第12回「川越唐人揃い」2016年11月13日多文化共生・国際交流パレード | 「小江戸川越STYLE」

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「小江戸川越STYLE」代表:石川真




 

本川越駅と一番街のちょうど中間辺りにある蓮馨寺は、

賑やかさの谷となって、静かな時間をいつも湛えているオアシスのような場所となっている。
年に一度、ここから国際交流を発信するイベントがあります。

2016年11月13日(日)復活!唐人揃い─朝鮮通信使─ 多文化共生・国際交流パレード
「川越唐人揃い」。
 
12:00~15:30 

12:00~蓮馨寺にて開会式
12:30~15:00 蔵造り通りパレード&パフォーマンス
15:00~15:30 蓮馨寺にて交流広場

12回連続天気が良いというのは、川越のイベントでもなかなか例がないこと。
 

朝鮮通信使は1636年、43年、55年の3回、日光東照宮に行くため江戸から日光へ向かいました。

ですから埼玉県東部の草加・越谷・春日部・栗橋など日光道中を通過しましたが、

埼玉県西部の川越には来ていません。

朝鮮通信使は江戸時代の日本人にとっては一生に一度あるかないかの貴重な異文化体験でした。

川越の豪商、榎本弥左衛門(えのもとやざえもん)は、1655年に江戸で朝鮮通信使を見物し、

華やかな行列の感動を「榎本弥左衛門覚書」(東洋文庫)という日記に書き残しています。

その後、1700年頃の川越氷川祭礼(川越まつり)では、

朝鮮通信使の仮装行列である「唐人揃い」と呼ばれる練り物が出されました。

(「唐人」というのは中国人ではなく広く外国人を指しています)

 

かつての唐人揃いを今に復活させ、

様々な国、地域の人が助け合える「多文化共生」という現代的なテーマを掲げて、

一大国際交流パレードになっているのが川越唐人揃いです。

パレードの中心となるのはやはり一番街。

現在の一番街は、様々な国の人が観光に訪れているのはご存知の通りで、

通りの至るところから外国語が聞こえ、

外国人観光客が着物を着て街を散策するなど、風景は様変わりしました。

状況は、川越駅観光案内所の小松さんが普段話している通り。

小松さんが主宰する異文化交流クラブのことを書いた中でも、観光案内所のリアルを聞きました。

(「異文化交流クラブ川越」2016年9月22日異文化交流サロン もっこ館カフェテラス

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12206120931.html

 

そして2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けて、

川越は外国人観光客の受け入れを整えているところで、

民間でも、ホームステイ型民泊を始めようとする動きは活発になってきている。

その一つに、そう、恵比寿屋さんです。

(「恵比寿屋」築130年の古民家が川越の新スポットになっていく

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12173192354.html

 

外国人観光客だけでなく、川越在住の外国人の数も多く、

埼玉県在住のタイ人のコミュニティ、タイ人クラブは毎年3月に小江戸蔵里でタイフェスを開催している。

「小江戸タイフェス」2016年3月26日~27日第3回KOEDOアジアフェス小江戸蔵里

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12144169016.html

こうしたイベントを通した国際交流も活発に行われていて、

今回の川越唐人揃いや国際交流フェスタなどが代表的なところ。

(「かわごえ国際交流フェスタ」と「川越唐人揃い」2015年11月15日蓮馨寺

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12097280630.html

 昨年は、両イベントが同日に蓮馨寺にて開催されていましたが、

今年は川越唐人揃いが11月13日、国際交流フェスタが11月20日と分かれ、

国際交流イベントが二週に亘って川越から発信されました。

中でもやはり、この川越唐人揃いは、通りを歩行者天国にして行われることもあり、

川越の国際交流イベントとして最大で最高の盛り上がりを見せるものです。

 

パレードのスタート・ゴール地点は蓮馨寺。

この場所が会場となっていることは、いろんなものを物語る。

川越の歴史と由緒ある蓮馨寺という場所が、国際交流の場となっていることの意味。

和の文化であり、国際交流、今の川越の在り様を映すようです。

朝早くからパレード参加者たちは境内に集まって、準備を進めていく。

この日のためのとっておきの衣装を身にまとい、晴れの舞台へ飛び出していく瞬間を待ち構える。

境内には、

かわごえ国際交流フェスタが同時開催されたような出店の多さはないですが、

唐人揃いお馴染みの埼玉県在住タイ人クラブのタイ料理の出店が広場を盛り上げる。

屋台出店にパレード参加に、タイ人クラブはもう欠かせない存在のよう。




 

