川越style「河越抹茶の茶摘み体験」河越抹茶の産地を訪ねる | 「小江戸川越STYLE」

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川越の現場で様々なまちづくり活動にも従事しています。
「小江戸川越STYLE」代表:石川真

この期間でこれだけ広がってきたことに、
やはり、という思いを噛み締めています。
川越の河越抹茶のことは、復活させた男たちのストーリーを以前記事にしました。

「河越茶Rebornプロジェクト http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11780014390.html

復活させた経緯などはあの通りですが、
今、当時と違うのは、河越抹茶を使用するお店が格段に増えていて、
川越市内外合わせて50ほどのお店で取り扱われている状況になっているそう。

 

川越では以前から商品に抹茶を使用するお店はたくさんあっても、
他産地の抹茶を使っていることが多かった。
それしか選択肢がなかった中で、河越茶の歴史を掘り起こし現代に甦らせた話しに皆さん共感し、
河越茶、河越抹茶を広めていこうと応援していることからどんどん広がりを見せていった。
「川越に河越抹茶があるならそちらを使った方が川越らしい」
「あのお店が河越抹茶凄くいいよ、と言っていたので使ってみた」
など川越のお店の方々はみんな河越の抹茶に興味津々。
中には当記事を見て問い合わせた

 

バウムクーヘンのノリスケさんやパティスリー ル・アンジュさといったお店もあって、
そしてなんと川越のみならず、市外のお店でも河越抹茶を使用するところも多くあり、

質の高さで選ばれているのが分かる。

 

街の中でこのようなタペストリーを見たことあるのではないかと思います。

 


これが表示されているお店のものは、正真正銘河越抹茶を使用している証拠。
あるいは商品に川越抹茶ではなく「河越抹茶」と記されているものは、この抹茶を使用しているものです。
川越のいろんなお店で「河越抹茶の○○」という商品を見るようになり、

それが普通の光景のようになっている今の状況は、

いかに河越抹茶が浸透して街に解け込んでいるかが分かります。

最近の川越の大きなトピックスとして、2015年5月31日に開催された「川越パンマルシェ」がありましたが、

(川越パンマルシェ2015 http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12034416581.html

 

出店パン屋さんの中にも川越ベーカリー楽楽さん、ブーランジェリュネットさんなど
普段から河越抹茶を使用しているお店は多くあります。
特にCAFE ANTIさんの河越抹茶の思いは深かった。

 

(CAFE ANTI http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11530278414.html

 

そして、河越抹茶を使用するお店が集まった河越抹茶の会による、

 

河越抹茶の元となる甜茶畑の茶摘みに行こうと企画されたのが昨年5月のことでした。


 

 

昨年は、生憎の雨で畑は見学のみとなりましたが、
あの日は河越抹茶を使用するお店が揃って産地を訪ねるという画期的な1ページとなりました。
「ぜひ来年も来よう!今度は茶摘みしたい!」
と話し合った面々は、一年後にリベンジすると誓った。

河越茶とは、古くて新しい、新しくて古い、

知る人ぞ知る川越のお茶、河越茶です。

 

かつての川越は、お茶の名産地でした。

 

南北朝時代、武蔵河越は天下の茶所として

人々が名をあげる茶の名園五場(全国銘茶5場)の一つだった。

川越の中院に830年頃にお茶の木が植えられたことから、

河越茶と呼ばれるようになったという説があります。

関東の有力武将も愛したこの地のお茶「河越茶(抹茶)」は、

戦国時代になると、栽培していた寺院・武士が衰退すると共に姿を消していきました。

衰退した河越茶の系譜で生き残ったのが狭山茶。

実は両者は密接な関係にあるのです。

銘茶と呼ばれたかつての河越茶にならい、

旧河越領内茶園で丁寧に栽培された高品質の茶葉を厳選し、河越茶は新たな姿で現代に甦りました。

 

2015年5月。

 

 

今年も一面が深緑に染まる茶摘みの時季がやって来て、この日は天候にも恵まれ、

 

皆さん「今年は茶摘みができる」と喜んでいました。

都合が合わず来られなかった方もたくさんいて、「行けなくて残念!」と語るお店も多かった。

それでも同日に河越抹茶を使用しているお店がこれだけ集まっていることに熱意を感じる。


「今年は絶好の茶摘み日和だね」

「この辺りは自然溢れるところで、川越のすぐ近くとは思えない」

など和気あいあいと話す一堂。

 

ここは旧河越領内である狭山市にある「奥富園」。

 

河越抹茶の元である碾茶の栽培が行われ、

碾茶だけでなく、煎茶なども含め様々な品種が栽培されています。

お茶作りに携わり45年になる奥富さんは、

抹茶作りにはもう23年取り組んでいます。

河越抹茶の原料となる碾茶(てんちゃ)を生産している農家さんは現在10軒ほど。

10軒の中の、旧河越領内の茶園で生産された碾茶を使用して河越抹茶は作られています。

奥富園さんで栽培された碾茶は、

すぐ近くにある碾茶工房「明日香」でに運び込まれ抹茶が作られます。

 

