川越style「令和元年10月19日、20日 川越まつり」川越まつりの街 川越 | 「小江戸川越STYLE」

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川越の現場で様々なまちづくり活動にも従事しています。
「小江戸川越STYLE」代表:石川真

 


令和元年10月19日(土)、20日(日)に開催される川越まつり。

(今年のポスターには川越STYLEの写真も使われています)
「川越まつり公式サイト」
https://www.kawagoematsuri.jp/

■神幸祭
氷川の神様が神輿に乗られて町を巡行することで、その御神徳をいただき、幸福と町の繁栄を祈請するという、現在の山車行事の原型となった伝統儀式です。
19日(土)13:00 氷川神社出御

19日(土)14:30 氷川神社還御

 

■宵山
山車に提灯が灯り、居囃子を披露。落ち着いて山車やお囃子をご覧いただくことができます。 各山車の場所は参加町の会所、宵山の山車展示位置情報でご確認ください。
・19日(土) 18:00~19:00頃
参加町の会所、宵山の山車展示位置情報
https://kawagoematsuri.jp/matsurimap2019.html


■鳶のはしご乗り
蔵造りの町並みを舞台に、鳶職人の妙技が披露され、技が決まる度に観客からは大きな拍手と歓声が上がります。
19日(土) 18:20 埼玉りそな銀行

 

■令和元年奉祝山車巡行
市役所前、札の辻、本川越駅前、通町の各交差点を結ぶルート上ではどこでも多くの山車を見ることができます。
その姿はかつての江戸天下祭を彷彿とさせます。
20日(日) 13:30~16:00頃


■夜の曳っかわせ
山車が出会うと正面を向き合わせ、囃子の競演が始まります。周りの曳き方衆は激しく提灯を乱舞させ、祭りは最高潮に盛り上がります。
場所:市内各所、19日(土) 19:00~21:00頃 20日(日) 18:30~21:00頃


■令和元年川越まつり参加山車一覧
喜多町 秀郷の山車
幸町 翁の山車
幸町 小狐丸(小鍛冶)の山車
志多町 弁慶の山車
新富町一丁目 家光の山車
新富町二丁目 鏡獅子の山車
末広町 髙砂の山車
仲町 羅陵王の山車
中原町 重頼の山車
野田五町 八幡太郎の山車
南通町 納曾利の山車
宮下町 日本武尊の山車
元町一丁目 牛若丸の山車
元町二丁目 山王の山車
連雀町 道灌の山車
六軒町 三番叟の山車
脇田町 徳川家康の山車
川越市 猩猩の山車

川越まつりは江戸の天下祭(神田明神、赤坂日枝神社の各祭礼の総称)の影響を強く受けて発展し、祭で曳き出される山車の形も天下祭の流行を敏感に感じ取りながら変化していった。精巧な人形を乗せた絢爛豪華な山車が、小江戸川越の象徴である蔵造りの町並みを中心に、町中を曳行(えいこう)される。何台もの山車が辻で相対し、すれ違うさまは、そのスケールの大きさに、見物客を圧倒する。
川越まつり最大のみどころは「曳っかわせ(ひっかわせ)」。向かい合う数台の山車が、囃子(笛、太鼓、鉦、踊り)で競演し、まつり人たちは提灯を高々と振り上げ、歓声を上げる。とくに夜の「曳っかわせ」は最高潮の盛り上がりを見せる。
川越まつりは、江戸「天下祭」の様式や風流を今に伝える貴重な都市型祭礼として370年の時代を超えて守り、 川越独特の特色を加えながら発展してきた。
平成17年(2005)、「川越氷川祭の山車行事」として 国指定重要無形民俗文化財となった。

川越氷川神社で創建以来続けられた秋の神事が、毎年10月14日に行われる「例大祭」であり、大神様への感謝の奉納と、氏子崇敬者への健勝が祈られる。
「神幸祭」は、氷川の神様が神輿(みこし)に乗られて川越城下の町々を巡行することで、人々はその御神徳をいただき、 幸福と町の繁栄を祈請(きせい)する、という伝統儀式。本来は「例大祭」に続く10月15日に行われていた。
御神幸を迎える姿の整った山車行事の初日の午後1時、氷川神社を出御(しゅつぎょ)する華麗な行列は、志多町坂上 ⇒ 札の辻 ⇒一番街(蔵造りの町並み) ⇒仲町 ⇒ 松江町2丁目 ⇒ 大手町 ⇒ かつて西大手門があった市役所前へと 歩みを進め、午後2時30分頃に還御(かんぎょ)する。
昼の川越まつり昼間の川越まつりは、人形や彫刻、幕の刺繍など、それぞれ違う個性をもった山車を比べながら見て回る。
また、手古舞姿に身を包んだ艶やかな小江戸小町や、
山車を自在に操る鳶、曳き手の姿、まつり囃子などが楽しみ。昼の川越まつり昼の川越まつり昼の川越まつり
夜の川越まつり夜は提灯に明りがともり、昼間とは全く違う幻想的な姿となった山車の様子と、囃子が入り乱れ、曳き方衆の提灯が乱舞する曳っかわせが、川越まつり最大のみどころ。夜の川越まつり夜の川越まつり夜の川越まつり
居囃子山車の出ない町内や囃子連が、道路に面して仮設舞台をかけて行うのが居囃子。笛、太鼓、鉦のリズムにあわせ、天狐、ひょっとこ、もどきなどの面を付けた踊り手が、軽やかに舞う。囃子は、まつりのムードを引き立て、見物客を魅了する、無くてはならない演出だ。居囃子
山車の曳き回し午後2時ごろからの市役所前。 晴れ姿をお披露目するために各町内の山車が市役所前を巡行する。絢爛豪華な祭礼絵巻を再現する江戸系川越型山車の揃い曳きは、川越まつりの一番の特徴であり、見事さは圧巻そのものだ。 正調の江戸祭礼情緒を心ゆくまで堪能できる。

