川越style「おいもの茶紺」川越いもを使ったしっとりなめらかな焼菓子 | 「小江戸川越STYLE」

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川越の現場で様々なまちづくり活動にも従事しています。
「小江戸川越STYLE」代表:石川真

この焼菓子は、いろんな切り口で語ることができる。
もちろん、最大の特徴は、「川越いも」にこだわって使用していることで、さらに、このお菓子は、焼菓子という大きな括りの言い方で収まりきるのかということ。
焼菓子であるのはもちろんですが、焼菓子という言葉から連想される、例えばパウンドケーキやマフィンといったようなお菓子と結び付けてしまうと本当の価価が伝わらない。
他のどのお菓子にも似ていない、どのジャンルにも属さない、言わば、パウンドケーキなりマフィンといったジャンルを創造しようとしているのが、このお菓子かもしれない。
だから、〇〇のようなと他のお菓子に例えようがなく、いや、このお菓子は「茶紺」というジャンルの「茶紺」というお菓子なんだ、と受け止めるのが自然。
そもそも茶紺は、和菓子なのか洋菓子なのかという問いも、「そのどちらでもない、このお菓子は茶紺なんだ」と答えるしかなく、それが一番しっくりくる答えのようだった。
川越いもへの愛情はどこまでも。

おいもの茶紺さんのお菓子が、川越をさらに魅力的にしていく。

「おいもの茶紺」さん、お店があるのが、川越駅からだと、ウェスタ川越を過ぎて国道16号線の旭町一丁目交差点右折。ロジャース方面に向かい、陸橋手前を左折してすぐ右手にあります。

ロジャース方面からでも陸橋下ってすぐに右折しても辿り着く。いなげや川越旭町店からは車は一方通行になるので、迂回する必要があります。

「おいもの茶紺」
住所:〒350-1126 埼玉県川越市旭町1-9-8-103
基本/営業時間
月曜日~日曜日11:00~18:00
土曜日・日曜日は店舗以外での販売をする場合があります(川越市内・三芳町周辺)
配達・ご予約の注文(製造)などの理由によりご対応できないこともございます。 事前の予約・ご連絡をいただけましたら、調整の上ご対応をさせていただきます。 

TEL:080-7898-8247
​定休日:不定休
Email: oimonochakon@gmail.com
https://www.imochakon.com/
アクセス
徒歩:川越駅 約12分、ウェスタ川越約3分、いなげや&しまむら約1分、ヤオコー約5分/ベルク約6分
車:国道16号線 曲がってすぐ。関越川越インターから約5分、ロジャース川越店約1分、ニトリ約4分
 

ここは、「茶紺」を製造する工場としての機能がメインとしてあり、茶紺の販売&カフェも行っている場。工場製造直売店というのは珍しいものではないですが、それを職人一人で切り盛りしているとなると、ほぼ見られない形態。さらに、カフェも兼ねているとなったら川越では唯一無二の形になるでしょう。故に上記のお店の情報にあるとおり、製造にかかってカフェの対応ができにくいタイミングもあります。

分かりにくい場所でありつつも、地域の人中心に集まり、固定客も既に多くいる。口コミで話しを聞きつけた人が遠方から来るのもおいもの茶紺ではよく見られること。

自分用はもちろん、人に贈る贈答用に求める人が多いのも茶紺の特徴です。

今までにない新しい形のお店が作るお菓子が、今までにあるようなタイプのお菓子に収まるはずがない。ということ。

旧川越藩内のさつま芋農家は、江戸時代中期より、各農家が保有する約800m奥にあるヤマ(平地林・雑木林)から落ち葉を集め、それを堆肥にしてさつまいもを育ててきました。 このような世界でも珍しい循環型農法により、現在では、埼玉県三芳町の名産として、たいへん希少価値の高いさつもいもとして知られるようになりました。 
その川越いもを、一度、焼き芋にしてから皮ごと菓子生地に入れて焼いた新感覚の焼き菓子が「おいもの茶紺」です。

(川越いもと胡桃と林檎が入っている茶紺)