 

時間を追うごとに参加者が広場に集まってきます。

いろんな国、地域の国際色豊かな色とりどりの衣装に溢れ、国際交流にふさわいい雰囲気。


 

 

 

 

今回パレードに参加するのは朝鮮通信使をはじめ、13ほどの団体が通りを練り歩く。

アジアを中心にして世界各国の民族衣装が揃い、日本からはもちろん着物の団体の参加も。

さらに注目は、今年初参加となる越中おわら友の会があります。

そして一番の話題としては、1607年第一回朝鮮通信使の正使を務めた呂祐吉、

その11代目にあたる呂運俊さんが今年のパレードで正使の役を担います。

 

開会式が近づくと、境内はより華やかさに包まれていきました。これが、川越唐人揃いの毎年の風景。

カオスで圧巻。。。

それぞれの団体ごとにパレードしていくわけですが、

出発前に広場に一斉に集まっているその時、、、

実はこの時が、川越唐人揃いの知られざる魅力で、

各団体の参加者が交流し、お互いに写真を撮り合い、真の国際交流が生まれる。

日本人が着物を着た時に高揚するのと同じように、

他のどの国の人も、自分たちのアイデンティティーである民族衣装を着るとテンションが上がるのは同じ。

言葉は通じなくても、通じる部分はある、境内に笑顔が溢れます。

おたあジュリアとNPOきもの散歩。



けやき学園とタイ人クラブ。



友情ウォークと朝鮮通信使上官。



タイ人クラブと朝鮮通信使上官。

 

12:00~蓮馨寺にて開会式、実行委員会代表の江藤さんや川合川越市長、

正使、榎本弥左衛門役の挨拶があり、通信使・参加団体の紹介へと続いていきました。



「毎日多くの方がこの小江戸川越に集まります。関東周辺だけでなく、全国からも多くの人が訪ね、

この情緒ある街を楽しんでいます。しかも今や海外からの客も多くなりました。

観光協会発行のガイドブックは英語・ポルトガル語・中国語・韓国語・タガログ語まで揃っており、

最近タイ語も出たようです。さらに、多文化・国際交流の場所となっています。

江戸時代の川越商人たちは海外にも関心を持っていて、

インド・東南アジアの織物や開国後はイギリスから糸を輸入して綿織物=川越唐桟を作り一躍人気を博しました。この『唐』の文字を使った行列が、川越氷川祭礼の付け祭の唐人揃い行列でした。

徳川家康が隣国との友好なくしては平和はないと考え、朝鮮との国交回復を行い、

善隣友好の朝鮮通信使が始まりました。

そして川越商人たちは、その朝鮮通信使を実際に目で見て、川越で仮装行列を始めた。

唐人揃いパレードは、この精神を現代に生かそうと始まりました。今年で12回目になります。」



1607年第一回朝鮮通信使の正使を務めた呂祐吉から11代目にあたる呂運俊さんが挨拶。

 

開会式を終え、いよいよ境内を出発していく。参加者のどの顔にも、期待と緊張の色が見えます。
境内を出て通りを埋め尽くした民族衣装の人たちの光景に、居合わせた沿道の人から歓声が上がる。

12:30~15:00 蔵造り通りパレード&パフォーマンス
蓮馨寺を出発したパレードは、歩行者天国になった中央通りを北上して行きます。

横断幕が先導し、けやき学園の楽隊、

プラカードを持った子ども通信使が続き、清道旗、

そして榎本弥左衛門、おたあジュリアがゆっくりと歩いて行きました。

それに、朝鮮通信使の正使、副使、従事官、ケグリ、ピョンアリ、上官、女官、幟旗鯛が続く。

 

