予てより定期的に開催している日本刀数寄者の集まり会に、素敵なネーミングを頂きました。ずばり、「刀剣倶楽部」!

 

この会は元々、工房へご来訪頂く方々が交流を深めるために、ユル~ク工房を開放することから始まりました。

のちに派生した分科会(刀剣鑑賞、刃物研ぎ研究、考古探索・歴史ツアー、ものつくり体験、剣術探求、坂東食文化などなど)の中から、各々が興味のある分野で集まって、新たな活動の場を広げていかれているご様子です。

ご様子です・・・というのは、もはや私なんぞの手の届かないところで新たな広がりもあることから、結果的に何かのお役に立ったのであろうと感じているからです。というわけで、今まで開催した「刀剣を主軸にした文化に遊び・学び・体験する機会」を集約して、改めて刀剣倶楽部と銘打つことといたしました。

 

 

今回は、歴史ツアーの要素と刀剣鑑定勉強の要素をミックスして、相州伝発祥の地「北鎌倉」を舞台に、多角的に相州伝の成り立ちと伝法の特徴をご紹介しました。現地の空気に触れながら開催する講義は、刀剣に限らず座学にはない深い理解と解釈が得られます。

 

毎度思うことますが、私は良き友人、良き仲間、良き社会に恵まれていると感じます。そして、比類なき伝統文化を育んできたこの国の素晴らしさを刀剣を通してこれからも情報発信し続けたいと思う次第です。

この度ご参加くださった会員様、12時間ぶっ続けの講義お疲れさまでした。

次回は、目釘制作用の刃物作りに遊び・学び・体験して頂こうと思っています!

工房へ持ち込まれる刀剣は、少なからず故障した状態で運び込まれてきます。

直ちに修復を施さなければ寿命が尽きてしまうものから、ちょっとした補修で済むものまで実に様々です。

 

特に多いご相談は、錆に関することなのですが、錆びた刀剣は必ずと言っていいほど刃こぼれや曲がりが生じています。

日本刀は、「折れず曲がらずよく斬れる」と揶揄されますが、この表現はとても矛盾しています。折れないものは曲がり、曲がらないものは折れるので、折れず曲がらずと相反する表現が同居することは理想に過ぎません。そうです!あくまで日本刀が目指す目標が、折れず曲がらずのギリギリの駆け引きの上にあるということなのです。

では、本当に良い刀とはどのようなものなのか?私は、「折れず曲がってよく斬れる」というべきではないかな?と思います。 なぜなら、折れてしまった刀剣の修復はほぼ不可能ですが、曲がった刀は曲げ直すことができるからです。

 

今回の御刀は戦時中に作刀された軍刀身で、モノウチ周辺にありえないようなくの字の曲がりと全体にプロペラのようなねじれが確認でき、鞘に無理やり押し込んでいるため鞘当りが甚だしい状態です。緩やかなカーブを描く曲がりならば、少しずつでも直しようがありますが、この手の故障は実に手ごわい!

 

基本的に外装の修復ということでお預りしているので刀身にはあまり手をつけないつもりでしたが、とても可愛そうな状態に見ていられず、刀身の補修代を少し用立てて頂きサービス研磨(実はこれが一番辛いものの、初心の方にはついついあまくなってしまう。)を施しました。

 

見違えるような美しい体配に戻ってくれて、まずはホッと一息。

刀剣の外装(以下、拵え)作りには、大きく分けて柄前と鞘の各部位の工程があります。

 

拵え製作の方向性は、鞘師が作る拵え下地の正確さによって定まりますが、柄前の工作では、最終工程の柄巻師の腕に見栄えの良し悪しが託されるといっても過言ではありません。また、鞘の工作では、その完成度は塗師の腕にかかっており、それら全ての工程が一つとして欠くことのできない重要な役割を担っていることは言うまでもありません。

 

私は、これら上記の要素全てがバランスの上に成り立っていると考えているので、全工程を手掛ける事でトータルバランスの調整に重点を置いていますが、さらにそこに刀剣を用いる事を前提に「実用性」を加味することで、はじめて完成された日本刀になる!という独自の解釈を加えています。

 

この実用性(使用感)に関与する鞘の重要な部位として、栗型が挙げられます。

栗型は、太刀から打刀へと刀剣の様式が大きく様変わりする過程で、刀剣を帯に手挟む必要性が生じた当初からほぼ完成された形状で登場し、打刀拵の一つの特徴となっています。

 

 

