北海道から千葉に向かう民間機の中、私は心の中で絶対に後悔しないと呟いていた。いま思うと呟いている時点でアウトだったと思う。ただ、あの子のことが気掛かりだった。後期教育はワック(婦人自衛官)も一緒で、よく共に学び語らいあった。帯広駐屯地で後期教育中のある日、その日もいつものようにヘリのことを学び休憩に入った。部屋から殆どみんな出ていった。そんな時、あるワックが私のところに来た。北海道出身の地元のワックである。詳細は省くが、告白された。当時の私は女性についてはあまり興味がなく、鍛えることしか頭になかったバカである。正直、どう応えていいのかわからなかった。よく、わからない•••。
そう応えてしまった。いま思えば傷付けてしまったと、深く謝りたい。それでも空挺に行くまで暖かく応援してくれていたことに感謝している。考えごとしている内に再び習志野駐屯地に着いた。私が配属になったのは空挺団まで、にしておきます。その先の小隊名は伏せさせていただきます。とにかく、配属になってからは大変だった。毎日走り、時折ゲロを吐きながら。格闘訓練では国体経験相手にぼっこボコにされ、終わったあとやはりゲロを吐き。消灯になっても毎晩のように酒を呑まされ、やはりリバース。ある日の朝、目が覚めた。起床ラッパは鳴ってない早い時間。この6人部屋から異質な匂いがする。昨日の夜は酔っ払い酒乱の上官が消灯後にもかかわらず怒鳴りながら部屋に入ったんだ。チッ、来やがった!皆そんな気持ちだったと思う。それから酒をだせ! こんだけウルサいのに当直をはじめ他の部屋からは一切苦情はこない。何故かって、この酒乱の上官は中隊内のなかでは要注意人物だった。酒が入れば人を理由なく殴る蹴ることは至って普通のこと。勿論、私も花見の季節にやられた。障害事件なんて当時はよくあった。中隊長も見ていたが止めやしない。話を戻すが、とにかく臭い!横のベッドに目をやると、酒乱が寝ている。他の隊員も起きはじめ、この匂いは窓際で寝ている酒乱のベッド辺りから発生していると推測。そして我々は信じ難い物を発見した!それは万国共通な排出物、そう!
うんこ君だった!
最初、何故うんこ君がベッドの下にあるのか不可解だったが、なんせその上にいる人物が人物だから容易に了解できた。人の睡眠を邪魔し、酒を暴れながら呑み、部屋をメチャクチャにし、最後のお土産がうんこ君とは。誰が掃除すんだよ!私がいた当時の小隊は日常がこんなんだから、訓練もとにかく厳しい。よく、何が一番辛かったですか?なんてあるけど、答えはありません。強いて言うなら、行ってみ、わかるからw 以上。パラシュート降下も20回を越えたころ、私にある事件が起こる。私が北海道から空挺にいく様を見ていたある一つ下の新隊員が追っかけてきた。実はこのN君は私に、空挺に自分も行くという決意表明の手紙を送ってくれた経緯があった。部屋の扉からノックがあり、見るとN君だった。正直、驚いた。彼はまだ試験期間中だったので、絶対合格しろよ!なんて言葉を言ったんだと思う。N君は気合のある返事で、ハイッ!と返してきた。
ただ、次に部屋のノックをして入ってきたN君は違っていた。



iPhoneからの投稿

ヒュ~♪


キリキリキリッ・・・・・


ブッ!


これは何の音でしょう?


ヒュ~、が寝ているときの口からでる音。

キリキリッ、が歯軋りの音。

ブッ、がオナラの音。


消灯ラッパが鳴って間もなくして何処からともなく聞こえてくる隊員達の寝音。

ヒュ~、キリキリキリ、ブッ!

こんなもんだから神経質な奴は早く寝たほうが勝ちだろう。

相当うるさい。

そして一日の中でも緊張の時が来る。それが起床だ。

前期、後期の起床点呼もあったが、ここはまた別格だった。

ポセイドンみたいなマッチョな教官が上半身裸で待っている。

遅れたら想像すればだいたい解るだろう。

ラッパが鳴った瞬間、教育隊員は迅速に空挺靴の紐を結び1秒でも早く全員点呼を受ける。

空挺が他の部隊と違っているのはその移動手段。

徒歩や車でもアクセスが難しい地域に航空機からパラシュート降下して、いち早く隠密に作戦を実行するといこうこと。そのため命に関わる重要な順序もあって規律が厳しく、強い肉体が必要。