江戸時代、今から310年ほど前に、川越氷川祭において、思い思いの出し物をこしらえ、仮装し、

行列して楽しみ賑わいました。その中でも、本町が出したのが「唐人揃い」です。

パレードのみならず、現在、皆さんが歩いているこの道は、江戸時代の道幅そのままです。

唐人揃いは、当時の祭りでも人気であったようで、

先頭には白い象の大きな張りぼてまで登場していたそう。

それを見ようと、町人が鈴なりになっている姿が、三芳野名勝図絵に残されています。

さあ、どうか遥か、江戸時代の唐人揃いを見る思いで、パレードを見守ってください。

聴こえてきました、この音色は朝鮮通信使楽隊の音楽です。

昔の朝鮮通信使でも、楽隊が音を鳴らしながら先頭を歩きました。独特のラッパです。

江戸時代の人々はこれをとても気に入り、全国各地の人形に、ラッパを吹く楽隊の姿が残されています。

今回、演奏しながら歩いているのは、桶川市にあるけやき学園の生徒さんたちです。


一番街に特設された本部前、次にやって来たのは、子ども朝鮮通信使です。

パレードの進行を追いかけるように沿うのも楽しみですが、

全ての参加団体を見るのなら定点で待ち構えるのがいい。

昨年初めて、子ども朝鮮通信使が誕生しました。とても人気で、今年も登場です。

参加している子どもたちは公募によるもので、川越igoまちキッズの他に、川越以外からの参加もありました。

 

続いてやって来たのは、川越商人の榎本弥左衛門です。

この人がいたからこそ、川越で唐人揃いを見る事ができた。

役を務めているのは、元町一丁目自治会推薦の長島さんです。


榎本弥左衛門のことをもう少し詳しく紹介しましょう。

江戸時代の川越の豪商、榎本家の四代目の人物で、

彼は1655年に江戸に来た第6回朝鮮通信使を見物しました。

そして、華やかな行列の感動を川越の町人たちに伝えました。

川越氷川蔡において、この行列を真似した「唐人揃い」が、

江戸時代の本町(現在の元町)で代々行われるようになっていった。

市立博物館に行くと、弥左衛門の肖像などが展示されています。川越商人の中でも重要な人物でした。

 

弥左衛門の隣にいるあでやかな着物姿の女性が、

江戸時代に神津島に島流しにあった、おたあジュリアです。

実は、おたあは、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した時に、まだ幼かったおたあは、

小西行長の兵隊に連行され、そのまま日本で育った女性です。

キリシタン大名だった小西行長のもとで洗礼を受け、おたあジュリアと言われるようになりました。

関ヶ原の戦いの後、徳川家康が引き取り、その後、キリシタン禁止令が出ましたが、

信仰を捨てなかったので神津島に流されたのでした。

おたあジュリアは、医学や薬学にも優れていて、島人に尊敬されたようです。

今では、毎年5月に神津島では、おたあジュリア祭が開催されています。

 

さあ、ここからは朝鮮通信使本隊です。開会式で挨拶した、呂運俊さんがやって来ました。

呂さんの410年前の先祖が第一回朝鮮通信使の正使です。

昨年、呂さんはなんと、先祖が辿った苦難の道、

ソウルから東京までを日韓友情ウォークの仲間と走破しました。

 

賑やかな音が聞こえてきました。朝鮮半島の伝統芸能を魅せるチーム「ケグリ」です。

鐘や太鼓をかき鳴らしながら進みます。

古くから伝えられる農民たちの祭りの伝統リズム。躍動的に明るいリズムです。

 

何か、重々しいスタイルの一団がやって来ました。これは朝鮮通信使の上官です。

この上官のスタイルは、韓国歴史ドラマでも目にすることも多く、

参加しているのは一般応募の人たち。荘厳な足並みが目をひきます。

 

ここからは様々な参加団体が続きます。

華やかな民族衣装の一団は、埼玉県在住タイ人クラブです。
 

『タイ人クラブは、埼玉県を中心にタイと日本の文化や伝統を共有し、文化交流を深めている団体です。

主な活動は、在東京タイ王国大使館から支援を受けた各種イベントの主催や、

ボランティア活動、タイ語教室、タイ料理教室などを行っています。

これらを通して日本人とタイ人の親睦を深め、互いの文化を尊重して平野友好に寄与したいと思っています。

私たちは、この日のパレードをとても楽しみにしていました。

プミポン国王の喪に服する期間であることから、舞踊の披露は控えますが、

タイ4つの地方の、特徴ある民族衣装をお楽しみください。』

 

タイ人クラブの後には、今回初参加となる、越中おわら友の会がやって来ました。
 
『越中おわら友の会は、富山県越中おわら節愛する仲間の会です。

おわらには、他にはない特徴的な歌詞があります。

一つは五文字冠りと言われる26文字の上に五文字をかぶせて36文字にして歌うもので、

この歌い方は、八尾独特の味の濃いものです。もう一つは文字余りです。

七七の調子を何段も重ねて長唄のようにして、最後の五文字で収まるようにして歌うものです。

踊りは昔から豊年踊り、音曲は三味線の爪弾き、胡弓の流れるような音、太鼓が低く響きます。

これらが一体となって、おわらが成り立ちます。』

 

