息子さんが入院中のブロガーさんの記事を読んだ。

 

ポンコツ、というか病弱気味の私と違って、その方の息子さんはまだお若く、急に体調が悪くなり結構な重病。

今も入院中でつらい治療を耐えていらっしゃるのだが、お母さまの目から見ると、

「遠慮してしまってナースコールが押せず、飲みたいものも飲めずにいる」

 

これは親からすれば気の毒だし、心配な状態だ。

 

必要なことなら遠慮はいらないし、看護師さんに頼むタイミングとかもあるよね。なんてことをコメントしたのだけれど、これは息子さんの気持ちに寄り添っていないかも、と一晩経ってから考えた。

 

何回も入院している私なのだが、実は同じ病気で入院しているわけじゃないので、毎回「科」が違う。

 

ここのところの入院で一番重病で(術後一時的とはいえ)体が不自由だったのは子宮体癌。婦人科に入院した時だ。

 

このときは、ナースコールも押したけれど、看護師さんが入れ替わり立ち代わり様子を見に来てくれたので遠慮なくいろいろお願いした。頼まなくても髪の毛も洗ってくれたし、体を拭くおしぼりも毎朝出してくれた。

 

術後数日間はコンビニに買い物に行くのも無理だったので、看護助手さんに頼んで飲み物とかも買ってきてもらっていたし、ペットボトルにはストローまでさしてもらっていた。

 

私の方も、矢継ぎ早に頼まれても看護師さんも困るだろう、と緊急時(ひっくり返って起き上がれなくなったとか)以外は頼みたいことをメモに書いてリストにしていた。

 

楽、っていうわけじゃないけれど、身体的には全く問題がなかったのは白内障の手術入院。

片目ずつの手術だったので、結構見えているし、看護師さんに頼むことは特になかった。

 

そして、一昨年は整形外科だったのだが、実は内視鏡手術だったので傷口は1センチ無かったし、術後も麻酔はバッチリ効いたので痛みもほとんどなかった。

 

なので、術後すぐ着替えさせててもらった以外はこちらから頼みたいことはほとんなかったし、用事があるなら、歩いてナースステーションまで行っていたのだけれど、途中からやたらと制約がかかってきた。

 

整形外科なので、体が不自由な患者さんが多く、ナースコールは鳴りっぱなし状態だったのだが、その中でも私と40代の女性患者さんは比較的元気でできることはなんでも自分でやろうとしていた。

40代の女性はテニスをしていて足を骨折してしまった方で、骨折治療中にまた転んでしまい、入院になった方。

足以外は普通の人より元気なスポーツウーマンだ。

 

私たち2名に関しては、看護師さんも手をかけずに自由にさせていてくれたのだが、スポーツウーマンがやらかした。

なんか廊下でスッ転んで、手術で固めてある痛めた足をまた痛めたらしい。

ギプスを壊して固定をやり直しとなった。

 

これが看護師の間で結構な問題となったらしく、なぜか私まで、

「夜中にトイレに行くときは看護師が付き添うからナースコールして」

となってしまった。

 

ええっ。トイレくらい一人で行けるよー。

 

そもそも短期間で3回も転んだスポーツウーマンと違い、私はインドアで慎重派だ。

無理に動いたりしないよ?

 

とは言っても、看護師軍団で決まったことなので従うしかない。

 

夜中のトイレだけじゃなくて、食事の時の下膳も自分でやっていたのだが、看護師さんか助手さんがやってくれることになった。

お風呂、というかシャワーも中からカギをかけて入っていたのだが、鍵は開けておくように言われる。

風呂場の中で転んだ時に助けやすいためだ。

 

お茶も持ってきてくれるし、至れり尽くせりである。

 

結局、看護師さんって家政婦さんじゃないので、患者の身の回りの手助け業務って内容が固定されて

まあ、術後とかは自分でできそうなことでも大概のことは甘やかしてくれるがボーナスタイムはそれほど長くは続かない。

 

本当はナースコールなんて押さなくても、

「何か困っていることない?なんでも言ってね」的な心遣いがあればいいなあ、ってことなんだろうが、人員不足で看護師も忙しいのだ。

 

病院にもよると思うが、私がお世話になっている大学病院の場合は、その人に必要な介助だったら看護師さんが(頼まれなくても)やってくれるわけだ。

ただ、何が必要な介助かどうかを決めるのは患者側じゃないのよね。
 

そして、今気づいたわけでもないんだが、わたしは「オバちゃん」なので結構ふてぶてしいのかもしれない。

看護師さんに何か頼んで断られたことはあまりないけれど、仮に断られても、あーダメだったか。で終了である。

 

やっぱり若い子だといろいろ気を使ってやっとの思いで頼んだのに、後回しにされたり、断られたら、もう嫌になるのかもしれない。

それに、人に何か頼むってのはやってほしいことを脳内でまとめて口に出さなければならず、落ち込んでいたり、考えこと自体めんどくさくなったときは頼むのも嫌になるかも。

 

 

 

お茶のペットボトルを箱買いしているのだが、2月20日に買ったお茶がもう底をついてきた。

いつもより、減るペースが早いのであるが、ここのところ水分をたくさん飲んでいる自覚がある。

とにかくのどが渇くのだ。

 

友人に話したら

「糖尿病だからそんなもんなんじゃないの?」

と言われ、なんか腑に落ちないながらも納得したのだが、テレビのニュース番組を見ていたら、「花粉」がいよいよ大量に舞っているという特集をやっていて、インタビューを受けた若い女の子が

