赤い光が灯るまで in 奄美大島 -6ページ目

告知

ブログを書けない日々が続いておりました。
ちょくちょくブログを覗いて下さっている方には申し訳ないです。
そろそろ以前のように書ける日々が来るかと思います。

先日、島内の水難救助体制についての記事を島内の新聞社に
取り上げていただきました。

取材の中で、奄美の消防職員に熱いハートを持った方々が
非常に多く、昨年から今年にかけて水難救助体制を強化すべく
素晴らしい動きがあることを伝えたのですが、残念ながら
記事にはそのように掲載されませんでした。

記者さんは一生懸命取材を行なって下さったのですが、
取材を受ける側の考えが中々そのままには
伝わらないことを痛感しました。

誤解のないようにブログにて補足をしますが、奄美の消防職員は素晴らしいです。

私は仕事柄、東京の救急救命士と多く接してきました。
消防学校で医学の講師として授業をさせて頂いたこともあります。
東京の救急救命士は、非常に勉強熱心な方が多く、
中には救急医学的知識において研修医を大きく上回る方とも出会いました。

しかし、奄美に来て驚いたのは、奄美の消防職員が東京に全く
引けを取らないほど優秀であることでした。

そこには、職員の地元を想う非常に熱い気持ちがありました。

元々、奄美には“結い”という人を思いやる精神が根付き、
東京の人間からすると信じられないほど人と人との繋がりを大切にし、
例え他人であっても親切を施します。

人を救うことを職業として選んだ奄美の消防職員は、
特にそういった地域の人々を想いやる気持ちが強く、
それ故、研鑽を積み優秀な人材が揃ったのではないでしょうか。

昨年の奄美の豪雨災害3日目の夜、午後だけで8件の救急搬送があり、
疲弊していたはずの消防職員は、その夜、避難者を守るかのように
体育館の入り口近くで仮眠を取っていました。

私が驚かされたのは、避難者が寝静まるのを待ち、
最後に仮眠をとった彼らが床に直接寝ていたことでした。

非常事態として、何日も続く連続勤務が余儀なくされていた中で、
必死に住民を守り疲れ果てていたはずの彼らは、
避難者を畳に寝かせ、何一つ不満を言うこと無く
床に寝ていました。

私を含めた奄美の住民は、熱い気持ちを持った消防職員に
守られているのだと感じ、安堵感を覚えました。

昨年の水難事故を受け、奄美の消防は水難救助体制の強化を進めています。

熱い気持ちを持った彼らは、きっと住民を守るために
より良い体制を作ってくれることでしょう。

奄美の住民として、彼らのその熱い気持ちに感謝しつつ、
これからも奄美の消防職員にエールを送りたいと思います。

さて、最後に告知です。
明後日の8月2日、奄美FMの“夕方フレンド”より出演依頼をいただき
ラジオに出させていただくことになりました。

私のPCでは再生できないのですが、島外からもインターネット放送が
聞けるようなので、お時間のある方は是非奄美FMを聞いて下さい。

時間は18時20分頃からとのこと。

インターネット放送
http://www.simulradio.jp/#kyusyu
九州地区に奄美FMがあります。

1年という日々

$赤い光が灯るまで in 奄美大島

       ↑ お散歩中にウミガメの足跡を見つけた家内と娘です



多忙を極め、全くブログの更新ができませんでした。m(_ _ )m

さて、赤色灯の問題は震災以後実質活動をしていません。
訴えるべき時は今ではないと考え、口をつぐみました。

奄美大島の水難救助システムについては、大きな動きがありました。
この1年、奄美に水難救助システムができるように、
自分なりに頑張ってきたつもりです。

以前からブログを読んで下さっている方はご存知かと思いますが、
昨年7月19日、私の目の前で奄美で生まれ育った若者が潮に流され、
目の前で亡くなる一歩手前までいきました。