山車の曳き回しの先頭は先触れ役で、他町の会所や山車へのあいさつを行う。次につづくのは金棒を手にした露払い。そして色あでやかな手古舞(てこまい)衆。吉原つなぎの着物に緋ちりめんの右肩を3枚、5枚と肌脱ぐ。黄八丈のたっつけ袴をはき、名入りの提灯と金棒をもつ様子は、祭りに華をそえる小江戸小町の見せどころ。
一の拍子木を首からさげた宰領が、あたりに注意をはらう。山車の曳き回しは、すべてこの宰領の合図で決めるのが川越まつりの伝統である。山車に近い元綱のほうでは揃い衣装の若衆たちが気勢をあげている。山車のまわりは鳶職で固め、鳶頭が二の拍子木で指図する。自慢の山車を大勢の人びとが心を一つにして動かしている。
宵山山車行事の初日、午後6時頃から7時頃まで、蔵造りの町並みなどに山車が飾り置きされる。天降った神を現した人形と上層の鉾をいっぱいに迫り上げて正装した美しい山車と軽やかな囃子の音色、踊りをじっくり楽しむことができる。宵山
曳っかわせ夜のクライマックスは午後6時半ごろから9時ごろまで、中央通り、蔵造りの町並みと各交差点でくりひろげられる曳っかわせだ。 山車が四ツ角などで他町の山車に出会うと、お互いに囃子台の正面を向けて競いあう。この曳っかわせに勝ち負けはないが、囃子が入り乱れ、曳き方衆の提灯が乱舞する光景は圧倒的な迫力がある。

 

川越の山車保有各町内では、それぞれに川越まつりを迎えるまでの川越物語があります。

川越市連雀町は、本川越駅~一番街の中間辺りにある地域で、蓮馨寺、熊野神社があり、南北に走る中央通りは個性的な個人店が軒を連ねています。

近年は、「川越昭和の街」として知られ、新たなまちづくりが進む注目のエリア。

2019年9月14日(土)に川越市シルバー人材センター主催で開催されたのが、「古地図で巡る川越城と城下町」でも、ツアーで連雀町の歴史がじっくりと説明されていた。
『長禄元年(1457)に太田道灌が築城し、寛永16年(1639年)5代目川越藩主になった松平伊豆守信綱が大拡張した川越城と、十ケ町四門前の町割りの古地図「元禄七年(1694年)川越図 川越市立中央図書館 蔵」を片手に、小江戸川越の歴史とロマンを33年の伝統を引き継ぐシルバーガイドがご案内いたします。』

(川越style「古地図で巡る川越城と城下町」川越市シルバー人材センター

https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12526351446.html
「連雀」というのは、物を背負うのに用いる背負子(しょいこ)のこと。
江戸時代の行商の多くは、この連雀に荷物を担いで、各地を往来していた。また、中世から江戸時代にかけての連雀で運搬する行商を連雀商人、あるいは連雀衆ともいう。
本来、「連雀」とは渡り鳥の雀を指していた。
川越には、室町時代から連雀商人たちが往来していたといわれる。
初代川越藩主の酒井重忠は、連雀商人を定住させようと施策を打ち出した。
その定住地が今の連雀町辺りだろうと考えられている。
江戸時代の城下町には、行商が連尺に荷を繋げたまま荷物を下ろし、そこに店を出した地域があり、これが各地の「連尺」「連雀」「連尺町」の由来となっている。

 

本川越駅から中央通りを北に進み、連雀町交差点手前。
歩道に大きな川越の地図が設置されていることをご存知でしょうか。

これは現代の地図ではなく・・川越の古地図。
上記ツアーでも使用された「元禄七年(1694年)川越図」です。
320年以上前の古地図ですが、今見ても基本的な町割りは変わってないことに気付きます。
 

川越まつりの街、川越。

川越まつりを支える祭り人たちの一年とは。

連雀町にある祭りの会の一年を振り返ります。

平成から令和へ。

2018年10月、平成最後の川越まつりから2週間後、2018年11月3日に熊野神社社務所にて連々会のお日待ちを開催しました。
昨年は連々会30周年の節目の年で、第六代新井新会長のもと新体制となって初めての祭りとあって、いつにも増して気合の籠った連雀町の連々会。
川越まつりの時はさすがに神経を尖らせていた面々も、祭りを無事に終え、ようやく一段落しここぞとばかりにはめを外すことができたのでした。
こういう集まりがあって、また仲間たちとの絆が深まっていく。
そして祭りが盛り上がり、また絆が深まりという良い循環で回っていくのでした。


