川越style「中世の茶を歩く~河越茶を学ぶフィールドワーク研修2016」2016年10月 | 「小江戸川越STYLE」

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「時が人を結ぶまち川越」
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川越の現場で様々なまちづくり活動にも従事しています。
「小江戸川越STYLE」代表:石川真

お茶をもっと身近に感じるために、河越茶をもっと知るために。


2016年10月23日(日)一日を通してお茶を深める体験ツアーが開催されました。
 「中世の茶を歩く~河越茶を学ぶフィールドワーク研修2016」9時半~17時
 【主な行程】
川越駅(東武東上線)集合、ウェスタ川越9時30分発、
10時~10時40分 茶園見学(下赤坂小野文製茶園)~
11時20分~13時 蔵の街並み(昼食・茶そば寿庵)、自由行動・散策
13時30分―15時 河越館跡・常楽寺、上戸小学校(資料館)、史跡公園
 ~15時半 中院(狭山茶発祥碑)
16時~17時 南公民館(講義(株)十吉 林さん)河越茶と河越抹茶を使ったお菓子でおやつタイム付き
 

この研修を企画したのは、日本茶インストラクター協会埼玉県支部。

昨年に続き2回目をとなった河越茶研修。

今回はバスを使い、フットワーク良く、歴史のみならず現代の河越茶は?

というところに視点をあてたフィールドワーク。

最初から最後までお茶お茶お茶、

茶畑見学、講座といろんな切り口で河越茶を掘り下げていく体験は、

お茶好きには堪らない一日だったでしょう。

 

日本茶インストラクター協会埼玉県支部としての活動は、

 

お茶を学ぶ講座・研修を開いたり、イベントでお茶の淹れ方教室を開催したり、

毎月のようにお茶にまつわる活動は展開しています。

一昨年は狭山茶の生産地入間市のお茶の現場を巡るバスツアーを企画し、

昨年は河越館跡を訪れたり、中央公民館で講義や抹茶体験を行ったりしました。

昨年に続き今年のテーマも河越茶。

埼玉県支部長の安藤さんは、立場上全国の支部長などとも交流があり、

地元のお茶のことを知っていることが強みであることを実感していました。

「お茶の教科書には、『河越茶』というのはほんの一行しか出てこない。

しかし、歴史も伝統もあるお茶で、埼玉県の日本茶インストラクターなら、

埼玉のお茶として狭山茶、河越茶のことをきちんと把握しておきたい」と話しています。

埼玉のお茶産地としては他にも、横瀬町や春日部市、鶴ヶ島市も知られています。

ちなみに支部長の安藤さんは、埼玉県のお茶を普及する活動に従事する傍ら、

川越の一番街にあるお茶屋「長峰園」さんのスタッフでもあります。

 

 

(「長峰園」茶農家だからできること。そして特別な空間 和芳庵(わほうあん)へ

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11746059221.html


河越茶研修に参加していたのは地元川越のお茶を深く体験したいという人のみならず、

神奈川、千葉という県外の日本茶インストラクター協会の会員の参加もあり、

埼玉のお茶、河越茶を知ろうと意気込んでいました。

参加者を乗せたマイクロバスはウェスタ川越を出発し、

駅から遠ざかるようにして川越所沢線を南へ進んで行く。

少しすると周囲の風景が変わっていき、建物が少なくなり、畑が両側に広がるようになる。

窓の外に見える風景に、

「街中から少し来ただけでこんなにガラッと変わるなんて!」と参加者から声が上がりました。

川越は市街地の賑わいから少し離れただけで、田んぼや畑が広がる街であることは

外から見る人には意外に映るかもしれませんが、それが川越の姿。

特に今向かっている小野文製茶さんがあるのは、

川越の農を支える一大生産地である福原地区にあり、その風景に参加者はきっと驚くはず。

川越所沢線から細道を入っていき、川越の原風景のような一面畑が広がる中に、

小野文製茶さんの工場と茶畑がありました。

バスから降りる一同、さっきまでとは空気感が全然違うことにすぐに気付きました。
 

 

 

 