当工房で高級仕様の拵えをお作りする場合は、この栗型を銘木にてお作りしています(普通、栗型の材料は加工しやすい水牛の角を使います)。拵え下地は、言わずと知れた木(ホウノキ)製ですので、木には木の部品が最も相性がよく、あたりや擦れなどによる破損が生じやすい部位(栗型、コジリ、鯉口)の中でも、補修しやすいコジリと鯉口は水牛の角(写し拵えや時代考証にあわせて刀装具なども)、補修が厄介な栗型は黒檀や紫檀、鉄刀木などで製作します。

工房を移転してからピタッと研磨が進まなくなりました。なぜか全く「研げない!」。研げないと言うより、思ったところにもっていけないのです。町研ぎが何をいうか?と思われるかもしれませんが、思い通りに研げなければ値段に応じた研ぎなどできやしません。

一つ考えられる原因は工房への自然光の入り方ですが、それとて調節すれば何ということはないのだから他に問題があるように思い、電球やら照明器具やらをひっかえとっかえしてみて今は何となく落ち着いたものの、今度は研ぎ自体に違和感を感じる次第。一度、今までのスタイルを全て忘れて試行錯誤を繰り返すも、今度はあたりまえがあたりまえでないのでは?という迷いが生じてくるという塩梅。刃は白く地は黒くというのは、もはや私の中で誤った見解となりつつあります。

少しだけ方向性が見えてきたのは、映り。


この先は三流職人の与太話なので黙殺して頂きたいと思いますが、古刀は全時代全伝法において基本的に映りが立ちます!新刀でも寛文まではほぼ確実に映りがでます。その原因が、白けか疲れか地斑かそんなことは問題ではなく、意図的なものを感じるのです。映りが出ないものは再刃か出ないように作られたか・・・、つまり映りは出てしまうものなのでは?と思います。

 


この刀身は、慶長~寛文期の美濃鍛治の作品です。
外装製作と研磨のご依頼のため、長らくお預りしている御刀の一振りですが、またまた砥石を当ててしまいました。

 


この映りを見ると、もはや美濃伝のイメージからかけ離れた印象を受けます。
焼き刃の特徴はありますが、地金は手をかければ手をかけるほど違う表情を見せてくれます。

 

結局は私の不勉強に起因した問題なので大変低い次元でのお話しなのですが、工房移転に伴うスタンスの確立にはもう少し時間がかかりそうです。

久方ぶりに、目が覚めるような備前伝の修復です。

 

 

鑑定的な表現を用いますと、地金は板目に杢目を交えて肌立ち、地沸よく付き、映りは激しい乱れ映りを見せる。丸みを帯びた丁子を基調に、乱れにわずかに尖りごころや逆がかる箇所が見られる古色を帯びた出来となっています。

 

 

茎尻を若干摘み、折り返し銘となっていることが何とも惜しいですが、健全そのものの上の出来には、ただただ見惚れるばかりです。

 

 

この手の長さの御刀を「脇差し」と表現する場合が多いですが、本来は「片手打ち」と定義すべきではないか?と思います。

 

本日は、日中TV番組の収録があり、日頃静かな工房内がバタバタと忙しかったので、夜は癒しを求めて名刀と向き合わせて頂きました。リポーターの芸人さんの人の良さが好印象で、末永く応援したくなりました。ぜひ来年こそはお笑いグランプリで優勝できます様に!

 

 

こちらは先月掲載いただいた某週刊誌の頁です。ウイットに富んだ記事をご覧頂いた友人らのコメントは意外にも共通しており、なんと「編集に悪意を感じる」というものでした(笑)。

私は、廃れゆく伝統工芸の復興のお手伝いになるならば多少笑われてもよいと思いますし、ご紹介頂ける機会があるならば批判覚悟で新しいことにも挑戦しています。

 

結果的に、良い方向に前進できれば、遠回りも近道になりうると信じています!

ただ今、刀剣勉強会を終えて、ホッと一息ついています。

 

 

新学期?より新しい受講グループをお迎えしての月一回の勉強会を開催していますが、やる気と情熱そして何よりも理解力の速さに驚きすら感じています。

今まで、何年お付合いしても映りが見えないとおっしゃる方もいらっしゃいましたが、今年からの参加者は一味違います。

 

すでに、時代ごとの体配の違いや映りの鑑賞法をマスターされた(通常、体得するまでに多くの時間が必要です)ので、難なく次のステップへ進む事ができます。

同じことを何度も反復する必要もなさそうですし、この度のクラスでは多角的な見方で刀剣をご紹介していきたいと思います。

 

受講者の皆様、本日は朝からみっちりお付合いくださいまして、誠にありがとうございました!

