全部の入試を終え、結果を待つ間、父の塗装業の手伝いをしていました。
先に、京都の同志社大学と立命館大学の入試結果が送られてきたのですが、残念ながら不合格でした。
同志社大学には、試験前に下見に行くほど憧れていたのですが、結局レンガ造りの校舎に通い、京都の
街に住む夢も破れてしまいました。
その日も私は、現場に出て働いていました。
すると昼休みに、父のポケベルが鳴ったのです。
父が家に電話してみろというので、公衆電話からかけてみると、母が興奮しながら言いました。
「関西大学、合格やって!」
私は思わず「やったー!」と叫んでいました。
家に帰ってよく合格通知を見てみると、関西大学工学部には当時10の学科があったのですが、そのうちで
一番優秀な電子工学科に入れたのでした。
受験時から確信していた通り、滑り止めの2大学は合格していました。
通学には大変ですが、関西大学に行く選択肢しかありませんでした。
しかしながら、入学には100万円、1年間授業料も100万円かかることは、何とも思わなかったのです。
今考えれば、父がいくら自営業で従業員も二人抱えてるとしても、この金額を払うのは難しいことです。
ですが当時の私はそんなことを爪の先ほども考える気持ちがなかったのです。
親も親で奨学金を使うという考えもなかったようでした。
これが後に大きな禍根を残すことになろうとは夢にも思いませんでした。
いよいよ関西大学の入学式を迎えました。
今の日本なら朝鮮名の人がいてもそれほど注目されませんが、当時はやはり周りの目が気になった
ので、名前は日本読みの姜健一(きょうけんいち)で大学に登録しました。
入学式当日、大学の校門を通り過ぎると、数多くの体育会やサークル、同好会の人たちが新入生を
勧誘しようと待ち構えていました。
もみくちゃにされながら私は、アメフト部と日本拳法部の人に勧誘されました。
丁重に断りながら、入学式の会場にやっとたどり着きました。
入学式は特に印象に残るものはなかったです。
入学式が終わった後に、私はある人と待ち合わせをしていました。
それは入学式の二日前に、どこから情報が流れたのか知りませんが、私が関西大学に入学することを
知ったある人から電話がかかってきたのです。
そして入学式の後に会うことを約束したのでした。