 

「アレグラ飲んでるから大丈夫だけれど、のどが渇いてしょうがない。まあ仕方ないか」

と言っていた。

 

あ、これだわ。

 

確かに糖尿病はかつては「飲水病」と言われたくらい水をがぶ飲みするのだが、これは高血糖からくる症状で、人にもよるけれど、コントロールが良好だったらそこまでのどは乾かないのだ。

私はそこまで高血糖ではないし、のどが渇くようになってのはここ半月ほどである。

そして花粉症でアレグラを飲んでいるのだ。

 

犯人はアレグラか。

 

ちょっとスッキリ。なんでも糖尿病のせいにしちゃあいけないね。

そして、飲んだら当然出るのだが、尿についてはそれほど困ってはいない。

漏れるわけでもなく、我慢できないくらい頻尿なわけでもない。

 

問題は便の方である。

 

一昨年、腰椎の手術後に頑固な便秘になってから、便秘については神経質な私である。

あの時は入院中だったので、医師にも相談ができたし(整形外科医だったが)、看護師さんにも相談ができた。

そして、便秘にいい、と言われることはすべてやったし、薬も手を変え品を変え処方してもらったのだが、最終的には適便と浣腸が有効だった。

 

ただ、あの時は入院中だったので、取りうる手段は全部とれたが、自宅では適便と浣腸はまず無理である。

そうなると食べ物と運動。そして薬である。

 

誰でもそうだと思うが、できれば薬にはあまり頼りたくはない。

それでも頑固な便秘を経験した後は、早めに薬に頼ることにしている。

 

大正漢方便秘薬だ。

成人の場合、最大4錠まで 服用可能ではあるが、1日出ないと1粒飲むことにしている。それでもでなければ翌日に2粒だ。

 

3年前に購入した瓶がいまだに残っているので、月に3回飲むかどうかなので、依存している、というほどの頻度ではではないと思うのだが、この間は、一錠飲んで出ず。翌日2錠飲んでも出なかった。

 

じわっと嫌な予感がよぎる。

これはまた、出ないで苦しむってことだろうか。

 

腰が痛いが、腸の蠕動を促すために歩いた方がいいのか。それとも牛乳を飲もうか、とつらつら考えていたら朝になって少しだけ出た。

 

やれやれ、と思ったが、気になるのは、この3日間で食べた総量と出た量の関係である。

結構しっかり食べているので3日分の食べた量を考えたら出た量が少なすぎる。

圧縮されているとはいえ、あれだけの食料が全部出たとは思えない。

するとまだまだお腹の中には出さなければいけないものがたくさん残っているんじゃないだろうか。

 

普通、便秘薬というのは、出たら目的を達成しているわけで、もう飲まなくてもいいんだろうけれど、私的には全く出た量に満足していない。

 

これはこれはもう一回飲むべきだろうか。

 

逡巡しつつもええい、と2錠飲んでしまった。

とにかく入れたものは出し切りたいのだ。

 

そして、いつ食べたものがいつ出てくるのかわかったらもっとスッキリするように思う。

 

例えば、月曜日は赤色の薬を飲む。そうすると食べたものが胃で赤く染まる。火曜日は水色、水曜日は黄色、と毎日染めて行って、木曜日に赤い便が出たら、火曜日から水曜日までの食べ物はまだ腸の中だ。数日間くらいならいいんだが、5日経っても赤い便だったら、それはまずいんじゃないか、とつらつらと考えていたら(妄想中)、昨日くらいから、薬を飲まなくても普通にお通じが来るようになってほっとした。

 

便のことばかり考えて生活するのってなんだか不自由な気がする。

 

 

昨日は、って日付が変わったから、一昨日か。

木曜日は大学病院のリンパ浮腫外来だった。

 

この外来、半年に一度なのですっかり忘れていた。

子宮体癌の手術をした直後はリンパ浮腫に対してものすごく神経質になっていて、両足を比べて左のほうが太い、と落ち込んだり、外で大きな鏡を見るたびに足を見たり、と気にしていたのだが、術後3年を過ぎると割といい加減になっている。

 

それでも、むくみやすいのは自覚しているし、数年たってから悪くなる人もいる、と聞くので、半年に一度チェックしてもらうのは大事だから予約は入れ続けている。

 

忘れていたとはいえ、リンパ浮腫外来はそれほど億劫ではない。

なぜかと言えば、担当の医師が明るい感じの女性医師でまた話がしたい、と思う人柄だからだ。

 

と、その前に、上野松坂屋で「赤福」の特別出張販売がある、というニュースがスマホに飛び込んできた。

 

「赤福」か。関西に行かないと手に入らないお菓子なので、ぜひ買いたい。

そっくりな「御福餅」はちょいちょいスーパーなど見かけることもあるのだが、赤福はめったに関東には来ない。

 

自宅から病院に行く経路で買おうと思えば買える。病院の予約は13時だ。行きに買っていこうか、と思ったのだが、上野松坂屋の最寄り駅は上野じゃなくて御徒町だ。京浜東北線は午後三時半までは快速運転の為、御徒町には停車しない。

 

つまり、途中下車すればいいってわけにはいかないのだ。乗り換えが必要だ。

私の場合、一定の運動量に達すると活動限界が来てしまって、歩くのがしんどくなる。

ここのところ腰の調子もよくないので、「赤福」の為に動けなくなって通院できなくなったら本末転倒だ。

 

