川越style「古地図で巡る川越城と城下町」川越市シルバー人材センター | 「小江戸川越STYLE」

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川越の現場で様々なまちづくり活動にも従事しています。
「小江戸川越STYLE」代表:石川真

 

歴史がそのまま息づく街、川越。

城下町、川越。

見過ごされがちになりますが、川越には川越城がかつてあり、城下町が栄えて今の川越がある。

城下町というのが川越の真の姿。

そして、城下町だった跡は今でも街の各所に色濃く残っており、歴史と今が混然一体となっているのが川越。

 

江戸時代の古地図を手に、昔と今の違いを楽しむ。
2019年9月14日(土)に川越市シルバー人材センター主催で開催されたのが、「古地図で巡る川越城と城下町」。

9:30-10:00(受付)~12:30(終了予定)
受付:小江戸蔵里 川越市新富町1-10-1
料金:大人700円 小中学生200円(川越城本丸御殿入館料(大人)・傷害保険、資料代等を含む)、別途古地図購入は300円
『長禄元年(1457)に太田道灌が築城し、寛永16年(1639年)5代目川越藩主になった松平伊豆守信綱が大拡張した川越城と、十ケ町四門前の町割りの古地図「元禄七年(1694年)川越図 川越市立中央図書館 蔵」を片手に、小江戸川越の歴史とロマンを33年の伝統を引き継ぐシルバーガイドがご案内いたします。』
■ツアーコース

小江戸蔵里→

連雀町→

蓮馨寺境内敷地→

立門前通り→

志義町→

鍛冶町→

多賀町→

江戸町→

南大手門跡→

富士見櫓→

本丸御殿入館・三芳野神社→

中ノ門堀跡→

西大手門跡→

本町→

札の辻

「公益社団法人 川越市シルバー人材センター」
川越市石原町2丁目33番地13
TEL: 049-222-2075
FAX: 049-222-8973
E-mail: kawagoe@sjc.ne.jp
受付時間: 8:30~17:00
休業日:土曜・日曜・祝日 年末年始


「古地図で巡る川越城と城下町」を主催したのが、「公益社団法人 川越市シルバー人材センター」。

赤い制服でお馴染みのシルバー人材センターでは、普段から川越の観光ガイドを行っており、川越に来て詳しい説明を聞きながら観光をしたい場合に利用されている川越の観光インフラ。

「川越シルバー人材センター観光ガイド」
http://www.kawagoesjc.or.jp/silver-jigyo/kankou.html
★お客様とご相談させて頂いた上で、お申し込みの内容に合わせたガイドを行ないます。
★ガイドのご依頼は実施日の1週間前までにお願いいたします。

 

また、請け負うガイド以外に、シルバー人材センターでは独自企画の観光ツアーも定期的に開催しており、こちらも川越では広く知られたものである。

毎年お正月には、「小江戸川越七福神めぐり」。
春になれば、3月下旬に「桜を楽しむ会」が開かれる。同日に始まる「小江戸川越春まつり」の一環で、中院や喜多院などの桜を名所を歩く企画。
夏になると、7月の川越百万灯夏まつりに合わせて「妖怪不思議伝説トワイライトツアー」。

10月は、「川越まつりを楽しむ会」など、一年を通して独自企画のツアーを開催しています。
中心市街地を離れ、新河岸川沿いの旧跡を巡るツアー「小江戸川越 新河岸川舟運(しゅううん)めぐり」も開催している。

(川越style「小江戸川越 新河岸川舟運(しゅううん)めぐり」川越市シルバー人材センター

https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12391595936.html

 

川越市シルバー人材センターが、新たに始めた観光ツアーが、「古地図で巡る川越城と城下町」。

通常の川越観光とは切り口を異にし、「古地図」をもとにして歩くというのがこのツアーの肝。

古地図を通して川越の歴史に深く入っていくツアー。

シルバー人材センターではこのツアーも継続して定期的に開催していく予定です。

使用する古地図が、江戸時代中期の「元禄七年(1694年)川越図」。

この古地図は、川越の城下町に誰がどこに住んでいたかを記した地図。

現代の川越の中心市街地の地図と照らし合わせると、古地図にはある道が今はなくなっていたり、古地図にはない道が今出来ていたり、変化は想像以上。

しかし、基本的な「町割り」は変わっておらず、当時から320年以上経った今でも街の造りのベースは変わっていないことにも気付く。

中心市街地でありながら320年経っても変わらない部分を多く残した街であることを実感。

古地図を手に、変化した部分、変化しない部分を実際に街を見ながら体感し、楽しむことができる内容となっていました。

 

川越の城下町の雰囲気を存分に味わえる催しとしては、毎年3月に一番街の川越商人たちによる「小江戸川越江戸の日」があります。古地図と共に江戸の日を楽しむのもあり。

(川越style「小江戸川越江戸の日」一番街商店街 春夏冬 二升五合市

https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12262200017.html

 