埼玉のみならず、関東の抹茶作りの歴史はそのまま、

 

奥富さんたちが取り組んできた道のりを振り返ることでもあります。

 

今から20年以上前、平成3年に奥富さんは抹茶の試験研究を始まって、

 

その時に京都の方に抹茶にはどういう品種の茶木がいいのか訊ねて、

勧められた品種をここで栽培したことから始まりました。

 

そして、この事実に驚かれる方は多いと思いますが、

 

抹茶を作ることができる「碾茶工房」というのは、

関東では唯一狭山にある明日香だけなのです。
以前は、関東で碾茶が栽培されても、抹茶を作るためにわざわざ京都などに葉を送り、

抹茶にしてもらって送られていたという状況だった。
それが今は、狭山の明日香で奥富さんたちの手によって日々抹茶が作られ、

出来上がった抹茶はすぐに各地、各店などに送られ使われています。

奥富さん達が試行錯誤で作り上げた、熱い情熱のこもった碾茶工房明日香。

まさに灯台下暗し、川越からすぐ近くに抹茶を作る工房があることに驚きます。


(茶摘みの前に奥富さんの説明を聴く一堂)

 

集まった顔触れは各地から、多様なお店の方がいました。

 

パティスリール・アンジュさんは西武新宿線南大塚駅前にあるお店。

以前からスイーツに河越抹茶を取り入れていて、お店では既に定番人気となっている。
ル・アンジュさんは、川越のパティスリーではまだまだ珍しいことですが、
食材の生産者を訪れることに積極的。
共に川越Farmer'sMarketに出店するという園から野々山養蜂園さんの現場を訪ねたりし、
「自分が使う素材の生産の現場を見るのは楽しいし大事」と話します。
また、以前は川越いちご園すじのさんのイチゴの現場にも訪れています。

(川越いちご園すじの http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11992214560.html


一番街にあるバウムクーヘンのノリスケさんは昨年に続いての参加。

(昨年雨の中碾茶の香りを嗅ぐノリスケさん)

今年は天候に恵まれたということで、茶摘み装備万全で参加。
河越抹茶を使用した抹茶バウムクーヘンはお店ですっかり定番となっています。

小江戸蔵里と時の鐘の近くに2店ある大学いも川越いわたさんも

河越抹茶はチーズケーキに使用していて、今回の茶摘に参加。
時の鐘の横の和菓子店、福呂屋さんも今年も参加して気合十分です。

 

奥富さんの挨拶の後、では行きますか!とそれぞれに大きな籠が渡され、

 

いよいよ碾茶畑に入って行きます。

煎茶の茶摘み体験をさせてくれる茶園はあったりしますが、

碾茶畑の茶摘み体験は非常に珍しいこと。

産地によってはその畑をあまり人に見せたくないと考える茶園もあるそうですが、

奥富園さんでは、河越抹茶の会の熱意に応え、応援するという意味も込めて、

お店の人たちによる碾茶畑の茶摘み体験を受け入れています。

 

茶畑の一角に・・・

 

シートで厳重に覆われた箇所がある。

日光を遮っている独特な雰囲気は、パッと見ただけでは茶畑とは思えません。

そこが、碾茶畑。

茶木を覆うことで葉の色が濃くなり、艶が出て、アミノ酸が増幅する。

入口を開いて中に入っていくと、

「おお、これが碾茶か」

「色がめちゃくちゃ綺麗だね!」

など一堂から感嘆の声が漏れます。碾茶畑を前へ前へと進んでいく。


 

 





鮮やかな色に目を奪われる。

奥富さんが早速、「木を横に倒して葉を引く感じで摘む」というコツを実演してくれます。
「今日皆さんが摘んだものを品評会に出品する」という奥富さんの話しに、

緊張しつつもやる気に溢れる面々。


この日の茶摘みは、なによりここに至るまでの奥富さんの日々の管理があったからこそ。
「茶葉は一年に一度しか取らないので、良い芽を取るには繊細な作業が求められます。

特に夏の管理が大事なんです」
夏の間に虫に喰われてしまうと、枝が細かくなっていってしまうそう。

茶木は昨年9月頃までに長く伸びてきて、大体2月下旬になると摘芯(てきしん)を行います。

摘芯とは、発芽が早く茶枝の先端近くに伸びる柔らかい部分を、一本一本剪定すること。

先端を摘むことで、そこに向かう養分を下に向かうようにでき、芽が均等に伸びるようになる。


「人間の兄弟で言うと、最初の長男だけが栄養を取ってしまうと均一にならない。

最初の芽を落とし、下に揃った芽が5つくらい出てくるものが品質的にも良い葉になるんです」

と話す奥富さん。



始めは恐る恐る葉を摘んでいたお店の方々でしたが、
すぐにコツを掴んでスイスイ摘んでいたのが大学いも川越いわたさん。

 

向かいにいたル・アンジュさんも丁寧に摘んでいて、
ノリスケさんは「茶摘み楽しいですね」と笑顔。

 