時々砥石に当てている、平造りの短刀身です。
もう10年以上手元においています。

 

酷い錆身で、長らく工房の片隅に放置していましたが、何となくここ数日研ぎ進めてみました。

体配からは明確な時代判定に至らず、砥石当たりだけが頼りでしたがどうも気持ちの良い研ぎ心地(南北朝か?)で、何となく気になってズルズルと手元に残してしまいました。

工房の移転を期に、錆身がゾロゾロと出てきたので、折を見て手をかけてやりたいと思っている一振りなのです。

 

現在白研ぎ状態ですが、直刃調の刃紋が確認できます。刃中の働きは豊富で、刀剣鑑賞の教科書の様な忙しさです。

 

ここで注目して頂きたいのは、焼き刃とは逆の峰側に見える変色した箇所です。ほぼハバキ元から立ち上り、切っ先周辺でモヤモヤっと見えなくなっています。これは映りといって、焼入れによって刀身上に得られる刃紋とは違った別の景色なのです。こういう表現があるかわかりませんが言うなれば地紋とでもいいましょうか?本阿弥光遜氏の著書日本刀の掟と特徴」には、「地の中に恰も息を吹きかけた如く見える匂と同質のものである。刀身を光線に透かして地の中を見ると明瞭に見える」と紹介されています。

 

ちなみに、この手の映りは棒映りなどの部類に入ると思いますが、末備前や美濃の作品でよく目にします。ですが、目を凝らしてもう一度見て頂きたい箇所があります。それは、刃紋と上記の映りの間に見えるもう一つの映りです!丁子刃のような、刃紋とは別の何かが見えますでしょうか?これこそが備前伝などの名品に顕著に出現する映りです。

 

そうです、私がなぜ「この刀身は刀剣鑑賞の教科書の様だ」といったのかというと、刃中や刃縁、地の働きもさることながら、別の種類の映りがクッキリと二重に出現しているからなのです。

 

当初、ハバキ元の映りの立ち上がりを水影とみて、全体の映りも再刃による以前の刃紋跡であろうとか、疲れ映りであろうとあまり気にしていませんでしたが、研ぎ進むにつれて面白い刀身だな~と感じ入っている次第です。

 

ちょうど、鑑賞の勉強会用に資料が欲しいと思っていた矢先なので、これほどわかりやすい参考例はなかなかないと思います。素人の方がはじめに挫折するのが、この映りの見方のようです。「わからない、わからない」と頭を悩ませたまま刀剣から足が遠のくというのが多いパターンです。

過去に思い当る節がある方は、気を静めてもう一度チャレンジしてみるのはいかがでしょう?

新しい柄前が完成しました!

 

 

江戸時代、武家は名字帯刀を許された身分の証として、こぞって身なりに気をつかっていました。

特に余裕のある者は、真っ先に商売道具たる刀剣にお金をかけることがあたりまえで、結果職方の技術の向上へと繋がっていました。

つまり、武家文化が今日の伝統工芸発展の礎になっていたといっても過言ではありません。

その後明治に入り、廃刀令以降の刀剣需要の落ち込みで、それまで刀剣分野に限られていた高度な工作技術が様々な産業分野へと裾野を広げていきます。

 

では、江戸時代の侍たちは、刀剣のどの部分に気をつかっていたのか?というと、それは外装(拵)でした。いくら帯刀が許されていたからといっても街中で刀を抜くことは許されず、世の中が平和になればなるほど刀身の性能は無用の長物となり形骸化していきました。

ちょうど化政文化が華やかな頃、刀工の技術も需要も先細りしていきます。時代は派手好み格式重視の権威主義が幅を利かせ、戦闘の用意や実用重視といった思考は影を潜めます。

当然、常に身に帯びて目に付く外装に嗜好が凝らされていくわけです。

 

 

さてさて、今回お作りしている外装は、そんな江戸時代のTPO的な考え方から少し離れて、実用性や丈夫さに重点を置いて製作中です。イメージ的には、今だ戦乱の気運が立ち込めていた幕藩体制が確立する以前の江戸初期慶長頃の流行拵です。

 

 

私は、この手の鉄地に銀象嵌の刀装具が好きです。

 

 

前回ご紹介した目貫も雰囲気よく納まってくれました。

 

 

次は鞘塗りです。もちろん、目指すイメージに向けてトータルバランスを調整しながら仕上げていきます!

以前にも紹介しましたが、目貫を拵えに組む場合に事細かく掟(刀剣外装の難しい掟)が定められています。

目貫の向き(yahoo!ブログより)

 

手元に大変興味深い目貫があるので、ご紹介します。一緒に勉強しましょう!