まず第一目的はリンパ浮腫外来。こっち優先である。

余力があったら赤福買いに行こう。

 

と、言うことで寄り道せずに大学病院に行ったので、12時前に着いてしまったが、なぜか採血が入っていた。

オーダーを見てみると婦人科である。来週婦人科外来が入っているので、おそらく主治医がオーダーを後付けしたのだろう。

前もって採血しておけば外来の時には結果が出ているもんね。さすができる男。

 

採血もサクサク終わり、リンパ浮腫外来に。

ここでは、両足のあらゆる部位を測定する。

右と左で差が無いか、前回測定してた時より増えてないか、を見るのだ。

 

術後しばらくは、機器を使って足の水分量も測っていたがここ数回はメジャーで測るだけである。

 

下半身はパンツ一丁で計測するので、女の先生なのはありがたい。まあ、婦人科の内診に比べればパンツ見られたところでどうってことないのだが。

そして婦人科の主治医は男性だ。

 

全く身に覚えはないのだが、足にいくつかかさぶたが出来ていた。

これは多分猫の仕業。

 

猫にしてみれば別に悪気はないのだが、私の足に前足を乗っける癖があるのだ。

別に足くらい乗っけられてもいいのだけれど、ついでに爪で穴をあけるから困ったもんだ。

 

私「リンパ浮腫には猫はダメなんだよねー。」

というと、

 

医師「え、誰がそんなこと言ったの?」

 

私「この病院で配ってる、『リンバ浮腫の手引き』って冊子。山とかに行って虫に刺されたり、猫に引っかかれるのは厳禁らしいよ」

 

医師「だからってねぇ。飼ってるものは仕方ないよね。かわいいし」

 

私「後、猫とか小鳥かってる とすい臓がんリスクが上がるんでしょ?飼っているけど。」

 

医師「そんなこともないと思うけれどね」

 

まあ、我が家の場合、猫がいることによってうつ病のリスクはかなり下がっているのだ。主にダンナだが。

 

そんなことをたらたらと話しながらの診察なのだが、今回、先生にデスクに見慣れないフィギュアがおいてある。

高さにして10センチくらいの鈍色の男性型の人形だ。

 

私「先生。これ誰?」

 

医師「あ、院長先生」

 

私「院長って〇〇さん?」

 

この大学病院の創設者は割と有名な方で、エントランスに銅像もあるし、売店で伝記も売っている。

まあ、なんていうか歴史上の人物だ。

慶應義塾大学で言えば福沢諭吉、早稲田だったら大隈重信的な存在だ。

 

医師「違う。今の院長よ」

 

え、今の院長が自分のフィギュア作って院内にばらまいてるの?

 

そうじゃなくて、医療機器の業者さんが、こんなのも作れますよ、って3D技術の見本的に感じで作ってくれて持ち込んだらしい。

 

私「院長先生、自分のフィギュア作られて嫌じゃなかったのかなあ」

 

医師「いや?喜んでたみたいよ?」

 

おおらかな人だな。

 

自分のフィギュアが水攻めとか逆さづりにされるとは思わなかったんだろうか。

 

足の計測の結果は前回より左右差が無くなっていてむくみもなくいい感じ。

また、6か月後に予約を入れて終了。

 

さて、まだ2時前だ。上野松坂屋に行こうではないか。

病院からタクシーで行こうかとも思ったのだが、ここは節約してバスで行こう。

虎ノ門で銀座線に乗り換えればいけるはずなのだが、バスの停留所がどこで下りたらいいのか今一つわからず、新橋まで行ってしまった。

 

新橋まで行ったのなら、烏森神社にお参りに行くべきだろう。

ここ数カ月行ってないので、ガン封じをお願いして、緑の願い玉を購入した。

 



さて。新橋から銀座線に乗ろうか、と思ったのだが、銀座線の入り口が階段しかないのでやめた。

JRだったらエレベーターもエスカレーターもあるもんね。

実はすでに足腰に活動限界が来てしまっていて、鞄から折りたたみ杖を出して使っている。持っててよかった。

 

新橋から御徒町は山手線で一本。御徒町は若い頃よく買い物や遊びに行ったものだ。

あの頃は何時間も歩いても何ともなかったんだけれど。

 

それでも御徒町から松坂屋は近いのでいいか、と行って見たけれど、残念。赤福は13時で完売してしまっていた。

まあそうでしょうね。

 

やっぱり病院に行くときに買うべきだったのか。

いやいや、本来の目的が優先だよね。

 

自宅に帰ったら、なんかどっと疲れて寝込んでしまった。

ダンナに「赤福ごときで無理をして!」と怒られた。

 

 

 「ランチ行って思ったこと。店を出るときみんな普通に『ごちそうさまでした』『ありがとうございます』『美味しかったです』って言う」と切り出す。 

しかし「普通に考えたら 俺たちお店にご馳走してもらったわけじゃない。普通にお金払ってる」とし「むしろお店側からしたら『食べに来てくれてありがとうございます』やろ。この感覚、俺がおかしいのか?」と投げかけていた。

 

ネットで拾った実業家の方のつぶやきなのだが、なんか真面目な方だなあ。

 

確かに「ご馳走」の語源は、レストトランとかなかった時代、他人の家でもてなされると、家主は食材を集め、家人が調理し、客に提供する。その労力と心遣いに対して「私の為にいろいろ苦労してくれてありがとう」って意味でご馳走様、って言ってたわけだ。

 