方法は空挺の型にはまり、とにかく耐えて鍛えるのみ。

私は当時、体を鍛えることで空挺に合格し部隊配属できることが全てだったので訓練が終わって気の合う同期と体育館で筋トレをしていた。殆ど毎日・・・。そんなもんだから訓練の後半ではよく足の大腿部が痙攣をおこしていた。自分を虐待することで教官やこれからの訓練に耐えられるのでないか?と、よく同期と作戦会議をしていた(笑) 訓練も大詰、いよいよ初降下の日。ここまでようやく来たか!という気持ちだった。脱落してしまった者もいた。初降下の航空機は確か、C-130Hだったと思う。レシプロエンジンの航空機だ。機内に乗り、皆の顔を見合わせる。異様な自信を見せる者や遠い目をした者、様々だ。

勿論、機内には現在でいうキャビンアテンダントも居なければ、機内サービスもない。

まさに男の仕事のための航空機内の様相。

いよいよ、降下地点に差し掛かり扉が開く。暗かった機内に外の光がワーッと入る。その瞬間なんとも言えない大きな音が耳を覆う。一気にアドレナリンが込み上げてハイな気分になる。

落下傘を背負ってる苦しさを忘れて、やってやるぞ!って気分。

落下傘の最終点検呼称を隊員同士、お互いにして降下スタンバイに入る。機内にある降下待ての赤信号が青になり、ケツを叩かれた瞬間一気に降下する。扉から外に飛び出した瞬間は足からすくわれたような体制になり、体がどんな感じで落下しているのか解らない。ただ、4秒数えてメインの落下傘が開かなかった場合は予備のパラシュートを引かないと地面に叩きつけられるので、4秒を正確に数えてメイン落下傘を見ようとした瞬間、衝撃を感じた。パラシュートが開いたためだった。初めての降下だった。ここからパラシュートの操縦が始まり、出来るだけ降下地点の目標に向ける。あと、他の隊員に接近しないようにする。

接近しすぎると、落下傘が萎んで自由落下してしまうから。着地の衝撃は気象状況によっては2階から飛び降りたくらいの衝撃もあると聞いていたが、風も少なくさほどではなかった。でも、2回目の降下で目の前に着地した隊員は足の骨を折っていた。痛て~、痛~っ!を連呼していた。残念ながらその隊員はここで終わった。当時、空挺落下傘は操縦性の悪さには定評があり、そのため岩のうえなど悪条件な地上に着地すると結構な確立で骨は折れる。なので風が強くて操縦が効かないときは着地で衝撃を和らげるほかない。運といえば運なのかもしれない。無事、3回の降下も終わり空挺バッジを授与できた。

人生初めての達成感を感じられた瞬間だった。中には涙ぐむ者もいた。が、私はこれからの部隊配属と空挺レンジャーのことを考えていたら達成感は一瞬で無くなっていた。まだまだ、強くならないと・・・。

空挺に入隊するにしても、一旦は元の部隊に帰って上官に再び気持ちの変化は無く、空挺に行く事を申告する必要があった。これは他の者も同じ。

そして空挺同期に、またここで会おう!と抱き合い習志野駐屯地をあとにした。

帰ってきた北海道の丘珠。見慣れた駐屯地の門を入る。最初誰に報告しにいったか覚えてない。

手紙を送ってくれた人にも報告した。彼女から労いの言葉を貰い、うつむいた笑顔をくれた顔が忘れられない。ここに未練はないことを告げて1ヶ月後、再び習志野空挺団に向かった。

