備前国分寺で同じ気持ちで手を合わす。 | 徒然コオロギ庵~旅する似顔絵師~

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一年の半分を旅に過ごす似顔絵師コオロギの日々の雑記。趣味の古墳巡り&地質巡り&車中泊アレコレetc徒然とだらだらと書き尽くします

5月に呼んでいただいた

岡山での似顔絵イベントのあと

古墳巡りへ。

両宮山古墳など200mを超す巨大古墳の横に
 


ありますのが


備前国分寺跡!!

看板奥の緑の山が両宮山古墳です。


国分寺ラブラブ

奈良時代、741年に聖武天皇によって全国67ヶ所に作られた国分寺の1つ、備前国分寺。総本山は奈良の東大寺です。

全国各地の国分寺を巡っているけれど

ここまで巨大古墳と隣接してるところは

ないんじゃないかなびっくり


備中、備後の国分寺や下野国分寺なども

すぐ近くに古墳はあるけれど

200mを超す巨大さではないもんなぁー。


国分寺を建てる際、

(風水的に)気のいい場所に建てること

と詔に書かれているのですが

両宮山古墳が造られたときにも

風水思想はまだ入ってきてなかったとしても

ここ、、なんかめっちゃ気持ちよくないラブ

なんて古墳造営地に選ばれたのかしら。

または、両宮山古墳があることで

聖なる土地として伝えられていたのだろうか。。


巨大古墳と国分寺。

ワタシ的にはご飯何杯もいける場所やわおにぎりラブラブ


以前もこの国分寺は訪れたことがあるのですが

そのときはすでに日没後。。闇でした。

今回もぎりぎり視認できるの夕暮れ。



南門、中門、金堂、講堂、僧房などが

一直線上にある東大寺式伽藍配置。

南門と中門が近いのがこの備前国分寺の特徴。

礎石にはあまり加工痕がなく、

自然石に近い状態で使われたとのこと。



礎石配置が復元されております。



北面回廊。

平安時代に火災で消失した際の跡が残ってたとのこと。



講堂跡。


当時使われていた礎石4個が

実際に使われております。


流紋岩びっくりラブラブ

流紋岩の礎石もあまりみないなあー。

この付近はゴリゴリの花崗岩地帯と思ってたけど

この流紋岩たちはどこから来たのだろう。

奥に見える白い復元礎石は花崗岩だそうです。


塔跡。


七重塔の代わりに

小さな石の塔が建てられておりました。


危ういバランスやな。


続いて

国分寺跡から数百m南にある


国分尼寺跡へ。

ここは看板のみが残されておりました。

国分尼寺は

国分寺とともに尼僧のために建てられて尼寺。

総本山は奈良の法華寺。


国分寺建立の詔には

国分寺から少し離して建立するように

と書かれているそうですが

ここは、、近いねキョロキョロアセアセ

たいてい2〜3km離れてるところが多いかも。


信濃国分寺は近いどころか並んで建てられてるけど(笑)


闇が迫る


国分尼寺跡。


国分寺、国分尼寺跡にきて

当時の層や尼僧さんに想いをはせるのがね

好きなんですラブ

今と同じ疫病が流行っていた時代、、

鎮護国家のために祈りの日々を過ごした僧たち。

私も手を合わせて祈りましょうお願いキラキラ


国分寺自体がほんとに気がいい場所にあるので

ぼーっとしてるだけでも気持ちいんだわラブ

オススメは太宰府にある国分寺、

美濃国の国分寺、備中国分寺、、などなど。


巨大古墳や国分寺がある古の村の


黄金の小麦畑よ!


岡山ありがとー爆笑ラブラブ


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早く地元の河内国分寺の行けよ、、ってねてへぺろ