川越では多くのお店で「河越抹茶」を使用している文字を見かけると思いますが、

その河越抹茶が作られる現場がどういうところかご存知でしょうか。
古くからお茶の産地だった河越は、歴史的背景から、
上戸の河越館跡や中院辺りで河越茶は作られているのだろうか、そう思う人も多いかもしれません。
河越茶のルーツとしては河越館にありますが、

そこから広がり、埼玉県西部地区(川越、狭山、所沢など)を中心と「旧河越領」にある茶園でつくられています。

その中で、現代の「川越市」でお茶を作り、工場を構えて加工している農家さんは、5軒。

河越館跡近くの鈴木園さんに、そしてなんと、

この福原地区に残りの4軒の茶園が集まっているという事実があります。

集まっているというか、再開発されなかった地域で結果的に残ったというべきか、、、
しかし、現代の川越市のお茶の産地は福原地区であることに変わりはありません。

 

小野文製茶さんの小野さんに詳しいお話しを伺う。

 

差し出されたお茶がまさにここで作られたお茶で、参加者から「美味しい!」と声が漏れました。




「お茶の栽培は明治時代の後期頃、私の曽祖父が始めたものでした。
最初の頃は専業ではなく、野菜栽培や漬物屋を営んでいて、その後にお茶専業に行き着いたようです。
この辺りの川越の下赤坂の開拓が始まったのが、350年くらい前といわれています。

何もない原野に現在の栃木方面などから人がやって来て、開拓していったらしい。古いところでは12、3代続いている家があります。

昭和30年代頃にはこの辺りもお茶を栽培する人は多くて、昼夜工場が動いていたような状況。

時代と共にお茶から野菜栽培へと移行していき、

川越市の野菜生産量のかなりの部分を担っているのは福原地区です。」

 

福原地区で生産されている野菜は、

 

ほうれん草、小松菜、カブ、とうもろこし、枝豆、さつま芋、人参、里芋などなど。

 

地区の開拓が始まった350年前というと、川越氷川祭(川越まつり)が始まった頃です。。。

 

さらに三芳町の三冨より開拓が早かったという話しにも驚きました。

三冨の農家さんと同じように、この辺りも、

家があり、家の裏は林、家の前に細長い畑が続き、

短冊状に農家の家が並んでいる三冨独特の風景は見られます。

 

ちなみに小野さんは、川越Farmer’s Marketに出店している農家さんでもあり、12月4日にも出店予定。

 

(前編「川越Farmer’s Market」12月13日(日)開催 蓮馨寺

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12107286406.html

そして、話しが逸れますが、いや、これも福原地区の農の豊かさが感じられることですが、

一つ見逃せないものを付け加えると、

この時小野さんがお茶請けとして出してくれたのが、蒸かしたさつま芋。。。

さつま芋にも参加者は「美味しい!」と感激していました。

このさつま芋というのが今年収穫された新芋で、

ここからすぐ近くにある畑、戸田さんが作ったものでした。

 

戸田さんも川越Farmer’s Marketお馴染みの農家さんで、

ほうれん草やさつま芋の生産者として知られます。

同じ地区内に野菜農家がたくさんいて、お茶農家も集まり、

福原地区の農の豊かさが伝わるでしょうか。

 

参加者にとっては、お茶農家の畑に来ることはレアな体験、一つ一つに歓喜の声を上げ、

 

こんなティッシュボックスがあるんだ!とこれにも反応。。。
 

 

外に出ると、小野さんが茶摘道具の歴史的変遷を見せてくれます。

 

昔はこういう道具で摘んでいた、という話しに、

参加者からは見た事ない道具が出てきて驚きの声が上がっていました。
 

 

 


 

 

そして、目の前の茶畑で実際の作業の様子を見せてくれることに。


 

 


 


これが抹茶の原料である碾茶畑です。なかなか見れない光景に歓声が上がる。

 

この小野さんの碾茶畑は、今年の春に収穫様子を見に来ました。

 

(2016年春、シートに覆っていた河越抹茶の原料、碾茶が姿を現す。

シートを被せることでアミノ酸が増幅し旨味が深くなる、抹茶作りには欠かせない工程なのです。
シートを外した茶葉は・・・煎茶になる茶葉の色を明らかに違い、もう黒々とした濃い色になって、
鼻を近づけるとこの青臭さはまさに抹茶。
この時、シートを外した小野さんは茶摘みに取り掛かり、この後、

関東唯一の碾茶工場である「狭山碾茶工房 明日香」にて茶葉は河越抹茶になっていきました。

この春収穫したこの碾茶が、今年の河越抹茶の新茶に含まれていることになります。

 

河越抹茶が作られている明日香とは、どんなところなんでしょう??

