昨日6月22日に京都市考古資料館に京都の戦国時代展-応仁の乱から本能寺の変-を見に行きました。地下鉄烏丸線の今出川駅から今出川通りを西へ歩いて10分くらいで着きました。この日はイベントの最終日でした。
実はこの資料館のあたりは、室町末期に応仁の乱の西軍の大将山名宗全の屋敷跡があり、その由縁で西陣と呼ばれています。当時の地図を見てみると、現在の上京区あたりは室町御所(将軍宅)を中心とし政権の中枢にいた人達の屋敷がつらなってます。内裏(天皇宅)は今の敷地より狭いことが分かります。応仁の乱は現在の上御霊神社あたりで畠山氏のお家騒動を原因とした戦をきっかけに始まります。そして、将軍足利義政側に管領細川勝元がついた東軍、将軍の妻日野政子側に山名宗全がついた西軍が激しく争い京都を火の海にしていきます。これが全国へと広がっていき幕府の力は弱まり、下剋上がおき戦国時代へと繋がっていきます。史上最低の視聴率だった大河ドラマ「花の乱」途中まで見てあきちゃってたけど、また見たくなってきたな~今度借りに行こう
こういった古地図と見比べて現在の町を歩くのも楽しいです。それにしても足利義満が建てた相国寺がでかい。
本能寺も今とは違った位置にありますね。当時の本能寺は掘りもあり城のような防御施設だったようです。下京は商人たちの居住区だったのかな?本能寺跡から出土した鬼瓦や能字銘軒丸瓦が展示してありました。他にも家の近くにある山科本願寺から出土した皿や壺が展示してありました。
本能寺から出土した鬼瓦
本能寺から出土した能字銘軒丸瓦