しっとりとした甘みを抑えた滑らかな生地に、焼き芋と胡桃の香ばしさが加わり、重量感があるお菓子。

おいもの茶紺の「茶紺」のラインナップは、現在定番としては4種類を揃える。
王道の川越いもが入っている茶紺、

川越いもと餡子が入った茶紺、

イチジクが入った茶紺、干しぶどうが入った茶紺。

一本あたり縦長(約16㎝)で、切り分けて食べる。断面で川越いもが大きく主張しているのが茶紺らしい。

おいもの茶紺では、予約での販売が基本ですが、店舗での飲食や購入もできます。和菓子のお茶請けとしても喜ばれています。賞味期限は未開封で10日ほど。もちろん、生地・さつま芋などの具材は、保存料・着色料など添加物不使用です。
まずは、新しいジャンルである「茶紺」を食べてもらわないことには、と試食は製造作業中以外の時間、無料で提供しています。

川越いもだけの茶紺は、やはりさつま芋の甘味が一番の魅力。それを知って、そこからフルーツの茶紺に移行して、イチジクの茶紺を食べると、イチジクの酸味が加わるのも!と茶紺ワールドが広がっていく。現に、イチジクはお店の人気商品になっている。

他にも、不定期に紅玉、キウイフルーツ、杏、バナナ&チョコチップなども製造しています。川越いもという絶対的主役は座を譲らず、ラインナップは随時変わっていきます。

茶紺さんの生地と具材の相性、というこれまでの試行錯誤は、完成のない道で、これからも組み合わせの試行錯誤は続いていきそう。だから、次はどんな具材の茶紺が出るのか期待に胸躍らせることもできるのだ。

ただ、いろんな味があっても、フルーツの甘味や酸味が美味しくなるのは土台に川越いもが支えているからこそ際立つ、という真実があることも忘れてはならないこと。

川越いもがあってこそ、なのだ。

おいもの茶紺さんで使っているさつま芋の品種は、「シルクスイート」。シルクスイートは2013年に誕生し た新しい品種で、絹のようななめらかな舌触りと、蜂蜜のようなコクのある抜群の甘みがあります。今はしっとりとした食感のさつま芋が好まれる傾向にあって、お菓子に合うシルクスイートが茶紺には欠かせないさつま芋。

 

芋菓子は川越を象徴するお菓子であり、川越市内で数多く製造され見ることができます。その中でもおいもの茶紺の個性は際立つ。いや、芋菓子の範疇に入れてしまうのも本当は違うのかもしれない、、、川越いもにこだわりつつ、茶紺は茶紺というジャンルのお菓子なのだ。

お菓子にさつま芋というのは、どうしてこうも合うのだろう。

特に茶紺で使用しているさつま芋は、三芳町上冨の選りすぐりのさつま芋。普通に焼き芋にしたって絶品なのです。

おいもの茶紺の長田さんには、単に川越いもを使っているという以上に、さつま芋畑の現場を身をもって知っている強みがある。付き合いのある上冨の農家さんから直接仕入れて、お菓子に使用しています。その経歴は、また後述。
ごろんと入ったさつま芋をしっとり滑らかな生地が包み込む。生地とさつま芋のほんのりとした甘さが調和し合って、幸福の味が広がります。

単品販売の他に、「三種の茶紺」は、イチジク、キウイフルーツ、チョコチップバナナ、ラムレーズン、ガトーショコラ、焼き芋などの中から3種類の茶紺がセットになったもの。

 

専用の箱があって、贈答にも向いています。

 

店内カフェでは、ハンドドリップで淹れる珈琲や紅茶などの飲み物と茶紺の組み合わせを味わうことができる。380円。まずはここでゆっくり茶紺の長田さんとお話ししながら、川越いものこと、茶紺のことについて耳を傾けるのもいい。

他にも飲み物と川越いもぜんさいも組み合わせもお勧めです。

ぜんさいの餡子は茶紺にも使用しているもので、炊くのはもちろん手作り。

茶紺のみならずカフェにおいても、全てにおいて手作りにこだわっています。

お茶請けにも最適な茶紺は、お茶との相性を考えてのお菓子でもあり、店名がまさに表しているように、お茶と甘いものを繋ぐという意味で、茶紺。

 

そして、川越いもがあって茶紺があること。

おいもの茶紺に欠かせない、もっと言えば川越に欠かせない、川越いもとは??

