初恋相手とは、やや遠距離(大阪府吹田市と兵庫県明石市)で、私が電話をするのに15分も歩いて関大の
校内の公衆電話まで行かなければならなかったこともあって、後電話代もバカにならず、それほど頻繁に
は電話ができませんでした。
京都に行ってから会ったのは、確か1カ月後に、新長田(神戸市長田区)の高層階レストランで食事をした
時でした。
この時、まだ話術が巧みでなかった私は、話題に困っていました。
そして、Pさんと朝鮮学校に行くことで日本の大学に行くチャンスが奪われているという私の持論をめぐっ
て少しばかり言い争いになったのです。
それっきり自然消滅してしまいました。
約7,8年前に私の妹から聞いた話によると、Pさんはその後同級生と結婚し、娘を高校から日本の高校に
入れ、大阪府立大学に入学させたということでした。
結局、あの時私の持論に反対したにもかかわらず、ちゃっかり自分の娘は私の持論に沿った道を歩ませ
たのでした。
一方、朝鮮歴史研究部の新入生勧誘作戦は、暗礁に乗り上げていました。
当時、部員は4回生が3人、3回生の準部員が1人、2回生の部員が2人でした。
準部員を除く5人が徹底的なローラー作戦を実施するも、なかなか部員になってもらえませんでした。
このままだと来年は4回生が卒業し、R君と2人になってしまいます。
そんな危機感を抱いているときに、ようやく工学部建築学科のR君が部室に顔を見せたのでした。
彼は最初、ややひねくれた考えの持ち主で、なかなか心を開いてくれませんでした。
でも同じ2回生のR君が粘り強く接したのが良かったのだと思います。
徐々に口数も増え、サークル活動の手伝いもしてくれるようになりました。
そんな中でも、6人グループでの掛け持ち幹事合コンは回を重ねていました。
でもその中に私がいいなと思った女性には彼氏がいたり(そんな奴が合コンに来るな!)、どうしても私の
好みの容姿を持った女性とは巡り合えませんでした。
合計6回のうちに、2人の女性からアプローチを受けましたが、お断りしました。
そうして2回生の日々が過ぎていきました。

