3回生になり、私は朝鮮歴史研究部の部長になりました。
新入生勧誘作戦を主導し、同期のR君やまだそれほど積極的ではなかったものの2回生のR君と力を
合わせて頑張っていました。
何しろ、サークルの存続にも関わる状況だったので、何とかしなければという思いが強かったです。
一方、朝鮮総連の下部組織である留学同での活動も活発化しました。
その中で私は幹部としての役割も任せられていました。
韓国は当時、1980年5月に光州事件が発生し、独裁政権打破のための民主化運動がますます盛り
上がっている時期でした。
留学同の活動も韓国の民主化運動に呼応するもので、日本国民にも現状を知ってもらい、その先に
は日本の世論をも動かそうとするものでした。
ですから各地で集会やデモ、ビラ蒔きなどの対外活動を行いましたし、継続的に留学同に集うものが
より詳しく韓国の民主化運動を理解するための勉強会も頻繁に行われました。
そんな中で、関大の朝鮮歴史研究部にも新しい原石たちが見つかりました。
大阪朝高から入った工学部のP君、日本の学校からは行った工学部のP君と商学部の?君が積極
的な姿勢で入部してくれたのでした。
彼ら3人のおかげで私は部長としての面目を保てました。
冬になると、2回生の時に大学生協のローンで購入したスキーセットとスキーウェアで、電子工学科
のメンバーや留学同のメンバーとも野沢温泉や栂池高原にスキーに行きました。
金がないので、スキーバスに民宿というものでしたが、素晴らしい景観の中で楽しい仲間とスキー
を楽しむことは本当に快感でした。
メンバーが硬派ばかりだったので、夜の街でナンパはしなかったものの、安い酒とお菓子で民宿で
騒いでいました。
私にとってはスキー旅行が「これぞ青春!」に思えたのでした。

















