ヒュ~♪


キリキリキリッ・・・・・


ブッ!


これは何の音でしょう?


ヒュ~、が寝ているときの口からでる音。

キリキリッ、が歯軋りの音。

ブッ、がオナラの音。


消灯ラッパが鳴って間もなくして何処からともなく聞こえてくる隊員達の寝音。

ヒュ~、キリキリキリ、ブッ!

こんなもんだから神経質な奴は早く寝たほうが勝ちだろう。

相当うるさい。

そして一日の中でも緊張の時が来る。それが起床だ。

前期、後期の起床点呼もあったが、ここはまた別格だった。

ポセイドンみたいなマッチョな教官が上半身裸で待っている。

遅れたら想像すればだいたい解るだろう。

ラッパが鳴った瞬間、教育隊員は迅速に空挺靴の紐を結び1秒でも早く全員点呼を受ける。

空挺が他の部隊と違っているのはその移動手段。

徒歩や車でもアクセスが難しい地域に航空機からパラシュート降下して、いち早く隠密に作戦を実行するといこうこと。そのため命に関わる重要な順序もあって規律が厳しく、強い肉体が必要。

方法は空挺の型にはまり、とにかく耐えて鍛えるのみ。

私は当時、体を鍛えることで空挺に合格し部隊配属できることが全てだったので訓練が終わって気の合う同期と体育館で筋トレをしていた。殆ど毎日・・・。そんなもんだから訓練の後半ではよく足の大腿部が痙攣をおこしていた。自分を虐待することで教官やこれからの訓練に耐えられるのでないか?と、よく同期と作戦会議をしていた(笑) 訓練も大詰、いよいよ初降下の日。ここまでようやく来たか!という気持ちだった。脱落してしまった者もいた。初降下の航空機は確か、C-130Hだったと思う。レシプロエンジンの航空機だ。機内に乗り、皆の顔を見合わせる。異様な自信を見せる者や遠い目をした者、様々だ。

勿論、機内には現在でいうキャビンアテンダントも居なければ、機内サービスもない。

まさに男の仕事のための航空機内の様相。

いよいよ、降下地点に差し掛かり扉が開く。暗かった機内に外の光がワーッと入る。その瞬間なんとも言えない大きな音が耳を覆う。一気にアドレナリンが込み上げてハイな気分になる。

落下傘を背負ってる苦しさを忘れて、やってやるぞ!って気分。

落下傘の最終点検呼称を隊員同士、お互いにして降下スタンバイに入る。機内にある降下待ての赤信号が青になり、ケツを叩かれた瞬間一気に降下する。扉から外に飛び出した瞬間は足からすくわれたような体制になり、体がどんな感じで落下しているのか解らない。ただ、4秒数えてメインの落下傘が開かなかった場合は予備のパラシュートを引かないと地面に叩きつけられるので、4秒を正確に数えてメイン落下傘を見ようとした瞬間、衝撃を感じた。パラシュートが開いたためだった。初めての降下だった。ここからパラシュートの操縦が始まり、出来るだけ降下地点の目標に向ける。あと、他の隊員に接近しないようにする。

接近しすぎると、落下傘が萎んで自由落下してしまうから。着地の衝撃は気象状況によっては2階から飛び降りたくらいの衝撃もあると聞いていたが、風も少なくさほどではなかった。でも、2回目の降下で目の前に着地した隊員は足の骨を折っていた。痛て~、痛~っ!を連呼していた。残念ながらその隊員はここで終わった。当時、空挺落下傘は操縦性の悪さには定評があり、そのため岩のうえなど悪条件な地上に着地すると結構な確立で骨は折れる。なので風が強くて操縦が効かないときは着地で衝撃を和らげるほかない。運といえば運なのかもしれない。無事、3回の降下も終わり空挺バッジを授与できた。

人生初めての達成感を感じられた瞬間だった。中には涙ぐむ者もいた。が、私はこれからの部隊配属と空挺レンジャーのことを考えていたら達成感は一瞬で無くなっていた。まだまだ、強くならないと・・・。

空挺に入隊するにしても、一旦は元の部隊に帰って上官に再び気持ちの変化は無く、空挺に行く事を申告する必要があった。これは他の者も同じ。

そして空挺同期に、またここで会おう!と抱き合い習志野駐屯地をあとにした。

帰ってきた北海道の丘珠。見慣れた駐屯地の門を入る。最初誰に報告しにいったか覚えてない。

手紙を送ってくれた人にも報告した。彼女から労いの言葉を貰い、うつむいた笑顔をくれた顔が忘れられない。ここに未練はないことを告げて1ヶ月後、再び習志野空挺団に向かった。

向かう飛行機の中で私は正直、未練を残していた。