川越唐人揃いでは、お馴染みとなった参加団体はいくつもありますが、

『民族衣装』チームは毎年のように参加しているので、目にしたことがある人も多いでしょう。

世界各国の民族衣装を見ることができるのは、このイベントならではです。


 

『私たちは毎年、世界各地の民族衣装を着て、平和と友好をアピールしてきました。

今年は連続10回目の参加という節目の年となりました。

本日着ているのは、世界各地の伝統的な民族衣装です。

中には、戦争や災害を逃れて川越にやって来た衣装もあります。

民族衣装を通して、民族間の理解を深め、友好の輪を広げていきたいと思います。』

 

その後ろから来たのは、こちらも唐人揃いお馴染みのNPOきもの散歩。

着物を着て参加し、着物の素晴らしさをアピールしました。
 

『きものを身近な暮らしにとりもどそうと、毎月28日に成田山川越別院の骨董市できもの散歩を開催。

子どもたちにも着物を体験してもらうイベントも企画。

タンスに眠っている着物を着て川越の町を一緒に歩きませんか?』

 

次にやって来た民族衣装も目を見張るものがあります。

アイヌ民族の衣装に身を包んだペウレウタリがやって来ました。
 

『ペウレ・ウタリの会は、1964年夏、阿寒湖畔で働くアイヌと和人の交流から生まれ、

今年で60周年を迎えます。

アイヌ民族と非アイヌ民族の交流を続け、アイヌ民族の言語・舞踊などの文化を学んでいます。

アイヌ民族の先住民族としての権利を確立し、差別や偏見のない社会を作るために活動を続けています。』

 

アイヌ民族から、がらっと変わるのも国際交流パレードならでは、

すぐ後ろからやって来るのは、ベリーダンサーチームのロクセラーナです。華麗な舞いを魅せながらのパレード。
 

『ダンスを通じて地域を明るく!と、

地元川越を中心に踊っているベリーダンスチーム、ロクセラーナです。

エジプシャン、ジプシー、サイディー、ボリウッドなど、中東ダンスを幅広く、

ベールや剣、ジルなどの手具を使いながら紹介しています。』

 

子どもたちの軽快な太鼓とダンスが続きます。朝鮮学校です。
 

『埼玉朝鮮初中級学校は大宮区にある埼玉県内に在住する在日コリアンが通う民族学校です。

生徒たちはみな、日本で生まれ育った在日コリアン3世、4世です。

学校ではハングルやコリアの歴史や文化を学ぶと同時に、日本語、英語、日本と世界の歴史も学びます。今日は朝鮮舞踊部の生徒が皆さんの前で華やかな民族衣装をまとい華麗に踊ります。』

 

そして日朝協会も毎年のように参加している団体。
 

『私たち日朝協会は、在日の朝鮮半島の皆さんと友好関係を結ぶために活動を行っています。

唐人揃いパレードに参加するのも年中行事の一つになっています。』

 

いろんな国の人が集まった、カトリック西部地区有志の会。
 
『私たちは、埼玉県西部地域のカトリック教会信徒の有志の集まりです。

日本人だけでなく、韓国、フィリピン、ベトナム、スリランカ、ペルー、ブラジルなどから人たちが集まっています。最初にアーメンハレルヤなどを歌い、フィリピンルソン島の華麗な民族舞踊を披露します。』

 

日韓交流として、これだけ強い草の根活動はあるでしょうか、友情ウォークの面々がやって来ました。
 

『「21世紀の朝鮮通信使 友情ウォークの会」です。

2年に一度、日本人・韓国人・在日韓国人が一緒にチームを組んで、朝鮮通信使の道である、

ソウルー東京2000キロを歩いています。

海峡を挟んで2つの首都を結ぶウォークの定期開催は、世界に例がありません。

昨年の第五次ウォークは4月1日にソウルを出発、5月22日に東京日比谷公園にゴールしました。

全コース踏破は日本隊21人、韓国隊8人の計29人。両国合わせて2627人が参加しました。』

 

躍動的な太鼓の音が聞こえてきました。

あの太鼓は・・・そうです、こちらも唐人揃いに欠かせない埼玉エイサー隊です。

今年はパレードのトリを務め、最後方から行列を盛り上げます。
 

『ハイサーイ!私達、埼玉エイサー隊は沖縄大好き人間が集まり、

2000年に結成されました。今年で12年目を迎える団体です。

沖縄の人の絆を大切にする心、平和を愛する広く多くの人に伝えることができればと思い、

日々活動しています。

エイサーの最後は通常集まった人全員で、思いを一つにかき混ぜるため、

カチャーシという踊りを踊って締めます。今日もみなさんと一緒に、

平和の想いを一つにするカチャーシを踊りたいと思っています。

チューヤ イッペー ユタサルクトゥ ウニゲーサビラ(今日はどうぞ、よろしくお願いします)』

 