2019年4月から東京MX2で始まった、川越が舞台の川越のヒーロー番組「鎧勇騎 月兎(がいゆうき げっと)」。
この番組に、連々会のメンバーが一般オーディションに受かって出演することになり、また、別のメンバーがロケ地コーディネーターとして参画しているという密接な縁があります。

(鎧勇騎月兎のメインキャスト)
月兎の中で、大きな存在として機能する悪役が連雀町の熊野神社にある天邪鬼の象に由来しているという設定になっており、熊野神社が重要なスポットになっています。
また、2018年10月の川越まつりにおいては、ヒーロー役とヒロイン役の二人が連雀町太田道灌の山車の曳行に参加している様子を撮影しました。
何かと連雀町と縁の深いヒーロー番組。


2018年12月30日年の瀬、1年の締めくくりに恒例となっている連々会の忘年会が開催されました。
今年は、連々会にとって特別な川越まつりとなりました。
連々会が新体制となって初めての川越まつりということで、例年以上に気合の入った祭りでした。
無事に終わって胸を撫でおろすと同時に、これからの連雀町の祭りをさらに盛り上げていこうと絆が深まったのでした。
忘年会も、もちろん川越まつりと変わらない熱気で盛り上がり、また繋がりを深めました。


2019年4月14日(日)には親睦旅行を開催。
連雀町の連々会では、毎年この時期に親睦旅行を開催しており、欠かせない恒例行事となっています。
昨年は連々会設立30周年ということで記念式典を東武ホテルで開催し、親睦旅行はありませんでしたが、一昨年は群馬県の高崎白衣大観音見学やBBQを行いました。
そして、2年ぶりとなった親睦旅行です。これを楽しみにしているメンバーも多い。

今年の親睦旅行のテーマは・・・
「山梨の歴史と、美味しい甲州彩り膳、ワイナリーを巡る日帰りバスツアー」です。
8時半に連雀町をバスで出発した一行は、午前中に武田信玄ゆかりの甲斐善光寺に到着。一同はここでしっかりと歴史を体感。
そしてお昼は石和温泉ホテルふじにて、飲み放題付き宴会へと突入です。さすが祭り人、呑むは呑むはの大宴会となりました。
べろべろになりながら、もう一つの目的地である、シャトー勝沼を訪れ、ワイナリー見学、試飲、ショッピングを楽しみました。
大いに楽しみ、16時に山梨を出発して連雀町に帰って来た親睦旅行でした。
こうした親睦旅行を通して、会のメンバーの絆を深め、川越まつりをいい祭りにしていこうとしています。
親睦旅行で一体感を強めた連々會は、今年も川越まつりを盛り上げていきます。
令和初の川越まつりまで、あと5ヵ月弱。


2019年8月17日には恒例の「暑気払い」を開催。
暑気払いは会の夏の恒例行事となっており、今年は川越モディの屋上ビアガーデンにて開催。
暑気払いを行う時期が来ると、川越まつりが近づいてきたことを感じます。
ちょうどこの日は、伊佐沼の小江戸川越花火大会の日でもあり、屋上から伊佐沼の花火を確認することもできました。
ビアガーデンではメンバーは大いに飲み、食べ、語らいました。こうして打ち解けあうことが良い祭りへと繋がっていく。

 

そして、川越まつり前の最後の集まりとして、2019年9月28日に熊野神社社務所にて連々会の総会を行いました。
川越まつりに向け、ここでみなの気持ちが一つになります。
総会の後、場所を変えて川越きらく亭にて懇親会(写真)。
総会・懇親会を終えるといよいよ本格的に祭りモードになっていきます。

 

様々な集まりを通して、会の結束を強め、川越まつりを良い祭りにしようとしています。
あれから一年。
着実に時を刻み、絆を深めてきた会は、今年も熱い祭りにしようと一致団結しています。
 

全ての町内に川越物語があり、その総体が川越まつり、川越。

 

川越まつりの街、川越。

川越まつりを通して、町内、そして街全体が一つになっていく。

 

令和元年10月19日(土)、20日(日)

「川越まつり」

川越まつり参加山車一覧
喜多町 秀郷の山車
幸町 翁の山車
幸町 小狐丸(小鍛冶)の山車
志多町 弁慶の山車
新富町一丁目 家光の山車
新富町二丁目 鏡獅子の山車
末広町 髙砂の山車
仲町 羅陵王の山車
中原町 重頼の山車
野田五町 八幡太郎の山車
南通町 納曾利の山車
宮下町 日本武尊の山車
元町一丁目 牛若丸の山車
元町二丁目 山王の山車
連雀町 道灌の山車
六軒町 三番叟の山車
脇田町 徳川家康の山車
川越市 猩猩の山車
 

「川越まつり公式サイト」
https://www.kawagoematsuri.jp/