川越style「きもの姿で仙波の桜めぐり」川越の街にきもの姿を増やす会 2019年3月31日 | 「小江戸川越STYLE」

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「小江戸川越STYLE」代表:石川真

 

今から100年以上前、川越町(かわごえまち)は埼玉県入間郡にあった町、1889年(明治22年)4月1日 、町村制の施行により、川越町(旧川越城下17町)・松郷・東明寺村・小久保村・脇田村・小仙波村・寺井村および野田村の一部の区域をもって発足されました。
現在の川越市の中心部にあたります。
そこから30年以上経ち、1922年12月1日、川越町と仙波村が新設合併して、現在の自治体「川越市」が誕生しました。
そう、川越市は、仙波村と合併してできたものだったのです。

 

「仙波」はかつて広大な範囲に広がっていたという認識は、上の年代の人にとっては共通していますが、今の世代にとって仙波は「仙波町」になるので、広地域という表現がいまいちピンとこないものかもしれません。

仙波は、仙波村はどのくらいの広さがあったのか。

ここで面白い資料を紹介しましょう。

今から100年近く前、1920年の埼玉県入間郡仙波村の行政区域を示す地図です。

「埼玉県入間郡仙波村 (11B0070028) | 歴史的行政区域データセットβ版」
http://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/11B0070028.html

この地図を見ると分かる通り、100年前の仙波村は、今の仙波町を含むことはもちろんのこと、現在隣接する、菅原町、富士見町、南通町、岸町、そして新宿町まで及び、さらに旭町(二、三丁目)、川越インター近くの広栄町まで広がっていたという事実があります。

九十川や不老川、久保川といった川が隣村との境界線になっていたことも分かります。

 

時代が下り、現代の仙波は、川越駅に近いことから住宅が増え近代化の発展を遂げていますが、全面的な再開発というより、昔から続く伝統を大事にしながら新しい文化が流入し融合しているのが街の特徴で、さながら昔と今がモザイク模様のような様相になっている。

近年の川越は、中心市街地や旧市街地(蔵造りの建物の町並みの一番街通り)にフォーカスするだけでなく、川越を広く捉えようとする動きが活発になっています。

 

川越の春の恒例行事、「小江戸川越春まつり」は、毎年3月末にスタートし、1ヶ月以上の長期にわたって開催されます。期間中、毎週のように市内各地で春まつり併催事業が行われる。

「(公社)小江戸川越観光協会 第29回小江戸川越春まつり」

http://www.kawagoe-event.info/

2019年3月30日(日)には「小江戸川越春まつりオープニングイベント」で川越の巨大春イベントの火蓋が切って落とされ、蓮馨寺を中心に、マーチング、春のお茶席、小江戸茶屋、民踊流し、梯子乗り、大道芸、和太鼓演奏、鉄砲隊演武 、消防音楽隊などが催されました。

また、同日には一番街商店街で「小江戸川越江戸の日」が開催され、各商店街での催しと合わせ、盛大なスタートを切りました。

季節柄、期間中桜をテーマにした併催事業も多く、「川越桜まつり」、「平成最後の小江戸川越春まつり 桜を楽しむ会」、「新河岸川桜まつり」なども行われました。

そして、オープニングイベントの翌3月31日(日)、こちらも春まつり併催事業として開催されたのが、

「きもの姿で仙波の桜めぐり」。

日時:2019年3月31日(日)12:45~16:00

散策ルート:JR・東武東上線 川越駅東口交番前集合

仙波氷川神社

仙波河岸史跡公園

精進場橋

弁天橋

龍神弁天池

仙波日枝神社

仙波仙芳塚

喜多院

約4km/約3時間

《桜の見所》
仙波の新河岸川のソメイヨシノと菜花のコントラスト(精進橋〜弁天橋)
仙波氷川神社のソメイヨシノ
喜多院のソメイヨシノ 
中院のソメイヨシノ 他

 

主催は、川越の街に着実に着物姿を増やしている、「川越の街にきもの姿を増やす会」。

川越の街にきもの姿を増やす会の代表の和裁士の小杉亘さんは、川越市が委嘱している小江戸川越観光親善大使の一人であり、川越で着物と言えばという時に必ず名前が挙がる人であるので、川越で着物の世界を深めたいと思ったら覚えてもらいたい人。

・川越市 小江戸川越観光親善大使
『「小江戸川越」を全国へPRしていただくため、川越市のイメージアップのために活動している民間団体及び市民の方を「小江戸川越観光親善大使」として委嘱しています。』

https://www.city.kawagoe.saitama.jp/smph/welcome/kanko_ta/shinzentaishi/kankoshinzentaishi.html