 

明日香は、川越の南大塚から西に少し進んだ狭山市にあり、
そこに旧河越領で栽培された碾茶葉が集められ、河越抹茶となっています。

以前この場所に、川越のお店が体験、見学に訪れていました。

 

 

(「2015年5月河越抹茶の茶摘み体験」河越抹茶の産地を訪ねる

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12036393456.html

上の工房がまさに、河越抹茶が作られている現場です。

 

その後、河越茶研修の一行は再びマイクロバスに乗って、来た道を戻って来る。

 

川越所沢線を真っ直ぐ来ると、畑の風景からあっという間に建物が密集する風景になり、

その劇的な変化に、さっきまで一面畑だったのに。。。!とここでも驚く参加者。

小野文製茶さんから車で15分ほどでウェスタ川越の集合場所に戻り、

今度は北へ、一番街へと向かっていったのだった。
 


 

 

お茶の生産現場から、今度は河越抹茶を使った食べ物を頂こうという内容です。

 

今の一番街に来ると、もう、河越茶、河越抹茶が百花繚乱に咲き誇っていることが分かる。

いろんなお店で河越抹茶を使った飲食が提供され、

さつま芋と並んで川越を象徴する大きな存在にまでなっているのが分かる。

中でも埼玉りそな銀行向かいにある蕎麦屋「寿庵」さんは、河越抹茶を使った茶蕎麦が有名。

お店は現在、喜多院店、新富町店、そしてこちら蔵の町店の3店を展開しています。


 

寿庵さんの茶蕎麦のこだわり。

川越の地ということで、開店当初から茶蕎麦の茶を地場産でと考えていたそうですが、

品質上合わず、長い間宇治抹茶を使用していました。

近年の河越抹茶の品質を確かめ、3年前蔵の町店で茶蕎麦の茶の原料として採用し、現在に至っている。

寿庵さんは、宇治抹茶と河越抹茶の違いとして、

宇治は味が濃く苦味が強く、強い緑色であるのに対して、河越は爽やかな風味、明るい緑色であることを挙げています。

この日は河越抹茶を使った茶蕎麦と新蕎麦からなる二色蕎麦を一同で頂きました。

茶蕎麦は抹茶の香りがほのかに立ち上がり、

今見てきた畑で作られた碾茶からこの蕎麦が作られているのだな、と

生産と商品までの流れをほんの数十分で体験できるのはある意味この上なく贅沢な体験。


 

 

昼食後は13時集合まで自由行動となり、それぞれ一番街散策へ繰り出していきました。

 

中でも多くの人が気になっていたという、

札の辻の長峰園さん2階にある和カフェ「和芳庵(わほうあん」。

ここでは抹茶にお菓子がついたセットがあり、

特に着物を着た人が一休みする定番スポットになっています。




河越抹茶に、河越抹茶を使った五家宝。まさに河越抹茶尽くしです。

茶蕎麦に抹茶と、お茶の時間を過ごした後は、現代の活発な動きから遡って、河越茶のルーツを探しに。

過去へタイムスリップしていきます。

 

川越橋から入間川を越えてすぐ、上戸小学校横にある河越館跡に辿り着いた一行は、

 

「ここが河越茶発祥・・・」と感慨深げに見上げ、脚を踏み入れて行きました。

河越茶のルーツは、川を越えたこの場所にある、

先ほどの一番街からそれほど遠くなく、すぐ近くにルーツに触れることができます。






 

 

(お茶が植えられている)

河越茶にのちに繋がっていくキーパーソン、河越氏は、

平安時代の終わり頃にこの地に館を構えました。

河越氏は、源氏や北条氏といった、その時代の権力者と密接な関係を築き、南北朝時代まで活躍しました。

河越氏がいかに有力な武士だったのかということは、

鎌倉時代の初めに河越重頼の娘が源義経の正妻に選ばれたことからもよく分かります。

やがて、源頼朝と源義経が対立すると、河越重頼らは義経縁者であることが災いして滅ぼされるなど、

一時は衰えます。

 