こうして本部前を通り過ぎて行ったパレード参加者たち。

この後はパレードは一番街の北端、札の辻まで進み、折り返して来ました。

パレードが終わると、一番街の3ヶ所にて各チームがパフォーマンスを魅せる時間です。

歩行者天国になった一番街は、パレード参加者で埋め尽くされ、

のみならず、観光客でもうすでに川越まつりのような状況になっていました。

観る側とパレード側と両者が分かれているところから、入り混じって、まさに現場の草の根交流が始まる。

この日が川越唐人揃いと知らなかった人もいたでしょう、

川越に来た観光客も突然の出来事に目を丸くしているようでした。

歩行者天国になっている開放感もあって、交流は深まり、

時の鐘も覆いが外されて本当の姿を現し、背景にして記念写真を撮る人が続出していた。

和の街であり、そして、国際交流の街であることを実感してもらえたのではないでしょうか。


パレードの後はパフォーマンスタイムへ。

そう、川越唐人揃いは、パレードを「歩いているのを観る」というだけのイベントではなく、

パレード後に一番街3ヶ所で行われるパフォーマンスも目玉となっているんです。

先ほどパレードの様子を見た通り、どのチームも歌に演奏に舞踊に、

パフォーマンスで魅せることができるチームばかりなのです。

川越まつり会館前のC会場では、

埼玉エイサー隊、友情ウォーク、ロクセラーナ、カトリック西部地域の有志の会がパフォーマンス。


 

 

そして、埼玉りそな銀行前のB地点では、

友好セレモニー、けやき学園、友情ウォーク、越中おわら友の会、けやき学園、タイ人クラブのパフォーマンスとなっていました。

まず冒頭、毎年行われている川越唐人揃いの大事な友好セレモニーでは、

かつての朝鮮通信使と同じようなセレモニーとして、

日本側は榎本弥左衛門さん役が、

韓国側は呂運俊さんがお互いの親書を見せ、交換して友好を深めました。


 

さらに、子ども通信使も直筆のメッセージ、

「かけはしになりたい」としたためた書を披露し大役を務めました。
 

 

その後のパフォーマンスは、今年初参加の越中おわら友の会に注目が集まり、

最後のタイ人クラブは、喪に服している期間ということで、

いつもの舞踊は魅せず、国歌斉唱を静かに行いました。

その涙ながらの歌声に、観客から大きな拍手が送られました。


 


 




14時半に全ての地点のパフォーマンスが終わると、

また横断幕を先頭にしてパレードは蓮馨寺へと帰って行く。

中央通りを直進して帰る組と大正浪漫夢通りから帰る組、二手に分かれます。
  

 

蓮馨寺では、15時から川越唐人揃いの最後の盛り上がり、交流広場がスタート。

ケグリが音を出し、みなが鐘の前に集合する。

蓮馨寺粂原住職の挨拶などがあり、パレードが無事に終わったことをみなで確認する。

朝から交流を続けた参加者たちは、共にパレードし、

夕方、パレードが終わる頃にはさらに打ち解けているようでした。

川越唐人揃いは、パレードが華やかで目をひくものでありますが、

お互いの交流というところは、

スタート前の交流、ゴール後の交流が、なによりそれを表しています。

一番街で見る様子も見所として外せませんが、

このイベントの本当の姿、価値に触れるなら、やはり、蓮馨寺会場を見てこそです。

参加者の打ち解けた関係は、すでに国・地域の境を超えて、みなが繋がり合う感覚を持っていた。

 

特別ゲストの李政美さんがけやき学園の子どもたちと歌を歌い、

ケグリの先導によってみなが輪になって歩き、踊る大団円へと続いていきました。

この輪こそ川越唐人揃いで、このために今日があったようなもの、

それぞれの国の踊り方で、でもみな繋がっているようで、世界が一つになっていた。

 


 


 


 


 


2016年11月13日(日)復活!唐人揃い─朝鮮通信使─ 多文化共生・国際交流パレード
第12回「川越唐人揃い」。

このような国際交流イベントが川越で12回も続いていること。

来年はどんな輪を最後に見ることができるでしょう。

草の根から大きな輪を描いていきます。