川越の人はどこまで知っているでしょうか。



川越でさつま芋栽培が盛んに行われるようになったのは江戸時代のことで、当時、「川越いも」とは、武蔵野台地の川越藩とそこに隣接する他領の村々で生産されるさつま芋のことを指していました。現在で言うと、川越市の他、所沢市、狭山市、新座市、三芳町にあたる大きな地区。
この地区では、1751年(青木昆陽の栽培法確立から16年後)にさつま芋の栽培が開始され、昭和30年代まではとても多くの生産量があり、一大産地だった。
川越地方で初めてさつま芋が栽培された場所は、現在の所沢市・南永井というところ。
その土地の名主だった吉田弥右衛門さんは、当時のさつま芋栽培の先進地である上総国志井津村(かずさのくにしついむら、現在の千葉県市原市椎津)から種イモ200個を取り寄せ、栽培を行ないました。これが川越いものはじまり。吉田家には、今でも、当時を記録した古文書(吉田家文書)が残されていて、所沢市の文化財に指定されている。また、吉田家の庭には「川越いも始作地」の記念碑があります。
川越にさつま芋のイメージが定着したのは、寛政時代(1700年代末)のことで、この頃の江戸では焼芋が大ヒットしました。理由は、さつま芋が庶民の食べ物では、数少ない甘い食べ物であったこと、そして、とても安く手に入ったから。この大ヒットを受け、近郊の村々では、こぞって江戸向けのさつま芋を栽培した。中でも、川越いもは、質がよく最高級品とされていました。

また、さつま芋は、重くてかさばるため、陸路での搬送に向いていなかったことも川越に味方した。川越は、江戸と新河岸川で結ばれているから、船での運搬に向いていた。このためたくさんのさつま芋を出荷できたことも大産地となった理由の一つといえます。

このように質も良く、流通量も多かったことで、天保時代(1830年ごろ)の書物「諸国名物番付」には、さつま芋の代表産地として川越地方と記載されていた。ここから川越=さつま芋というイメージが定着していきました。
ちなみに、当時の焼芋屋さんは、「栗(九里)より(四里)うまい十三里」と看板に書いて焼イモを売っていたことで知られる。これは今でいうキャッチコピーのようなものでした。

さつま芋の栽培方法については、方法を確立したのは、川越地方の赤沢仁兵衛さんという人。仁兵衛さんは、種芋の選び方、肥料のやり方、うねの立て方などさつま芋を作る行程について、慶応2年(1866年)から研究を開始し、「たくさん芋ができる良い苗を選ぶ」、「うねを高くする」、「堆肥をたくさん入れる」など、現在に通じる栽培方法を見つけた。
明治4年(1871年)の調査では、仁兵衛さんの畑では他の畑の1.5倍から2倍の収穫量があったと記録が残っている。仁兵衛さんは、「赤沢式」と呼ばれた栽培方法を惜しむことなく広め、明治43年(1910年)、73歳の時に「赤沢仁兵衛・実験甘藷栽培方法」というさつま芋栽培に関する書物を残した。


川越いもと言えば、旧川越藩の現三芳町のいも街道のことも外せません。

いも街道があるのは、ウニクス三芳がある川越街道から関越自動車道を越えたところ南北に伸びる通り。

川越からだと、さつま芋含めた農産物の農業地帯である下松原から目と鼻の先。下松原には「シボネボルケ」もありますね。

三芳町の川越いも生産農家があつまっているのが、三芳町川越いも振興会。
三留新田では、いも街道とよばれる道沿いに、29軒の三芳町川越いも振興会会員農家が軒を連ねており、軒先では川越いもの直売が行われています。また、シーズンになるとのぼりが街道沿いにはためく様子が見ものになっています。
三芳町川越いも振興会の活動する上富地区は、約320年前の江戸時代、時の川越藩主 柳沢吉保公の名によりに開拓されました。水に乏しく、風が強く、地力の乏しい武蔵野台地での開拓の集大成と言われ、道沿いから、屋敷地、耕地、奥に平地林をひとつの区画として、幅40間(約72m)奥行き375間(約675m)、開拓農家一軒あたり5町歩(約5ha)ずつ均等に配分されました。いまなおその様子をよく伝えています。
上富の川越いもが美味しい理由、それは320年以上続く土づくりにあります。
平地林の落ち葉堆肥を320年以上使い続けていることにより、土はフカフカでサツマイモの根が張りやすく、養分をしっかり吸い上げることができます。川越いもは、広々とした畑で夏場にしっかりと成長し、秋に向かって実を太らせ、収穫してからは貯蔵して甘みを熟成させ、品種ごとに美味しさを引き出してから、茶紺に使用しています。
三芳町川越いも振興会では、収穫体験イベントや世界一のいも掘りまつり、体験落ち葉掃きなど三富に伝わる農業の知恵を体感するイベントも行っている。
主なイベントとしては、・10月世界一のいも掘りまつり、・1月~体験落ち葉掃き・そのほか、収穫体験イベントなど。

