川越style「大黒屋食堂」ご飯の美味しさに改めて感じ入る 昭和の街と共に歩んだ3年間 | 「小江戸川越STYLE」

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「小江戸川越STYLE」代表:石川真


本川越駅から北へ直進、現在拡幅工事が行われている中央通りを進んで行く。

県道と交差する連雀町交差点まで来ると、町並みの雰囲気ががらりと変わることに誰もが気づく。古い建物が残され、昔にタイムスリップしたかのような感覚に。
そこが、川越の昭和の街。

「川越中央通り『昭和の街』を楽しく賑やかなまちにする会」が発足して今年で3年。
今、いろんなところで耳にするようになり、また、会が主催する催しに遊びに来たことがあるでしょう、昭和の街。確実に川越に浸透してきた取り組みです。

このお店を伝えることは、お店の枠に収まるものではなく、

「昭和の街」自体を伝えるものになるはずだった。
昭和の街に2014年2月にオープンしたのが、「大黒屋食堂」さんです。

蓮馨寺を越え、さらに進んだ左手に見えてきます。

街の定食屋さんという雰囲気を漂わせながら、素材の吟味は怠りなく、安心して食べられる。

お昼のメニューは、日替わりで様々な顔ぶれが登場。

また、魚の定食が大黒屋食堂のうりでもあり、

大き過ぎず小さ過ぎず、脂の乗りが良い中くらいの大きさを吟味し、旨味がたっぷり感じられる魚にこだわる。これも日替わりで内容が変わっていくので、今日はどんな魚だろう?メニューを見るまでのお楽しみ。

ある日の魚定食は・・・


とにかくご飯とお味噌汁が美味しいお店で、食べるといつもホッとするような気持ちになる。
ガス釜で炊かれたご飯はふっくらと美味しく、ご飯が美味しいと感じる感性の日本人でよかったと感じ、お味噌汁を一口すすって、はぁぁとホっとするような息を吐くと、さらに和食の深みにいざなわれていくよう。

魚の身を口に運べば、シンプルに調理された焼き魚の旨味に感動し、

付け合わせの野菜の漬物やお浸しにもまた、ご飯が進む。

そしてまた、お味噌汁のお椀を手に持ち・・・ご飯を箸ですくう、と

和食ならではの、和食だからこその楽しみは続いていきます。

お料理は素朴だけれど、身体の中にすっと入ってくるような自然さがあって、

肩肘張らず、安心して普通に食べられるということのありがたさがありました。

気取らずシンプルだから、「改めて感じる」、ということが多いお店。

改めて、ご飯ってこんなに美味しいものなんだ、

改めて、お味噌汁ってこんなに美味しいもの!?

え!あじの開きって、何この感動的な美味しさ。

一つ一つに、改めて感じる、がありました。
ご飯を中心にして、ご飯を美味しくいただくために周りのおかずが考えられていて、一汁三菜という日本が生んだ発明的食の黄金バランスがここにあります。
和食がユネスコ無形文化遺産に登録されましたが、それは決して格式や敷居の高いものではなく、こうした気軽に食べられる日本食こそ、世界に誇る日本の文化なのではないかと思います。

甘味、酸味、塩味、苦味、うま味、このバランスが和食なのだなと感じ入りながら、また次の逸品に箸が進む。

 

別の日には、トマト煮込みを。

安定の美味しさ、こうした煮込み料理だってお手の物なのです。

一年中同じものがあるよりも、その時ある素材を使って調理するのもまた、和食らしい。

そう考えれば毎日日替わりのなんと楽しいことか。明日は何が出るのだろう。

そうそう、バランスというのは、味覚のことだけでなく、量のことにも触れないといけない。

それだって和食の心得のはず。

大黒屋食堂さんの食事の量は、がっつりとした山盛りの量ではありません。

提供者が、初めから廃棄を前提とした量を用意するのではなく、お客さんが食べきれるだろう量を考えて用意する。一粒残らず食べるという、日本人が昔から大切にしてきたもの、慎ましさがある。