なので、職業として料理を提供するお店に対価を支払った客が、「ご馳走様」っていうのは語源からすればおかしいんだけれど、そんな言葉はほかにもあるのでは。

 

他人の家を訪問するとか、他人に話しかけるときに「すみません」「ごめんなさい(ごめんください)」というけれど、別に悪いことをしたわけでもこれから面倒なことをお願いするわけでもない。単なる呼びかけの挨拶だ。

 

大昔、私が子供の時、母親が誰かと話をしていて

「おかげさまで」と言ったのが不思議で

「〇〇さんに何かしてもらったわけじゃないのに何でおかげさまなの?」と口を挟み叱られた記憶があるのだが、この「おかげさま」も大した意味は持たない。

 

中国語のあいさつで「チーファンラマ?」というのがあるが、直訳すると「ごはん食べた?」

 

ただ、これに

「一時間くらい前にカレーライスを食べた」と返すのはちょっとずれていて、聞いた方はそんな意図で聞いちゃいない。

 

「こんにちは」「元気だった?」くらいの軽い意味なので、よっぽどの事情がなければ、「ファンラ(食べたよ)」くらいで返すのが正解の慣用句だ。

 

まあ、挨拶とか慣用句ってそこまでの意味はないので、ふわっと使うのが正解なんだと思うが。

 

で、この実業家さんのつぶやきに注目し始めたきっかけは、新幹線の中での肉まんである。

 

この方が大阪出張か何かの帰りの新幹線で、551の肉まんを持ち込んで食べ始めたら、隣の席の人に

「新幹線で肉まんを食べるなんて(匂いの強い食べ物を食べるなんて)」と注意されたそうだ。

駅で販売しているものだし、食べちゃいけない理由がないので、食べ続けたそうなんだが、こんなしょうもないことで他人に注意する人間がいることに驚いた。

 

そしたら、新幹線車内での「たこ焼き」もマナー違反って説もあるそうで、え、今「新幹線の車内」って飲食禁止なの?

まあ、私は新幹線ではほとんど飲み食いはしない方針だけれど、それは他人への匂い対策ではないんだが。

 

逆に隣の席の人が何か食べててもあまり気にしないけれどな。

 

ダンナは映画をこよなく愛する人なので、映画館での飲食には否定的なのだ。

最近の映画館はドリンク類、ポップコーンとかホットドック、フライドポテトなどを映画館内の売店で販売していて、売店で購入した飲食物以外は持ち込み禁止、とされていることも多いけれど、食品の匂いが漂ったり、カサカサ音がするのも気に入らないのではあるけれど、物販の収益で映画館の経営が成り立っているのもわかっているから、必要悪として許容している感じだ。

 

新幹線とかの長距離移動の際に車内で食事をとるのはもう仕方ないんじゃなかろうか。

確かに二時間ずっと隣で肉まんを食べ続けられたら、匂いが苦手な人にはつらいだろうけれど、男の人だってせいぜい2つ3つも食べれば満足するだろう。

いいとこ20分の我慢じゃないだろうか。

 

肉まんがダメなら崎陽軒のシウマイ弁当は?

と、書いてて思ったが、駅弁って冷えてるから匂いはあんまりないんだよね。

ホカホカの肉まん、熱々のたこ焼きだから匂いがするわけだ。

 

冷めてればいいのか。でも冷たい肉まんは食べたくないな。

それに、ホカホカの肉まんでも駅構内で購入して、新幹線に乗って動き出してから食べる頃にはそこそこ冷めてるんじゃなかろうか。

 

そんなに匂うとも思えないけれど。

 

昨日の天気予報で「雨」だというから、洗濯ものを室内に入れたのだが、朝になってみれば、雪だった。

 

テレビをつければ、「大雪だ」と騒いでいるが、一か月前に雪国に行ってきたので、このくらいの雪では驚かなくなっている。

大体、雪国の人たちは傘なんてさしてなかった。

 

それでもここ一週間春のように暖かかったため、急に冷え込むとより寒さを感じる。

猫もホットカーペットから動かなくなっているので、たまに生存確認でひっくり返すとちょっとうなってまた寝ている。

 

さて、以前テレビで見た「ぼだっこ弁当」(画像は借りてきた)

 

 

 

 

なかなか衝撃的なビジュアルなのだが、親指の先ほどの鮭の切り身で白米を200gくらい食べるという秋田の伝統食(?)だそうで、うそでしょ、と思ったが、昔「日の丸弁当」なんてのもあったな。

大きめの梅干し一つで弁当箱いっぱいの白米食べるっていう全国的な国民食だ。

 

とはいえ、私が子供の頃はもうそんな弁当は食べる人はいなかったが。

 

そしたら、この間ダンナが雪国帰省したときに、ぽだっこの瓶詰を見つけて買ってきた。

 

 
 

 

食べすぎにご注意ください、って…。

 

とりあえずひとかけ食べてみたが、当たり前だがものすごくしょっぱい。

ただ、しょっぱすぎて爪の先くらいしか食べないので、考えようによっては、普通の塩分濃度の塩鮭一切れ食べたときと塩分摂取量は大して変わらないのでは。

 

そして驚異の保存期間。

瓶詰で1年持つのね。

 

塩鮭と言えば、私が子供の頃はお歳暮とかで頂くことが多かった。

年末が近づくと、魚やの店頭にまるまる一匹の鮭が藁紐で吊るされて売られているのだ。

我が家に頂くのは半身になった鮭であるが、それでも切ってないので、結構大きい。

 