 

という、守り継がれてきた農業が、大きく注目されたのが、2017年のことでした。

さつま芋作りに欠かせない伝統的・循環型農法である落ち葉堆肥農法が、2017年3月、日本農業遺産に認定されたことも広く伝わりました。

「武蔵野の落ち葉堆肥農法」の日本農業遺産認定。

農林水産省から世界農業遺産への認定申請に係る承認及び日本農業遺産認定を行う地域が発表されました。武蔵野の落ち葉堆肥農法は、「日本農業遺産」の第1回目の認定地域となりました。なお、今回は8地域が認定されましたが、首都圏では唯一です。
これを記念して、2017年12月26日にはウェスタ川越多目的ホールで「武蔵野の落ち葉堆肥農法 日本農業遺産認定記念式典」が行われ、会場内でおいもの茶紺の「茶紺」が販売されました。

 

また、毎年10月13日に川越市妙善寺で行われている「いも供養」。10月13日は川越市のマスコットキャラクターときもの誕生日。

いも供養は、川越市内のさつま芋商品を扱う会社の団体である川越サツマイモ商品振興会による行事ですが、2017年のいも供養には、おいもの茶紺さんも茶紺を108個奉納していました。

(「いもの日まつり(いも供養)」2015年10月13日妙善寺

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12089944120.html

 

川越でも、もちろん落ち葉堆肥農法を守り続けている農家さんはいます。
「川越Farmer's Market」の、福原ファームクラブからクズ掃きの活動報告。
『毎年の繰り返し、1月から3月の福原ファームクラブは雑木林の手入れお手伝いです。クズ掃きをして焚き火で焼いたお芋、豚汁を食べるのが目的???このところ若い子連れ世代が多く参加してくれていて、とっても幸せな作業空間になっています。集めた落ち葉は自然のトランポリンになって、子どもを抱っこしてフミフミをしています。枯れ枝の山では、なぜか子どもアーチストが作品作りに没頭中。熊手を上手に使って、落ち葉を集めている幼児は可愛くて仕方ありません。1月2月と風もなく穏やかな日に恵まれ、作業がはかどりました。
次回は3月10日、掃き残しの部分を片付けて、あそぼうパンとスープです。あそぼうパンのシノタケは自分で作ります。ノコギリ、ナタを使って綺麗にします。年に一度のお楽しみ。』

川越の福原地区が落ち葉堆肥農法が残っている地域。三芳町の上冨のすぐ近くです。

福原地区はいまでも平地林が広がり、南文化会館ジョイフル裏の林は遊歩道も整備されています。川越市ではここを森林公園にする計画があります。





 

ぐるりと川越いもを巡ってきた散策。また、茶紺に戻ってきて、茶紺をまた一口頬張る。

おいもの茶紺の長田さんは、高校時代からお菓子作りを始めていた。その延長に今があり、茶紺があり、数十年という月日の試行錯誤を経てあるのが茶紺。

茶紺をオープンしようと思って試行錯誤したというより、高校時代から始まったお菓子作りの時から試行錯誤ははじまっていて、これまで世にあるありとあらゆるフルーツなどの具材を生地に組み合わせて試してきました。研究といっては重いですが、組み合わせを試すのが好きで、結果、膨大な試作を数十年重ねることに至っていた。

お菓子作りには、一つに大きなきっかけがありました。

長田さんは高校時代にアメリカに留学し、現地のホームステイした家族がお菓子作りが好きで、振舞ってくれていた。お菓子作りの様子に触発されて見よう見まねで作ったのが、お菓子作りのはじまり。高校・大学合わせてアメリカには7年ほどいました。

お菓子・食べ物の一番の魅力は、「作ったらすぐに周りの評価を得られること」を話す長田さん。

結果がすぐに分かるのが楽しく、それをすぐに次のお菓子作りに反映させてはまた、周りの声に耳を傾けていた。

大学卒業後、日本の電子部品を扱う会社で働き、その後、自動車関係の商社では世界中を飛び回っていました。ビジネスパーソンとしてバリバリ働きながらもお菓子作りは続けていて、この頃には、今の茶紺に繋がる生地の土台は出来ていた。