私が、水難事故を減らすべき活動を始めたきっかけは、
正にこの出来事なのですが、ここまで真剣に取り組む
動機になったのは、7年前に非常に悲しい思いをされたある家族のためでした。

過去の記事になりますが、私が遭遇した水難事故から6日後の記事を再度御紹介します。

この島のために

私はあの日以来、土盛海岸に来る度にこの姉妹の姿が頭に浮かびます。
そして、『安全にするからね』と心の中で約束を結びます。

その姉妹のためにも、何としても奄美の海辺を安全にしたい。
その母のためにも、もう誰1人、奄美の海で涙を流して欲しくない。
そんな思いで駆け抜けてきた日々は、明日でちょうと1年となります。

涙と笑顔

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講習会4日目は、救護実習からスタートでした。
受講者同士で頭の怪我に対する三角巾の巻き方を練習している写真です。

午後はラン・スイム・ランという、講習生にとって資格講習会の
1つの山場となる200mダッシュ→200mスイム→200mダッシュを
8分以内でこなす検定でした。

台風のため嵐の中での検定となり、正に“試練”という雰囲気でした。
厳しい教官は、『全員がタイムを切るまで何度でもやる!』と宣言。

2回目が終了した際、トップでゴールした受講生が教官に叱られます。

教官『なぜ、1回目よりタイムが遅いんだ?』

受講生『1回目に全力を出し過ぎてしまい・・・』

教官『2人の溺者がいたとき、1人目の救助で疲れたから
   2人目は救助が遅くなりましたと、その人に言えるか?』

受講生『い、言えません・・・。』

教官『絶対に前のタイムより遅くならないように!』

受講生一同『は、はいっ!!』

1人どうしてもタイムを切れない女の子がいて、
溺れそうになりながらも必死に頑張っている姿を見て、
受講生全員が

『頑張れっ!頑張れっ!!』

と、声を嗄らして応援をしました。
最後は、すでにゴールした者が海まで入り、
その子を励ましながら皆でゴールまで伴走しました。

結局立て続けに4回のラン・スイム・ランを行い、
全員の合格が言い渡されます。

私も6分3秒(受講生中、下から1/3)で無事合格。

1つ誇りに思うことは、皆がこの試練を早く終わらせるために
その子を応援したのではなく、純粋に必死に頑張るその子を
応援していたことでした。

講習4日目まで、厳しいトレーニングを重ねながら、
受講生の間には4日前まで他人だったとは思えないほどの
結束が生まれていました。

日々、誰かが苦しい状況にあれば、皆で応援して励まし合いました。

全員の合格が言い渡された後、“ライフセイバーのあいうえお”の
“え”が教えられます。

『笑顔の“え”です。』

どんな苦しいときでも笑顔を守り、溺者に安心を与えなさいとの教えです。

全員合格の後にその教えを聞き、受講生の何名かは頬に涙を伝わせながら
嵐の中で輝くほどの笑顔で笑っていました。

その日、私たちが海に向かって『頑張れ!』と叫んでいた姿は、
1km離れた隣のビーチの監視員の双眼鏡で捉えられていたそうです。

翌日、『なぜ、皆で海に向かって叫んでいたの?』と質問されました。

“受け入れる”



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講習3日目の昨日。
ライフセーバーの“あいうえお”は、
“う”が言い渡されました。

『“う”は“受け入れる”です。』

台風の近づくなか、インストラクターは真顔で言いました。

『明日はもっと海が荒れますよ。
 波が頭にかぶり、水も飲むことでしょう。
 潮も速くなり、泳ぐのもキツいでしょう。
 風が邪魔をして、思うようにボードも乗れないでしょう。
 でも、海に入りますよ。
 そういうコンディションを経験できるのは
 皆さんにとってラッキーなことです。』

今朝起きると、 台風で外がおかしなことになってます。
車がまっすぐ走れていません。
木も強風のため、まっすぐ立っていません。

この逆境も、“諦めず” “言い訳をせず” “受け入れ”・・・
られるだろうか?