これが届くと「うわぁ」となる。

我が家は人数が少ないので、半身貰っても持て余すのだ。

とりあえず、包丁で普通にスーパーで売っているような切り身に分けるのだが、なかなかの力仕事。

塩がきついので冷蔵庫に入れておけばそこそこ日持ちはする。

ただ、おかずが連日「鮭」になるのでちょっと嫌だった。

 

私の母親は長野の生まれだが、長野は海がない。なので、新鮮なお魚を口にする機会はあまりないし、干物だってごちそうである。

 

そして、母の実家は子だくさんだったので、子供たちに魚を食べさせることはめったにない。

 

それでもお正月はみんなにごちそうを食べさせてあげたい、とじいちゃんは年末になると歩いて山を越えて塩鮭を買いに行ったのだ。

そうやってじいちゃんが担いできてくれた塩鮭はお正月しか食べられないごちそうでとてもおいしかった、と母は言ったのだが、私が育ったのは海辺の町。そこまで塩鮭に思い入れはない。

 

しかし、鮭背負って片道150キロを往復で歩きとおしたじいちゃんの血が流れてるのに、なんで私は歩けないかなあ。

あ、じいちゃんは猫を5匹飼ってたそうなので、この血は流れているみたい。

 

りくりゅうペアのマネをして、子供を持ち上げたりちょっと上方へ放り投げて事故ってる人がいるらしい。


昔、荒川静香さんがイナバウワーで金メダル取ったときもマネして腰をやっちゃった人が出たらしく、

「危ないのでマネしないでください」

とテレビで言ってたけれど、言われなきゃわからない人はそもそも人の話なんて聞かないと思う。

 

スーパーにも「万引きは犯罪です」ってポスターが貼ってあるけれど、それはみんな知ってる。知った上でやっちゃうのが犯罪者だから、ポスター貼ってもなあ。

 

さて。


友人宅では飼い犬が新入り(この間生まれた孫)を受け入れ拒否したため、孫を預かることが出来ずに、娘の家まで子守に通っているわけだが、友人の旧友宅では犬同士の相性が悪くて困っているらしい。

 

 

柴犬のポーチ。アップリケで作ってみた。

 
友人の旧友Hちゃんは、長年大型犬を飼っていて、犬中心で生活しているといっても過言ではない。

前に飼っている犬が亡くなったとき、ペットロスで精神状態も悪くなってしまい、心療内科に通院することになったくらい落ち込んだのだが、その後、立ち直りまた大型犬を飼っている。

と、言うか立ち直るのに新しい犬が必要だったのだ。

犬のいない生活が耐えられないわけだ。
 
私たちと同年代なのでHちゃんもアラカンである。
 
Hちゃんは考えた。
今飼っている犬がまた亡くなってしまったら、さみしくて立ち直れないが、また新しい犬を迎えようにもそれが10年後だったらHちゃんも年を取っていて犬の一生に責任が持てない。
 
これは今のうちからもう一匹飼い始めたほうがいいんじゃないだろうか。

そして、今後体力的に弱ってくるわけだし、散歩とか病院に連れていくことも考えて、二匹目の犬は大型犬はやめた方がいいのでは。
 
と、言うことで、中型犬を新しく飼うことにした。

新入りの犬は子犬というわけでもなく、ちょっと育った若犬である。
 
もとからの大型犬も室内飼いなので新しい犬も当然、室内飼いにすることに。
 
ところがこの二匹、最初の顔見世の時から険悪で、月日がたっても全然仲良くならない。
 
もとからいる大型犬は新入りを警戒して吠えまくり、威嚇しまくりだし、新入り中型犬も気性が荒いのか、受けて立っている。

仕方ないので中型犬の方をケージに入れて隔離しているのだが、大型犬の方は落ち着きがなく、終始いらだっているらしい。
 
これは元からいる大型犬にも気の毒なことをした。
 
後継者問題は実は私も考えないでもない。
 
我が家は猫だが、大型犬と違って猫二匹飼っている人は多いし、散歩に行くわけでもないので二匹飼うことに無理もない。

ただ、猫は20年生きるので、私の寿命が先に尽きてしまいそうで、ちょっと二の足を踏んでいるのだ。

今飼っている猫が6歳だから、子猫じゃなくて3歳から5歳くらいの猫だったらいけるのか、とか考えないでもないのだ。
 
ただ、もなかがもう一匹猫がきてうれしいのかどうか。
 
気が合って遊んでくれる仲間が出来たらそりゃうれしいのかもだが、天敵のような猫が縄張りに入ってきたら、もなかの寿命が縮まるかも。
 
もなかに長生きしてもらうしかないか。
 

子宮体癌の遊花さんが旅立たれたことを最近知って、ちょっとショックを受けている。

 

遊花さんの過去のブログを読み返していると、闘病中に義母さんを亡くされていて、かなり具合が悪いのに、通夜、葬儀、初七日、49日と跡取り嫁として立ち働き、泊まりのお客の世話までしていて、大変だったなあ、としみじみ思うのだ。

 

実は(ってほどのこともないが)私も長男嫁なのである。嫁らしいことはほとんどしていないけれど。

 

そしてこの間、義母さんを見送った。

 

義母さんが亡くなったとき、従来の慣習だと、病院から一度自宅に連れ帰り、そこで数日間弔問客を受け入れるんだそうだ。

今まではそうしていたわけだが、義母さんは独り暮らしだったし、倒れてから自宅は使っていない。

 