この種の企画のツアーは、一見すると古地図愛好家や歴史好きが集まるディープな集まりになるかと思いきや、事前から大きな反響を呼び、当日はなんと350人以上の参加がありました(事前受付で締め切り)。

9月14日の開催当日は、出発地点となった小江戸蔵里に参加者が続々と集結。

受付を済ませると、15人ほどのグループに分かれ、シルバー人材センターのガイドを先頭にして歩いて行く。

ちなみに古地図は参加者全員に配布される資料とは別に、会場で「元禄七年(1694年)川越図」が別途300円で販売され、多くの人が購入していました。

この古地図は、一番街にある本屋「太陽堂」さんで取り扱っています。

 

小江戸蔵里を出発した一行は、クレアモールから中央通りに出て北上。

参加者は古地図を広げては、「320年前で言うと今この辺にいるんだな」と今の街並みと照らし合わせて確認していた。古地図が傍らにあると普段見慣れている街の風景が違って見えてくる不思議さ。

当時は、本川越駅~仲町交差点の中央通りはありません。今こうして拡幅されて広くなった通りを歩いていることに時代の大きな変化を感じるよう。

連雀町交差点手前に川越の案内看板が設置されていることをご存知でしょうか。

よく見るとそれは・・・現在の街の地図ではなく、古地図・・・そう、今回のツアーでも使用している「元禄七年(1694年)川越図」が設置されているのです。

昔と今を見比べて街の歴史を感じることができる趣向。

 

連雀町交差点では、「連雀」の名前の由来をガイドが説明。

そのまま北に進み、蓮馨寺へ。

 

ここでガイドが古地図を広げて参加者に当時の蓮馨寺の場所を示す。

「蓮馨寺山門から川越街道までの『立門前通り』は、古地図には載っていない通りです」

(蓮馨寺~川越街道 立門前通り)

なぜかこの通りは古地図にはないのか??

今の立門前通り含め一帯は当時は蓮馨寺の境内になっており、古地図を見ると蓮馨寺は相当な広さの寺領であったことが分かる。

古地図を見て、「蓮馨寺は昔はこんなに広かったんだ!」と参加者から声が漏れます。

立門前通り(蓮馨寺境内)から、大正浪漫夢通りを進んで行く一行。

ふと、ガイドが一見見過ごしてしまいそうな脇道で立ち止まる。

「今居る場所は古地図だとこの辺です」

大正浪漫夢通りから川越街道に抜ける脇道は、旧町名が鉄砲町。

この脇道は古地図にも記載があり、今でもこうしてそのままあります。

320年以上変わらず在る通り。

旧町名は、その名前を見ればどんな町か想像しやすいのが特徴。

今でも旧町名に親しみを持つ人たちは多い。

大正浪漫夢通りから仲町交差点で立ち止まる。

現在仲町と呼んでいるこの地域のかつての町名は志義町(しぎまち)。

交差点には旧町の跡の石碑が立てられています。

 

そして、仲町交差点から一番街を北に歩いて行き、鍛冶町広場を過ぎてコインパーキングの入り口に立っている石碑に刻まれている旧町名が、「鍛冶町」。

名前が示す通り鍛冶職人が多く住んでいた地域。

鍛冶町広場と名付けられた広場は、もちろん旧町名から取ったものです。

 

蔵造りの街並みを臨みながら、一行は時の鐘へ。

ガイドは時の鐘の説明をしながら、時の鐘の足元にある石碑を案内するのがまさに古地図ツアーらしい。

そこに書かれた旧町名は「多賀町」。

多賀というのはもともと箍(たが)のことで、桶に使われる箍のことです。

桶職人が住んでいた地域から付けられた町名。

ちなみに、古地図には時の鐘が書かれていません。

「この古地図は、誰がどこに住んでいたかを把握するために制作されたらしいもので、今の時代の性格な地図とは違うものだったでしょう。また、細かく書いていないのは、防衛上のことも強くあったと思います」


ちなみに。「まちかん」さんは、大工・関根松五郎が上棟。隣の「深善美術表具店」も同じく。関根松五郎の最高傑作です。
関根松五郎は、大工職・関根八五郎の息子として、安政元年に生まれました。生まれた年がちょうど日米和親条約が結ばれた年。幕末の激動の時代を生きていました。
ちなみに、明治26年の川越大火により、現在の川越のシンボル「時の鐘」が焼失しましたが、鐘楼を設計建設したのも関根松五郎です。
 

そこから、現大手町となっている旧町名江戸町を川越街道を南下して行く。

これまでは「城下町」を歩いて来ましたが、ここからいよいよ「城内」へと足を踏み入れる。

川越街道から脇道へ入り、川越市立中央図書館を過ぎ、第一小学校の校門前へ。

川越城南大手門跡の石碑が立っています。

古地図を見ながら当時は一帯が城内だったと解説。今でも校内には「家老の松」があります。

 