それぞれが自店で使う河越抹茶になる素材を目にして、感慨深げに葉を摘んでいました。
時間が経つにつれて、だんだんと口数が少なくなっていき仕事モードになっていく一堂。

 

2時間、集中して茶摘みすると籠の中は葉で埋まっていました。
こうして摘んだ葉が実際に抹茶になっていきます。
お店で抹茶の状態だけを見るよりも、畑の現場に来ることでより素材の理解が深まる、

 

そしてこれをアピールしていこう、そう思いを新たにしたお店の方々でした。


 

 




 

その後、茶園から歩いてすぐのところにある、

 

碾茶工房「明日香」に足を運ぶ一堂。

ここが実際に抹茶を作っている工房です。


 

 

明日香は奥富さんをはじめ、

5軒の農家が協力して設立・運営している工房。

川越の街中で見かける「河越抹茶」はここで生まれています。


明日香は抹茶を作るためとても効率良くできている工房で、

この工房自体、奥富さんが設計に関わってオリジナルで作ったもの。

 

煎茶などはセンサーを使って機械化できますが、
抹茶作りは全て機械化できるわけではなく、長年の経験で培った人間の勘で作る部分が多くなります。

 

煎茶と抹茶製造の違いは、
煎茶は葉を蒸した後に揉んでから乾かしますが、抹茶の場合は蒸した後、

揉まないで乾かし、細かくして挽きます。
抹茶作りで大事なのは、茎や葉脈を綺麗に外すよう気をつける。
それらが入ると抹茶にした時に色が黄色くなってしまうのだそう。

抹茶は熟成させるので新茶の時季は11月となります。
長い時間熟成させることで味に厚みが出ます。

明日香ができるまでは、関東には一つも抹茶を作る場所はなく、
この地で抹茶作りが始まったきっかけが、
平成元年に稲荷山公園で開催された、国民文化祭・埼玉大茶会でした。

 

広い芝生の上で行った野点は大変好評で、
翌平成2年からは「狭山大茶会」の開催へと続いていきました。
「狭山大茶会」はもう25回になるイベントで、
お茶を身近に楽しむイベントとして定着しています。

毎年多くの方で賑わうなか、市内外の茶道家の方から、

 

「狭山はこんなにお茶の産地なのに抹茶がないのは惜しい」

という声が上がるようになりました。
お茶のイベントには抹茶があった方がいい、
それもできれば地元で作られた抹茶で大茶会を楽しみたい、と。

そこから当時の狭山市長が、狭山で抹茶を作れないかと呼びかけ、
平成3年から抹茶の試験研究が始まりました。

 

狭山で抹茶作り・・・
夢が具体的な形になろうと進み始めましたが、
抹茶作りならでは難しさに直面することになります。
葉を揉まないで乾燥させるのは既存の機械では難しく、

 

奥富さんは、

「やはり碾茶のための専用の工房を作りたい」
そう思うようになっていった。
そこからオリジナルの設計で抹茶製造工房を建設することになっていきます。

手前から機械が並んでいる順番で工程が進んでいきます。

 

今回も丁寧に製造工程を説明してくれる奥富さん。

 

お茶はボイラーで蒸してから、冷却機で乾かします。
ここで葉に蒸し露が付いていると葉同士がくっついて色が悪くなってしまうため、
しっかりと表面を乾かしてくっつかないようにパラパラにする。
「一枚一枚の葉をパラパラに乾かすために、これだけの高さが必要なんです。
この高さに合わせて建物を設計しています」


大きなバーナーで乾かし、3日間掛けて蒸す。
表面だけ風で乾かすのではなく、芯の水分まで完全に出して乾かします。
レンガを使うことで、無理をしないで乾かすことができるんです」
そしてパイプを通って、乾いた葉は下に落ちる。




室内には大きな冷蔵庫があり、
中はひんやり大体4度くらいに管理されています。
最終工程となる粉末加工の現場がここにありました。
一回に5キロ入れ、中で回され挽かれると抹茶ができ上がる。
回す時間はなんと5時間。大事なこの工程は、
「粉末加工は本当に難しい」
と奥富さんが言葉を漏らすほど、手間のかかる工程です。

粉末にしたら、最後の仕上げにふるいにかけて、
粉と、粉になっていないものを分けます。
ふるうのは2回行い、合わせて1時間以上かけて丁寧に行います。
ふるいもオーダーメイドで作ってもらったものだそう。
「もっとこういう道具が欲しい、もっとこうしたら美味しくなるはず」
今でも日々見直し、
美味しい抹茶作りを追求しています。

奥富さんがいて、この工房があるから、
今自分たちは抹茶に親しむことができている。
お店の方々は、抹茶作りの大変さを噛み締めるようにじっと耳を澄ませていました。

 

河越抹茶がここまで広がってきたのは、

 

使うお店の方々の応援に、製造する奥富さんたちの熱意があるから。

これからますます川越で河越抹茶は広がっていくと思います。

その香り、味わいをどうぞ楽しんでください♪

 

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