義叔母さんがいろいろ探し物をしたり、冷蔵庫から腐りそうな食材は持ち帰ったりしていたようなのだが、ここに遺体を連れ帰って、誰かが泊まるいうのは無理なんじゃないかと私は思ったのだが、最初ダンナは

「叔母さんたちがそういうのなら」と

ちょっと流されていた。

 

私もダンナと付き合いは長いので、だんだんわかってきたのだが、基本的に

「自分の実家のことに(嫁から)口を挟まれるのは嫌で、自分の意見で決めたい」のだが、何気なく私の考えをだらだら話していると、一晩経つとダンナの中でそれが「自分の考え」に定着するみたいなのである。

 

なので、「こうした方がいいよ」、じゃなくて、私は「こういう理由でこう思うんだけれど」と言い続けていると、なんとなく着地点が近い感じにはなる。そして、ダンナも自分の意見が通ったと感じるようなのだ。ささやき女将方式である。

 

それで、義母さんの遺体は斎場に安置されることになり、出棺まで親族の方たちが訪問してくれた。

前日まで私もお茶出しとかはしていたのだが、出棺の日は一切お茶は出さない、と決めていた。

 

葬儀をお寺さんで行うことになったため、出棺後は斎場には戻らないため、荷物等すべて引き払っておかなければならない。

早朝から自分たちの荷物はすべてまとめ、台所も片付け、ゴミもまとめて準備していた。

 

ここでお茶を出すことになると、急須、湯飲みも洗わなきゃならないし、茶殻も出る。喪主とその嫁に後始末するゆとりはないのである。

そこに住んでいれば、また戻って片付けることも可能だろうが、私たちが帰る場所はホテルである。

 

それはダンナと話し合って決めていたのだが、出棺30分前に来てくれた叔母さんが

「親戚の人たちにお茶を入れなきゃ」

と言い出した。(やっぱりねー)

 

ダンナが、出棺後はもうこの場所には戻ってこれないので、お茶を入れても片づけが出来ない、と説明するも、

「お茶がなきゃ」と譲らない。

「紙コップなら片付けいらんだろう」と言い出したので、叔母さんに全部やってもらった。

誰もお茶に手をつけなかったが様式美なんだろうか。

 

私は入れるのも手伝わなかったし、片付けもやらなかった(車に乗ってしまったのでできなかった)。

 

跡取り嫁として長年義務をはたしてきた亡き義母が嫁に鉄槌を落とすべく棺桶から起き上がってくることもなく、出棺を迎えた。

 

私ももうちょっと若ければ、そして健康だったら無理をしたのかもしれないけれど、若くもないし、あっちこっちポンコツである。必要最小限で動く所存だ。

 

そして、今度は納骨の話である。

 

やっぱり叔母さんたちは自宅でお経をあげてもらった後、自宅で食事をとる予定で話を進めようとしてきたのだが、半年以上だけも住んでいない空き家でお客を呼んで食事を出す、ってのはハードルが高くはないか。

 

もちろん叔母さんたちは準備や片付けは手伝うつもりでいてくれるんだろうけれど、皆さん後期高齢者である。

 

やってくれたらありがたい、くらいで私は全く実働は期待していない。

やってもらう前提で予定を組んで、やっぱりできませんでした、となった場合、責任を取るのは喪主であるが、何せそこに住んでいないわけで、できることにも限界はある。

 

一応ダンナもまだ働いているので、義母が倒れてから有休をとって対応しているのだが、ここ1カ月半ですでに3回往復していて、12日以上滞在している。

 

親が亡くなったんだから忌引きや有休とるのは当たり前ではあるものの、休んだら周囲に迷惑をかけるわけだから、最小限にしたいわけだ。

 

そもそも遠距離なので何をするにしても二泊三日は必要なんだが、納骨でも事前準備、と後片付けをやるとすれば、4泊くらい見ておかないといけないかもだが、葬式でもないのに5日も休暇をとるのはちょっと無理なのだ。

 

と、ここまで書いてて、思うのだが、なんで葬式とか納骨とかと「食事」ってセットなんだろう?

 

別にいちいち御膳出さなくてもいいじゃん、と思うのだが、これはダンナ実家だけの話じゃなくて、全国的な習慣。

私の実家の地方でもごはん出すからなあ。

コロナ以降は最後にお弁当を配る、ってのも増えたけれど。

 

まあ、ともかく、家でお客を呼んで、食事を出す、となれば、座敷とトイレの掃除は大前提として、仕出しを取ったとしたところで、椀物はそこで作らなければならない。

 

そうなると人数分のお椀もどこからか探して用意しなきゃならないし、人数分の座布団とかも探さなきゃならない。なければ借りるなり買うなりして用意しなきゃならない。

用意したら片付けも必要なわけで、それを誰がやるのかい、私たちはやらないしできないよ、って話なのだ。

 

出来ないからと言って、納骨やらないとか、親戚一切呼ばないって言ってるわけじゃないので、どこかごはん食べられる場所を借りましょうよ、って話をそこそこ揉めながらダンナが叔母さんたちを説得した。

 

思えば亡くなった義母さんは長男嫁として数多くの葬儀とか法事を全部裏方として取り仕切ってきたんだなあ。

心から尊敬するが、ポンコツ嫁なので継承はしない。

 

ただ、私は自宅で主婦として大量のお客を招いて法事とかしたことはないのだが、仕事の関係で、数百人のパーティを取り仕切ったことは何度もある。もちろん仕事なので、会場はプロにお願いしているし、スタッフも必要人数揃えているが、それでもイレギュラーな事態は起こるわけで、そうなったら、私が対応しなければならない。