川越の街にきもの姿を増やす会としての活動は、毎年正月の恒例行事となっている「小江戸川越 着物で七福神めぐり」があり、着物姿でみんなで七福神を回るという主旨で毎年開催しています。

(「小江戸川越 着物で七福神めぐり」2018年1月7日川越の街にきもの姿を増やす会

https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11743807331.html

 

また、毎年春の着物散策も恒例行事になっており、昨年は2018年4月1日に「きもの姿で路地裏散策」を開催しました。

川越の有名観光スポットはみな行き慣れている、少し視点を変えての川越散策企画は、川越の魅力の再発見にも繋がっています。昨年の「路地裏」というテーマは、地元人も初めて通るような道を進み、川越のディープを感じられる着物散策でした。

(川越style「きもの姿で路地裏散策」川越の街にきもの姿を増やす会

https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12366719374.html

 

川越は着物姿が似合う街。

川越の着物散策は、蔵造りの町並みの一番街通りを中心にしてというのがまず定番。

しかし。それはまだまだ導入で、川越の魅力は底知れないものがある。特に川越は元来城下町であり、その特性ゆえに町中に細道、脇道、裏道がまるで毛細血管のように縦横に張り巡らされているのが特徴。

メイン通りにある表の表情と裏通りにある裏の表情の二つを共存させているのが川越。そしてそれぞれに形成される文化は異なり、華やかな表通りとは別に、裏の道々にも独特な文化を作ってきました。

(時代が下った現代の話しをすると、城下町川越の古くからの「裏道文化」は街のDNAとしてしっかり受け継がれて、今の時代になって川越の裏道カルチャーである「うらかわ」が発展しているのは、決して偶然ではなく、川越の歴史を紐解けば川越なら起こりうる現象でもありました。)

 

最近の川越散策では、一番街通りだけでなく、川越を広く楽しもう、もっと知りたい、この先には何があるんだろう、と寺町通りのような路地裏散策をする人の数も増えている。

よりディープな川越を体感したいという機運があり、そして期待を裏切らず底知れない魅力があるのが川越の路地裏。「きもの姿で路地裏散策」に参加するようなディープな人でも、歩いてみたら新たな発見があったり、常に新鮮な驚きを与えてくれ、それが楽しいという声が多かった。

昨年、路地裏に焦点を当てた着物散策、では2019年春はどんな着物散策が企画されるのか。

毎年のように参加している人の間に期待が膨らんでいましたが・・・

その伏線はすでに昨年からあり、上記昨年の路地裏散策の記事の結びに、こう記していました。

「川越は、裏にも散策が楽しいスポットがたくさんある。路地裏散策という切り口は、川越ならまだまだいくつもコースはあげられそう。
来年のきもの姿で路地裏散策は、例えば、仙波の里・新河岸川の桜並木と菜の花、喜多院門前通りなどが候補にあげられています。

川越駅〜仙波町〜小仙波町〜喜多院〜中院散策

川越の定番コースからは外れていますが、仙波は仙波二郎安家の例を出すまでもなく川越の歴史的地域であり、川越に深く身を沈めるのらしいコースでもあります。

どんなコースに決まるでしょう。また来年のお楽しみ。」

 

そう、昨年から既に仙波散策という案は出ており、あれから一年、じっくりと企画を温めて実現したのが、今年の「仙波の桜めぐり」だったのです。

なぜ、仙波なのか??

ここにも独自の視点があり、「中心市街地に目を向けられがちな川越で、そこから離れば場所にも魅力はたくさんある」という想いからの川越初であろう、着物姿で仙波の桜めぐり。

仙波を着物散策という焦点に、季節の桜めぐりを合わせたかつてない企画が実現。

仙波のコース設定には、仙波町在住の川越の街にきもの姿を増やす会のメンバーなどが深く関わっており、仙波の魅力的なスポットを盛り込んでいました。

 

仙波の魅力と言えば、以前、仙波町の山田さんの案内により、仙波の魅力スポットの現場を回って記事にしたことがありました。この時のコースは、今回の仙波の桜めぐりにも活かされています。

(川越style「川越の仙波 仙波の水辺と歴史ある寺社を訪ねて」仙波の魅力を改めて知る

https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12405298044.html

 

仙波を知る参考資料となるのが、川越市の『小江戸川越みどころ90観光コース』。コースの一つとして、仙波町から小仙波町にかけて点在する歴史ある寺社をめぐりつつ、新河岸川沿いの自然も堪能できるコースが紹介されています。
「仙波の水辺と歴史ある寺社を訪ねて」
https://www.city.kawagoe.saitama.jp/koedo90/course/c41.html

 

