急な告知で申し訳ございませんが、北鎌倉に埋もれた刀剣ゆかりの地をご案内する観光イベントを開催します。

 

常々ご紹介しておりますとおり、神奈川には製鉄と刀剣にまつわる歴史や文化、史跡や伝説が数多く残っており、特殊な製鉄文化圏を形成していたことが伺えます。特に、鎌倉に隣接する横浜市栄区を流れるいたち川流域は、関東最古の製鉄文化が育まれていたことからも、関東の製鉄に重要な地であったことがわかりますが、今回は鎌倉時代以降に確立し、正宗に代表される相州伝の発祥の地となった北鎌倉周辺に残る刀剣ゆかりの地を巡りながら、相州伝の謎に迫る刀剣ミステリーツアーを開催いたします。

 

前回の刀剣ツアーの様子

 

今月は、今週末・来週末のみの開催です。なお、参加希望者が一定数に達した場合のみツアーを行います。また、上限人数が限られていますので、ご都合が合う方、ご興味をお持ちの方は、是非ご参加ください!

参加には、Tabica社のHPよりツアーへの予約が必要です。すでに、土曜日の受付は終了したようですので、日曜日以降のご予約はお急ぎください。

 

下記サイトより、ご予約頂けます。

地元日本刀職人がご案内する北鎌倉刀剣街歩き

 

皆様のご参加を、心よりお待ちしております。

一時期猫の楽園などと騒がれ、雑誌などでも度々取り上げられていた江ノ島です。

 

 

ブーム?の波が過ぎた今、その後の猫たちはどうしているだろう?と、連休中にかの地へ足を運びました。

今も猫の楽園は健在なのでしょうか?

 

どんなに時間が経とうとも、ここからの景色はザ・湘南といった爽快感に満ちています。

 

しかし、猫がいません・・・。

 

一匹もいません。

 

やっと見つけた猫も、飲食店で飼われている看板猫のようです。

 

地元の人に聞いてみると、ネット上でのなりすまし犯事件に巻き込まれ、それ以降猫の誘拐が相次いだため、ここ数年はほとんど猫がいなくなってしまったとのことでした。

 

今でも細々と野良猫はいるようですが、古い雑誌などに猫1000匹という記載が踊っていた時代は遠い遠い昔のことのようです。

前回ご紹介しました、流用ハバキを材料にして、新しいハバキを作ります。

 

まずは、前回の合わせのハバキ。Before processing.

身幅はある程度合っているものの重ねが違うため、常にガチャガチャと音がします。

このまま放置すると刀身の刃マチ・峰マチが削れたり折れたりして、大きな破損の原因になります。この刀身も、既に限界に達していました。

 

一度、ハバキを分解して刀身に合うように再加工します。

 

こちらがリサイクル?ハバキ!After my work.

微調整やデザインは気にせずに応急処置!

ぐら付きや当たり、ガチャガチャ音は一切ありません。

 

これで、外装を新たに作ることが出来ます。というわけで、ホッと一休み。

日本刀は、鉄の芸術品などと言われますが、100%鉄で出来ているわけではありません。

実用に興ずるためには、刀身・ハバキ・鞘・切羽・鍔・柄前(柄縁・柄頭・目貫)といった、各種の部品が必要ですし、基本的に刀身に触れる部分はすべて木でできています。

また、刀身だけを取り上げてみても、介在する鉄(Fe)以外の不純物にその性能の秘密が隠されていると考える研究者は多く、冶金学分野では日夜研究が続けられています。ただし、本当の意味での刀剣の性能とは、刀身のみをみて論じるものではなくて、刀身の性能を生かす外装、使用者の熟練した操作技術が相まって、はじめて武器としての性能が評価されてきました。

 

ところで、昨今修復と称して工房へ持ち込まれる錆身(錆びた刀剣)の十中八九に写真のような共通した問題がみられます。

 

刀身のハバキ周辺を峰側から見た図。

 

お判りいただけますでしょうか?この状態は刀身にとって、とても危険な状態です。

日本刀は一振り一振り手作り品なので、一つとして同じ物はありません。そのため、刀身に唯一装着する金属製の部品(ハバキ)も一振りごとに白金師という専門家が作ります。

この写真の刀では、刀身とハバキの間に隙間が空きすぎてガタガタ音がする程です。その原因は、別の刀身のために作られたハバキが流用されているためです。

このような症状は、インターネットのオークションサイトで実物を確認せずに購入されているケースに共通しています。武道などで長年用いてきた愛刀の修復では、全くと言っていいほどこの問題は発生していないことから、インターネット時代が生んだ古くて新しい問題なのだろうと思います。