でも、やります。
資格を取らねばならない理由があります。

ライフセービングの“あいうえお”

気付けば写真を撮るゆとりもなく1日が過ぎました。(笑)

本日はライフセービング資格講習会2日目です。

朝一番のミッションは、2人鬼ごっこでした。
1人が逃げて、1人が追います。
捕まると鬼が10秒数えて再度追いかけます。

ウォーミングアップは楽しみながらさせてもらえるのかな?
と思ったのも束の間、インストラクターから集合のかけ声。

『昨日、ライフセービング“あいうえお”の“あ”を教えました。
 “諦めない”の“あ”です。今日は、“い”を教えます。
 “言い訳をしない”です。

 今の鬼ごっこで、相手がどんなに俊敏でも、
 逃げるのを一瞬でも諦めた人、
 追うのを一瞬でも諦めた人、反省して下さい。
 
 足を怪我しているから逃げられなかったとか、
 言い訳をした人も反省して下さい。
 常に、目の前にあることを一切の言い訳なしで
 必死にこなして下さい。』

一瞬にして楽しいウォーミングアップが決死の鬼ごっこになりました。

1度も相手を捕まえられなかったとは言えない雰囲気だったため、
もうすぐ33歳の自分は、鬼ごっこで眼を血走らせながら、
20歳の大学生にヘッドダイブ・ジャンピングタッチ!

朝のビーチを散歩していた子連れの家族は完全に引いてました。

フラフラになりながらウォーミングアップを終えると、
トレーニングメニューが言い渡されます。

①100m ビーチをダッシュ
②300m レスキューボードでパドル
③50m ビーチをダッシュ
④100m 泳ぐ

①~④を繰り返し続けて下さいとの指示。

ウォーミングアップで目の前のことを必死にこなすように言われたばかりなので、果して①~④を何クールすれば良いのか、何十分し続けるのか質問できず、ヨーイドンで全力の走り&パドル&スイムが始まりました。

結局、3クール終えたところで終了の合図が入りますが、
全力で450mのビーチダッシュ、900mのパドル、300mのスイムなので、
最後は鼻水とヨダレを拭う気力もなく燃え尽きました。

この後、ボードレスキュー訓練から再度全力のトレーニングを
行なっているのですが、ブログに書くのはここまでにします。

本日も痛感したのは、人命救助の訓練に妥協は無いということ。
諦めず、一切の言い訳をせず、目の前の溺者を必死で救う。
厳しいトレーニングを通して、その精神を教えられている気がします。

あの岩まで泳ぎましょう

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こんばんは。
なぜ、沖縄に1人で来ているか?

その答えは、ライフセービング資格を取得するためでした。

なぜまた?と皆さんの声が聞こえてきそうですね。

思いつきではなく、必要性があってこのタイミングで
資格取得に来たのですが、それらの経緯は後日UPします。

本日は講習会初日について書きます。

今回取得する資格は、ベーシック・サーフライフセーバーという、
ライフセーバーを名乗るのに必要な一番下の資格です。

ただ、一番下の資格とは言え、受講条件として50mを40秒以下、
400mを9分以下で泳げることが必要であり、
朝から晩まで5日間の講習を受けるので、
甘くないのは薄々感じておりました。

しかし、今日体験したのは予想を遥かに上回るトレーニングでした。

『さっそく海に入りましょう』と、始まった講習会。

『あの水平線上に見える岩(写真中央)、あそこまで行って帰ってきましょう。』

片道800m程度でしょうか。

“本気ですか?本気ですか~??(私の心の叫び)”

正直、中学生以来長距離を泳いだことが無かったので、
のっけからかなり気後れしました。
けれども、奄美から来て『帰ります。』とは言えず泳ぎ始めました。

いざ泳ぎ出すと、受講者に泳力の差があるため、
数百メートルごとに後ろを待ちます。
この間の立ち泳ぎがキツく、15分程度の立ち泳ぎもざらとなり、
体力は止めどなく消耗。