また、仙波の桜めぐりの前日、2019年3月30日に一番街商店街で開催された、「小江戸川越江戸の日」には、川越の街にきもの姿を増やす会のメンバーが、通りで行われる催しの一つ、「わらべ唄」を担当していました。「小江戸川越江戸の日」に「仙波で桜めぐり」、二日続けて川越は着物姿で染まりました。


(川越style「小江戸川越江戸の日」一番街商店街 春夏冬 二升五合市
https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12262200017.html

川越に着物姿の人が増えているのは、蔵造りの町並みの一番街がまさに着物姿が似合うことがあげられますが、そうしたハード面のみならず、ここに一番街商人のもてなすというソフト面の「人」の魅力も加わった相乗効果が、江戸の日。

江戸の日が出来たことで、着物姿で出かける催しが増え、着物文化の幅が広がったのは確か。催しが増えたという以上に川越的に強力な催しである江戸の日が誕生したことで、江戸の日が川越の街に着物姿を促してこれからさらに着物姿の人が増えていくと思います。

 

2019年3月31日に開催された、「きもの姿で仙波の桜めぐり」。

集合場所となった川越駅東口には、着物姿の人が50人ほど集まりました。

川越駅東口は、「小江戸川越 着物で七福神めぐり」の集合場所と同じで、川越駅という人通りが多い場所に着物姿の人が集結していると、それだけで川越の街の発信、着物の魅力を発信する効果があるよう。

大人数での散策とあって、開催にあたっては会の代表小杉さんをサポートする面々が、事前にコースの下見を重ねて安全面を考慮した。みんなで歩くのは楽しいですが、一方で大勢で歩くと安全面がおろそかになりがち。新河岸川沿いなどは川に気を取られて実は車の往来が多い場所もある。

七福神巡りにしても路地裏散策、仙波の桜めぐりにしても、こうした段取りの裏打ちがあって開催しているのがこの散策の特徴です。

 

スタートに先立ち、川越の街にきもの姿を増やす会代表の小杉さんから挨拶があり、いよいよ仙波に向けて歩いて行く。

川越駅東口から川越街道に出た一行は、街道沿いにかつてあった機織りの蔵跡で足をとめる。

川越街道沿いという目立つ場所にありながら、地元の人に知られていなかった蔵。

こうした蔵が川越には実に多く、川越のディープを感じさせる。こうした蔵を把握しているのが仙波人のルートコーディネートの為せる業でもあった。

 

街道沿いの菅原神社へ立ち寄り、川越街道を渡って駅前の賑やかさが遠くなっていくと、住宅地と畑が織りなす地域へ。

川越街道を一本隔てて風景ががらりと変わるのも川越という街らしく、素の川越が残っているよう。

仙波小学校、川越胃腸病院を通り過ぎ、一行は仙波氷川神社へ。ちょうど、国道16号沿いにあります。

 

仙波氷川神社は、仙波人にとっては極めて重要な場所である。

ここには仙波町の川越まつりの仙波二郎安家の山車が保管されています。

仙波二郎安家はこの地を治めていた武蔵武士。

仙波氷川神社や長徳寺に所縁があり、川越まつりでは仙波町は仙波二郎安家の人形の山車を曳いています。

川越style

川越style

川越style

(川越まつり 仙波町の仙波二郎安家の山車)

 

そして、仙波氷川神社も知る人ぞ知る桜の名所であり、仙波の桜めぐりでは外せない場所。

桜にプラスして歴史にも触れることができる今回の企画。

一行は、仙波氷川神社から昭和時代に建設された眼鏡橋の「富士見橋」の下を通る「河岸街道」を下って行き、右手に見えてくる「仙波河岸跡公園」へ。

川越の歴史を紐解けば、今の川越の発展は新河岸川の舟運なくしてはありえないもので、往時の舟運に触れる河岸としてここも仙波では重要スポット。

仙波河岸の横でかつての舟運の話しがなされ、耳を傾ける参加者。

ちなみに見上げた先にある愛宕神社も桜の名所です。

 

仙波河岸史跡公園ではさらに、2018年9月16日に仙波二郎安家の山車の「曳き綱製作」が行われた。

仙波と言えば、仙波次郎安家の山車、そしてその曳き綱を地元の公園で製作したこともこの時に披露されました。

この日地域総出で製作した二本の綱によって、川越まつりでは仙波二郎安家の山車が曳かれていました。

 

仙波河岸史跡公園を出ると、すぐ目の前には新河岸川。

川越の桜スポットとして新河岸川沿いは有名ですが、新河岸川の各所によって表情が変わっていくのが特徴です。ここからが仙波の桜めぐりの目的地としての桜を前面に楽しむルートになります。