 

そうなると、主要スタッフの仕事量は本人のキャパシティの7割くらいに抑えておかないと、ダメだ、って学習した。

 

自分でやった方が早いから、とか、あの人には頼みやすいから、とギリギリまで役割を詰め込んでいくと、予定外のことが起きたときに(これがまたよく起こる)大惨事になりかねない。

 

そしてレギュラースタッフ以外に期待しすぎちゃダメなのだ。

 

そうなると、叔母さんたちは部外者であるので、手伝ってくれたらラッキー、くらいに考えておいた方がいい。

 

住んでいない家にお客は呼べないよ。どこかお店でやりましょう。

 

さっきヤオコー(スーパー)特製「黒ゴマのムース(小豆添え)」を食べたのだが、消費期限は昨日だった

 

と、言うか、ホントは昨日買ったら昨日中に食べなきゃいけなかったのだが、そこまで消費期限が短いとは思わずにいたのだ。

 

一日くらいなら大丈夫でしょ、と食べたけれど、とてもおいしかった。

 

そうなのだ。

一昨日からダンナが2泊3日で実家に帰省しているので、私一人なの。

 

うちのダンナは「賞味期限」「消費期限」をとても気にするので、ダンナがいたら冷蔵庫に入ってる段階でチェックが入り、昨日のうちに

「今日中に食べないと」と言われていたと思う。

 

ついでだから言っちゃうけれど、一昨日、福島土産の「エキソンパイ」も食べたけれど、こっちは消費期限6日間過ぎてた

 

6日間はどうよ、と思ったけれど、焼き菓子なのでいけるか、と匂いも確認して食べてみたが、全然いける。

味もおいしい。

 

亡くなった義母さんは、誰かから頂いたものを食べずにとっておいて、ウチに宅急便で送ってくれたのだが、こういう経緯なので、ちょいちょい賞味期限ぎりぎりだったり、消費期限が切れている食品があったりして、ダンナがチェックして廃棄していた。

 

そして怒っていたが、 古いもの食べても80過ぎまで生きてたんだから、あまり気にしなくてもいいのかもしれない。

 

ただ、今日はダンナが帰ってきちゃうのよね(笑)

ずっといないと寂しいけれど、2泊3日くらいだったらたまにはいいかも。

 

実は友人のところもダンナが実家に帰省していたので、昨日は久しぶりに長電話してしまった。

ダンナがいたって電話はしているのだが、さすがに2時間超えの長電話となると、家族がいると邪魔が入る。

 

ただ、友人のところの(バカ)犬が何かとやらかすので、そのたびに友人の絶叫が耳に痛いが。

 

我が家のもなかさん(飼い猫)は静かな猫なのだが、ダンナの叔母さんから電話がかかってくるとにゃあにゃあ鳴き倒す。

叔母さんだけじゃなくて、葬儀社の方やほかの親族からかかってきたときも鳴くので、「方言」に反応しているのかもしれない。

なんか独特の抑揚があるし、ダンナ実家の方々ご高齢のせいか皆さん声が大きいんだよね。

 

さて。2月分のクレジットカードの請求書のあまりの高さに驚いてしまい、3月は無駄遣いせずに節約しようと誓ったのではあるが、この間ダンナが買ってくれたモフサンドのステンレスタンブラー(緑色のやつ)がつても使い心地が良いのだ。

 

ステンレスタンブラー自体は持っているのだが、冷たい飲み物を飲むために主に夏場に使用していた。

なので、もっと縦長の容量の大きなタンブラーである。

 

今回のタンブラーは450㏄程度なのだが、温かい飲み物をのむのにちょうどいいのだ。

これはもう一つ欲しいかも。

 

と思ったのだが、税込みだと3300円なのだ。

 

それでもファミマに行くと、すでに売り切れている店舗もあるし、実は4色あるのだが、人気のサメにゃんは宝島社公式サイトでも売り切れだ。

 

限定品で品薄、となると買いたくなってしまう。

でも3300円だしなぁ。

 

ただ、緑はダンナが買ってくれたから、私の財布からはお金は出てないのだ。

買っちゃおうかな。

 

と揺れ動く心を抱えて別の買い物目的でニトリに行ったら、ステンレスタンブラーがおいてあるじゃないですか。

 

 

 

 

 

しかも、蓋つき。

サイズはモフサンドと全く一緒なので、蓋はどちらにも使える。

柄は可もなく不可もなく、って感じだが、使い勝手は全く同じ。

 

しかも、税込み990円。

 

さすが、お値段以上、ニトリ。

これは買うしかないでしょう。

 

と、言うことで買ってしまったのだが、これも無駄遣いなのかもしれない。

 