 

合わせのハバキが使用されている時点で、このまま新たな外装をお作りすることは出来ません。

結局のところ、「少し錆びているけど安く買えるから・・・」という入札者の欲につけ込んだ悪質なケースと言えますが、出品者(業者か?)の方が一枚も二枚もうわてだということを頭の片隅に置いて頂きたいと思います。

 

次に、よくある相談者の失敗例をご紹介します。ここでは、若干錆びた脇差し(拵え付属)を入札するとします(わかり易い様に参考価格表示)。出品文句は、「ウブ出し、古研ぎにつきサビあり、拵え付属、手をかける必要なし」です。

 

入札者は、研ぎに出せばよい状態になるだろうと考え、落札価格に研磨代(15万円)を乗せて無理のない金額(10万円)で落札!手元に届いた刀剣は、錆身であることは記載通り、ハバキはガタツキのある合わせ物、鞘は反りが合っていても内部にサビが残っているため研ぎ上げた後は使用不可、柄前は模造刀の部品を流用して柄巻きだけ新しく施して見栄えを整えてあるケース。

 

この場合は、研磨時に最低限ハバキ(4~5万円)と白鞘の新調(5~6万円)が追加で必要(約10万円)です。さらに、外装を修復しようにもほぼ新規作成になるため、刀装具の調達や外装製造に要する時間も長くかかり、最終的にはご予算を著しくオーバーしてしまいます。

 

結局のところ、同様のグレードの脇差しであれば、刀剣店にて実物を拝見しながら購入しても、ご予算内で見つける事ができたかもしれません。

何が言いたいかというと、ハバキは修復・外装作りの出発点になりますので、購入前に最低限ハバキの健全さを確認をされることを強くオススメしたいという話でした。

 

今回はやむを得ず、付属されていた流用品を材料に、ハバキを打ち直すことにします。

栄区を流れるいたち川流域は、律令の頃より室町初期に至るまで地域文化圏の中心地として大いに栄えました。

 

平安時代には、物事の起点とされる尺度(さかど)という地名が用いられていたこと(今日の本郷台周辺)や多くの著名人を輩出したことからも、早い時期から高度な文化圏を形成する地域であったことが伺えます。

また、尺度は税制の対象としての基点という意味合いがあり延喜式にみられる税金や物資の流通拠点であったばかりか、高僧良弁(東大寺初代別当)はこの地を治めた染屋太郎太夫時忠の子といい、東大寺建立に際し多大な寄進の記録が残る漆部氏の姓が染谷氏であるとされることからも、いたち川流域における文明の成熟度を解釈するうえで力強い後押しになります。

さらに、時忠は製鉄事業で財を成したといわれ、近年栄区で発見されている関東最古にして最大規模の深田製鉄遺跡の年代が時期的に一致しており、いたち川流域が七世紀当時最先端の製鉄文化を育んだ類まれな文化の中心地であったことを裏付けます。

従来の説(鎌倉幕府以前の鎌倉周辺は不毛の地)に反し、上記のような文化的背景がのちの南北朝期に全盛期を迎え、今日も高い評価を得ている相州伝の誕生へとつながっていきます。

 

ちなみに、いたち川源流域に位置する長倉の地には、長者窪という字の谷戸があり、当時の屋敷の形状から鑑みても何らかの権力者の住居跡であろうことが想像できます。

ほぼ変わらぬ地形と地名が当時のまま残されていることも、鎌倉を含め栄区一帯の特色でもあります。

 

さらに下流域にあたる笠間には、鎌倉時代に整備されたとされる(実際には、国譲り神話の時代からあったであろう)街道があり、今日でも昔と変わらぬ交通の要衝として機能しています。

この「笠間」の地名を考えるうえで、茨城県笠間市の存在を外して解釈することは難しいでしょう。

 

鹿島神宮の社殿が建つ茨城県は、かつて東国の蝦夷と大和朝廷が対峙する最前線の戦地でした。

これより先の北方は、敵方の支配地域と考えられていたわけです。

そのため大和朝廷側の武人は、利根川を挟んで朝廷側に位置する香取で先勝祈願や軍備の増強?充実を図り、鹿島の地で最後の祈りをささげて戦場へと赴いたのでしょう。

実際の戦場となったのが笠間などの、より蝦夷側の領土内と考えられます。

武の神を祭る社と言えば、香取神宮と鹿島神宮が有名ですが、どちらも神宮の名を持つ規模の大きな神社で皇室とも強い繋がりがあり、大和朝廷にとって重要な拠点であったことが伺えます。