さらに細い脇道を入って行くと、見えてくるのが富士見櫓。

そしてここは川越城の田曲輪門があった場所でもあります。

「おお!古地図だと今この辺にいるんだ!」

富士見櫓の周囲が若干窪地になっているのは、当時は堀があった名残り。

川越城に入場し、向かったのが三芳野神社。

わらべ歌「通りゃんせ」発祥の地とされる三芳野神社は、かつては川越城内にあった神社。

「行きはよいよい 帰りはこわい」

という歌詞は、城内に入るのはよいが、出て帰る時に色々と面倒が多いことを表現されている。


そして、いよいよ川越城本丸御殿へやって来ました。本丸御殿入館。


1457年、上杉氏の本拠地として、当主・上杉持朝が太田道真・道灌父子に築城を命じたものです。
道真・道灌は、河越城の他にも江戸城、岩槻城も築いています。
その後、太田道灌は江戸城の初代城主に、父道真は川越城に居城しました。道真は居城にしていた河越城で『河越千句』という連歌会をおこない、高い評価を得ていました。
道灌も歌に秀でていましたが、城造りの名人であり、さらにさらに武将としても天才的で上杉家の救世主。
約30年30戦の戦いを勝ち抜き、ほぼ独力で上杉家を救ったと言われます。
道灌の名声が高まるにつれ、主君の上杉定正は不安を覚えます。世は下克上。
優秀過ぎる部下・道灌に嫉妬し、妬み、怖れ、ついに1486年太田道灌は上杉定正によって暗殺されてしまうのです。。。なんという悲劇。
この時代すでに河越城という難攻不落の城を造っていた道灌が、もっと長生きしていたら、一体どんな城を造っていたでしょう。
しかし、太田家はその後も優秀な人材を輩出し、後北条家(北条早雲が始祖)に仕え、さらに徳川家康に取り立てられました。江戸時代には老中も出しました。
川越城本丸御殿の建造は1848年ですが、川越城唯一の遺構として貴重な価値をもっています。
近くには、川越城二ノ丸跡に立地する川越市立博物館、川越城中ノ門掘跡があります。


川越における江戸時代とはどんな意味があったのでしょう。
今に至る川越には、大きな局面がいくつかありました。
平安時代、上戸に館を構えた河越氏(ちなみに河越・江戸を開いた秩父氏一族は兄弟)、それに室町時代の扇谷上杉持朝の家宰太田道真・道灌父子による河越城の築城から今の一番街に繋がる城下町の形成。これらも川越の大事な歴史的事実ですが、ここからダイナミックな波が起こります。
豊臣秀吉の小田原攻めにより、関東を徳川家康が治めるようになると、江戸時代初期、川越城主に三河最古参の酒井家が任に着きました。
酒井家三代目城主の酒井忠勝が、時間厳守を徹底するために建てたのが、「時の鐘」です。
そして、1638年の川越大火後、川越城主になった松平伊豆守信綱は川越大改革、まさに今の一番街の「十ヵ町四門前」の町割を行います。

・十ヵ町
上五ヵ町 商人町(江戸町・本町・高沢町・喜多町・南町)
下五ヵ町 職人町(多賀町・鍛冶町・志義町・志多町・上松江町)
・四門前

養寿院、行伝寺、妙養寺、蓮馨寺

(四門前の一つ養寿院)

 

(行傳寺に続く門前通り、出世横丁)

 

(妙養寺)

 

(蓮馨寺)

信綱はさらに新河岸川の「舟運」を整備し、江戸ー川越を直接結んで川越の発展に大きく貢献しました。
大火から10年、町は再び復興を果たし、信綱は祭具を川越氷川神社に寄進して祭りを奨励します。その後催行されたのが、今の川越まつりに繋がる川越氷川神社の「神幸祭」です。
その後の川越城主、柳沢吉保の新田開発、秋元喬知の絹織物などの殖産政策、そして松平大和守家100年の治世。
これらが川越の江戸時代。
今の川越には、江戸時代の歴史がどっさりと積み重なっています。今に繋がる川越の街の財産は江戸時代起源のものが多いんです。だから、江戸なんです。
 

本丸御殿で川越城を存分に感じた一行は、城内を西に進み、中ノ門堀跡へ。

 

そして、現川越市役所、当時は川越城西大手門で説明を聞く。

ここから城外へ出て旧町名本町(ほんまち)の本町通りを真っすぐ西に進み、ゴールの札の辻へと辿り着きました。

古地図を手にして川越を歩くと川越の神髄が感じられると、参加者は喜んでいました。

 

320年以上前の古地図が、今に訴えるもの。

当時の町割りが基盤となって、今の川越の街に受け継がれている。

歴史ある町、川越。

川越において歴史は、過去のものではなく今も確かに息づいているものなのだ。

 

シルバー人材センターでは、今後も川越の魅力を伝えるツアーを企画していきます。

 

「公益社団法人 川越市シルバー人材センター」
川越市石原町2丁目33番地13
TEL: 049-222-2075
FAX: 049-222-8973
E-mail: kawagoe@sjc.ne.jp
受付時間: 8:30~17:00
休業日:土曜・日曜・祝日 年末年始