味合いが異なっていと解釈すべきでしょう。『平家物語』の直喩は、《冥途の罪人が阿防羅刹の鬼から受ける呵責》は《藤原成親が瀬尾兼康と難波経遠から受けた拷問》よりも「以上とは思われなかった(過ぎじとぞ見えし)」と述べているのと同様に、『失楽園』の直喩でも、《大都市や地球を破壊するほどの轟音》は、《サタンの聴力を破壊するほどの大音響》よりも「過ぎじとぞ見えし」と言っているのです。

 

   劣等比較の直喩は、『平治物語』の中にも見ることができます。その素材は、白居易の『長恨歌』の中の『平家物語』と同じ一節から採られていて、次のように描かれています。

      上の箇所は、平治の乱で源義朝が殺害された後、平清盛の前に引き出された時の常葉御前の美しさを喩えた直喩ですが、「これにはすぎしとぞみえし」と劣等比較級が使われています。前回の私のブログ「漢文学・中国故事を素材にした直喩」でも指摘しましたが、上の直喩から、平治物語の作者が白居易の原詩を読んでいたかどうかを判断することはできません。その叙述は、白居易の描く李夫人や楊貴妃も、我が国の美人で有名な小野小町や和泉式部も、清盛の面前に引き出された常葉の美しさには及ばなかった、と表現していることは理解できます。しかし、その直喩表現を比較するだけで、その作者が『平家物語』の作者よりも表現能力に劣っていることは明白です。さらに極言することが許されるならば、我が国では、長い直喩を巧みに操る技術と想像力と創造力を持っていたのは、『平家物語』の作者だけであった、と言っても決して過言ではないかも知れません。