向かう飛行機の中で私は正直、未練を残していた。

空挺隊員になるという希望と、他の奴には負けられないという気持ちで習志野駐屯地の正門に入る。もとい、自由が無くなることを覚悟していたので、入る前に食い収めとばかりに近くのコンビニで弁当やジャンクフードをたらふく食べた。さて、警衛に隊員証明を提示する。警衛も空挺だから胸には空挺バッジがある。美貌の眼差しで一瞬見入る。一歩入ると他の部隊とは違うなと直ぐ分別できた。隊員のガタイも面構えも施設も他とは全く違った。他の駐屯地には何人かは太っちょな奴、色ボケの髪型をした者、だらしない服装をした後方支援部隊の輩が少なからずいる。何人かはいるもんだ。しかし、ここは違った。周り全員が鍛えまくっていた。戦力外は居ることが許されないように感じた。だらしない者は1人として見当たらない。試験の前に手続きをする建物まで歩いていると、まず大きな鉄塔が目に余るくらいにある。その鉄塔の大きな看板に「精鋭無比」と書いてあった。やっぱり、ここは最強部隊なんだと妙に自分が選んだ道に間違いがなかったことに安堵を覚えていた。記憶が薄いが、手続きをして営内(生活する部屋)に入るとそこは確か10人~くらいの部屋だった。早速、頭を丸められ空挺刈りにされる。所謂、マリーンみたいな髪型で映画フルメタルジャケットで髪を切られるシーンみたいなもんだ。みんな気合が入りまくりで、武勇伝を語るもの、自慢の体から始まり腕相撲、腕立て伏せ勝負と華が咲いたが一瞬で終わった。間もなくして空挺試験が始まった。殆どの奴が自分は強いと思っている者ばかり。そういう者は大概にして態度に出る。そしてところ構わず教官から間髪なしで殴られる。私の教育期間で少なくとも3人はかなり殴られていた。普通の叩かれ方ではない。吹っ飛ばされるとはこのことなんだなと、感心するくらいの見事な殴りだ。完全に人を殴ってきた殴り。私も洗礼を受けた1人であった。拳が見えなかった。その日から2日はご飯が上手く食べられなかった。噛み合わせがズレたためだ。しかし、暴力のまえでは服従は生まれやがて統率できる部隊が生まれる。慣れや褒めでは強さは生まれないと思った。因みに銃を持ちながら走るハイポートで怒鳴られながらバシバシ頭、背中、ケツを叩かれ蹴りをいれられと中には限界が来て遅れてくる者もいる。そいつを助けようと脇に手をやると助けようとした本人も教官から歓迎の蹴りや叩きがやってくる。或いは、助けようとした隊員にはもっと負荷をかけて走らされる。言葉ではなんだか、これは実際経験したものだけが解る苦しみ。試験過程始めで既に自分のことだけでもキツくなってくる。自由の時間なんぞ無い、男性特有の生理現象の儀式も忘れてしまう。大袈裟ではなく本当に自分の足の裏さえ見る時間もないくらいに追い込まれる。唯一、自分の世界に戻れるのはこの狭いベッドだけ。目をつぶれると北海道の部隊のことを思い出した。殆ど女のことばかりだった。実はこのころ、ワック(婦人自衛官)から何通か手紙が来ていた。空挺にいくことについて応援してくれてたんだが、後日来たばかりの、封を開けていない手紙を見たある上官がその手紙にこう書いてきた。「教育的指導あり後で部屋に来い」と。しまった!手紙には丁寧に北海道の部隊名に女の子の名前が書いてある。人の手紙に書くんじゃねーよ!と渋りながらも半分冗談だろうと思ったが、行かないと後でとんでもない罰があるため行ってみる。と、おう!お前の女か?
私は、いえ!単なる同期です!すると、女は大切にしてやれよ!と微笑された。あとにも先にも教育試験中はこの微笑が最初で最後だった。考えてみれば、北海道のとある小さな部隊に配属早々、180度全く別世界の空挺に行きたいと言い出し周りの反対を押し切ってきた。不合格で帰るわけはいかない。もし、不合格しようものならフランス外人部隊にいく計画を練っていた。北海道のあの部隊で吊るし上げなんて御免だ。そしてあの子にカッコ悪いところは見せられない。そうバカは思っていた。

昨日、今年初めての蝉の鳴き声を聞いた。

私は蝉の鳴き声を聞くと色んな思い出が一瞬にして思い出してくる。

特に夏の季節を知らせる頃には。

昨日聞いた蝉の声を聞いた瞬間に私が18の頃を思い出した。

まだ、世間のことなんて全く知らない扱いにくい輩だった。

高校は音楽の推薦で入学し学外での門下生になり音楽漬けだった。

たけど、それから周りの説得とプロとアマの差を歴然と感じ音大を渡ってからの音楽の人生は諦めた。

そう、諦めた。このときほど音大の学費を恨んだ事はなかった。いや、自分の才能を恨んだ。

一気にクラシック音楽と専攻楽器が嫌いになり一生封印した。

それからというもの今までの人生とは全く違ったベクトルに向けたライフスタイルになった。

音楽を無くした自分があまりにも空っぽで抜け殻なことにショックを受けた。

自分を強くしたいという気持ちが強くなり、一人で生きていくことに信念を抱いていった。

幸い?男子校で寮生活だったので、運動会系な輩は沢山居た。

鍛えて食べている内に、体重は急激に20キロ増えていった。

でも、走る速さ、飛ぶ高さ、持ち上げる力は落ちるどころか右肩上がりに面白いように上昇していった。

強くなるにはどうすればいいか?これが当時の自分の全てだった。

音楽担任、門下生の師匠とは疎遠になっていった。今思えば感謝の気持ちでお礼くらいいうのが当然だったのに。申し訳ない。

就職先で学生は忙しい時期に私の気持ちは決まっていた。

自衛隊だった。パイロットを目指し、航空学生を受けたが見事に不合格。

一浪しようとしたけど、事業を辞めた家にそんな余力は無いことはよく解っていた。

直ぐにでも仕送りをしないと。

気が付けば、陸上自衛隊前期教育課程の中、教官に怒鳴られながらハイポートで走っている自分がいた。同期には色んな目標を抱いてココに来ている。強さ、金、肩書き、親孝行、色んな奴がいた。