大黒屋食堂さんは、埼玉県が推し進めている食品ロスや食品廃棄物を減らす

「彩の国エコぐるめ事業」

https://www.pref.saitama.lg.jp/a0507/eco-gourmet.html
の協力店に登録しています。

そうした話しを伺いながら、そうか、と気付いたのです。あの茶碗に盛られたご飯のことを。

全体の量のバランスが良いのは、あのご飯が要だったんです。

食べきれる量のご飯が盛られ、その分量に合わせて付け合わせの量も決められている。

中心のご飯から広がったバランスによって成り立っていた定食だったのです。

やっぱり、ご飯が扇の要なんだ。

大黒屋食堂の隣にあるのが、奥様の実家、大黒屋米穀店。

中央通りが開通した昭和8年からお米屋さんを営んでいます。大黒屋食堂のご飯は、お隣の大黒屋米穀店から。米屋の厳選したお米を使用しているのもうり。

そうそう、大黒屋米穀店では、昨年面白い試みとして、現代美術とのコラボレーションも行っていました。

昔ながらのお米屋さんと現代美術・・・斬新な組み合わせでした。

(「プレ・蔵と現代美術展2016」2016年11月13日(日)~23日(水・祝)

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12219553772.html

 

大黒屋食堂は、定食だけでなく、手作りスイーツや14時から登場する、生地から手作りのピザにも注目したい。

 

夜になれば、これまた日替わりで、その日だけのメニューが登場します。

今日はどんなメニューかな、それは行ってからのお楽しみ。

 

ただ、大黒屋食堂さんがご飯屋さんという枠組みにとらわれていないことは、
お店で様々な雑貨販売や教室を開催していることでも伝わります。
ご飯屋さんでこれほど広い展開をしているお店も珍しい。。。


毎月、店内でニットカフェ「minamiwaニットカフェ」が行われているのはお馴染み。

 

minamiwaさんと言えば、ニットの祭典「KAWAGOE Knit Park」にも講師で来ていて、

今は川越では大黒屋食堂さんを拠点にしている。


(「KAWAGOE Knit Park」編み物フェスティバル2015年10月3日開催
http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12080529627.html


さらに、第一金曜日14時~17時は、占い師ゆきのいずみさんによる占い鑑定の日。

大黒屋食堂で飲食すると、オラクルカード・たとっろカードを10分1000円で鑑定してくれます。

そして、(意外な新事実かもしれませんが!)実は大黒屋食堂さんの二階の部屋も教室の会場に様変わりする日があって、陶芸教室、ヨガ教室などが行われているんです。
階段から上がるとそこには、The昭和の畳の部屋、時間の流れ方がゆったりする和室で、陶芸教室が行われています。


岩澤さんの奥様は実は陶芸家という顔を持つ人であり、あの大黒屋食堂の食事を支えるのは、全て手作りからなる食器たちだという事実も忘れてはならないこと。

さらにお店には自身作の陶器コーナーもあって、気に入った焼き物を家に連れて帰ることもできる。

確かに、そういえば・・・と後になって気付くのは、

食べている最中ではなく、食べ終わった後のことかも。

空になった食器になって初めて、ああ、味のある食器だったのだな、とそこで分かる。

食べる前でも、食べている時でもなく、食べ終わった後に気づく良さというのが、なんとも良く、食器という存在の本質的な立ち位置を表しているよう。

決してそれ自体が目立つわけではありませんが、でも、

しっかりとお料理を受け止め、静かに支え、和食の美味しさに大きく寄与している食器たち。

きっと、何年、何十年経っても使い続けられるだろうし、そういう意図のもとに作られた食器だということに気付きたい。


また、別の日には二階ではヨガ教室も開催されています。

各教室の詳しい内容はお店にお問い合わせください。


しかし、いろんな展開を見せる大黒屋食堂は、どれもこれも緩やかに繋がっているような統一感があって、それが大黒屋食堂の良さ。

ご飯屋さんという枠に収まらないのは、きっと、二人の素顔が関係しているはず。

大黒屋食堂の岩澤夫妻のことを一言で紹介するなら・・・

「クリエーター夫妻」と言えばいいでしょうか。。。

それぞれが作家であり、独自の世界観を確固として持っている。そんな二人が一緒にお店を始めたなら、それは、普通のお店になるはずもなく。。。新しいスタイルのご飯屋さんがここにある。

その片鱗は、例えば、あの陶器コーナーからも察せられ、

また、お店に置いてある本棚を一目見れば、並んだタイトルに只者ならぬオーラを感じると思います。

このタイトルを選ぶというのは、相当な眼力の持主のはずだった。

大黒屋食堂の二人を掘り下げると・・・

奥様は生まれも育ちも大黒屋米穀店で、陶芸の道を志し、陶芸教室を主宰し、自身の作品作りも熱心に行っていた。

大黒屋食堂を開いてからも、教室の会場をこの二階に移して開催し続けています。

 

