赤い光が灯るまで in 奄美大島 -7ページ目

ニシムーの努力


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キュキュ、キュキュキュッ

午後の医局に怪しげに響く不可解な音。

ふと見に行くと、お馴染み医局秘書ニシムーです。

本を見ながら一生懸命風船で熊さんを作っています。

『Mさんの送別会のデコレーションにと・・・。』

お世話になった先輩のために、

慣れない手つきで必死に風船を捻っています。


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しかし、10分経っても作業は進まず・・・。

『ああっ!!』

シュシュ~DASH!


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力んだニシムーは風船に爪を立ててしまい、熊さんは無惨な姿に。

『あ~・・・。』

この後、ニシムーは青い風船で再び熊さんの作成に挑み、

同じ段階で爪を立て、顔だけの“お化け熊さん”が2匹出来上がります。


結局、ニシムーは立ち直れず、熊のデコレーションはお蔵入りします。

けれども、送られる先輩はその気持ちだけで嬉しいだろうと私は思います。



過去のニシムー関連記事です。
“小さな優しさ”
“生き物との戦い”

パパの努力

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昨日の神の子ビーチです。


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ビーチに置いてある船で遊びたいと娘に連れ回され・・・。


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アンパンマンを書けとせがまれ、

30代男性、必死にアンパンマンを描く。

できた~!と顔を上げると、娘が見当たらない。

はて、どこに??

10m後方で娘の歓声が・・・。

『うわー、スゴイ!』

すごいだろぉ!と、どや顔で振り返ると、

娘は誰かが描いたハートに見入っていました。


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娘に好かれたいパパの悲しい努力は続きます。(TωT)

君の名も!!


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もいらさんから教えていただいたJR九州のICカード。

その名も“SUGOCA”です。

Suicaをもじり、『凄かぁ~』をかけた感じでしょうか。

“OC”の部分の色を変えて“IC”にしているあたりも強引でgoodです。

九州、オモシロ過ぎます。(笑)

君の名は・・・




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さて、九州に上陸した目的である、救急医学会九州地方会へ参加してきました。
写真は大島郡医師会病院より奄美豪雨災害における災害医療についての発表。
あの時の災害医療を省みながら、HOT先生が思いの丈をぶつけてくれました。

野崎先生、薬剤師の波多先生による誇るべく医療活動があった一方で、
奄美を思えば、もっともっと改善すべき点があるという、
願いを込めた発表でもありました。

前の数列が空席ですが、会場は千人規模の客席を有する大会場でした。



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学会後、せっかく佐世保にきたのだからと佐世保バーガーを求めて移動。
人気ランキング上位の“LOG KIT”で初の佐世保バーガーをほおばりました。


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名物になっているだけあり、美味しいハンバーガーでございました。

観光する時間はなく、佐世保バーガーの味だけを思い出に佐世保を発つ直前、
とあるお店で素敵なお土産に出会いました。

私『佐世保らしいお土産はありますか?』

店員さん『ええ、こちらがオススメです。』


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やられました。“はやかけん”を越えるインパクトです。
確かに“佐世保らしい”お土産です。o(^▽^)o

何ともフランス語っぽい上品な響き・・・。

セボーには美しいという意味があるそうですが、
サ・セボーにすることにより意味を失うそうです。(笑)

九州・・・、私の心を掴みます。

はやかけーん!



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明日の救急医学会(in 佐世保)に備え、本日より福岡入りしました。
実は、福岡を訪れるのは初めての経験です。

町を歩いて受けた印象は、“住みやすそうな素敵な都市”という印象でした。

福岡に着き、早々に魅かれたのは、上の写真。
私は恥ずかしながら、PASMOが全国共通の鉄道ICカードだと思っていたので、
PASMOでないことだけでも新鮮だったのですが、
その名も“はやかけん”って、最高です。

“PASMO”という言葉を覚えにくいお年寄りがいても、
“はやかけん”なら覚えられますよね。


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東京にあるメジャーなショップは何でもあるのでは?と思いながら散策すると、
“COLD STONE”を発見!

以前、今は亡き丸ビル店にちょくちょく通うのを楽しみにしていました。

発見した喜びから、ジェラート気分でも無かったのに、思わず注文。


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奄美の感覚で貪ったところ、普通に体が冷えました。(笑)

女心と奄美の空

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今、家の外ではスコール?と思うような激しい雨と、雷がゴロゴロ。
台風2号の影響でしょうか。

奄美の梅雨は、東京と比べて半端無く雨が降ります。
2010年を例にすると、東京159 mmに対し、奄美は907 mm!!