さらには、立ち泳ぎトレーニングが海の真ん中で始まります。
受講者で円になり、両手をつないで足だけの立ち泳ぎ約10分。
さらには、手を水面から上げて立ち泳ぎしながら手を打って童謡を歌います。

『どんぐりコロコロどんぐ・・・ブクブク』(頭水没)

お池にハマったドングリの気持ちをこれほど痛感したことはありませんでした。

その後、やっとのことで辿り着いた岩の下には自然のトンネルが出来ており、
素潜りでトンネルを抜ける、5m下にある海底の砂を掴んで戻るなど、
ありとあらゆる苦行を乗り越え岸に戻ります。

帰り道は離岸流を逆走。
恋しい岸に上陸したのは泳ぎ始めてから2時間以上経過していました。

午後は、レスキューボードを使った救助練習、16時半から19時半まで座学のお勉強と盛りだくさんのプログラム。

ヘトヘトになり第1日目が終了しました。

人の命を救うためのトレーニングに妥協はないということを思い知らされました。
そして、ライフセービング資格取得者達を改めて尊敬。

あと4日、老体にむち打って戦います。

ANAインターコンチネンタル万座ビーチリゾート

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遊びでも仕事でもなく、本日1人で沖縄入りしました。


宿泊先は、沖縄の最高級リゾートホテル・・・


を良く見渡せる宿泊費の安いホテルです。


約7日間の滞在になります。


何しに来たか?


明日のブログ更新をお楽しみに。

ありがっさまりょーた

赤い光が灯るまで in 奄美大島




本朝の奄美は快晴。朝から蝉が元気に鳴いております。
週間予報では連日最高気温が30℃を越え、雨マークなし。
そろそろ梅雨明けでしょうか。

昨年の豪雨災害では、私の勤務先の1階が床上浸水、
病院のすぐ裏手を流れる小川は激流となり、唯一の通勤路を1/3ほど削り落としました。

奄美は2年計画で土砂崩れや破損した道路の修復にかかっており、
先日、病院裏手の道も着工されました。


赤い光が灯るまで in 奄美大島



こちらが今日の写真。
奇麗に修復して下さり、縁には芝まで引いてくれました。
これで不便な片道通行からも開放されます。

丁寧な工事をして下さった方々に感謝感謝です。



“ありがっさまりょーた”は、奄美の方言で“ありがとうございます”です。
1年奄美に住み、この言葉もとても心地よく感じるようになりました。

ありがっさま m(_ _ )m(短縮形です)

“おんがく”の素晴らしさ




昨年秋から、私の携帯の着歌は変わりません。
Def Techの“おんがく”です。

そもそも、奄美にDef techの南国サウンドは
良く合うのですが、とにかく私はこの曲が好きです。

このタイミングでブログに紹介するのは、震災で落ち込んだ気持ちへの応援歌としても良い曲だと思ったからです。


以下、歌詞を抜粋

絶えず人と争う時代が続くけど
これだけは誰かと比べられずに
生きてゆくことは それ自体つらい戦い
勝たなくてもいい 負けなければいい!!

あの山の美しさ この海の恐ろしさ
何度も繰り返してきている 愚かな人間のちっぽけさ
音楽があれば いちばん苦しいときこそ
楽しさに溢れた世界へ輝くから

ほら顔を上げて見てごらん 全てが輝きだす
実はこんな素晴らしい世界に生まれたんだ

La La La ・・・♪

お披露目

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Facebookでは一足先に報告しておりましたが、ブログでも御紹介致します。

こちらゴリ家の新しい家族(♂)です。

娘と同じく、頭頂骨から後頭骨にかけて私と同じ形をしております。(笑)

ゴリ助(仮名)とでも呼ぶことにしましょうか。

娘と息子、夜中に片方が泣くと、もう片方も泣きます。

ゴリ家はいよいよ動物園の様になってきました。

今後とも宜しくお願い致します。m(_ _ )m