夫岩澤勝己さんは、実は、驚くかと思いますが・・・日本シナリオ作家協会会員の脚本家としても知られ、これまで手掛けた作品は、

脚本「新・極道(やくざ)渡世の素敵な面々2/きりとりブルース」1999年10月23日 / 映画
脚本「借王(シャッキング) ナニワ相場師伝説」1999年7月24日 / 映画
脚本「平成金融道 裁き人」1999年3月27日 / 映画
脚本「借王(シャッキング) THE MOVE/沖縄大作戦」1999年2月20日 / 映画
脚色「新・極道(やくざ)渡世の素敵な面々〜女になった覚えはねぇ!」1998年11月7日 / 映画
脚色「借王(シャッキング)3」1998年7月4日 / 映画
脚色「借王(シャッキング)4」1998年7月4日 / 映画
脚色「実録 新宿の顔2 新宿愚連隊物語」1997年3月15日 / 映画
脚色「実録 新宿の顔 新宿愚連隊物語 第1部」1997年3月15日 / 映画
脚色「Morocco 横浜愚連隊物語」1996年5月4日 / 映画
脚色「Morocco 横浜愚連隊物語2」1996年5月4日 / 映画
脚本「マネーギャング 極楽同盟」オリジナルビデオ
脚本「借王(シャッキング) 狙われた学園」オリジナルビデオ
などで知られる。今でも、週に一度シナリオの専門学校で教鞭を執っています。

お店では、映画をテーマにしたイベント、「映画夜話in大黒屋食堂」を開催していて、
お料理やお酒を楽しみながら、映画のお話をしましょう、というイベント。
第一夜は2016年7月23日19時~(お料理とワンドリンク付き)
話しのお相手は岩澤さん、取り上げた作品は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」。
11月20(日)に開催された「映画夜話in大黒屋食堂」第二夜、テーマ作品は「シン・ゴジラ」でした。

 

(2016年9月、「昭和の街の感謝祭」より)

岩澤さんはもともと、大学時代に自主映画を制作していたことから、将来は映画監督になりたいと夢見ていた。大学卒業後、書き溜めたシナリオを持ってビデオ制作会社に就職。

会社としては企業向けのビデオを多数作り、順風満帆な生活を送っていましたが、それでも、胸の内では「映画を作りたい」という思いがふつふつと沸き上がっていた。

退職後、シナリオライターとして独立。日本シナリオ作家協会会員となり、知り合いの縁から、映画・ドラマ・オリジナルビデオのシナリオに携わるようになっていきました。


しかし、不思議に思うのが、シナリオライターから一転しての、大黒屋食堂開店。

一体なぜ・・・??

奥様の実家が米屋という繋がり、現大黒屋食堂の場所が空いていたという事情、いろんな要素がありましたが、一番大きかったのが、お店の前、中央通りの道路問題で会議に参加していたこと。いつの間にか自分が主導するような立場になっていたことから、

「この場所でお店を開けば地域の問題にも取り組める」

大黒屋食堂をオープンさせたのでした。


大黒屋食堂さんがある昭和の街は、2014年6月に「川越中央通り『昭和の街』を楽しく賑やかなまちにする会」を発足させ、以上の経緯から岩澤さんが初代会長に就き、様々なまちづくりの取り組みをしてきました。

大黒屋食堂が2014年2月オープン、

昭和の街の会が2014年6月発足、歩を合わせるように同じ時期に誕生し、両者は切ってもきてない関係にあります。

岩澤さんは、ずっとエンターテインメントの世界で生きてきた人なので、楽しいことをしようという熱意、行動力が飛び抜けている。

会として、定期的にイベントを開催しようと始めたのが、毎月8日の「呑マルシェ」で、

確かにあのイベントは、昭和の店々の軒先に雑貨・ワークショップなどが出展した光景は、画期的でした。これからの川越は昭和だ、昭和の街にスポットライトが当てられる時が来たことを喜び、期待が膨らんでいった時期でした。

その後、呑マルシェはなくなり、毎月18日の「ごえんの日」へ受け継がれていきましたが、

呑マルシェの功績というのは大きかったことは忘れないでおきたいこと。

2014年6月8日、記念すべき第一回呑マルシェの時の様子をあえて載せておきます。

 

(「川越昭和の街 呑マルシェ」川越の昭和で毎月8日にマルシェ開催

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11876626727.html

こうして振り返って思い出しましたが、第一回の時は、大黒屋食堂さんで音楽LIVEも開催されていたのでした。この時に現場を駆け回っていた会の会長である岩澤さんと初対面し、