“梅雨”というより“南国の雨期”という言葉の方がしっくりきます。

一方、写真は昨日の神の子ビーチ。
昨日は完全な快晴だったのに、1日でこれほど天気が変わるのですね。


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次はいつ晴れるのでしょうか?
一週間予報にお日様マークは0でした。

あまり降り続くと、ゴリ家の女性陣(=家内と娘)の機嫌が心配です。(笑)


マンゴー畑でつかまえて

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奄美大島に来てから、生き方に憧れる人に数多く出会います。

昨年私を驚かせたのは、島で建設業を営む方でした。

その方は、趣味でマンゴーの栽培をしているのですが、
そのマンゴーが、今まで食べたどのマンゴーよりも美味しいのです。

私としては、趣味で作られたマンゴーが、市販の高級マンゴーよりも
美味しいという事実にえらく衝撃を受け、それ以後、

『俺、60歳で医者を引退したら、マンゴー農園するから。』

と、家内に言い続けていました。

先日も遠い目をしながら、家内にマンゴー農園の夢を語ったところ、

『まず、マンゴーの栽培がどんなものか、見てから言ってよ!』

と言われてしまいました。(笑)

それはそうだと思い、本日、師匠(私が勝手に思っている)に
お願いしてマンゴー農園のお手伝いをさせていただきました。



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当直明けの体にムチ打って、島の北部のマンゴー農園に行くと、
そこには趣味と言うにはかなり大規模なビニールハウスが現れました。

長ーく続くビニールハウスが4~5列あったでしょうか。


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ハウス内の温度は36度。
大きくても4~5cmのカワイイ実が付き始めていました。

本日の作業は摘果と呼ばれる実を間引く作業で、

“枝の先端より中頃のマンゴーを残す”
“白い枝、黒い枝のマンゴーは摘果する”
“傷のあるマンゴーは摘果する”

ここまでは理解できたのですが、

“見た目で柔らかそうな実を判断して残す”
“残すべきマンゴーを摘果すると、切られた枝からのマンゴーの香りが強い”
“見た目で大きく育ちそうなマンゴーを残す”

ここらへんになると経験無しでは全く分からない領域でした。

初体験の感想は、かなり手がかかる栽培だけれど、
少なめの木で、入魂のマンゴーを作るのは、
かなり楽しい趣味になりそうだ・・・
といった感じです。

老後の私のニックネームは“マンゴー先生”になりそうですね。(^ε^)



崖の上の・・・

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2歳2ヶ月になろうとする娘がポニョの曲に合わせて歌っていました。

『コーニョ♪ コーニョコニョ♪ シャカナなの~?』

“魔の2歳”なんて言われますが、我がままを言って親を困らせる一方で、

時に家族の心をホッコリと和ませてくれます。

爽やかなチャンピオン


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MALIBU Amami Island Proの覇者は、2009年JPSAのグランドチャンピオン
田中 樹(たなか いずき)プロでした。おめでとうございます!

見ての通り、ギラギラした感じの一切ない爽やかなプロサーファー。
トーナメントを勝ち上がる途中も、ゆとりある表情を見せていました。

決勝は気の毒なほど波が立たず、不完全燃焼だったかもしれません。

本日をもって、3日間続いた奄美でのサーフィン世界大会も終了。
幸い急病人や大きなケガ人もなく終えることができました。

選手、実行委員の皆さん、お疲れさまでした。

サーフィン世界大会 開幕!


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昨日よりサーフィン世界大会、AMAMI ISLAND PROが開催されました。
明日までの計3日間、手広海岸でデッドヒートが繰り広げられます。

俳優 坂口憲二さんも会場に来ていました。

手広としては決して良い波ではなかったようですが、
プロサーファーの本気のライディングは半端無くかっこ良かったです。


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世界大会らしく、立派なヤグラも建ちました。
そして、スポンサーの旗に注目して下さい。
反転して分かりづらいですが、世界のサーフブランド“QUIKSILVER”と
黒糖焼酎“れんと”の旗が並んでいます。

奄美での開催ならではの光景に、感慨深いものがありました。


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こちらは未来の日本のサーフィンを背負う強化選手達。
子どもだと思ってあなどっていたら、めちゃめちゃ上手でした。


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こちらは大会のスタッフTシャツです。

奄美に住む者としては、碇山ゆうせい選手をはじめ、
地元サーファーを応援しました。
ホームの温かい声援の中で、選手達も最高の勇姿を見せてくれました。

大会初日、ケガ人、急病人なく1日が無事終了しました。
残り2日間も安全に、熱い戦いが見られることを期待します。