川を上流に向かって歩いて行きながら、川沿いの桜を愛でる。

国道16号下の小さなトンネルをくぐると、目の前に広がったのは・・・

川端康成著「雪国」の『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」という一説を思い出される。

小さなトンネルを抜けた先に待っていたのは、川沿いに見事に咲き誇る桜でした。

仙波に来たらここを歩かなければならない。

仙波で有名な桜スポット、という以上に、川越の桜スポットとしても位置付けられている場所。

川沿いから精進場橋から両岸を見渡す桜の風景は、息を呑むほどの美しさ。

新河岸川でも特に綺麗な桜スポットです。

そして川沿いを歩きながら弁天橋へ。

川越人なら精進場橋ー弁天橋という桜区間は知っておきたい。

 

桜をしばし見上げて時間を過ごし、一行は弁天橋をわたり、住宅街を抜けて龍池弁財天の祠がある双子池・龍池弁財天へ。

この池には龍神伝説が残り、「水にまつわる伝説が残る地を巡るのも今回の散策のテーマ」という通り、もう一方の目玉スポットが登場していきます。

ここからの3ヵ所は、一つの壮大なストーリーのもとに選ばれた場所。

龍池弁財天から喜多院方面へ戻り、喜多院山門前にある、国指定重要文化財の仙波日枝神社(ひえじんじゃ)へ。


仙波日枝神社と言えば、東京赤坂にある日枝神社を思い浮かべると思いますが、川越の仙波日枝神社は、赤坂日枝神社の本社になります。
河越城を築城した太田道灌が、江戸城を造るにあたりこの日枝神社を江戸城紅葉山へ分祀しました。その後、現在の赤坂に移されたのです。
日枝神社の歴史に参加者から感嘆の声が洩れる。

また、「小江戸川越江戸の日」のわたべ唄でも披露された「あんたがたどこさ」に出てくる『せんばやま』も、日枝神社境内にある日枝神社古墳が仙波山という説があるという話しも紹介された。

 

日枝神社本殿右には、喜多院七不思議の一つ「底なしの穴」があります。
現在、穴は埋められていますが、昔々はその名の通り底が無い穴だった?そう。
「底なしの穴」
『ある日のことでした。近所に住む人たちが、「 一体、この穴はどれくらい深いのか知りたいな。」、「ひとつ、何かをほおり込んでみようか。」と相談して、鍋を投げ込んでみました。そして耳を澄まして待ちますが、いつまでたっても落ちた音がしません。「おかしいな。」それではとお椀や下駄などを投げ込んでみましたが、やはり何ひとつ音がしません。
「一体、どうなっているんだ?」と皆が穴を覗き込んでいますと、500メートルほど離れている双子池の方からやって来た人が「池に物がたくさん浮かんでいるぞ!」といいますので、行ってみると、さきほど日枝神社の穴に投げ込んだものが池の水面にポッカリと浮かんでいるではありませんか。
人々は今さらながら不思議な穴だと驚いて、この穴を「底なしの穴」と呼ぶようになったということです。』
 

仙波日枝神社の井戸と双子池が繋がっていたという伝説を紹介するために辿ったルート。

そして最後は、水にまつわるお話しの源流となった喜多院、その喜多院の源流の場所へ。

一般的な観光ルートには入らない場所ですが、今の喜多院のもとのもとを辿ろうとすると外せない場所。ここを散策のエンディングに持ってきたのもかつてないものだったでしょう。

喜多院の東側、鐘楼門近くの細い路地を入ると「仙芳仙人入定塚(せんぽうせんにんにゅうじょうづか)」があります。

仙波の辺は海であった。昔、仙芳仙人(せんぽうせんにん)なる者が何処からともなくやって来て「聖人が説法を行った場所は此処だ」と言って其の辺を徘徊していた。
そこに龍神であり海の主である老人が現れたので仙人は「私の袈裟だけの土地でよいから貰いたい」と頼むと「よろしい」と言って袈裟を海の上にひろげると海水が干上がり数十里もの土地ができた。その上更に土仏を作り海の底に投げると海水は忽ち乾いて寺を建てられるような土地ができ、ここに無量寿寺ができた。現在の喜多院である。
海水が無くなった為に逆に龍神の住む場所が無くなったので仙人は小さな池を作って龍神を住まわせたという。それ以来この地を仙波と呼ぶようになった。

 

川越には喜多院があり、仙波日枝神社と双木池・龍池弁財天とそのルーツにまつわる伝説の地を回り、仙波の桜と歴史を散策した、きもの姿で仙波の桜めぐり。

川越の着物散策も、ここまでディープになってきたのかと思い知らされるよう。

 

来年の散策は一体どんな企画になるでしょう。

川越の街にきもの姿を増やす会では、今後も川越の街に着物姿を増やすべく、様々な取り組を継続していきます。