犬猫話。


友人娘が仕事を少しずつ始めたので、週に一度子守を頼まれることになったそうで。


友人の都合も聞いて曜日を決めてくれたので子守り自体は良いのだが、出来れば孫を友人宅に連れてきて欲しいのである。


その方が子守しながら洗濯とか家事が出来るし、録画したテレビとかも見れるので楽なのだが、それができないのは、イヌのせいである。


友人宅のイヌが何故か赤ちゃんだけを敵視していて、赤ちゃんが来ると吠えまくり、威嚇しまくりなのだ。


他のお客さんには吠えないし、初めて来た友人の大学時代の友達にも吠えずに頭を撫でさせていたのに、赤ちゃんにだけは吠えかかる。


そうなると赤ちゃん側も大泣きだ。


リビングが阿鼻叫喚の大騒ぎになり、犬は別部屋に隔離されるのだが、遠くの部屋からも吠え続けている。


犬が鳴けば赤ちゃんもギャン泣き。


もう、犬も赤ちゃんもうるさいので家で赤ちゃん預かるのは無理。


仕方ないので、娘さん宅に友人が出向いて子守するのだが、娘さん宅には猫がいる。


この猫は家族以外が来ると、2階のベッドの下に潜り込み、客が帰るまでそこから出てこない。


なので写メでしか見たことのない幻の猫だったのだが、子守で数時間滞在していると、


「おや。このおばさんは家族なのかもしれない」

と猫が様子伺いに顔を見せるようになった。


今のところ近寄らないで一定の距離を置いて座っているのだが、毎週通っていればいずれは触ることができるのでは。

 

そして、懐いてなくても猫は静かで癒される、という。


そうでしょう、そうでしょう。

だから猫を飼えばいいのにって勧めたのよ。


それに猫はこっちから手出ししなければ噛み付いたりもしないし、大人しい生き物だ。


まあ、友人ダンナが猫苦手だから仕方ないんだけどさ。

ここのところ、ネット界隈では「食いつくし系」が話題なのだが、なんか言葉が乱用されている感じもあるし、「大食い」と「食いつくし」の違いがついていないような気もする。

 

と、あるブロガーさんのブログで、4個入りの市販のドーナツをダンナ、嫁、娘とひとつづつ食べて、残った一つをダンナが食べる、というのを何回か繰り返したら、最初は「この余ったドーナツ食べてもいい?」と断っていたダンナが、断りもせず当然のように食べるようになった、というのを食い尽くしの例として挙げていらっしゃったが、これは食い尽くしというわけではないような。

 

それより、食べる量とか必要なカロリーは個人によって違うわけだから、成人男性が一番多く食べるのは当然なんじゃなかろうか。

 

それより、友人ダンナが、頂き物の5つ入りのケーキを冷蔵庫に入れていたら、断りもせず3つ食べていて大げんか、というほうが食い尽くし系のような気がする。


当時の友人宅の家族構成は、夫婦+子供2人の4人家族。


3つ食べちゃったら残りのケーキは2つだ。1人分足りないわけだ。

 

そりゃ怒るよ。

子供の年齢とかにもよるけれど、一人一つずつ食べて残ったお菓子についてどうするかはご家庭によって対応が異なると思う。


父親が食べる家もあるだろうし、子供にあげる家もあるだろう。あるいは、その場では食べずに、翌日のママのおやつかもしれない。

 

友人宅の場合は、ダンナが人数分残さず食べちゃうことが何回か続くうちに、友人も子供たちも食べ物を隠すようになり、それがちょっと情けない、って話だ。

 

全員ひとつづつ食べた後、残ったお菓子を誰が食べるかというのは、会社とか友人間であれば、話し合い、家族とかメンバーが固定された閉じた集団であれば、前例に沿って分けるというのもありだと思う。

 

そうなると、何回かダンナさんが残った一つを食べていたのならそれが前例なので、別に食べつくしでもなんでもないな。

 

それを言うなら、我が家ではイチゴ大福のイチゴは私が食べることになっているので、最初のうちは遠慮して

「いいよ。自分の分だけで」


なんて言ってたのだが、ここ20年というもの当然のようにダンナの分のイチゴも食べている。


これは食べつくし系なんだろうか。

でもイチゴだけで大福はダンナも食べるわけだが。

 

女性の食べつくし系があまり指摘されないのは、家庭にある食べ物の多くはその家の主婦が買ってきたり管理しているものだからだと思う。

 

なので大食いのギャル曽根ちゃんがあんなに食べてても食べつくし系じゃないのは、自分で用意した食材だったり、調理した食材をほかの家族の食べる分は考慮したうえで大食いしているので他の家族の不満が出ないからだ(出ているかもしれないけど。)。

 

一般人の男性の場合、妻が余ったら子供のお弁当に使おうと思っていたり、買い置きで採っておいた食材を断りもなく食べちゃうので、予定が狂ったり、子供の分や自分の食べる分がなくなったりして、不満が募るわけだ。

 

さらにここ数年の食材の値上げで、後先考えずに大食いされると経済的にも打撃になってくる。

 

昔一緒に働いていたパートさんは、高校生の息子さんがいるのだが、この子を連れて回転ずしとかに行くときは、まず家でインスタントラーメンを一杯食べさせてからなのだという。


そうしないと、驚くほど食べるから、お金かかかって仕方ない。


お店に行ってからあまりけち臭いことも言いたくないから、まずはお腹に何か入れてから行くのだという。

 

でも義両親(父方祖父母)が焼き肉に誘ってくれた時は、ここぞとばかりに息子に食べさせる。

なぜかというと、孫が大量に食べれば食べるほど、ジジババ大喜びで、「おいしいか」「もっとお食べ」とバンバン注文するのだという。

 

なんかもなか(猫)にぽんちゅーる揚げるときの私みたいだな。

孫≒猫か。

 



そして、ジジババはそこそこお金もちだ。

 

一応息子さんも、親と外食するときはお支払いのことも考えて控え目に、ジジババの驕りの時は遠慮なく、と使い分けているわけで、もなかよりは大分賢い(人間だからあたりまえ)。