昭和の街を盛り上がていきたいと語るその熱意に、圧倒されたのを昨日の事のように憶えています。

この前話した時も、そういえば一回目の呑マルシェの時に話したねとお互い振り返っていました。

以来、呑マルシェは毎月開催を続けていった。
昭和の街がここまで広まったのは、その積極的な発信の姿勢だったのだと思う。
川越で既に定着している毎月18日は、「川越きものの日」。それに合わせて昭和の街は毎月18日は「ごえんの日」と定め、昭和の街のお店で食事・買い物をしてくれた人に五円玉の「福銭」とプレゼントしています(先着順)。もちろん、大黒屋食堂さんはごえんの日参加店なので、18日に食事をすると福銭がもらえます。


(「ごえんの日」毎月18日は川越昭和の街 ごえんの日 福銭サービス

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12239801771.html


また、一年に一度、「川越中央通り『昭和の街』を楽しく賑やかなまちにする会」の主催による、昭和の街で盛大に行われる一大イベントと言えば、「昭和の街の感謝祭」。

もちろんこのイベントも、岩澤さんは会長として中心的に動いています。
今の時代のお洒落な雰囲気のイベントにあえて背を向け、昭和というテーマをもとにしたイベントは、会場には赤提灯が下がり、ビールにおつまみ、蓮馨寺境内は巨大野外ビアホールと化していました。Tha昭和!!

(第三回「昭和の街の感謝祭」蓮馨寺と周辺商店街 2016年9月10日

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12199339321.html

 

昭和の街の取り組みは各方面から熱い視線が注がれるようになり、

まちづくりの事例として岩澤さんはシンポジウムなどに呼ばれて話す機会もあります。

「小江戸川越初雁フェスin HATSUKARI STADIUM」9月22日川越青年会議所

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12204021257.html

その時の様子から一部抜粋。『ちょっ蔵お出かけ!まちかど情報局』でお馴染み、みかねぇとのやり取りです。

岩澤「江戸、明治時代を感じさせる一番街と、大正浪漫夢通りの大正時代。

うちの街の昭和の街は、親しみある街として広まっていって欲しいと思います」。
みかねぇ「昭和の街は観光地としてはこれから発展していく場所ですよね。

この前番組で取材させてもらった時に、若い力がどんどん出てきていますね」。

岩澤「ええ、そうなんです。若い人がお店をどんどん開いていて、カッコイイお店も多いんです。オンボロな街だけどいいお店は多いんですよ(笑)」。


大黒屋食堂さんは、蓮馨寺で川越Farmer’s Marketを開催する時には毎回、川越産お野菜を使ったスペシャル野菜定食を提供してくれていて、きっと今年も用意してくれるでしょう。
蓮馨寺境内のフード部門が完売しても、こうして周辺のコラボ店でスペシャルが食べられるので、今年は積極的に紹介していきたいと思います。
さらに、夏のファーマーズでは、昭和の街を巻き込んだある企画が水面下で持ち上がっていて、
あれは実現したらとてもわくわくするものになるでしょうね。
 

3年になる昭和の街の取り組みと岩澤さんの動きを振り返って、

また大黒屋食堂に帰ってくれば、あの温かいご飯が待っていてくれる。

 

川越中央通り「昭和の街」を楽しく賑やかなまちにする会は3年、

大黒屋食堂も3年、街を変えてきたこの3年。

この先、一体どんな展開が見られるのか。

岩澤さんの胸の内には、昭和の街でお店を開きたいという人を支援していく体制作りなど、

様々なアイディアが去来している。一つずつ確実に。

 

さあ、次の3年もまた、昭和の街は動いていくことでしょう。
 

「大黒屋食堂」

川越市仲町5-2(西武新宿線本川越駅 徒歩10分)
11:00~21:00
定休日水曜日
049-227-3290

 

ふっと、次はなににしようと迷いながら、

野菜の漬物に箸を伸ばす。

じわっと広がる味を噛みしめ、

また、ご飯が進む。

 

食べ終わると現れる、素朴な小皿。

やっと出会えた優しい小皿。

うん、ここまで味わって、大黒屋食堂の食事なのだと感じ入る。

全て食べ終えて静かに箸を置く、それは感謝なのか祈りなのか、

静かな感情が湧き上がって、

自然と言葉を発している。

 

ご馳走様でした。