それでも鎌倉時代中頃になると、権力者との結びつきを強め、かつての勢力を回復していきました。

 

しかし、応安元年(1368)、鎌倉府と対立した河越氏は、

平一揆を組織して河越館で挙兵することになりました。

その結果、河越氏は戦いに敗れ、歴史の表舞台から姿を消していきました。

 

微かに残る遺構を確かめながら、日曜日だけ開放されている上戸小学校の資料室を訪ねる。

 

資料室には、これまでの発掘調査によりここで出土された貴重な茶道具などが展示されています。

茶臼がこの地中から出てきたなんて、なんというロマン溢れる話しでしょう!

 

 

 

 

お茶を飲む習慣(喫茶)というのは、平安時代の初めに唐から伝わったといわれています。

当時の茶は、主に寺院での修行や儀式に用いられていました。

やがて、鎌倉時代に入ると、武士の間にも喫茶の習慣が広がり、

茶の栽培も広がっていきました。

川越と茶のつながりは古く、南北朝時代の書物には、

最上とされる京都栂尾などに次ぐ全国の銘茶産地の一つとして「武蔵河越」という名が記されています。

河越茶は狭山茶の起源とされていますが、

いつ・どこから伝わったのかは明らかではありません。

しかし、当時茶をたしなむことができた階級は武士や僧侶に限られていた点、

河越館跡の発掘調査では、天目茶碗、茶臼、風炉などの茶道具が出土している点を考えると、

河越茶の成立と振興には、河越氏が深く関わっていたと考えられます。

近年の調査では、河越館跡から出土する輸入陶磁器は、青磁や白磁の碗・皿といった食器だけでなく、

屋敷内を彩る高級陶磁器も出土しています。

中でも青白磁の梅瓶は床の間を飾り、武士の権威を象徴する器でもあります。

また、河越館からは火災の跡が残る遺物が多数出土することになりました。

これらは、平一揆の際に、河越館が火を掛けられた痕跡と考えられています。




 

 

 

 

河越茶のルーツを探る旅、その後は再び市街地に戻って来て、

 

中院にある石碑「狭山茶発祥之地」を見学。

 

最後にはまたウェスタ川越に戻り、

 

河越茶の過去から、現在、そして未来へと展開していく。
河越茶・抹茶の卸会社である「十吉」の林さんにこれまでのお話しを聞くことに。

河越氏が河越茶の発祥に関わっているとしたら、

河越茶、河越抹茶を復活させ、ここまで広めてきた十吉は、まさに河越茶の中興の祖と言えるかもしれません。


 

ちなみに十吉の林さん達は、こうした講師として呼ばれるのみならず、

 

(もちろん本業である河越茶を広めるために駆け回っている他に)

自分達主催、河越抹茶を使うお店を対象に、

河越茶・河越抹茶により親しんでもらおうというイベントを毎年開催しています。

今年は川越のお店を招いて河越抹茶を使った茶道体験会を開いていました。

こうした体験を通して、直にお客さんと接するお店の人達に河越抹茶の理解を深めてもらとうとしていた。

 

 

(ウェスタ川越「茶道体験会」NPO法人河越抹茶の会2016年6月1日

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12167842017.html

河越抹茶を使用するお店の人たちはみな地元意識が高く、

自分たちがお店を構える川越、

歴史的ストーリーのある河越茶を知りたい、盛り上げたいという思いを持ち、

このような体験に積極的に参加している姿があります。

今、これだけ河越茶が川越で広がっているのは、林さん達の努力にプラスして、

お店の発信によるところも大きいと思う。

昨年、一昨年と、お店の人による体験会として行われたのが、

河越抹茶の原料である碾茶を生産している農家さんを訪ね、

自分たちの手で茶摘みしてみようというもの。

 

 

(「2015年5月河越抹茶の茶摘み体験」河越抹茶の産地を訪ねる)


そして、十吉が未来へと続く新しい河越茶として発信していこうとしているのが、紅茶。

これから販売するという紅茶の試飲会が行われました。







河越抹茶は今年の新茶の季節を迎え、いろんなお店で使われていくでしょう。

河越茶、河越抹茶の展開はこれからも広がっていきます。