食品の商社で働いていたこともあり、エスプレッソを世に普及させようとしていた。まだ、エスプレッソやバリスタ、ラテアートといった言葉が日本で浸透していない時期のことです。当時、川越のお店も営業で回っていたという。

その時の経験があり、茶紺のカフェの珈琲が格別なのが納得。カップも日本ではなかなか手に入らないイタリア製などを使用しています。

その後独立し、知人の会社の埼玉県の魅力を発信する仕事を手伝ったところから三芳町と繋がり、役場の中に事務局を構えて、三芳町を紹介するガイドブックを制作していました。

(長田さんが関わっていた「三芳町たんけんBOOK」)

ガイドブックを作ることになっても、長田さんはそれまで三芳町と縁があったわけではなく、雨の日も雪の日も毎日自転車で町内を走り回っては一から現場を取材していった。

その中で、あの地域と出会ったのだった。

三芳町上冨。

そう、さつま芋畑が広がる、あの地域です。

「こんな面白いところはない」

通りの両側にさつま芋農家がずらりと並び、さつま芋畑がどこまでも広がる。長田さんは上富に夢中になり、ガイドブックでもさつま芋のことを大きく取り上げた。

まだ、いも街道と呼ばれる前のことです。

ただ、取材といっても、相手との信頼関係で成り立つもの。農家さんたちと打ち解けるのに、一番効果を発揮したのが、「茶紺」だったという。

まさにこの上冨のさつま芋を使った茶紺をその生産農家さんに試食してもらい、「美味しいじゃないか!」と信頼を得ていった。

そこから、毎年10月の三芳町の「世界一のいも掘りまつり」に誘われて毎年出店し、そこでも来場者に好評を博しと茶紺の存在は広まっていきました。

周りの後押しもあり、いよいよ、お店を構えて川越いもを使った茶紺を展開することを決意。

川越で開いたのが、「おいもの茶紺」でした。

これまでのお菓子の経験、そこに川越いもとの出会いが組み合わさって出来たお菓子とお店。

川越いもと出会っていなかったら・・・もしかしたら長田さんはお店をはじめていなかったかもしれない。単にドライフルーツを使用したような、いわるゆお菓子屋さんがやりたいわけではないのだ。これを知ってもらいたい、食べてもらいたいと強烈に思える素材、川越いもがお店という形まで背中を押していったのでした。

 

すでにあるレールを進んで行けば、もしかしたらもっと楽だったのかもしれない。

川越は芋菓子の街。

誰もが想像しやすい形の芋菓子を製造すれば、誰もがすぐに反応を示していただろう。

だが。

本当にそれでいいのか、という自問が長田さんにはあった。

よくある芋菓子を作ってこれが川越の銘菓です、と提供することに、どうしてもやはり、違うのではないかという結論に至った。

今までにないお菓子を作る。

どのジャンルにも属さず、新しいジャンルを創る。

そうだ、茶紺、というお菓子のジャンルを創ること。

より険しい道を選ぶことを自分に課し、芋菓子であり、川越に新しいお菓子を誕生させようとした。

その姿勢は、開拓、という表現だろう。

 

パイオニアが切り拓いていく道の先は、他のどのお菓子とも比較されず、このお菓子は「茶紺なんだ」と認識されるに違いない。

 

川越いもがふっくらと焼き上がりました。

また茶紺が美味しく出来上がっていきます。

 

「おいもの茶紺」
住所:〒350-1126 埼玉県川越市旭町1-9-8-103
基本/営業時間
月曜日~日曜日 11:00~18:00
土曜日・日曜日は店舗以外での販売をする場合があります
(川越市内・三芳町周辺)
配達・ご予約の注文(製造)などの理由によりご対応できないこともございます。 事前の予約・ご連絡をいただけましたら、調整の上ご対応をさせていただきます。 

TEL:080-7898-8247
​定休日:不定休
Email: oimonochakon@gmail.com
https://www.imochakon.com/
アクセス
徒歩:川越駅 約12分、ウェスタ川越約3分、いなげや&しまむら約1分、ヤオコー約5分/ベルク約6分
車:国道16号線 曲がってすぐ。関越川越インターから約5分、ロジャース川越店約1分、ニトリ約4分