香取・鹿島両神宮の周辺をつぶさに調べると、製鉄や刀剣との深い関係が見えてきますが、特に青や赤といった金属の色や鉄に関連した神社や地名、伝承が多く残されています。

 

いたち川下流域の笠間にも、青木神社・鹿島神社といった鉄と関連の深い地名が所狭しとひしめき合っていて、製鉄文化との関係を想像せずにはいられません。

 

一説には、茨城から来た製鉄氏族(俘囚か?)が住み着いたとする地名説もあります。

 

小高い丘の上へ参道を進むと、青木神社から分祀された鹿島神社があります。

 

こじんまりとしていますが、堂々とした風格。

 

笠間は、前出の関東最古の製鉄遺跡を内包する栄区にあって、さらに古い鍛冶場の遺構が発見されていることも注目に値します。

 

さてさて先週末、笠間地区を挙げての青木・鹿島神社の祭礼行事が執り行われました。

 

子供たちの元気な掛け声がこだまします。

 

今日では、製鉄との関連性を紐解くような個性的な催しはありませんが、地域の方々が力を合わせてお祭りを盛り上げています。

 

笠青睦會による、お神輿し。

 

地域最大規模のお祭りは、大人神輿の熱気と子供たちの笑顔を伝えるビックイベントとして、今後も末永く続いていくことでしょう。

打ち下ろしの現代刀です。

 

鍛治押しの状態でしばらく保管していましたが、本日砥石を当ててみました。

 

作者は、友情の証にこの刀身を私に託してくれました。

平安期の形状を模した豪壮な太刀形状をしており、鉄の色は自家製鉄とのことですが、やはり現代たたらの鉄色に近いように思います。

研ぎ味はどうかというと、これがなんともやさしい研ぎ心地です。

この手の鉄は、古刀期のものに共通しており、新刀以降新々刀に至るまでどんどん固くなっていきます。時代が進むにつれて、製鉄技術の向上により材料の純度が高くなっていったことと関係があるでしょう。

 

しかし、この刀は凄い!

そして、この刀匠の技量の高さは、追随を許さない凄まじさを感じます。

この先、研ぎ進めるのが楽しみになる一振りです!

日本刀は、作刀された時代によって微妙にカタチが違います。

その違いは、日頃から刀を見慣れていない方にはたいした違いには感じられないようですが、毎日刀剣と対峙している職方にとっては大きな違いです。

特に、その違いが顕著に現れるのが、「刀身の反り」です!

 

日本の刀剣は言わずもがな手作りですので、一振り一振りカタチが違います。反りかたも千差万別、まったく同じ形の刀身を探すことの方が難しいほどなのです。

そのため、刀剣外装も刀身に合わせて作るのですが、無理をして他の刀身のためにあつらえられた鞘に収納しようにもなかなか反りが合わないのです。そうです!「反りが合わない」という慣用句は、日本刀の刀身と鞘の相性から出た言葉なのです。結局、元の鞘に落ち着くという言い回しもありますね(笑)

 

写真は、現在製作中の外装です。

鞘を見ただけで、収まっている刀身が極端な腰反り体配であることが伺えます。

では、どれほど腰反りかというと、一般的な寛文時代の刀剣(新刀)と比べてみましょう。

 

こちらも現在製作中の外装です(下地塗りが終わった段階)。

コジリの角度を合わせて並べてみると、その違いが一目瞭然です。

出来合いの規格鞘などでは、このような腰反りの深い刀身には反りが合いませんので、オーダーメイドならではの形状です。本来、外装を見るだけで、刀身の時代がわかるというのが好ましい工作であろうと思います。

 

最近、工房へ遊びに来てくれる近所の小学一年生が、百発百中で古刀と新刀を見分けられるようになりました(笑)。

ご来訪ありがとうございます!久方ぶりの更新です。

先日東名高速をひた走り、日帰りで中部地方へ向かいました。

日頃関東から飛び出すことが稀なため、一人テンションが揚がりっぱなしでした(笑)

特に、富士山が目前に迫った時の高揚感は、旅慣れた方々には到底ご理解頂けないことでしょう。

 

足柄から見た富士山

 

富士川からみた富士山

 

逆方面から見ると、また違った雄大さを見せてくれます。

 

坂東の先人たちが京へ昇った帰路、富士山が見える度に様々な思いが交錯したことでしょう。

 

ところで、富士の名称はいつ頃定着したのでしょうか?かつては様々な呼ばれ方をしていたはずです。芙蓉などもその一つですが、江戸時代に富士に統一されたらしく、一説には士族(武家)が富むようにとの願いが込められているといいますがこれとて定かではありません。