というわけで、この目貫の表裏を当ててください。(ちなみに、桐箱は別物です。)

 

花の数は左右同じで花器に生けてあるため、茎や根から方向を判断することが出来ません。

この場合、花の活け方を見て判断するほかありません。

 

よくよく見ると花の構図が左右違うことがわかります。決定的な違いは花器周辺の表情です。

 

左の目貫には、花器のちかくに花が配されています。

 

右の目貫には、葉っぱしか見えません。

 

寸法を測ってみると、左の目貫が0.4mmほど大きく作られていました。(表目貫を若干大きく作る傾向があります。)

つまり、左の目貫が表、左が裏でした!ということで、左側の目貫を柄前の指し表に巻き込まなければなりません。

 

ところで、現存する時代拵を鑑賞していると、目貫(特に指し表)が絶妙な位置に配置され拵え全体を引き締めて躍動感を与えています。目貫通りという言葉が指し示すとおり、目貫の位置一つで拵えの雰囲気が垢抜けたり田舎っぽくなったりとガラッと変わってしまうわけですが、拵え全体のトータルバランスを考えてもっともすわりのよい場所に目貫を取り付けた江戸期の職方のセンスの良さに毎回脱帽してしまいます。

ですが、ひとたび使用面だけを考えてみると、とても使い難い場所に置かれていたりします。これは、当時の武士の手が小さかった?とも考えられますが、現代人の体格に合わせて外装を製作する場合に大変厄介な問題を引き起こします。特に写し拵えの場合に、配置の美しさを取るかはたまた使用感重視で行くか、打刀拵の表情に大きな影響がでてしまうため毎回悩みに悩むわけです。

 

現代人は、すでに現代人というフィルターを通して古美術品を見ています。別の時代に生きている以上仕方のないことなのですが、古作の再現を阻む大きな要因は私達自身にあるというお話でした。

武道で刀剣を扱っていらっしゃる方なら、必ず一度は見聞きしたことがあるでしょうか?

武芸の奥義は、手の内にあり!とか、手の内で斬れ!とか・・・。

たしかに、「手の内を明かす」という慣用句がある以上、武道において最も重要な事柄の一つに違いありません。

 

○手の内を明かす

 

意味:自分の持っている技術や抱いている計画などの大事な情報を、第三者に打ち明けることを意味する語。

 

この慣用句「手の内を明かす」は、弓道に由来するとまことしやかに紹介されている方がいますが、何も語源は弓道に限定ったことではなくて、得物を用いる武道全般に共通することのように思います。

特に、刀剣操作の解説においては、「手の内」というなんとも抽象的な表現にも関わらず、シックリとくる言葉が他に見当たりません。では、そんな繊細な感覚器官?である「手の内」が刀剣と繋がる唯一の装置は何か?というと、刀剣外装の柄の部分です。

(日本刀の茎を直に握る流派や技を見聞きしたことがありませんので、まず異論はないと思います。もし、そのような技術を継承されている方がいらっしゃいましたら是非ご一報ください!)

 

「弘法筆を選ばず」といいますが、刀剣の使用感を決定付ける重要な要素に、柄の形状が挙げられます。より繊細な操作を可能にするためには、使い手の身体的特徴に合致した柄前を作り上げることがよいとされています。

この柄前の形状のことを「柄成り」などといいますが、柄成りの調整は一筋縄ではまいりません。

刀身を最大限に活かし、かつ用途にあったバランスや強度を勘案し、前出のとおり使い手の身体的特徴に合わせて微調整を繰り返す。さらに、依頼者のご要望のデザイン性や材料の選択、刀装具の好みなども相まって初めて刀装が完成するのです。

 

製作途中の柄前の峰方(ちょうど鮫を着せたところ)。

 

柄成りは、柄巻きだけで調整するものではなく、柄下地・鮫着せ・柄巻き、全ての工程でアウトプットを意識しながら造り込んでいきます。

 

柄頭側から見た峰方。この微妙なラインが、後々使用感に大きな影響を与えます。

 

ちなみに、居合などの剣術をたしなんでいらっしゃる方々の指し料の大半が、規格品や模造刀の流用外装です。刀装具にいたっては、バランスの取れない不恰好な鋳物が幅を利かせています。この風潮には、毎度ながらとても違和感を覚えます。

手の内がどうの、たなごころがどうのとご指導されている方が多いですが、その前に今一度ご自身の愛刀の外装の状態をご確認頂きたいと感じます。中には、今にも目釘が抜けて刀身がすっぽ抜けてしまいそうな構造上の欠陥を抱える拵えも多々目撃します。

刀剣外装の顔に値する箇所である柄前は、古来より持ち主の品格を現わすと言われています。精神の鍛錬を目指す武道家である以上、ご自身をいやしめ卑下することのない様にお願いいたします。