学生生活で泣いたことはなかったが、前期から後期教育に移るとき別れもあった際に泣いた事は忘れられない。別れが悲しいと思ったのはこのときが初めての経験だった。貴重な同期達だったことに気が付いたんだった。前期教育が終わる頃、どんな部隊に職種を決めるか教官に問われた時に、私は特殊なことがしたいと言った。たまたま、こんなのどうだ?と写真を見せられた一枚のもの。

それはヘリボーン作戦をしている写真だった。これやってみたい!と二つ返事で「ハイ!」

ところが、それは陸上自衛隊の中の航空機整備だった。それに気が付いたのは後のことだった。

当時は全く周りが恐ろしく見えていない青年だった。そして後期教育で飛ばされたのが北海道。

帯広駐屯地だった。後悔したのは着任の1日目からだった。全くというと語弊だが、とにかく3ヶ月間は回転翼(ヘリ)、固定翼(連絡偵察機)の整備に関する勉強。勉強、勉強。

後期を陸自の北部方面航空隊長から優秀賞を貰ったが全く何とも思わなかった。

が、これが後に自分の足を引っ張ることに。

後期を終えて部隊配属が丘珠駐屯地に配属され、私の整備機は連絡偵察機LRになった。

ここの部隊でも日々、勉強だった。体を動かすこと、強くなることが目的だったのに。

配属され数ヶ月で転属依頼を上官に申し立てた。当然、何をいってやがる!!と一喝を入れられ。

監禁されようが自分の意思を変えるつもりは無かった。

私の転属希望は陸自で最強といわれる第一空挺団。

空挺には空挺試験があり、これに合格した者が空挺団に配属される。

小さな丘珠駐屯地の中では一気にその噂が広がり、よそ者扱いを翌日からされることになる。

今まで優しかった上官が、お前はよその子だ。早く行ってしまえ。

生意気なこと言ってんじゃねぇ。お前には無理だ。

正直、そんなことを言われて余計に行きたくなった。

ある噂話が耳に入る。

例えばランニング、乳首がシャツとこすれて血が出るまで走らされる。

例えばパラシュート着地で骨折、骨折は怪我にならない。足を骨折しても房総半島の中で戦闘訓練は敢行される。

例えば水、山の中で水が枯渇し水が飲みたければションベン飲みを敢行。

例えば腕立て、死ぬまで。

とにかく私の転属を聞いた周りの隊員が色んな噂を耳に入れてくる。

そんなことを言われるもんだから、本人は必死に鍛えまくった。周りは変な目で見ていたけど形振り構ってられなかった。このころになると体重は80キロ超、胸は1メーター、腹はシックスパックで腹斜筋がくっきり。上官ワック(婦人自衛官)によく胸を動かせて笑ってもらったもんだ。


ともあれ、上官も私の大馬鹿さに折れたのか何とか無事、空挺試験を受けることを許され晴れて千葉習志野駐屯地に着いた。そう、蝉の泣く季節の頃だった。






















水曜日から東京ビッグサイトでお仕事してました。コスメをはじめとしたメーカー等が集まった総合展示会で何万人もの人。人!人!!
人が多かった!そうだよな、女性は化粧品がマストアイテムだ。
20代なら若いし可愛らしいし、誰からも優しくされるんだろう。じゃ、30代、40代では?道具の力を借りないわけがない。因みに私はどっちでもいい。今回の展示会のごった返す人の中で、チョット意味の解らない虚しさがありました。
これから世に出てくる新素材、新製品、デザイン。勿論、いいものだと思う。メーカーも招待者も必死に話してる。
当たり前の甘いこと言うけど、結局金と感じること多々あった。いいんだよ。勿論、商売だもの。そのための展示会だもんね。ただ、中にはここのメーカーの考えていることは金と名誉だけだな!と言えるとこもあり。
んー、美とお金って何とかもうちょっと切り離せないかな?

男はいいけど?女性は美の奴隷になって欲しくないなと思いました、はい。
だって、あなた自身が主役であるべき。そうじゃないとおかしい。
純度の高い恋をして、やがて1人の男と結ばれることが幸せの筈。

それを、寄ってたかって(失礼)お金だけの人達が!まるで、ナベを用意し
そこへ安価な材料に誇大妄想な希望とウソを入れてかき混ぜ、かき混ぜ♫
ぐっちゃぐっちゃにしちゃうから!大勢の乙女は純度の低い恋しか出来ないんだと勝手に言わせていただきます!
というわけで?
女性の幸せの役立てに際して重要なのは、その人の一番大切な個性まで根こそぎ持って行かないで欲しいと感じました。
※出張帰りに加え、かなり酔いがきてます。流石にメチャクチャな文ですみません。


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