 

また面白い説に、竹取物語の終盤に登場する山こそ富士山だ!とするものがあります。以下原文【そのよし承りて、兵ども数多具して山へ登りけるによりなん、その山を「ふしのやま」とは名付けける。その煙未だ雲の中へ立ち上るとぞ言ひ伝えたる。】

 

この「ふしのやま」は、古来より、「兵士に富む」説と「不死の妙薬」説が考えられてきましたが、どちらにしろその山こそが富士の山であるというものです。

 

今となっては語源はわかりませんが、まさに風格に似合う名称こそが富士山なのだ!と、勝手な解釈を加えながら東海道をひた走るのでした。

ご来訪ありがとうございます!暑い日が続きますが、くれぐれも体調管理にお気を付けて、ご自愛なさってください。
 
さて、今回は長らくお預かりしている定寸刀の柄前制作記です。
修復内容は、白鞘に収まった錆身刀を居合に使える状態にまで作りこむという、気の長~いお仕事です。
というわけで、柄前が完成しました!
 
今回の刀装(刀剣外装)は、刀身の特徴(室町期の実戦刀)に合わせました。
戦国時代の雰囲気を表現すべく、武骨な中にも洗練された実用性を加味します。
 
縁頭は、鉄地に若干象嵌が施された腐らし手のものを用い、縁頭は、深い作り込みのものを選びました。
 
太刀金具などの下地に被せる形状の頭金具を兜金といいますが、これは兜というより烏帽子型です。
 
刀身が腰反りの深い体配であるため、鞘に納めた状態での拵え全体の座りの良さを調整することは至難の業です。
さらに、抜刀した時のバランス感、武道に用いるときの使用感の改善・・・、オーダーメイドの調整箇所は数え上げたらきりがありません。
 
今回用いた目貫です。あまり高級品とは言えませんが、武道に用いられることから腰の低い手持ちの良い目貫を選びました。
 
この手の目貫(剣巻龍)の掟は、とても難しいので注意が必要です。
 
剣巻龍には、上り龍と下り龍があります。下り龍の場合、剣(両刃のつるぎ)の切っ先を柄縁方向に向けると龍が逃げますが、剣の掟を優先します。刀身彫りも同様で、素剣の切っ先がハバキ元を向くことはありません。
 
次に、表裏の見極めですが、剣だけ見ると表裏を特定することはできません。目貫のヘソが陰陽根になっている場合は参考になりますが、それでも生まれが太刀ハバキの場合には打刀に組み込むと収まりが悪いケースもあります。
 
実は、龍の目貫は必ず雌雄一対になっています。そうです、指し表側が雄、差し裏側が雌です。
では、どこを見るか?ですが、古文書などには顔の表情や角で判断することが書かれていますが、一番簡単な見分け方は、尻尾を見比べます。雄の尾は剣型になっているので、すぐに判別可能です。
もちろん、尾が見えない場合もありますので、その場合は十分にお気をつけください。
 
あと少しで完成!の図
 
次は、鞘の制作です。

錆びるに任せた感のある小柄の修復です。

 

小柄は、コヅカと読みます(コガラではありませんよ!)。

これは、外装の鞘の差し裏側に装着する実用刃物で、ちょっとしたペーパーナイフの様な使われ方をされていました。

実用品なので、当然ながら使用により消耗や破損、サビが生じている場合が多く、刀剣ほど神経質になる必要もありません。

また、重ねもカッターナイフの刃の様に薄いので、無理にサビを除去しようと研ぎをかけるとペラペラになってしまって用をなさなくなります。

 

さてさてこの小柄ですが、どの部分を小柄というのかというと、本来は柄(え)の部分の袋状の刀装具を指して小柄といいます。

そのため、小柄に装着する刀身の部分は小刀だとか、刀身の部分も込みで小柄だという場合もあります。中には、正式名称は小柄小刀だ!とおっしゃる方もいますが、いちいち小柄小刀というのも違和感がありますので、私は小柄の刀身の部分は「穂先」で十分だと思っています。

 

この穂先は、サビと変形で汚らしい状態でしたが、何とか整形を施しました(拭いはかけていません)。

鍛えは柾目で、焼刃は直刃に、突き上げて滝落とし、深い峰焼きを焼いています。

 

これはこれで、おもしろい作域です。若干アバタが残りますが、整形はここまで。

また、観賞研ぎはあまり意味がないので、小柄の穂先の修復はここまでとします。

 

小柄の銘はさほど重要ではないのですが、表の刀身銘と焼刃が似通っていると、ちょっとうれしくなります。(笑)